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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第二章『クラエスの森―辺境の変人―』
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(34)『悩める乙女の味方ですから』

悩み多き小さな星はその日願いを口にした。

その日見た太陽のような強さに憧れて。弱い自分を嫌いになりたくなくて。

 ≪アルカナクラウン≫ギルドハウス、一階エントランスホール――。


「はふ……ぅ」


 お風呂上がりで少し眠気を覚え始める頃、私は少し厄介な感覚に悩まされながらも、やっとのことで辿り着いた壁際の三人掛けソファーに倒れ込んだ。

 目の前が時々不規則に揺らいだり、手足に力が入れにくかったり、室温が不思議と涼しく感じたり――――これは全部あるデバフ状態の影響を受けているからだった。

 視界の左端には湯気と汗をかく人を象った小さなアイコンがゆっくりとした感覚を空けて明滅している。これはお湯に浸かり過ぎると現れて体調不良のような症状を示す“湯中り(サーマルライズ)”というデバフのアイコンだというのはついさっきユウちゃんから聞いた話だった。

 リコさんに誘われて、ユウちゃんと三人でお風呂に入ったまではいいものの、二人の長風呂は私の許容限度(キャパシティ)を軽くオーバーしていたらしく、気が付いた時にはもう自分がわからないくらいにすっかり茹で上がっていた。

 ただそれも少し前の話。

 “湯中り(サーマルライズ)”は元々おまけのような扱いのデバフで、安静にして十分二十分も待てば自然と薄れて消えるぐらい弱いらしい。それで回復に近づくと、アイコンの明滅が徐々に早くなっていくのだとか。

 ここで大人しく寝ていれば、自然回復も早まるだろうと私は静かに目を閉じる。

 何となく耳を澄ますと、上のロビーから祝勝会組の賑やかな声が聞こえてきた。今日も私以外は戦いでそれなりに疲れているはずなのに、そんなことは全然感じさせない楽しそうな声だった。シイナさん――九条くんと刹那さんの声は聞こえないけど、二人もまだ上の階にいるのだろうか。


「どうかしたんですか、ネア?」

「わっ」


 突然至近距離で聞こえた声に驚いて目を開けると、いつの間に忍び寄ってきたのか目の前にアプリコットさんが立っていた。

 慌てて身体を起こそうとしたものの、湯中り(サーマルライズ)のせいか目眩がして、身体が思うように動いてくれない。


「あ、あの、えっと――」

「ああ、なるほどお察しします」


 ちょっと変わった言い回しで私の言葉を遮ったアプリコットさんはメニューウィンドウを開くと、素早く何か操作して、アイテムボックスから取り出した装飾の綺麗な親指大のガラスの小瓶を手渡してきた。


「さ、どうぞ。飲めばすぐ良くなります」

「え……と、これは何ですか?」

「『アルト・クライシア』。ま、ちょっとしたデバフ回復のアイテムですかね。ささ、遠慮なくぐいっと」

「は、はい……。ありがとうございます。でもこれって待っていれば自然に治るデバフだって――」

「デバフなんてどれも差はあれ勝手に治るもんですからね。それでもこういうもんがあるのは早く治るに越したことはないってことなんですよ」


 アプリコットさんはまた私の言葉を遮ってそう言うと、ちょっと面食らうほどの押しの強さでポーションを薦めてくる。

 シイナさんはアプリコットさんについてこう言っていた。


『アプリコットのことは信じていいけど、アプリコットの言葉は信じない方がいい。アイツ自身は悪いやつじゃないけど、ちょっと性質(たち)が悪いからな』


 悪戯好きな気分屋で、加減知らずで怖いもの知らず。アプリコットさんはそんな人らしい。

 私が小瓶を手に逡巡(しゅんじゅん)迷っていると、アプリコットさんは同じ小瓶を二個三個と手品のように取り出して、それらを軽く振って見せた。


「それ自体余り物なんで、そういうものがあるってのを知っとくついでに味見でもしといてください。もしかしたらこれからは、それ買いにお使いに出ることもあるかもしれませんし」

「お使い……」


 攻略で役に立たない分、せめて雑用くらいちゃんとこなせないと本当に助けられてばかりになってしまう。そんなのは絶対に嫌だし、そんな自分は看過できなかった。


「……ありがとうございます!」


 私はもう一度アプリコットさんに心からお礼を言うと、小瓶の細い口に嵌まった栓を取って、その中身を一息に煽る。


「まあ、全デバフ無効化に体力全回復効果付きですから、売れば一本で六十万オールくらいいくんですけどね」


 ピシリ、と空気が凍った気がした。

 私の身体は完全に行動と思考を停止し、小瓶の中身だけが素直に重力に従って口の中に流れ込んで爽やかな清涼感を残して消える。量が少なかったからか、飲み込む間もなく浸透していった感じだった。そして立ちどころに本来の効果を発揮したポーションは私を悩ませていたデバフ“湯中り(サーマルライズ)”を綺麗さっぱり治してくれた。

 さすが六十万するポーションだった。


「けほッ、けほッ……!」


 一瞬止まっていた時間が動き出すような感覚と共に、思わず咳き込む。

 アプリコットさんがさらりと口にした金額がこの世界でどのくらいの価値を持つのかは大体分かる。

 初めてから今日までにこの世界で私が手に入れたもので最も高価なものは、刹那さんから頂いた防具を除けば巨大な塔(ミッテヴェルト)のボスモンスター“黒鬼避役(ハザード・カメレオン)”の素材。それすら一つ分の価値は高価なものでも五桁いく程度だったらしい。

 どうしてアプリコットさんはそんな高価なものを簡単に渡してしまえるんだろう。


「ん? どうしました?」


 どうしましたじゃないですよっ! と言いたかったけど、噎せて息苦しい今、とても言葉が出てくる状態じゃなかった。それでも私の言いたいことをだいたい察していたらしい(というより多分最初からそんな反応を予想していたんだと思う)アプリコットさんは無言で視線を泳がせると、手の中にあった幾つもの小瓶をパッと手品のように消してひらひらと手を振って見せる。


「別に気にしなくてもいいですよ。ぶっちゃけ古代調整薬(アルト・クライシア)古代万能薬(アルト・エリクシア)も一スロ百個で二ページ分くらいありますから」

「そんなにですかっ!?」


 百個×縦十マス×横ニ十マス×二ページ=四万個。

 びっくりしすぎて湯中り(サーマルライズ)がぶり返しそうな気分だった。


「こう見えて最古参ですからね。レベリング終わってからはコレクター稼業も早々に飽きまして、暇時間ずっとポーション作ったり、罠撒き散らしたり、シイナ弄ったりしてたんで無駄に有り余ってるんですよ」

「このポーションって作れるんですか……」

「って言うか市販じゃ売ってないので、自分で作るか専門ギルドに買い付けるかしかないですね。今あそこが機能してるかどうか甚だ疑問ですが」


 アプリコットさんの話では、最古参のギルドの中にはFOの仕様上大した利益にならない半慈善事業の商売を営んでいる変わり者のギルドが幾つかあり、その中に高位ポーションや各種回復アイテムやその素材アイテムを専門にしている≪薬師寺薬師薬袋堂薬舗やくしじくすしみないどうやくほ≫という名前のギルドがあるらしい。


「ポーションの調合(プレパ)スキル最大まで上げても成功確率1%行かないので、相当量の材料注ぎ込んでこそですけどね、くっくっく」

「え、えっと……まさか本当に四百万個分の材料を……?」

「基本運は悪い方なんで、実際に使ったのはその倍ってとこですかね。ボクみたいな廃人ならともかく、ネアみたいな良い子は真似しちゃダメですよ。っつーより、今んとこネアはどう自己育成(レベリング)するかの方が重要ですしね」

「レベリング……」


 思わず握った手に力が入る。

 レベルが上がるということは、わずかでも九条くんたちに近付けるということだ。強くなれば足手纏いにならなくて済む。ただ庇護されるだけの弱者が嫌なら、とにかく強くなるしか方法はない。

 もしもアルカナクラウンの皆に出会っていなかったら、私はきっと壊れて、誰にも触れないまま腐っていくだけだった。

 突然ゲームの中に閉じ込められた時、私は周りの騒ぎも聞こえなくなるくらいにひたすら自分を押し込めて、ただ強く強く願っていた。この世界をゲームに引き戻す、こんな現実を壊してくれる都合のいい夢を。

 でもその後、すぐにアンダーヒルさん――ユウちゃんが声をかけてくれた。たった一日、数時間を一緒に過ごしただけの私を、ユウちゃんとスリーカーズさんが拾ってくれた。そして逃避するよりもずっと現実的な考え方を教えてくれた。

 あの時二人に出会っていなかったら、私はただ現実を恋しがって頭を抱えて(うずくま)っているだけだった。悪い夢を見ているだけと自分を慰めて、いつ終わるかもわからないこの世界で自分でも気付かないまま上を向くことを――前を向くことを忘れてしまっていたかもしれない。そして私じゃない誰かが、この世界を終わらせてくれることを切望していたのだろう。

 この世界にも終わりが来ると信じているのに自ら戦うことを考えられない。英雄や救世主を切望していても自らなろうとは思えない。私はきっとそういう人間だから。

 でも今は違う。

 私は誇れる自分でいたい。九条くんやユウちゃんみたいなキラキラした人たちの隣でも恥ずかしくない自分になりたい。


「強く――」


 ユウちゃんが教えてくれた。

 願いを口にすると、それは時に意志に変わることがあるのだと。


「強くなりたい――」


 九条くんが教えてくれた。

 アプリコットさんに何かを頼む時は変に構えたり凝ったりしても天邪鬼だから逆効果。誰よりも空気を読むことに長けた彼女には言葉を尽くすよりも寧ろその場の勢いでぶつかった方が効果的だと。


「……アプリコットさん、私に戦い方を教えて下さい! 強くなりたいんです!」


 私がいきなり大声を出したからか、アプリコットさんは呆気に取られたようにぱちくりと目を(またた)かせた。そして、何となく困ったような表情で視線を空中にさ迷わせる。


「んー。別に構いませんけど、ボクが教えると天使種(エンジェル)系本来の戦い方にはならないかもしれませんよ?」

「……? どういうことですか?」

天使種(エンジェル)系の強みは高い特殊ステータスと“ヒーリング”――所謂(いわゆる)回復魔法で、近接戦闘能力が滅茶苦茶低い代わりに総合的な後方支援能力はトップクラスなんですが、生憎ボクは普段魔法も回復魔法もあまり使ってないんですよ。大体近接で片付けちゃうので」

「じゃあどうして天使を選んだんですか?」

「え? 一番上に書いてあったので」

「適当だったんですか!」


 本当に破天荒な人だった。


「このレベルになると多少低いステータスでも十分戦えるんですよ。そもそも基準値が高いので」


 レベルが上がるまではどうしてたんだろう。

 そんな疑問も浮かんできたけど、今日特等席で見せてもらったアプリコットさんの近接戦闘はちょっとやそっとのレベルの違いくらいでどうにかなるものじゃないと思ったのも確かだった。


「それでも良ければ、寝るまでの暇潰しに色々レクチャーしてあげましょうか? どうせ育成(レベリング)の大まかな方針はアンダーヒル辺りが考えてるでしょうし、おまけみたいな知識(こと)ぐらいなら寧ろボクの専門分野みたいなもんですし」

「え!? い、いいんですか?」


 私が思わず聞き返すと、アプリコットさんは手を差し出してにこりと微笑んだ。


「ボクは悩める乙女の味方ですから♪」

Tips:『古代調整薬(アルト・クライシア)


 FOにおける調合(プレパ)可能なポーションの中で最上級の効果を持つ正常化アイテム。指先程のサイズの小瓶に入っており、雫一滴であらゆるデバフとデメリット効果を持つ追加効果を無効・解除し、体力(LP)魔力(MP)気力(SP)をそれぞれの上限値の30%分素早く回復する効果がある。その回復速度は一滴分で大多数の回復アイテムより速く、飲んだ量が多ければ多い程その効果も高くなる。効果が高いだけに調合の過程も複雑で、『調合系スキルを全部取り、前提条件を最速三日で揃えても最後の調合成功率が一パーセント以下』と揶揄される。

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