(32)『で、気づいた?』
その日の夜、賑やかな時間も落ち着いた頃。
二人きりになった刹那とシイナは昔のことを思い出しながら秘密の企みを開始する。
狩りの時間が始まる。
『[アンダーヒル]何時でも構いませんので、寝る前に時間が空いたら私の部屋まで来てください。重要なお話があります』
そんなメッセージがアンダーヒルから届いたのは≪アルカナクラウン≫ギルドハウスに何事もなく無事帰還しておよそ三十分後――――日も完全に暮れた頃になってリュウ・シン・トドロキさんにアプリコットを加えた四人を中心に祝勝会という運びになり、『コイツら、どうせ何かと理由をつけて馬鹿騒ぎしたいだけなんだろうな』などと思っていた矢先のことだった。
そのメッセージに目を通した後、テーブルを挟んで目の前の一人掛け用ソファーに座って無言を貫くアンダーヒルに視線を遣る。
祝勝会はどうあれ百歩譲っても馬鹿騒ぎなんて柄じゃないアンダーヒルだが、これも付き合いと割り切っているのか居心地の悪そうな気配は微塵も見せず、ただ同じ空間にいるだけのモニュメントのようにひたすら無言でそこに佇んでいる。
時折その正面に置かれたティーカップの中身――柑橘系果実のスライスに砂糖と湯気の立つ熱い紅茶を注いだシャリマティーがいつのまにか少しずつ減っているのがわかるが、如何せん一杯呑むのに常人では我慢できなくなりそうな程の時間をかけているため、すっかり冷めてしまっている。
こんな時のアンダーヒルは本気で何を考えているのかまったく読めない。何を考えていてもおかしくないアプリコットよりは悪意や悪戯がないだけ幾分かマシだが、何を考えているのかわからないというのもそれはそれで不安になるものだ。
あまりの不動っぷりに思わず見蕩れていると、アンダーヒルが俺の視線に今気が付いたかのように顔を上げた拍子に目が合った。相変わらず何処か感情の薄い、ただ見るためだけに開かれているようなその瞳はしばらく静かに俺の姿を映していたが、何かが起こる間もなくその視線は宙をさ迷い、最終的に目の前のティーカップに落ちついた。
(重要な話……。他の人に言えない、となるとやっぱりミキリのことかな)
他の人に気付かれないようにフレンド登録したばかりのアンダーヒル宛に返しの文面を作り、メッセージとして送信する。
『[シイナ]了解。九時に行く』
アンダーヒルの瞳が不自然に揺れる。
通常、可視化処理を行わない限り、メッセージウィンドウは他の人の視界に映らない。当然プライベートな遣り取りを他人に見られないようにするためだ。
すぐに目の前に現れただろうメッセージウィンドウを一瞥したアンダーヒルは、テーブルのティーカップを手に取って口元に運ぶだけのごく自然な動作の中で然り気無くメッセージウィンドウを閉じた。幸いなのかどうかはよくわからないが、遣り取りは誰にも気づかれていないようだ。
ちなみに今同じ丸テーブルの周りに不規則に並べられた一人用ソファーに座っているのは俺、刹那、リコ、アンダーヒル、そしてついさっきふらふらと座るテーブルを変えてきたネアちゃんの五人だ。
騒がしいリュウ・シン・トドロキさん・アプリコットは、隣の二人掛けソファ二脚と長方テーブルを占拠して騒いでいる。ネアちゃんは最初こそ誘いを断りきれずに巻き込まれていったものの、酔っぱらいじみたハイテンションについていけなかったらしい。唯一成人(と自称している)トドロキさんは実際に件の催眠酒を呑んでいるようだし。
ちなみに現実ではないこの世界には飲酒規制なんてものはなく、アルコールと同じ作用を持つシードル系飲料を飲むのも個人の自由、所詮疑似体験に過ぎず、現実の肉体には何の影響も及ぼさないからだ。それでもトドロキさんを除いた三人は未成年だからと遠慮している分律儀なんだろうと思う。
「ところでシイナ」
隣で頬杖衝いて馬鹿騒ぎを眺めていたリコが不意に振り返って話し掛けてきた。
「何だ?」
「私の身体の調整はいつしてくれるんだ? どうにもバランスが悪くて、できれば早い内がいいのだが」
「そういえばそんな懸案事項もあったな……」
どんな仕様なのかは知らないが、何れにしても避けられるものではないようだ。
「後で寝る前にやってやるよ」
「む、そうか。今からでないなら私は風呂に行ってくるが、シイナも来るか?」
何故その提案が出てくる。
「俺はいい。……刹那が睨んでくるし」
「すまないが後半が聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「いいから早く行け」
「ん? そうか、しかし一人はつまらんからな……誰か一緒に……」
そう言って立ち上がると、リコはロビーの中をキョロキョロと見回し、風呂への道連れを探し始めた。
寂しがり屋にも程がある。
しかしそもそもこの場にいるだけが≪アルカナクラウン≫ギルメンの全員であり、それ以外は精々メイドの四人くらいだ。結局リコの視線は手近な辺りで止まった。
「よし、一緒に行くぞ、ネア、アンダーヒル。アンダーヒルはともかく、ネアはまだ然程親しくないから少し緊張するな」
お前緊張とかあったのか、と言いたい。
「私もあなたと親密になった覚えはないのですが……」
アンダーヒルも何か呟いているが、誘い自体は反対しないようでネアちゃんに続いて大人しく立ち上がる。
ちなみに、三人並んだ姿を見てアルカナクラウンチビっ娘衆なんてことを考えた瞬間、相変わらず察しのいいアンダーヒルがミリ単位の表情変化で睨んできた。
三人が連れ立っていなくなると、ロビーには俺と刹那、そして馬鹿騒ぎする馬鹿四人組が残された。四人は完全に別次元のテンションで周りのことは気にも止めていない様子だから、実質刹那と二人きりと言える状況だろう。とは言え、刹那はさっきから読書に耽っているから、それも加味すると俺一人と言っても大差ないが。
用もないし部屋にでも戻っていようかとあまり生産性のないことにしばらく考えを巡らせていたが、自室に戻っても何もやることがないのもまた事実。九時にアンダーヒルと約束がある以上不用意に部屋へ戻って寝落ちでもしたら一波乱来るのは間違いない。
何せ『約束を守らない=虚偽申告』だなんて考えるような生真面目が斜め上にシフトした奴だからな。波乱どころか当然のように制裁に走る可能性まである。
それならこの部屋にいてアンダーヒルを待っていた方が遥かにマシだ。多少気になることもあるしな。
「ねぇ」
そんなことを考えていると、突然刹那の方から声をかけてきた。しかし、見ると刹那は読み耽っている本から視線を上げることなく、特に意識をこっちに向けている様子もない。つまり、大方お茶でも淹れさせる気なのだろう。
「畏まりました、お嬢様」
立ち上がって適当に一礼しつつそう言ってみると、刹那は本から顔を上げて『馬鹿なの?』とでも言いたげな目で睨んできた。
「まだ何も言ってない。っていうか何それ。執事? キャラじゃないでしょ。馬鹿なの? 死ねば? 羞恥死」
酷い言われようだった。
「そんな死に方は御免被る。ってかお茶でも淹れさせるつもりなのかと思ってたけど違ったのか?」
「アンタ私のパシリだったの? じゃあ跪いて足をお舐め」
「それパシリの域超えてんだろ……」
刹那が組んだ足の脚装備をわざわざ解除してまで差し出してきた裸足の右足の甲を、たしなめるつもりで軽く叩いてやると、刹那は「ちッ」と軽く舌打ちして大人しく足を戻した。
本気だったのかよ。
「で、パシリじゃなかったら何の用だ?」
「人聞きが悪いにも程があるわね。私がいつもパシってるみたいじゃないの」
いつも似たようなもんだろが。
「邪魔者もいなくなったことだし、ちょっと息抜きに外の空気吸いに行きましょ。勿論、……付き合うわよね?」
刹那はテラスを指差しながら、ちょっと含みを持った言い方でそう提案してきた。
この≪アルカナクラウン≫のギルドハウスには二階に少し広めのオープンテラスが設けられており、ロビーから自由に出入りすることができる。人数も少なく、そもそもギルドハウスで集まることがなかったためあまり使われていなかったが、設備としてはかなり上等な部類のもので以前唯一の住人だった刹那は時々使っていたらしい。
「邪魔者は酷いな」
刹那の意図を察したのもあるが、妙に自然体だった上ロビー全体がやや催眠酒臭くなっていたため、一も二もなく同意の意味を込めてテラスに通じるガラス戸に向かって歩き出す。
「あ、ちょ、待ちなさいよっ」
刹那は読んでいた本に栞を挟んでテーブルの上に置くと、慌てたように後ろをついてくる。途中で酔ったようなトドロキさんに野次を飛ばされて怒鳴り返していたが、俺が構わずテラスに出るとすぐに刹那も出てきて、後ろ手にガラス扉を閉めて施錠用のウィンドウでロックを確認した。
「結構涼しいな」
「そうね」
そんな遣り取りを交わしながら、刹那と二人並んでテラス端の手すりに歩み寄る。
「うーんっ、と!」
気持ち良さげに軽く伸びをして深呼吸した刹那はそのまま夜空を見上げ、少しぼんやりとした雰囲気で視線を正面に戻した。
「ホント、仮想現実とは思えないほどいい空気よね」
何処か物憂げにそう言った刹那は不気味に静まり返った街道を見下ろすように手すりにもたれ掛かった。
「寧ろ仮想現実ならではだろ」
街中とはいえ、現代のように四六時中車が走っているわけでも工場があるわけでもないFOフロンティア市街地の空気は、山中のように澄みきっている。山よりは多少明るいが、星空までも綺麗に見えるのだ。
「ま、それもそうね……――――で、気づいた?」
「監視のことか?」
さっきアプリコットに会いに行くための遠征、略してアプリコット遠征から帰ってきて気付いたのだが、幅7mほどの通りを挟んで隣に立つご近所ギルド≪クレイモア≫の二階の部屋に≪アルカナクラウン≫をずっと監視している人影があったのだ。
それもちょうどこのテラスの正面に当たる。ガラス扉にカーテンは一部のみ二階ロビーの監視はさぞしやすかっただろう。
気付いたというのは間違っているのかもしれない。道化の王冠の連中が≪アルカナクラウン≫を敵視しているならいてもおかしくはないと多少思ってはいたのだ。その上ここまで連中とのエンカウント率が高いと、見張りでもいなければ運が悪いにも程がある。
「潰す?」
手すりに頬杖をつき、さりげなく口元を隠しながら刹那が言う。一応読唇術を警戒しての配慮だが、読唇術なんて縁遠い特殊技能だと思っていた頃に比べれば、予想外のところでアンダーヒルというハイスペック人間の効果が出ていると言えるだろう。
「いきなり物騒な話だな。ギルド包みでやってるって保証もないのにギルドハウス闇討ちする気かよ」
「前も一回やったじゃない」
「あれは向こうがしょうもない嫌がらせばっかしてたからだろうが」
もう随分と昔の話だ。
かつて≪アルカナクラウン≫の存在をお高く止まっていると認識したとあるギルドの連中が迷惑行為を繰り返し仕掛けてきていたのだが、何度見逃してやっても調子に乗るばかりで挑発を繰り返す奴らに刹那が業を煮やして宣戦布告――当日の夜、プレイヤーの出入りの隙を狙ってギルドハウスを襲撃した俺と刹那、シン、リュウ、当時はまだいた儚の五人でハウス内の総勢三十八人を短期制圧した。
当時はまだ他四人にあまりレベルが追い付いていなかった刹那は終了後の説得を担当したのだが、これがまた刹那レジェンドのひとつだった。
その事件以降向こうのギルドの連中はこっちに関わろうともしなかった上、ばったり会うと全力疾走で逃げ始めるようになった。あまつさえ刹那を見ると、すぐさま人目も憚らず土下座を敢行する始末だ。逆に目立って、新手の捻った嫌がらせかと思ったぐらいだった。
いったいどんな“説得”をしたらこうなるのか聞きたくもないが、このことが刹那の二つ名“棘付き兵器”の元になったらしいというのはまた後に知った妙に納得できる事実だ。
「まさか二人でやるのか?」
「せっかくの祝勝会に水差したくないじゃない。あの子たちも心配するでしょうし」
「お前、人のことまで考えられるようになったのか!?」
「斬るわよ?」
「すみませんでした」
俺が即時降伏すると、刹那はフンと鼻を鳴らして抜いていたフェンリルファング・ダガーを鞘に納めた。
「でも実際問題無理だろ、二人じゃ」
「何言ってんのよ。何のためにアンタを誘ったのかまだわかんないわけ? 私たちは二人じゃないわ――」
刹那は不敵な笑みを浮かべると、心底楽しそうな顔でこう言った。
「――二人と三百一匹よ!」
マジですか。
Tips:『メッセージ機能』
[FreiheitOnline]において、特定のユーザー間でテキストメッセージを送受する機能。主に『フレンド』『ギルドメンバー』『その姿を視認できている周囲のプレイヤー』を宛先に指定することができ、一般的なやりとり程度なら不自由なく行うことができる。ただし、独立フィールド内にいる場合は機能が大きく制限され、リアルタイムな送受信が一切行えなくなる。ちなみに同じ独立フィールド内に存在するプレイヤー間の送受信もその制限は変わらない。一方でメッセージの作成と送信待機は行うことができ、独立フィールドを出た時点で作成・送信待機状態にあるメッセージが順番に自動送信され、同時に受信待機状態にあるメッセージを自動受信される。




