(29)『対抗意識』
地底湖の主は突然縄張りに現れた小さき者に苛立っていた。
煩わしい水蛇を散らしている程度であれば目溢してやろうものを、わざわざ湖岸までやってきて無遠慮に監視するような真似をし始めた頃からその怒りは限界に達しようとしていた。
アオォォォォォン……。
〔旧く貴い長きもの〕との睨み合いを続けるリュウの耳に二度目の遠吠えが聞こえてくる。
一度目の遠吠えよりもやや遠く、方角もまるきり別方向からだ。武闘派の割に聡いリュウが犬系の何かが遠吠えを使って連絡を取り合っているのだと推測するまでに大した時間はかからなかった。
「来たか……シイナ、刹那」
急がねば――――リュウがそう思ったその瞬間、まるで見計らったようなタイミングでアルヘオ・リヴァイアサンが不意に大きく仰け反り、破裂寸前まで膨張していた水属性の強ブレスがチャージキャンセルされた。
「思いの外、手が早いな」
可能なら同じギルドの仲間でもこの戦果の栄誉を渡したくないというある種ゲーマーらしい心情から思わずそう呟いた。
リュウからは遠目でよく見えないが、たった今アルヘオ・リヴァイアサンをたった一撃で大きく怯ませたのは大口径の銃弾。リュウの予想通り、アンダーヒルの持つ対物ライフル〈*コヴロフ〉による狙撃だった。
ほぼ間を空けず、アルヘオ・リヴァイアサンがまたも大きく仰け反る。そして三発目と続けてみるみる体力ゲージが抉られるように減少し、四発目で連続狙撃が終わる頃にはアルヘオ・リヴァイアサンの被撃ダメージは体力上限の三分の一に達していた。
大口径弾とは言え、たった四発の銃弾で随分なダメージだと思うだろうが、これが最上位級プレイヤーの実力のレベルであり、『碧緑色の水没林』の平均的な難易度だ。今のアンダーヒルと〈*コヴロフ〉の火力は下位ボス程度なら銃弾一発かすっただけで消し飛ぶだろう。
強い者はより高次元の強さまで到達しうるし、弱い者は最低限の強さを得るまでは権謀術数の限りを尽くしてもなおその強さには届かない。それがFOでは当たり前の格差的パワーインフレだからだ。
何処にいるかもわからない敵から攻撃を受けて体力を大きく抉られたアルヘオ・リヴァイアサンは激昂して再び大きく咆哮し、水面下をまっすぐ岸へ向かって泳ぎ始める。
「無駄な手間が省けてありがたい限りだ」
リュウは何処かにいるのだろうアンダーヒルに片手を挙げて礼を示すと、右手の〈*宝剣クライノート〉に加えてもう一本の剛大剣〈*大鷹爪剣ファルシオン〉を装備し、いつもの戦闘スタイルの準備を完了する。
両手で重量武器である剛大剣を二本扱える超重戦闘スキル【剛力武装】を発動したのだ。
「三十……二十……十……ッ!?」
ザバアァァァァン!
残り10m地点で突然止まったアルヘオ・リヴァイアサンは突然U字に身体を翻すと、一瞬深くまで潜って水上に全身の八割程も飛び出し、その巨体を使って高波を起こした。
「シン!」
「ほいさ、【伝播障害】!」
構える間もなく三人を襲った激しい波に一瞬呑み込まれそうになるものの、リュウの号令でシンの掌を中心に展開された高性能障壁が高波の直撃の衝撃から三人を防御する。
座標固定の半球状バリアは入るモノを拒むもので、そのダメージ耐久値は使用者のレベルの1000倍。優に900超えのシンで換算すれば、ミッテヴェルトの最新層のボスモンスター相手でも大体数回の攻撃を防げる計算だ。それなりに消費魔力は食うが汎用性も高く、強力な戦闘スキルと言える。
そして最も大きな第一波を伝播障害で回避するやいなや、リュウはそのバリアを飛び出した。
「トドメは任せたッ! 【滑断走】!」
水面走行を可能にするゲームならではの物理限界突破スキルを発動し、リュウは右手の宝剣を地面に突き刺すようにその巨体を強引に水上に跳ね上げ、岸から少し先に着水して水面を駆け走る。
リュウの戦闘スタイルは本質的に『敵に手が届くまで肉薄し、大剣の火力で斬り伏せる』ことに終始している。ただ、実戦においてそれだけではうまくいかないことも経験上理解しているから、リュウは特に単純な効果で有用なスキルや魔法を好んで使っていた。全てはただ、敵に近付くために。
【滑断走】も連続使用はできないため一回5m程度が限界だが、水上の敵との距離を詰める時に使いやすいスキルだった。
「【慌てる時計兎】!」
続けて跳躍補助の制体補助スキルを使って、さらに5mの飛距離を稼ぎ、瞬く間にアルヘオ・リヴァイアサンに肉薄する。
「お前さんもそろそろ泳ぎ疲れただろう。一度岸に上がって休むがいいさッ、【急星動原則】!」
本来は戦槌系などの重量級の武器で相手を殴り付けて吹き飛ばすだけの技なのだが、それが【剛力武装】で腕力を底上げした剛大剣二本でやると既に別の技――違う次元の領域だ。
鎧のような鱗に阻まれ刃は通らなかったもののリュウの重い一撃でアルヘオ・リヴァイアサンの骨は軋み、その巨体は弾かれるように吹き飛ばされて宙を舞う。
「下がってろよ、リコ。巻き添えになるかもしれないぜ」
「貴様こそ私の右腕に巻き込まれても知らんぞ、シン。ここで言うのもあれだが」
シンとリコは互いに小気味のいい笑みを口元に浮かべると、逃げる術もなく空中を飛んでくるアルヘオ・リヴァイアサンをまっすぐ睨み、タイミングを合わせる。
「輻射振動破殻攻撃!」「【破軍・聖炎一閃】!」
赤い光を放つリコの右腕がアルヘオ・リヴァイアサンの腹に埋没し、オレンジ色の炎を帯びた〈*妖狼刀・灼火〉が鱗を焼き、その身を炙る。
ギャアアアァァッ!
思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い悲鳴を上げたアルヘオ・リヴァイアサンは二人を尻尾で撥ね飛ばそうと激しくのたうつ。
「そんなものを食らってやれるほど私は安くないぞ、愚か者め!」
太いが単純な軌道しか描けない攻撃を軽々と躱して見せるリコに対し、シンは〈*妖狼刀・灼火〉を盾代わりにしてわざわざ無理に衝撃を流しながらも受けている。
単純な制体能力の差と思われそうだが、実はそうではない。
〈*妖狼刀・灼火〉に付加されたシンの切り札の一つ――【凶兆星】。それは敵との物理接触時に自分と相手の双方に一定のダメージを与えるメリットとデメリットの二面性を持つスキルで、どんな場合にも発動してしまう代わりに自分より弱い相手に対して意外と効果がある。毎度同じダメージを与えるなら、体力が高い方に有利なのは当然だ。
ギィン! ギギィ!
金属が打ち合う音が震えるように響く。
アルヘオ・リヴァイアサンの鋼のような鱗と〈*妖狼刀・灼火〉が接触する今この瞬間にも、アルヘオ・リヴァイアサンはじわじわとライフを削られているのだ。
視界の上部に表示されているアルヘオ・リヴァイアサンの体力ゲージがゴリゴリと削られていくのを見て、出る幕がなくなることに危機感を覚えたらしいリコは逃げるのをやめ、振り抜かれる尻尾を低位跳躍で躱し――
「所詮は獣か。私が片付けてやろう」
――ガシッとその先を掴み、持ち前の馬鹿力業で半回転振り回して直近の樹を薙ぎ倒しながらその巨体を地面に叩きつけた。
「甘いな、リコッ! コイツの体力はまだ残ってる。そしてトドメを刺すのはこの僕だ! 【凶刃日記】アァァーッ!」
シンは自身の必殺技とも言うべきユニークスキルを瀕死のアルヘオ・リヴァイアサンに対して無駄遣いする。
【凶刃日記】は自分の使う刀剣類の武器を元に二倍の刀身を持つ自律刀剣を複数オブジェクト化し、個人でパーティクラスの連携攻撃を可能にする戦闘系ユニークスキルだ。 有効範囲が狭くリュウ・アプリコットのような近距離型やシイナや刹那のような中距離型までしか対応できないが、自律刀剣は元になった武器と同じ攻撃力値を有し、最大八本まで同時に召喚できるため、うまく扱えればかなり一方的な戦闘に持っていくことができる百歩譲っても凶悪と言わざるを得ない性能を持つ。
ちなみにこのスキルの乱用が“凶太刀”という二つ名に繋がっていると言っても過言ではないのだが、本人は未だにそのことに気付いていなかった。
「全機攻撃ッ!」
シンの〈*妖狼刀・灼火〉と自律刀剣がアルヘオ・リヴァイアサンにトドメの連撃を加えようとした瞬間――――グウォウ!
自身に向けられた攻撃全てを躱すように身を捩ったアルヘオ・リヴァイアサンは、まるで猫騙しのように大きく水面を叩いてシンとその周囲の自律刀剣を纏めて薙ぎ払うと、比較的水深の深いところを泳いで水没林の方に逃げ始めた。
「「逃がすかっ」」
無駄に統制の取れた台詞を吐いたリコとシンは水深の浅いところを選んで水を掻き分けるように追いかけるが、アルヘオ・リヴァイアサンの泳ぐ速さはまるで津波のように水深が浅くなるほど逆に速くなり、みるみるうちにその差は開いていく。
「くっ……シン、私に手を貸せ!」
「任せろッ」
さっきまで無駄に対抗意識を燃やしていたとは思えない遣り取りを交わした二人はアイコンタクトだけで打ち合わせを済ませると、両の手を低く組んだシンがその場に腰を屈めた。そしてその手を足場にして、シンの跳ね上げる手の反動を利用してリコが水上に――空中にその身を投げ出す。
バサァッ!
リコの身に付けている防具の胴装備〈*合成獣胴鎧・神禽〉の背中に着装された生体翼が空気を掴むように羽搏き、一拍遅れて展開した金属翼の魔力ブーストで加速したリコはまるで食らいつくようにアルヘオ・リヴァイアサンを猛追し始めた。
「それで逃れたつもりか、馬鹿め」
浅瀬とはいえ水中にいるアルヘオ・リヴァイアサンの姿は鱗の保護色で目視し難くなっている。しかしリコの目とその身体に内蔵された高汎用レーダーはその動向を絶えず捕捉し続けている。距離はかなり離れているものの、リコの加速性能は今や翼一対分には留まらない。
金属翼の魔力ブーストと生体翼の羽搏きによる加速性能をフルに発揮して上乗せした高速を体現したリコは水没林の木々の間を縫うようにして逃げるアルヘオ・リヴァイアサンを概ね同じ航跡で追いかける。
水属性の対空植物の存在からあまり高度を稼げないのが難点だが、元々小回りの利く機動性を重視された金属魔力翼を持つリコにとってこの程度の低空空中機動など直線飛行と同レベルで造作もなかった。
「残り十二秒。それが貴様の寿命……――――何ッ……!?」
レーダーで捉えた彼我距離から追い付くまでの時間を計算していたリコは次の瞬間、信じられないとばかりに声を上げて、翼が曲がるほどに空中で急停止した。
唐突に訪れたイレギュラー――目標消失。これまで確実に捉えていたはずのアルヘオ・リヴァイアサンの位置を、リコは今見失っていた。
「くっ……! 【潜在一遇】!」
地形潜航スキルを使用したリコは障害物となっていた木々を透過して、文字通りの直線飛行で消失地点まで急行する。
リコに内蔵されたレーダーの仕様として、ロストは物理的に捕捉不可能になった場合か索敵可能範囲外に逃げられた場合、あるいはターゲットが死んだ場合にしか発生しえない。そして、この状況で最も可能性が高いのは後者だった。
つまり、アルヘオ・リヴァイアサンが殺された――――ということになる。
ただの一瞬で。
「……ん?」
消失地点に接近したリコのレーダー、続いて目が人影を捉える。その人物は絶命して動かないアルヘオ・リヴァイアサンの骸に腰かけ、水の中に差し入れた足を小さく動かしてぱしゃぱしゃと水を蹴って遊んでいる。
リコは生体翼を空中で仕舞い、本来備わっている金属翼だけで姿勢を制御すると、ふわりと水上に出ているアルヘオ・リヴァイアサンの胴体に着地した。
そしてその人物も同時にリコの出現に気付いたように水遊びを止めると、顔だけ振り返って一瞥視線を寄越してきた。
その顔を見た瞬間、リコの表情が俄に凍りつく。
「貴様はあの時の――」
「んー、敵ですか? それとも味方なんですかね。それともラスボス噛ませ犬? まあ、ぶっちゃけボクとしてはどっちでもいいっつーか、いったい誰です?」
その女は両手首に嵌められた腕輪から流れるような美しいフォルムのブレードを展開すると、それを逐一見せつけるようなゆっくりとした動作で立ち上がった。
「……ッ!?」
――瞬間感じたまるで肌を撫でられるような脅威の気配にリコは思わず飛び上がり、逃げるようにその女から距離を取る。
「あれ? ボク、何か粗相しましたかね? 粗相したかなあ。節操ないからなあ」
刃物を振りかざしながら、まるで無害を装うかのように白々しく笑ったその女はリコを追い詰めるように精緻な造形の天使翼を大きく開いた。
「――ボクは今深く傷付きました――」
背後から聞こえたその声を契機にぬるりとした冷たい殺意がリコの首筋を這い、リコの視界が一瞬暗転する。
「だーれだ?」
リコは全身にぞわりと戦慄が走るのを感じた。
動きについていけなかったとか、その女を前に見たことがあるとか、そんなことはリコにとってどうでもいいことだった。リコはただその声――刃を突きつけながらまるで悪戯でもしているように弾む声色に半ば恐怖にすら近い感覚を覚えていたのだ。
その時だった。
「ストーップです、アプリコットさん!」
視界の外から制止の声がかかった。
「……その人は違いますからっ。アルカナクラウンの味方ですからっ!」
そう説明する声の主はたった今到着したように大犬――激情の雷犬の背から飛び降りたネアだった。
Tips:『空中機動』
空中での制体技術、とりわけ素体の飛行翼やリアウィングを用いた飛行技術の総称。特徴的な挙動のものはプレイヤー間で普及した固有の通称が存在することもあり、鳥類や竜、航空機のような一部の空中戦を得意とするモンスターの行動パターンにも同じ通称が流用されることがある。過去にはこの技術を競う大会のようなイベントも開かれていた。




