(27)『頭が良すぎて気持ち悪い』
期せずして道化の尖兵――魔眼の魔女を倒し、彼らは再び仲間探しに意識を戻す。
次の手掛かりはその環境、周りを見回すアンダーヒルは的確な分析を開始する。
「そろそろDの捜索に戻りましょう。あと二時間ほどで日が暮れてしまいます。我々はともかく、ネアに夜間の森を歩かせるわけにもいきませんし」
ミキリの身体のバランスを整えながらそう言ったアンダーヒルは、自身もその激情の雷犬の背中に這い上がり、俺を促すように上から視線を寄越してきた。
大抵のフィールドでは日が暮れて夜間時間帯になるとモンスターの総合的に凶暴性が増し、行動や攻撃のパターンも大きく変化することが多い。さらに暗くなれば夜目の利かない大半のプレイヤーはモンスターの奇襲を受けやすくなる。
上位勢はともかくネアちゃんだけはクラエスの森の適正レベルには達しておらず、防具のことを考えてもいいのを二回三回と受ければあっという間に危険域だろう。
「……そうだな」
アンダーヒルは俺が別の激情の雷犬に這い上ったのを見て何か言いたげな視線を送ってきていたが、俺の用意が完了したと見ると自然と雷犬を駆って走り出した。すると、誰も乗っていないフリーの雷犬が誰の指示を受けるでもなくアンダーヒルの乗る雷犬についていく。
「オマエら、やけにアンダーヒルの言うことをよく聞いてるけど、一応主人はこっちなんだってこと忘れてないだろうな?」
何故か首を傾げられた。何故だ。
「そろそろ闇雲に探してるだけじゃ効率が悪いと思うけど、何か方針は考えてたりするのか?」
やや先行気味だったアンダーヒルに追いついてそう訊ねると、アンダーヒルは俺の方をちらっと一瞥して、首を横に振った。
「その質問をそのままあなたに返しても構わないでしょうか、シイナ」
「え?」
「Dの……彼らのことはあなたの方がよくわかっているのではありませんか? リコのことに関してはあなたも私と然程変わりませんが、少なくともリュウとシン……あの二人がこの状況で何を考えるか――私よりも長い時間を共に過ごしてきたあなたならわかるはずです」
「……確かに」
言われてみればそれもそうだ。
ぽっと出のアンダーヒルに驚く隙もないほど見事に主導権を取られていたから気にも止めず流されていたが、優秀なことや正しいことは彼女に全ての判断を背負わせていい理由にはならない。寧ろいつのまにか仮にも年下の女の子を頼り過ぎていた自分が情けなく思うくらいだ。
「どうですか、シイナ」
「碧緑色の水没林は今まで発見されてなかった新フィールドだ。まあ、実際はアプリコットが隠してただけっぽいけど。……となれば、ま、アイツらの考えることはひとつだろ」
改めて考えるまでもない。
こんな異常な状況でさえなければリュウもシンもただのゲーマー。それも、このFOでトップクラスのヘビーゲーマーだ。加えて唯一の例外であるリコも細かいことを考えなければ直情傾向の好戦的な人格だ。
上位プレイヤーの俺たちは、余程のことでもない限りこのクラエスの森程度のレベルのフィールドでは死ぬことを考える方が難しい。その上、初めて来るフィールドでは全体の地理がわからないから、離脱するにしても俺たちと合流するにしてもある程度以上の時間はかかってしまう。
それならその時間、ただ暇を弄ぶよりも何かで暇を潰していようと考えるはずだ。何故なら俺自身がそう考えるだろうから。
まったく、肝が据わってる。
「ここのボスを探そう。アイツらはあてもなくさ迷う性格じゃない。一狩りして時間を潰すタイプだ」
「了解しました」
アンダーヒルは小さく頷きつつ不意に雷犬の足を止めると、周囲をきょろきょろと見回すように視線を泳がせ始めた。
「どうかしたのか?」
「手掛かりを探しています。Dにせよボスにせよ闇雲に探すのならどちらでも変わりませんので。ボスモンスター、特にここのような水棲系のボスは傾向がはっきりしていますし、周囲の環境からある程度生態を推測することは可能なはずです」
「あ、ああ……」
まさか普段からそこまでやってるのか、情報家。
このFOにおいて水棲生物系ボスモンスターは総じて厄介な印象が強いのだが、これには理由が二つある。
その一つはほとんどの人間にとってアウェーとなる水中フィールド、水没フィールドにおける戦闘の難しさだ。一部の種族を除き、水中では挙動が鈍く制限されてしまうため、往々にして苦しい戦闘を強いられることになる。
また、水属性のモンスターは実在の水棲生物をモチーフにしているものが多いが、その出自が神話や伝承に名を残す超自然の存在に由来していることもまた同様に多く、ボスとなれば尚更その傾向が強い。それ故に水属性モンスターは単純なステータスが高めに設定されがちなのだ。
巨塔だけに言及しても、第三層の〔デモンズ・カトル〕、第七層の〔陸行きスキュラ〕、第十二層の〔コキャージュ・プルプ〕、第二十層の〔絶叫艦隊〕、第三十一層の〔暴霊水馬〕、第三十七層の〔龍精翁ドラーウェン・ロヒカ〕、第四十三層の〔クラブハンズ・クラーケン〕、第六十九層〔蒼海竜エアレムオルム〕、第八十七層の〔珊瑚晶の赤き氷禍〕。現時点でこれだけの水棲の水属性ボスが存在しているが、どれもステータスが高く強力なボスとして君臨しているモンスターたちだ。
今の俺たちだからこそ〔デモンズ・カトル〕以下ネタモンスターのような扱いができるのであって、依然としてFOの最高峰ミッテヴェルトのボスである事実に変わりはない。
閑話休題。
「見た限り、ここのボスは液状の身体を持つ魔物種……あるいは水属性を有する竜種の可能性が高そうですね。魚系竜種では無さそうです。身体の大きさは……一メートルから二メートルとかなり小型か、あるいは十メートルを超える大型生命体です」
水面下をじっと観察していたアンダーヒルがまるで既知の事実を述べているような坦々とした口調でそう告げてきた。
「……そこまでわかるものなのか?」
「もちろんあくまでも推測の域を出てはいません。ただこのフィールドに来てからずっと、私たちは高圧水鉄砲百合以外のモンスターを確認できていません。そのことがずっと気になっていたのです」
「それは……まぁ、俺も気になってたけど」
条件反射型の植物トラップモンスターがもっといると思っていたのにと拍子抜けしたのも事実だ。
「この水没林の木――これらはただのフィールドオブジェクトですが、水流のないフィールドにしては根が太い。おそらく突発的な激流が発生する環境だと思われます。現時点でその痕跡や兆候が見られないため自然に起こるとは考えにくい。原因はモンスターにあると考えるのが妥当でしょう。根の太さには木ごとの個体差が見受けられませんので、フィールド全域が同様にその激流に晒されると考えられます。そうなるとモンスターが徘徊型で、その通過の際に激流が発生する場合か、モンスターが駐留型で、その生息域からフィールド内の広範囲に影響を及ぼすような大規模な水流操作を行う場合。しかし、徘徊型であれば木や地上にその通過の痕跡が残っていても不思議ではありません。故に駐留型の水流操作スキルを持つボスの可能性が高いですが、水と同化する魔物種であれば移動の際に痕跡が残らないため可能性は残ります」
「……大きさは?」
「大きさについても同様です。木と木の間の幅よりもその身体が十分に小さい場合は移動の際の痕跡は残りませんし、十メートル以上の巨大な身体を持つモンスターであればこの一帯には入れません。竜種だと思った理由も、蛇のような姿で泳ぐ能力を持っているなら痕跡も残りにくいと考えたためです。魚系竜種は魚のようなヒレを使って泳ぐワイバーンの一種ですのでこの環境には不向きですし、おそらく手足が小さく翼を持たない東洋竜のフォルムをしているかと」
こんなことを思うのもあれだが、頭が良すぎて気持ち悪い。
しかも今ここに至るまで、入口付近以外に他と区別できる地形はほとんどなかったと言っていい。つまり長々と同じような景色が続いていたわけで、それを逐一常に観察していたとでも言うのだろうか。
俺が改めてアンダーヒルの頭脳明晰さを思い知らされていると、また不意に視線を泳がせたアンダーヒルは一方をじっと見つめ、その方向を遠くまで見通すように視線を動かした。
「……先ほど根の太さに個体差はないと言いましたが、ここから東側に行くほどごく僅かですが根が太い木も散見されます。東は中国四神の一、流水の象徴でもある青龍の守護方位ですし、ここは東側に向かってみま……どうかしましたか、シイナ?」
「ちょっと唖然としてただけだ。凄すぎて」
「そうですか。では急ぎましょう」
何処までも自分の能力に無頓着な奴だった。
アンダーヒルの提案通りに雷犬の進路を東に向けてから、体感時間で十分ほどが経過した。
最近俺といる時に特に主導権を発揮するようになっているような気がするアンダーヒルだが、何の用もない時は雑談に花咲かせるつもりもないようで、あれ以降ずっと無言で雷犬を駆りながら、観察するような視線を周囲に向けている。
一度こっちから話しかけてみようとも考えたのだが、結局話を振ることもできずに声を出す前に諦めていたりもする。我ながら情けないかもしれないが、俺の中の女子中学生のイメージは概ね椎乃と刹那で占められている。その二人とタイプが違い過ぎる上、中学生という前提から疑問視せざるを得ないアンダーヒルでは戸惑って当然だろう。
そんな風に自分のヘタレっぷりの言い訳に思考リソースを割いていると、不意に右隣を走る雷犬の背に乗っていたアンダーヒルの視線が一瞬、進行方向右側へ大きく逸れた。
「何かあったのか?」
「いえ……。右手奥に外壁のようなものが見えているのですが、先程から水蛇妖の巣らしき穴が見えるもので、不思議に思っていました」
アンダーヒルの言葉に俺も目を凝らすのだが、確かに外壁らしきものは見えるもののさすがにそこに空いているという穴までは俺の視力では確認できなかった。
アンダーヒルさん。あなた何百メートル先の話をされてます? ――――とでも言ってやろうかと思ったが、いちいちこのヘンテコ情報家の人間離れした能力に驚くのも飽き飽きしてきたので、今はあまり気にしないよう努めることにする。
「水蛇妖に巣なんてあったのか。よく知ってるな」
「ミッテヴェルト第四十三層で見たことがあります。≪アルカナクラウン≫の加盟条件は単独到達階層五十層なのですから、あなたも見たことがあるはずですが?」
「……お前、アルカナクラウン発足がいつか知ってるか?」
「本サービス開始三十日目の午後十時三十八分十二秒の時点で申請が受理されたと記憶していますが合っていますか?」
「さすがにそこまでは憶えてねえ。要するに、結構昔のことなんだから当時の細かい記憶まで残ってるわけないってこと」
第四十三層『無垢なる源水源』。ボスモンスターは〔クラブハンズ・クラーケン〕――触手の先に硬い甲殻付きの蟹鋏を持ち、水中から奇襲してくる巨大な頭足類モンスターだった。
精々そのくらいしか憶えていない。
「そうですか。……私とのことは細かい記憶というわけですね」
「ん? 何か言ったか、アンダーヒル」
「些細なことです。お気になさらず」
アンダーヒルはそう言うと、雷犬の毛並みを後ろから前へ擦って〔加速〕の指示を出す。俺も同様に加速のため、雷犬の背に視線を落とした――
「ん? おい、アンダーヒル」
――その時、水面の違和感に気づいて先行するアンダーヒルを呼び止めた。
「……どうかしましたか?」
「水、水面」
「……?」
アンダーヒルが静かに首を曲げて水面に視線を落とす。
俺がその反応を待っていると、ジッと見つめていたアンダーヒルの肩がハッとしたように小刻みに振れた。
「これは……」
「あぁ、流れてる。水流だ。まだ弱いけど、言った通りだったな」
「急ぎましょう」
アンダーヒルの推測が正しければ――――この上流に、何かがいる。
Tips:『ボスモンスター』
モンスターの中でも各環境の中で特に強力な種類のモンスターの総称、特に各独立フィールドに関してはフィールド環境の支配者として位置づけられている特定の1種を指す。その特徴として、必ず特性と呼ばれるその種固有のスキルを持っていることと積極的にプレイヤーと敵対的になる理由があることの2種類が存在し、多くの独立フィールドではボスモンスターを討伐することでしかそのフィールドを攻略したことにならない。特に巨塔ミッテヴェルトや亡國地下実験場のような多層構造になっているフィールドでは階層のボスを倒さなければ次の階層に進むことはできないため、ボスモンスターの攻略こそがフィールド探索の究極的な目的の一つとなる。ただし、中には討伐以外に封印や和解等特殊な攻略方法が設定されていることもあり、その場合討伐以外の攻略に成功した方が得られるリソースは結果的に多くなる傾向が強い。




