(23)『魔眼の魔女‐ノンストップ・テラー‐』
夢幻の[ミキリ]は切り結び、魔眼の[ミキリ]は対峙する。
魔眼の魔女は無邪気に歪み、隠者の少女もその愛銃に指をかける。
その手に、その心に、躊躇を覚える感情はなかった。
「おっ始めようぜ、アルカナクラウン! テメェらでハカナを止められるかどうか、俺が直々に測ってやるからよォッ」
碧緑色の水没林を徘徊していた謎の男――ミキリが吼え、背負っていた醜悪な剣を大きく上段から振り下ろす。
「ったく、血の気が多い……」
ガツッ。
背中から引き抜いた真っ黒な魔刀〈*群影刀バスカーヴィル〉の鞘を一文字に構えて真正面からその一撃を受け止めると、肉薄するその剣を至近距離から観察する。
全体的に刺々しく、歪んだ印象を受けるそれはまるで特徴的な無骨さを失った拷問器具とでも言える代物だった。
幅広な刃には無造作に切り取られたような隙間が幾つも空いていて、その内側にはノコギリのような細かい刃が並んでいる。切っ先だけが三叉に分かれている構造は、まるで斬りつけた傷跡を抉り、肉を引き裂くために用意されたような造形だ。
総じて悪趣味、これほど醜い剣を見るのは初めてと言っても過言ではなかった。それこそ対人戦で使うような武器ではない。
「どうしたどうした、魔弾刀! いきなり防御だなんてつれねえじゃねえか、ヒッハハハハハハァッ!」
このミキリという男、少なくとも名前を聞いたことはない。俺にとって名前を聞いたことがないプレイヤーなんてものはそれこそ腐るほどいるわけだが、そんな中でも唯一わかることが一つだけある。
それはベータテスターではないという、特別意味を持たない区別。知名度はともかく、精々二百人の狭すぎる枠に入れた幸運の持ち主というぐらいの認識をしている人間の方が多いくらいだ。
だがそれでも、ベータテスターはそうでない大多数よりも平均して上であり、それ故に畏怖や尊敬に近い扱いをするプレイヤーも少なくない。ベータテスターにとって本サービスからの参加者に負けることは文字通りの悪勲章なのだ。
なら負けるわけにはいかない。
ベータテスターが未だにベータテスターと区別される所以を教えてやるよ――。
「キャンキャン喚くなよ、道化の王冠。底が見えるぞ」
安い挑発を返した俺は競り合いを続ける鞘をその空間に置いたまま、群影刀を引き抜きつつ前に出る。
「鬼刃抜刀――」
キィンッ……。
思いの外、澄んだ音だった。
俺の魔力を喰って切れ味を高めた群影刀が瞬間鞘を囮にして無防備になったミキリの剣に横から襲いかかり、上から下へ割断したのだ。
「何だ、随分脆いな」
剣身の中程から切断された刃が宙を舞うと、その向こうに見えるミキリの顔は愉快そうに驚いた表情を浮かべていた。
「はッ、まさか〈*神ヲモ蝕ム剣〉がこんな簡単に殺られるたぁ思わなかったぜ。案外楽しませてくれるじゃねえか、シイナよォ」
あの剣、ルードルーラーって言うのか。
「そうか。じゃあ読み違えたな」
「おいおい、間違えるなよ、魔弾刀。俺ぁ別に読み違えちゃいないぜ。面白い展開の方が好みだからな」
「奇遇だな。俺も面白い方が得意だ。もっとも、お前じゃどうしたって面白くはなりそうにないな。精々暇潰しくらいにはなってくれ」
「いいねいいね、吼えやがる。活きが良い方が楽しくなる」
コイツ、沸点が低そうな割にキレる様子がないな。さっきから結構な挑発してるつもりなんだが。もし仮にこの外面が計算尽くなんだとしたら、思った以上に面倒な相手なのかもしれない。
俺は安全圏ぎりぎりの踏み込みで群影刀を絶え間なく振るい、ミキリの挙動のレベルと性格を観察する。
まだ自称ではあるが、このミキリという男が本当に道化の王冠なら、念には念を入れて損になることはないだろうからだ。
その時、横薙ぎに振るった群影刀の切っ先が水面下にあるミキリの鳩尾の辺りを掠め、コートの端に小さな切れ込みが入る。
「ちぃ、ここじゃ動きにくくて仕方ねえ。おらよ、喜べ、【地盤鎮下】!」
愉しげに笑ったミキリがそう叫ぶと、パシュッと気の抜けるような音とともに周囲を満たしていた水が消滅した。
このスキルは、使用時に発動者のいた地点を中心に特殊な結界のようなものを展開し、半径3m圏内のフィールドオブジェクトを消滅させる――つまり自由に戦うことのできる場所をその場に作り出す戦闘スキルだ。水などの不定形のオブジェクトも対象内の上、効果が切れるまでの一時間はエリア内に侵入したオブジェクトをも消滅させるため、この水没林のような特殊環境下では多用される。
正直水があるだけで下半身の動きは鈍る一方だし、使ってくれた分にはありがたい。
「それなら礼代わりだ。次の武器を出すまで待ってやるよ」
「ヒッハハハ! いやぁ、礼には及ばねえ。テメェと戦うくらいで、神ヲモ蝕ム剣以外の武器なんざ出す必要がねえからよ」
「その剣ならついさっき折れただろ」
「いいや、このくらいじゃ俺の神蝕剣は折れやしねえってことだ」
「何を言って……」
その瞬間、俺は何の根拠もない直感――動物的な本能が鳴らす警鐘に従い、咄嗟に横っ飛びに飛び退いた。
それとほぼ同時と言ってもいいタイミングで背後から飛んできた飛翔体が俺の脇腹を掠め、身体の芯が冷えるような感覚を残して通過する。
今の、まさか……!
「俺の詰みパターンを気取るなんてやるじゃねえか、ヒッハハハハッ!」
天を仰いで大笑いするミキリの手――そこに握られている中央を切断された神蝕剣の延長線上に、切り落としたはずの刃が浮いていた。
それもただ浮いているのではない。切っ先が明らかに不自然な挙動でゆらゆらと揺れている。
「このくらいで俺の剣は折れても折れねえ。さぁ、こっからが本番だ! 行くぜ、オラァッ!」
「くっ……」
さっきまでの防戦態勢から攻勢に移ったミキリが、神蝕剣を構えて瞬く間に間合いに飛び込んでくる。咄嗟に群影刀を盾にしてその切っ先を弾いたが、くるりと回転して俺の防御を受け流した切っ先が群影刀をすり抜け、頬を掠めて皮一枚切り裂いた。
「ヒッハハハ、その綺麗な顔を台無しにしてやるよ」
「綺麗とか言ってんじゃねえよ、気持ち悪い」
後ろに飛び去ってからブーメランのように回って戻ってきた神蝕剣の切っ先を遣り過ごすと、隙を狙ってミキリの懐に飛び込んだ。
無駄に馬鹿でかい神蝕剣じゃどうしても動きは鈍るし、懐に入れば剣を盾にもすることができない。切っ先側の刃が自由に動く代物だとしても、精々30cm程度の刃物。
(――少しくらい斬られたところで、振った刀を取り落とすほど俺は甘くも弱くも、ない……!)
ギィンッ!
間違いなく入ったと思った瞬間、俺の手の群影刀は再び神蝕剣の剣身に食い込み、残った根本の方の刃を更に短く割っていた。
(んな、馬鹿な……!)
あの時点から、防御が間に合うはずがない。それを見越して、反撃も織り込み済みの無茶をしたっていうのに、ミキリはそれを防いでみせたのだ。
その瞬間、薙ぎ払うように飛んできた神蝕剣の切っ先が視界を横切った。俺の左手を撫でるように切り裂き、三叉に分かれた特殊な形状の刃が、まるで傷口を切り開くように抉っていく。
「ぐっ……!」
咄嗟に喉から漏れ出る悲鳴を殺し、バックステップでミキリから距離を取る。
いくつかの小破片と拳大の破片を本体から削り取っただけに終わった捨て身の代償は左手の痛み。割には合わないが、この程度の怪我なら我慢すればまだいける。
だが――
「破片を増やしてくれてアリガトウ、ヒッハハハハハァッ!」
新たに増えた破片がビット兵器のようにミキリの周りを踊り、ミキリの高笑いが止まらない。
「っと、危ねえ。聞いておいてやろうと思ってたんだ。テメェ以外のメンバーも、当然このフィールドに来てるんだろうな?」
急に高笑いを止めたミキリが、依然として不遜な態度でそう訊いてきた。
「何故そんなことを聞く?」
「んなもん決まってんだろ? テメェらまとめて潰せば俺の名も上がるってもんだぜ。言っとくが俺はあのNPCみてーに儚に釘刺されちゃいねえからよ。容赦しねえぜ、する意味もねぇ」
NPCと言うのはリコのことか。
「俺も夕方にはここを出たいんでな、さっさと片付けさせてもらうぜ」
「……出口は向こうだ。お前がレベル1になったら、ここを通してやるよ」
通す気は全くないけどな。
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「簡単過ぎてつまらないの」
黒のマントローブと白黒のゴシックロリータ装備に身を包んだ小柄な少女――ミキリは、完全に動きを止めたシイナと三頭の激情の雷犬部隊を前に溜め息を吐いた。
その左目からはパチパチと余韻を残す電気系統のエフェクトが漏れ出し、その瞳には十字の光の紋が映り込んでいる。
「……ルード」
ぼんやりと呟いたミキリの手に、拷問器具のような禍々しい造形の剛大剣〈*神ヲモ蝕ム剣〉が出現する。
「今……楽にしてあげる」
ミキリはその小さな身体に見合わない大きさの大剣を静かに持ち上げると、それでも反応する素振りすら見せないシイナの前で、その頭上に高く掲げ上げた。
その様子を息を潜めてじっと見ていたアンダーヒルは即座に用意していた対物狙撃ライフル〈*コヴロフ〉を構えると、照準器を使わずにアイアンサイトを用いて神蝕剣に照準を合わせ、引き金に指を掛ける。
「恨みはないの。でも、ハカナちゃんの敵は……ミキリの敵、なのッ……!」
ガァンッ!
ギィンッ……!
ミキリが神蝕剣を振り下ろそうとしたその瞬間、盛大な射撃音と共にコヴロフから発射された大口径弾が剣身を横殴りに叩き、ミキリの手から神蝕剣をもぎ取った。
「っ!?」
弾き飛ばされ、数歩離れた水面を貫いて地面に突き刺さった神蝕剣を目で追ったミキリは、不意の衝撃と残った痛みに手首を押さえ、やや焦ったように周囲をきょろきょろと見回す。
「私はここです」
頃合いと思い、【付隠透】を解除しつつアンダーヒルがそう声をかけると、その声を頼りに振り向いたミキリはアンダーヒルの姿を見て目を丸くした。
「誰……なの?」
警戒心を露にしたミキリは、トゲを含んだ語調でそう言った。
「≪アルカナクラウン≫所属、[アンダーヒル]。以後お見知りおきください」
「知らないの。ミキリは、知らないの」
アンダーヒルの言葉を受け入れるつもりがないとばかりに首を振ったミキリは怯えるような素振りで一歩後退る。
「シイナに何をしたのですか、ミキリ」
「何をした……何をした? ミキリは何もしてないの。ミキリはね、ミキリはただ、あのお姉ちゃんを見ているだけ。それより黒いお姉ちゃんはどうして動けるの?」
自身のことを名前で呼称し、屈託のない幼い声で喋るミキリはアンダーヒルの顔をじっと見つめ、視線を交錯させる。
しかしミキリの唇が微かに開いた瞬間、それより早く跳ね上がったアンダーヒルの右手が〈*コヴロフ〉をミキリに向ける。
「無駄です。私の種族は影魔種。則ち、幻視系スキルに影響されることはありません。そして、その目の魔眼スキル――――確か、【思考抱欺】」
「――っ……!?」
ミキリの反応は、否定を返すには些か素直過ぎた。
アンダーヒルの脳裏を、情報家“物陰の人影”の擁する膨大なデータベースの片鱗が駆け巡り、今必要な情報だけが浮上してくる。
「私がそのスキルを観測したのは半年ほど前、対象となったプレイヤーは同様に肉体の動きを停止し、無抵抗のままあなたにそこにある剣で切り刻まれて殺害されました。後ほど話を聞いたところ、そのプレイヤーは突然現れた妙な男と戦い、気がついたら死んでいたと言いました」
「……そんなことまで覚えてない、なの。黒いお姉ちゃんはどうしてミキリのことをよく知ってるの?」
「ご存知ありませんか。あなたはこの世界では思いの外有名なのですよ、最年少プレイヤーにして魔眼使いのPKP……魔眼の魔女[ミキリ]」
本来なら推奨されていない十歳での神経制御輪使用者がさらに問題の殺人プレイヤーという事実。それが話題にならないわけがない。
しかしアンダーヒルにとって、そんなことはどうでもよかった。
「シイナは、今何をしているのですか」
「……ミキリじゃないミキリと戦ってるの。それが幻想だとも気付かずに」
ミキリは静かにそう呟くと、今度は一歩前に出てきた。アンダーヒルは〈*コヴロフ〉の銃身を一瞬揺らし、狙いをつけていることを再度アピールする。
しかし、ミキリはさっきまでとはうってかわって奇妙なプレッシャーを醸しながらアンダーヒルにじっと視線を向けている。
「シイナにかけているスキルを解いて下さい。さもなければ撃ちます」
アンダーヒルがそう警告すると、ミキリはきょとんとした顔をして首を傾げた。
「ミキリは≪道化の王冠≫でお姉ちゃんの敵、黒いお姉ちゃんは≪アルカナクラウン≫でミキリの敵。それなのに何を躊躇っているの……?」
「私は躊躇ってなどいません」
言い方だけ無邪気なミキリの言葉に、アンダーヒルは否定の一言を返す。
まるで図星を突かれた人間の強がりのような返事だが、その言葉通りアンダーヒルに普通の人間が抱きがちの躊躇いはない。
それは嘘を吐かないという本人の性格からもわかるのだが、それ以前にそもそもアンダーヒルは敵味方の損得勘定で狙撃の標的を決めたりはしない。
感情や利害に流されれば、他者に謂れのない被害を与えてしまう。それは情報の取り扱いに限らず狙撃や敵対関係に関しても同じことなのだから。
この警告は謂わば保険。自身が冷静であることを証明する保険のようなものだった。
しかしミキリはその警告を歯牙にもかけないばかりか、アンダーヒルに牙を剥いた。
「ミキリに警告してくれてありがとう。お返しに、ミキリも警告してあげるの、黒いお姉ちゃん。お姉ちゃんはミキリが『魔眼の魔女』って呼ばれてる理由を知ってる?」
アンダーヒルはミキリに関する記憶を探って該当する情報がないことを再確認すると、即座に首を横に振った。同時にその台詞の意図を推し量ろうと試みるものの、それも決定打に欠けた結果しか出なかったため思考自体を中止した。
しかし、ミキリはある意味でアンダーヒルが予想もしていなかった答えを口にした。
「誰もミキリには勝てない。誰もミキリを止められない……。ミキリの魔眼の前ではね。――――等しく皆弱者なの」
Tips:『魔眼スキル』
他のプレイヤーと目を合わせるという特殊な発動条件を持つユニークスキルの総称であり公称。対プレイヤーに特化した効果と《魔眼属性》を持ち、発動時にそのスキル特有の表現効果が発動者の目の周囲に現れる共通点を持つ。数は非常に少ないもののその効果も凶悪なものが多く、その“魔眼”という名前もプレイヤー間では畏怖を含めてそのまま用いられている。ちなみに、共通して《魔眼属性》を持っており、魔眼スキルという呼び方も公式のもの。




