(21)『死者の国駆る鉄車‐デスカリバー・チャリオット‐』
空間が軋み、鉄車は現世に姿を現した。
少年が手にした魔犬の群隊は数多の同族を統べる冥府の力。
この世の全てが還るように、その力は全てが少年の元に集う。
「この水没林ですが、やはり徒歩で探すには些か広過ぎるかと」
自己中コンビのわがままを気取られない内に無事休憩を終えると、アンダーヒルが待ち兼ねたようにそう切り出した。
「勿体付けなくても、飛んできゃいいんじゃないんですか? この面子で今さら飛べないなんてことはないでしょうに」
「そのことですが、これを見てください」
アプリコットの言葉に俺が反応するより早く発言したアンダーヒルは手近な木に歩み寄ると、太めの枝を選んでその下に左手を添え、一言何かを呟いた――
「……ディスブライト」
――その瞬間、アンダーヒルはごく自然にその枝の根元だけを綺麗に引き抜いた。
「「「っ!?」」」
幹と連結している中間部を音もなく切断された枝先が落ちる光景に全員の目が釘付けになる中、その木材を右手に持ち替えたアンダーヒルは徐に手首を回し、
「【単射投石】」
手の輪郭が霞むほど素早い挙動で木材を上に投げ上げた。
アンダーヒルが使ったのは単純な物体投擲の戦闘スキル。手で支えられる程度の重さであればどんなものでも直状投擲することができるが、基本的には初歩的な割に汎用性が高い、程度の認識の低威力スキルだ。
まっすぐ投げ上げられた木材を目で追うと、木の高さを軽く超越して上空に打ち上げられた木材は一度瞬きした隙に視界に出現した無数の線に貫かれ、空中で何度か踊らされた果てに明後日の方向に落下していった。
「もしかして HiLL?」
「恐らくは」
刹那の問いに短く答えたアンダーヒルは一人『?』を浮かべているネアちゃんに小声で説明し始める。
HiLLと言うのは略称で、水の豊富なフィールドで見られる植物モンスター“高圧水鉄砲百合”を意味している。地上の対空砲花と同じく、植物系条件反射の対空モンスターで、環境を選ぶ代わりに弾速が早いのが特徴だ。
「なるほど。確かにこれは飛んでいけそうにはないですね。まあ、何となく予想はしてましたけど。帰っていいです?」
「話を続けてくれ、アンダーヒル」
疑問系で訊いておきながら水を掻き分けて戻り始めるアプリコットの襟を掴んでそう言うと、アンダーヒルはこくりと頷く。
「先ほど言った通り、このフィールドは想定していた以上に広いようです。恐らく地上の森の地下だけでなく、その外側までも広がっていると思われます」
上の森だけでも全域探すのに丸一日ぐらいはかかるだろうからな。それ以上の広さとなると確かに骨が折れそうだ。
「このままでは水で体力を消耗する一方ですので、今日中に三人と合流できない可能性もあります。我々はちょうど六人ですし、三組に分かれて足を変えましょう」
「船でも使うってこと?」
刹那の言葉で、巨塔第二百二十三層『動無き大河の楽園』で使ったクルーザーを思い出す。しかしアンダーヒルは即座に「いいえ」と否定を返すと、
「水面下の地形が複雑に隆起していますし、木々の間隔も一定ではありません。船舶で通れるルートを模索するだけ時間の無駄です。今現在考えうる中で、最も効率のいい選択肢は別にあります」
そう言って、すっと俺を指差した。
「俺?」
「はい」
リアウィングすらない俺にどんな移動手段があると言うのだろうか、この子は。
そもそも移動手段の確保という点で、≪アルカナクラウン≫に刹那以上に適した人材はいない。陸上用なら単車、輸送トラック、半装甲車に、水上バイク、クルーザー、簡易浮沈艇、飛行艇――こと乗り物に関しては所有数が常人の比ではない。その上、本人の運動神経か才覚故か各種運転操縦技術も手慣れたものだ。
さらに【精霊召喚式】の存在もある。ボスモンスターは単純に独立行動ができるタイプばかりで、後はプレイヤーが無難に同行できる移動方法ならそれ自体が移動手段になるのだ。
そこまで考えて、気付いた――
「……あぁ、まさかしてバスカーヴィルのことですか?」
――まさにその時、俺より早くアプリコットが不意にそう言った。
「なるほど、群影刀か」
「あなたなら自分で気付くものだと予想していましたが……シイナ、あまり私を失望させないで下さい」
即行捨ててくれ、そんな期待。
「て言うか、アプリコット。何でお前、バスカーヴィルのこと知ってるんだよ」
「おいおい、シイナん。いったいボクを何者だと思ってるんだぜ?」
「お前はホント何者なんだよ」
「無論ナマモノだぜ」
ナマケモノの間違いだろ。
「ま、それはそれとして。その背中に掛けてるの〈*群影刀バスカーヴィル〉ですよね? 群影シリーズは有名ですから、見ればすぐわかりますよ」
「そんなに有名なのか、コレ……」
切れ味と瞬間火力に特化したステータスは魔刀の特色だが、群影刀はカテゴリ内でもその特色が更に顕著だ。基本攻撃力も高めで、召喚スキルを含めれば凄まじい戦力だ。
しかし装備制限が厳しいのもあって、あまり情報が表には出回らない代物であるのもまた事実。その上これ自体はアンダーヒルが手に入れた後、使う当てもなく装備品ボックスに死蔵していたものだ。その情報を知り得ていたとすれば冗談じゃなく本当にアプリコットは何者なのだろうか。
「……シイナ?」
刹那の訝る声で我に返ると、俺はアプリコットをじっと見つめていたらしいことに気付いて誤魔化すように視線を逸らす。
アプリコットの性格を考えるとからかいや茶化しは受けることになると覚悟したのだが、ちらっと一瞥して確認したアプリコットの顔はらしくもなく真剣な考え事をしているような表情を浮かべていた。
「ん、あぁ、取り敢えず試してみりゃいいんじゃないですか? 為せば成ります。成るように為れって感じで」
いつもの人懐っこい笑顔に切り替えたアプリコットに促され、俺は背中の群影刀を鞘ごと引き抜いて、目の前に捧げ持つ。
「――【魔犬召喚術式】、モード、えっと……なんか乗れるヤツ一匹」
ドクン、と脈動が一拍乱れるような慣れない感覚に襲われる。そして水面下の地面に現れた円状の黒影は大きく膨らんで、瞬く間に漆黒の毛並みを持つ三頭犬“ケルベロス”の姿に変化した。
「主ヨ、モウ少シマトモナ指示ハデキナイモノカ?」
「現れた途端文句か、お前は。モードとか全然教えないのはお前だろうが」
水上に出ている三つの頭の内、いきなり文句を垂れた中の頭の耳と耳の間の辺りを叩く。右の頭は例の如くまた寝ているようだが、必ず頭一つは寝ているようだから今回も偶然そうだっただけだろう。
ちなみに俺が知っている召喚可能対象は〔狼〕〔軍用犬〕〔地獄の猟犬〕〔死霊犬〕ぐらいだったはずだ。いくつか他にも言っていたような気もするが正直あまり憶えていない。
「一覧ナラ我ラノ詳細閲覧ノ一画ニ一覧ガ載ッテイルハズナノデアルガ」
「それを先に言え。で、乗れるのはどのモードなんだ?」
「単騎ナラバ多少大キケレバ何デモ問題ナイハズデアル。ソウデナケレバ『チャリオット』ヲ使ウガヨカロウ」
「チャリオット?」
「要スルニ戦車ノコトデアル。我ノ特質ノヒトツデアルナ」
「特質ってことは例の丸い牢と同じか」
「不可転式球状牢デアル、我ガ主ヨ」
俺はあの手の回りくどい戦術は取らないタイプだし、あの牢の使いどころはケルベロスに任せておこう。
「じゃあ、取り敢えずそのチャリオットってのを出してみてくれ」
「御意。少シ下ガッテイルガヨイ」
言われた通り後退すると、ケルベロスは近場の木と木のちょうど中間辺りで右前肢を少し持ち上げ、その爪を鈍く煌めかせた。
「参ル! ――死場ヲ駆ル最上ノ神速ヨ、今コソ冥府ヨリ出デテ地上ノ咎ヲ狩リ尽クセ! 【魔犬召喚術式】、モード〔死者ノ国駆ル鉄車〕!」
「前半のいるか!?」
ミシッ……ミシミシッ……。
思わず率直な意見を口走るのとほぼ同時に、まるでレンガ造りの建物が地震で大きく歪んだ時のような、何かが軋むような音が耳に入る。そして次の瞬間、空間自体を引き裂いたような黒い穴が目の前に出現し、その中から圧倒的な威圧感を伴った何かが飛び出してきた。
「……ッ!?」
その黒い影は滑るように並んだ木々の間を轟音と共に駆け抜け、不意に曲がって姿を消したかと思うと大回りして別の方向から戻ってきて、俺とケルベロスの前でドリフトしながら急停止する。
しかし、高速で移動する大きな構造体が持つ運動エネルギーがそのくらいで殺せるわけもなく、その場にいた六人と一匹はデジャヴを感じる間もなく押し寄せてきた波に洗濯気分を味わう運びとなった。
「コレガ我ガ群隊ノ擁スル機動車両〔死者ノ国駆ル鉄車〕。鉄ノ車輪ヲ獣ニ引カセテ走ル、古代ノ戦車デアル」
「何事もなかったかのように誇るな」
全身無駄に濡れ鼠になりながら元の場所に戻ると、そこにあったのは巨大な車輪のついた無骨な馬車のようなものだった。
しかし戦車の名に相違はなく、車輪の外側には走行時の軸の回転に合わせて回る螺旋錐と回転鋸のような円環刃がついていて、車体側面に据えられた大剣並みのブレードは支柱で固定して横向きに展開できるようになっている。総じて禍々しく、澄み切った殺意を彷彿とさせる印象だ。
余計な装飾はまったくなく、不気味な光沢を放つ黒い金属製フレームを見るとそれだけでただ戦い殺すためだけに生み出されたものであることを本能的に理解し、肌寒い怖気すら覚える代物だった。
そのチャリオットを引いて走っていたのは、何となく犬や狼の類だろうとわかるこれまた大きな二頭分の獣の骨――名前を〔偽骸の霊犬〕という召喚獣だった。
「実際ニハ獄霊戦車本体は五体分ノ群隊犬カラ成ルモノデアル。欠点ハ不可転式球状牢ト同ジデ、基本的ニハ我ガイル時シカ出スコトハデキナイコトデアルナ」
今まで【魔犬召喚術式】を使ってケルベロスが出なかったことは一度もない。それを考えれば戦いの途中で困ることはないだろう。
「サア、乗ルガイイ我ガ主ヨ。車体ノ構造上停止ニ時間ガカカルコトヲ除ケバナカナカノ乗リ心地ヲ約束シヨウ!」
何故除く。
「シイナ」
はい、アンダーヒルさん。わかってる。わかってますよ。そろそろ言われるだろうとは思っていたけど、ホントにもうそろそろツッコむところだったんだ。
「ケルベロス、ノってるトコ悪いが、今回チャリオットは使えない」
「ム、何故デアルカ?」
「見たところかなりスピードが乗るし、車体自体が重い。さっきみたいに止まる時に周りを薙ぎ倒すようじゃ、所詮これは戦車であって移動の足にはなり得ないからな」
しかもこのフィールドでは車輪のドリルで木を薙ぎ倒していかなければ進めない大きさだ。どう見たって効率が悪い。
「アイワカッタ。ナラバ単騎デソノ背ニ乗ルノガ最モ効率ガヨイデアロウ。霊獄戦車、解散セヨ」
ケルベロスが命令すると、受領したとばかりに頷いた二頭の偽骸の霊犬が死者の国駆る鉄車と共にドロリと溶けて消失する。
「単騎ナラバ……フム、激情ノ雷犬辺リナラバ適任デアロウ。奴ニ関シテハ言ワズトモ知ッテイルノデハナイカ、我ガ主ヨ」
「ちょっと待て、ケルベロス。あんなのまで召喚できるってのか?」
「無論デアル」
〔激情の雷犬〕は巨塔ミッテヴェルトの第五十七層『吹きすさぶ雷嵐の天空城』のボスモンスターだ。
雷を自在に操り、雷弾と雷爪で攻撃してくる典型的ファンタジー色の強いモンスターだったが、外見上は薄い黄色の毛並みを持つ特別大きなハイブリッドウルフ。
刹那の持つ召喚スキル――【精霊召喚式】の召喚対象に含まれてもいるため、何だかんだうちでは見ることの多いモンスターである。
「アレが出せるなら、【魔犬召喚術式】ってのも随分使い勝手良さそうね。ここなんて周りは常に導電体だらけだし」
刹那がぱしゃりと水面を軽く叩いて言う。
彼女の言う通り、激情の雷犬は非常に使い勝手のいいモンスターで、ステータス以上にその汎用性の高い電気という属性が役に立つのだ。
「それやとウチらも自滅せんの?」
「それはないわ。普通は知られてないけど、アイツの雷には指向性があるのよ。つまり、召喚者のパーティメンバーにはダメージはない。今だったら、影響受けるのはそこの第二位だけね」
「気付いたらボクピンチでしたかー」
そう言えば、パーティに入れてなかったかー。
「激情の雷犬なら乗るにも十分な大きさだし、そうしておくか。ケルベロス、お前も頼む」
「御意。【魔犬召喚術式】、モード〔激情ノ雷犬〕」
ケルベロスが静かに呟くような声でモードチェンジを宣言すると、その身体が一瞬どろりと崩れ、再び再構成されて大きなハイブリッドウルフ――激情の雷犬が現れる。
「ほんなら後は組分けやね。任せたで、アンダーヒル」
トドロキさん、言わずともさっきから任せっきりじゃないですか。
「前後衛分配にしましょう。シイナと私をチームA、刹那とスリーカーズをB、アプリコットとネアをCとし、最後にリュウ・シン・リコの三人を捜索対象――Dとします」
命名が米陸軍の隊分けと同じだな。
「ちょ、ちょっとっ。なんでアンタがシイナと一緒なのよ。仲いいんだからネアとアンタが組めばいいじゃない」
「戦力的な問題です。前衛はアプリコット・シイナ・刹那の順に強く、後衛はスリーカーズ・私・ネアの順に強い。単純なレベル比較ですが、それを組分けの基準にしました。何か合理的な不都合があれば再検討しますが、如何ですか?」
刹那はたちまち黙り込んだ。
Tips:『攻撃の指向性』
[FreiheitOnline]における攻撃の干渉判定に影響し、その攻撃の干渉範囲がどのオブジェクトに対して有効かを示す因子情報。戦闘において、プレイヤーが意図的に発生させた攻撃で味方(より正確にはPTメンバー)に意図しない損害を与えないようにするための所謂『ゲーム的配慮』であり、特に炎や電気等の『オブジェクトとしての実体を持たない現象』の形で現れた攻撃の場合、本来は無差別かつ制御できない性質故に最初から『接触した敵』に攻撃判定が発生する効果になっていることが多く、その範囲に含まれない味方はそもそもその事象に帰属する影響が限りなく小さくなる。
※例:高温の炎熱の場合、炎に接触しても瞬間的な熱さは感じるものの痛みやダメージ、外傷はなく、体感温度自体も和らぐため熱に対する反射反応も起こらない。
一方で、『岩石や植物等を生成するタイプの実体攻撃』や『実体を持っている武器を用いた普通の攻撃や格闘スキルによる攻撃』は基本的に指向性を持たず、敵味方問わない存在個体を含めて接触したオブジェクト全てに攻撃判定が発生する。他にも、純粋な魔力だけで構成された魔力実体が魔力を帯びていない純粋な物理実体を透過する性質もこの指向性によるもの。




