(19)『私ほどではないがな』
空間罠に飲み込まれ、落ちた先には水蛇の群巣。
止むに止まれぬ戦いの中で仲間の絆は紡がれる。
それ以外の何かも紡がれる。
シイナたちがちょうど碧緑色の水没林に潜ったちょうどその頃――――。
また別の場所で、リュウとシンとリコ――地雷口に巻き込まれた三人組は〔水蛇妖〕の群れ相手に苦戦を強いられていた。
「まさか落ちた先が水蛇妖の巣だったなんて、僕らもなかなか運がないね」
地雷口の転送先は、基本的に予め定められた幾つかの候補の中からランダムに決定される。その結果行き着いた先が半分が水没した地中の狭い空洞――水蛇妖の巣だったのだから確かに運がないと言えるだろう。
「ふむ。察するにシンの不運に巻き込まれたというわけか……」
「あれ? デフォルトで僕のせいなの?」
「シンはごく一般的な事象だけはシイナより不運だからな。無理もない」
「ちょっと待て! リコどころかリュウまで僕のせいに――」
シンの不服を訴える声はリュウの〈*大鷹爪剣ファルシオン〉に引き裂かれる水蛇妖の断末魔と跳ね上げられた飛沫の水音にかき消される。
不定形水属性水棲生物〔水蛇妖〕は、水を媒体として身体を形成する魔物系モンスター。無数の個体で群れを成して周囲の水に溶け込み、各個体が自律思考して暗殺者のごとく襲いかかってくる。水場でさえあれば環境を選ばない、比較的ポピュラーなハンターだ。
本来は池や湖などの畔や、暗い洞窟内を流れる湧き水などから奇襲を仕掛けてくる面倒なモンスターなのだが、この巣は天井に繁茂する自然系発光素材“灯苔”の淡い光に照らされているため、幸いなことにまったく不利な状況というわけではないのだった。
「それにしても――――何匹いるのだ、コイツらは!」
「最低百はいるだろうな」
リュウが斬り上げるように振るった大剣で、数匹の水蛇妖が水とは違う生々しい音を立てて両断される。
「性質上水中から直接攻撃してこない分、コイツの上位モンスター〔渦禍大蛇〕よりはありがたいけどね」
シンは迎撃専用高速抜刀スキル【抜刀相殺】を用いて、一定範囲内に出現する水蛇妖の頚を瞬く間に切り落とした。
本来狭い場所での群れ殲滅戦はリュウの持つ強力な限界突破スキル【剛力武装】の得意とするシチュエーションではあるのだが、それは飽くまでも周りに誰もいないか仲間の退避場所を確保できる程度の広さがある場合のみ。今回の場合、非常に狭く、仲間が二人も周りにいるために通常の戦闘スタイルでしか対処できない。
さらに悪いことには水上にも水中にも、出口らしきものが見当たらなかったのだ。当然隈無く調べたわけではないが、転送された直後から水蛇妖に囲まれた三人にそんな時間はなかった。
「これではきりがないな」
リコは戦斧モードの〈*偽りの洗礼〉を軽々と振り回して水蛇妖二匹を立て続けに薙ぎ払うと、
「貴様ら、ここを任せてもいいか?」
偽装洗礼槍をオブジェクト解除して、徐に長い髪を括りながらそう言った。
「何か策でもあるのか?」
リコの要請に先に反応したのはシンだ。
「貴様らは知らんだろうが、私には【潜在一遇】という特別な能力がある。詳しくは省くが、要するに地中を三次元的に移動するスキルで、地面をその内側から見ることも可能なのだ。水面上にも水中にも出口が見つからないのなら、間違いなく隠された出口があるはずだ。私の力でソレを探す」
「ほう、それは愉快な能力だな。俺は構わんぞ。俺の戦い方は人数が減ればそれだけ戦いやすくなるからな。シンも問題ないだろう?」
「異存なし。ってかそれならそうと早く言っておけよ、リコ。さすがにもう雑魚の相手ばっかりやってられないっての」
「こうも多いとは知らなくてな。なに、ついでに貴様らの腕を見ていたのだ。確かに二人とも十分な実力がある。私の知る限り、貴様らならそうは勝てる者もいまい」
「はは! そりゃあ――」
「僕たちを誰だと思っ――」
リュウが軽く笑い飛ばし、シンが胸を張ろうとした途端、リコはやや悪戯染みたサディスティックな笑みを浮かべて、
「――私ほどではないがな。特殊機構起動【潜在一遇】」
リコが水中を通過して地中へ消えた後、残された二人はその潜航した地点を睨み付けていたという。
(さて……)
薄い灰色のフィルムを通して見たような世界へと潜ったリコは、自由に泳げることを確認して辺りを見回した。
(急がなければ……)
地中を移動できるようになっても、水中と同じく空気がないことに変わりはない。そしてリコ自身もNPCだからといって、呼吸ができなければ何れ絶息による死亡判定を受けてしまうことにも変わりはない。
(ん、アレか……?)
視界右上方に人一人よりやや大きめの通路上構造地形を見つけたリコは、相対位置を確認しつつ近付いていく。
背中合わせに立っているリュウとシンのちょうど側面、リュウからは左側、シンから見て右側の壁の隅に窪みがあり、その奥に岩系壁オブジェクト一枚を隔てて人が這ってやっと通れる程の狭いダクトのような空間があった。その壁の隙間からはチョロチョロとわずかに水が流れ出し、離れたところに見える巨大な空間まで絶えることなく続いている。
(なるほど……元々あの巣は水源。水と同化できる水蛇妖ならば岩壁に阻まれても出入りできるというわけか。しかし、出口に指定されているのなら出る手段は必ずあるはず、となれば案外あの壁は破壊可能なのかもしれんな)
物は試しと泳いで岩壁の横に附いたリコは頭と右手だけを外の水路空間に突き出し、
「っぷは……」
大きく呼吸して右手に意識を集中する。
「貫き響け! 輻射振動破殻攻撃!」
バキバキバキッ!
リコの右手が明滅するように断続的な赤い波動光を放ち、計測した岩壁の固有振動数に合わせて最も破壊効率のいい振動数に調整された爪先が容易くオブジェクトを貫通して無数の破片に加工する。
そしてその途端、水蛇妖の巣から流れ出した多量の水がリコの顔面目掛けて押し寄せてきた。
「くっ……」
一旦岩壁内部に待避したリコはそのまま浮上して二人の足元から水中に戻り、スキルを解除して水面から顔を出した。
「今隠し水路の蓋を破壊した。間もなく水も抜け切るだろう。そうすれば水路から外に出られるはずだ」
「意外と早かったな、リコ」
「待たせたな。主戦力が不在では大変だっただろう」
シンの意趣返しと同レベルの軽口で応じたリコの睨み合いに、端に立つリュウはため息を吐く。
「やめんか、二人とも。他の連中と合流しなければならんのだし、仲間同士いがみあってても仕方なかろうが」
やけに相性の悪い二人の間にリュウが割って入るように抑えていると、元々の水量自体が大したことなかったのか排水効率がよかったのか、一分ほどで水はほぼ完全に抜け切った。
「こっちだ、着いてこい。リュウはその防具を外さねば通れんと思うが」
リコはそう言うと、水路内に足から身体を滑り込ませ、感触を確かめながらゆっくりと下へ降りていく。
「うへぇ、先まで真っ暗だな」
シンがぼやきつつ、同じように足から水路に入っていく。
水路の床は妙につるつるしていて滑りやすいが、側壁が自然な凹凸の地形になっているため移動は自由に制御できた。
リコの言う通り装備を全解除してギリギリの巨体を持つリュウも、シンに続いてその穴に身体を押し込んでいく。
「これ何処まで続いてるんだ?」
10mほど進んだ辺りで、シンが先行するリコにそう問いかけた。
「そう遠くはないはずだが……」
リコがそう返して下前方を見ると、数メートル先で揺れる水面が視界に映り込んだ。
「シン、ここから潜ることになりそうだと後ろのリュウに伝えてくれるか?」
「了解」
シンが少し上に戻ると、しばらくして「どのくらい潜るかわかるかーっ?」とリュウの大声が水路内に響いた。
「わからんっ。だがさっき見た限りではこの水路もそう長くはないはずだっ。不安なら私が見てきてやるがどうするっ!」
「宜しく頼むっ!」
リコが大声で返すと、即座に反響に負けない程の声量でリュウの応答が返ってくる。間に挟まれたシンは思わず耳を手で覆っていたのだが、暗い穴の中で他の二人がそれに気付くことはなかった。
「これを持っていけ、リコ」
上からがさごそと戻ってきたシンが棒状の何かをリコに手渡した。
「これは? いかがわしい何かか?」
「僕ってホントどんな認識されてるんだ。“水中用光体浮沈子”、振ればしばらくの間光るから、合図代わりに使ってくれ」
「了解した。意外と気が利くのだな。少し見直したぞ、シン」
「褒めるまでもないさ。頼んだぞ、リコ」
「任せておけ」
大きく息を吸って、光体浮沈子を口に咥えると、リコは掴まっていた側壁から手を放す。途端に滑り出し加速を始めたリコの身体は、幾らも経たない内にどぷんと水音を響かせて水中に沈んだ。
そこからは重力だけでは荷が重く、リコは側壁を掴んで水路を降下し始める。
(人よりは遥かに絶息可能時間が長いが、一応少し急いでおくか……)
リコは元々内蔵機能として備わっている暗視光フィルターをONにし、明瞭になった視界で壁を掴みながら水路を進む。普段は“若干地形が把握しにくくなる”や“内蔵機能にあまり頼りたくない”という理由で使用を意識的に抑えているが、今回のような場合には躊躇いなく使うのがリコが自分に対して定めたルールだ。
(傾斜が大きくなったな……。出口が近い証拠だといいが)
リコは側壁の凹凸に手をかけ進む。すると、移動距離でさらに10mほど進んだ辺りで傾斜が急に緩やかになり、目の前が俄に明るくなった。
(出口か……!)
リコは側壁にかけた手に力を込めると、スクリューのように身体を回転させながら一息に水路の外に躍り出た。
「っぷは……はぁ……はぁ……」
リコは息を整えつつ、周りの環境を把握しようと努める。
(池……いや湖か? だがしかし……なるほど、水没林とはこのことか)
木々が並び立つその空間は、まるで丁寧に手入れされたプールのように澄んだ水が満たしていた。薄い碧緑色に輝く不思議なその空間にしばらく目を奪われていたリコは、ようやく思い出したように水路の方に振り返る。その出口の穴はリコの胸辺りの高さに空いていて、完全に水面下に没している。
「これでは水が流れないのも当然だな」
リコは水面に浮いていた光体浮沈子を拾うと、軽く振って淡い光を放ち始めたそれを穴の中に放り込む。再び水面下に潜って穴の中を確認すると、光体浮沈子は発光しながら緩やかに水路を浮上していく。
(ん……?)
不意に不穏な気配を感じたリコは咄嗟に浮上し、水面から顔を出す。一瞬だけ感じた、誰かに見られているような落ち着かない感覚にリコは心が震えるような気分になる。
「気になるな……。【武装変更】、着脱式複関節武装腕」
肩の後ろ――背部武装展開用エジェクターから無数の環状関節から成る機械腕が一対引き出され、リコの後頭部に被さるように接続される。
「接続機甲・高精度複方式探知機」
ジジッ……。
リコのこめかみの辺りからアンテナ状の棒状光線が出現し、さらに背中から翼のようにも見える同様の光線が大きく広がる。
「高感度動体センサーフィルターON」
リコの視界に無数のターゲットレティクルが出現する。しかし、視界範囲内のあらゆる動体を捉えることができるリコのセンサーを用いても、意識的な非自然動作は見られない。高精度複方式探知機による魔力探知を始めとする探知でも人の反応はなかった。
「気のせいか……」
人はいないと判断したリコはすぐに全ての特殊兵装を体内に収納し直す。
「誰かが見ていた……なんて思い過ごしか」
リコが呟いたその瞬間、水没した穴から物凄い勢いでシンが排出されてきた。それこそウォータースライダー並みのスピードだった。
「ぶくぶくぶくぶく……」
「ん? 何をしている、シン」
シンの襟首を掴んで引き上げると、シンは口から水を吐き出しながら「リュウに蹴り落とされた」と聞き取りにくい声で言った。
「そうか」
「って、沈めるな!」
「やかましい」
「ぶくぶくぶくぶくっ……!?」
リコが真顔でシンを水中に戻していると、水路の穴からゆっくりと這い出てきたリュウが水から顔を出し、困ったものだと言いたげな表情でシンを見遣る。
「タイミングを合わせて飛び出せばリコに抱きつけるのではないかと言っていたのでな。望み通りにしてやった」
「貴様は私の幼児体型に何を期待しているのだ……?」
リコの汚いものを見るようなジト目がシンを貫く。
「違っ! これは紳士としてシチュエーションを考えざるを得ないというか! って、あぁっ、リコの蔑みの目が絶妙に痛い!」
「変態だと認めたぞ、この馬鹿」
「シンのアダ名は“変態神”だからな」
「せめて変態紳士と言ってくれないか!?」
シンがよくわからない主張をしているものの、リュウもリコも自然と変態をスルーして周囲を見回す。
「……綺麗な場所だが、戦いにくそうだな」
「この程度の水抵抗くらいで情けないことを言うな、リュウ、[竜☆虎]。変態のシンと違って、貴様のことは素直に認めているのだ」
「光栄なことだな」
「リュウを褒めるついでに僕をディスるのはやめてくれないかなぁ!?」
ようやく皆と合流すべく歩き出したのは、それから五分後のことだった。
Tips:『着脱式複関節武装腕』
機械系戦闘介入型NPC“電子仕掛けの永久乙女”の背中に内蔵された無数の環状関節から成る多機能補助兵装。単体でも高い膂力を持ち、物体を掴んだり、周囲を薙ぎ払うように近接戦闘の補助に使うこともできる他、周囲の地形や地面を掴むことで高所への移動も容易くなる等単純な性能故に極めて汎用性が高い。ただし本来は他の兵装を使用する際の補助が本領であり、重量のある兵装の支持や高出力の兵装のエネルギー供給、センサー類の一時的な性能強化等組み合わせ次第で様々なことが自在にできるため、実質的には第三、第四の腕に当たる。




