(18)『防御率10』
ドラゴスプリング。
罠に飲まれた味方を探すため、少年たちは森半ばに湧く竜の泉を訪れる。
その水底に空いた穴は彼らを新たな環境に誘う。
クラエスの森中心部水源地形――――通称“竜流泉”。
「これの何処が最奥になるんだよ。お前、また適当言っただろ」
アプリコットが案内した場所は最奥というには程遠い、森のど真ん中に位置する直径10m弱の泉だった。
「何言ってんですか、シイナ。『最奥』つって覚悟しておけば、道中短かったと思えるでしょうに。実質近場だったんですから感謝こそすれ糾弾するなんて、それこそボクからすれば心外極まれりですよ」
「誰が感謝なんかするか。はぁ……まあ実害被ったわけでもないし、わざわざ糾弾するって程のことでもないけどな」
「くっくっく、シイナはそうでもそっちの子はそうじゃなさそうですよ?」
「そっちの子?」
愉快そうにそう言ったアプリコットに促されて後ろを振り返ると、片手で構えた小型拳銃をアプリコットに向けるアンダーヒルの姿がそこにあった。
「…………アンダーヒルさん、何をしていらっしゃるのでしょうか」
珍しく感情が顕著に表れたアンダーヒルの目に気圧され、つい口調が敬語になってしまう。
「偽証に対する正当な報復です」
「嘘教えられたからってこんぐらいで銃を向けるのか!?」
「情報とは常に事実に正確なものでなければなりません。嘘とは故意にその禁を侵すものに他ならない、故に私はそれを認めるわけにも許すわけにもいかないのです」
「実害無いんだから気にするなよ……」
宥めようとするも、アンダーヒルは慣れ過ぎた自然体の殺気を纏い、今にも引き金を引かんばかりに掛けた指に力を込めている。ちょっとやそっとで止まりそうな気配はなかった。
「一回や二回殺されるくらいなら構いませんよ、と言いたいところですが、そう言えば今は死んだ時点で色々と終わりでしたねぇ。ま、それでも一回終わるくらいは気にしませんが」
気にしないのかよ。ていうかこのままだと一戦交えかねないな。
「その辺にしとき、アンダーヒル。そのバカが何も考えんと発言する癖は前からや」
アンダーヒルの後ろから近付いたトドロキさんが、アンダーヒルの持つ自動拳銃に手を被せるようにしてゆっくりと押し下げる。アンダーヒルは唯一表情が見て取れる目の奥に釈然としない淀みを覗かせながらも、素直に拳銃と殺気を納めた。
「やや、その声はスリーカーズじゃないですか。さっきから妙に監視されてるような視線を感じてたんですが、なるほどスリーカーズでしたか」
「さっきから後ろ歩いててんけどな」
「あぁ、すいません。シイナ以外気にしてませんでした」
「相変わらずムカつく奴ゃな」
トドロキさんが諦めたように呟いた。
やっぱり顔見知りなんじゃねえか、トドロキさん。どうせ知ってるなら矢面に立ってくれればいいのに。
それにしてもアンダーヒル、普通の拳銃も持ってるんだな。自動拳銃を選んでいる辺り、何とも堅実な彼女らしい。
「狙撃銃とナイフだけでは中距離に対応し切れませんので」
「当たり前のように人の心を読むな」
「現状況における情報から思考回路を同調させ、思考を汲み取ったまでです。あなたの思考パターンは単純ですので、他の人より幾分かわかりやすい」
もしかしなくても馬鹿にされてるよな。
「重ねて言うなら先ほど私が銃を抜いた際、あなたの視線が私の手元で1.4秒ほど停止したものですから」
せめてそっちの理由だけ言ってくれた方が嬉しかったんだが。
「そこの二人。コントはええけど、はよ用意せんと置いてくでー」
肩を叩かれて振り返ると、トドロキさんはいつのまにかいつもの着物型装備〈*妖狐皮・九尾〉から赤いビキニ装備に換装していた。見ると、誰かから借りたのかネアちゃんも紺色のスクール水着に、さっきまで端でつまらなそうに見ていたはずの刹那もスポーツ用のセパレートタイプの水着に着替えている。
微妙に目の遣りどころに困る光景だな。
「私の準備は既に完了していますが」
と真顔で言ってのけるアンダーヒルの格好は黒い一枚布のローブにぐるぐる巻きの包帯――――つまりいつも通りだった。
「それで潜る気やないやろな、アンダーヒル」
「いけませんか?」
真顔というか真声だが。
「ローブ着とったら水吸って大変な重さになんで? 向こうに着いてからも面倒臭いやろ」
「一度装備を解除し、もう一度着け直せば水は抜けます」
「ローブはともかく、包帯巻き直すんは結局時間かかるで。ただでさえ泳ぎが上手いわけやないんやし、無理せんで水着に着替えんかい」
着衣水泳なんて訓練無しでできることじゃないからな。
やったことがあるからわかるが、素人にはかなり無理がある。できるできないの問題ではなく、やろうと思っても慣れていない人は経験者よりも圧倒的に使う体力が多いのだ。
ましてや潜るとなると、何倍も時間と体力を使ってしまう。
「いずれにしても包帯を巻き直す時間は必要になるので同じかと思われますが……そこまで言うのであれば拒否する理由もありませんね」
観念したようにそう言ったアンダーヒルは、ちまちまとウィンドウを操作し始める。何故か一度こっちを見たものの、意図を問うつもりで俺が首を傾げて見せるとすぐに視線を戻してしまった。
「お前も着替えろよ、アプリコット」
そう言えばシンから貰った魅せ装備の中にスク水があったよなぁ、などと思いつつも端で気分良さげにしているアプリコットにそう言うと、アプリコットはきょとんとした驚きの表情を見せる。
「え? ボクも行くんですか?」
「たまには外で運動しろ」
また無駄なことを言うアプリコットを一蹴し、装備品ウィンドウから目当ての〈*旧式スクール水着〉を見つけ出してきて換装する。
旧式と言っても、結局水抜き穴があるかないかの違いだが。
それにしても――
防御率――――10。
瞬く間に防具防御率が二桁下がるんですけどッ!?
倍率で言うなら五百分の一以下だ。いくらクラエスの森と言えど、下手にモンスターとエンカウントしたら間違いなく消し飛ぶ。プレイヤー防御率もあるにはあるがどう考えても足りないだろう。
「そう心配せんでもええよ」
考えていたことを察したのか(決して読んだわけじゃないと信じよう)トドロキさんはポンと俺の肩を叩き、
「ウチのコレは防御率3670やからな。万一水中で戦闘になったらウチが殺ったるさかい、安心せえ♪」
「ちくしょう、こっちの方が布の量は多いってのに!」
ありがたくもあるが納得できない。
「つかぬことをお訊きしますが、ネアちゃんその水着防御率いくつ?」
「え? えっと……な、720です」
「本気で凹むぞ」
「ご、ごめんなさい……」
何故か謝り出すネアちゃん。
「シイナが最弱やね」
もうやめて! 俺のライフはとっくにゼロだぞ!
「アンタたちそこまでにしときなさいよ。別にあの三人のことなんて心配でも何でもないけど、さっさと行くんでしょ。裏フィールドにもちょっと興味あるし」
「寧ろお前はそっちの方がメインじゃないのか……?」
「否定はしないわ」
刹那のやつ、妙に不機嫌そうだな。具体的にキレたりとかそのレベルまでは達してないようだが、沸点の低い刹那にしては極めて稀少例だ。
「果たしてさっさと行ければ良いですね」
不意にアンダーヒルがそう言った。
その視線は竜流泉の水面に注がれ、その手にはさっき懐に仕舞ったはずの自動拳銃が握られていた。
「どうかしたのか?」
「エネミー出現のようです」
アンダーヒルが冷たい声でそう言った瞬間、水面が激しく揺れ始めた。
「あー、これ、あれですね。水霞の三頭龍」
「ヘイズ・トリニティ? 何よソレ」
脳天気丸出しのアプリコットに刹那が訊き返す。
「はっは。落ち着くがよい、刹那ん――――見れば、わかる。ま、見る暇があれば、ですが」
アプリコットが意味深なことを言った次の瞬間、水面に広がった波紋の中心から大量の霞が噴き出した。
そして――――ドォオオオオオン!!!
激しい水飛沫と共に水中から現れたのは、蒼い鱗と苔色の鬣、そして深い霞を思わせる真っ白の瞳を持つ三つ首のドラゴンだった。
「強いのか?」
ぎゃおー、と妙に弱々しい咆哮を上げるそれを前に、思わず隣に立つアプリコットに問いかける。
泉を丸ごと飲み込まんばかりの大きさはなかなかの迫力があるのだが、どうも威厳に欠けるというか、何となく“強さ”が感じられない。
「一回も戦ったことはないですけどね。弱いですよ。ま、今のシイナんじゃ一撃で消し飛ぶかもですが」
「戦ったこともないのにわかるのかよ。それと“シイナん”はやめろ」
「そりゃ、わかりますよ。ボクですから」
「たまには理論的に話せ」
「所詮中級フィールドの雑魚。ごちゃごちゃ言ってないで、とっとと狩るわよ」
既に太ももの鞘帯から〈*フェンリルファング・ダガー〉を引き抜いて臨戦態勢に移っている刹那は、三つ首を揺らすような威嚇モーションに入っている水霞の三頭龍をまっすぐ見据え、自身の得意とする投擲戦法の構えに入った。
「【投閃】、それに【轟雷】ッ。行くわよ、三つ首ィ!」
「だから落ち着くが良いと刹那ん。急いては事を横取りされますよ?」
刹那がデバフ付きダガーを投げようとしたまさにその瞬間、アプリコットが不意に刹那の襟首を取ってくいっと引いた。
「え? ちょっ……」
投擲モーションは止まることなくダガーは刹那の手を離れ、鋭い放物線を描いて水霞の三頭龍の頭上を抜けて飛んでいった。
「っ……! 何を――」
「其は金を駆ける者なり。其は空を下る者なり。其は火に似て火に非ず、火を以て人の目に顕る。天の怒りを示す者なれど、その災いは分け隔てなくあらゆるものに降り注ぐ者なり。我が命に降り、我が元に下れ、疾風に連なる大気の嘶きよ――」
アプリコットの詠唱で水霞の三頭龍の頭上に紫色の光を放つ魔法陣が出現し、その周囲にパリパリと乾いたスパークノイズが鳴り始める。
「――『稲妻の雨』!」
バリバリバリッ!
稲光と共に降ってきた無数の雷の槍が水霞の三頭龍の三つ首を貫き、さらに全身隈無く降り注ぎ始める。
ギィィイイイイイッ!
竜流泉の水を周囲に巻き散らしながら悶え苦しんで暴れた水霞の三頭龍は、断末魔の咆声を残して水中に没した。
総じて高ステータスのドラゴン系モンスターを一撃かよ。
「な――」
倒すべき敵を失って初めて、呆然としていた刹那が再起動する。
「何で邪魔すんのよ!」
「竜流泉の主たる水属性特種ドラゴン系水棲モンスター〔水霞の三頭龍〕。特性は【斬り霞】。その効果は霞化による物理攻撃の完全耐性。ここは魔法かスキルによる特殊攻撃が正解です♪」
刹那のこめかみが俄に軋む。
「この馬鹿、ムカつくから殺していい?」
「殺して死ぬようなら苦労はしてないけどな」
「はっはっは。さすがのボクでも殺したら死にますよ、シイナん。それより刹那んが望むなら暇潰しに付き合ってあげますよ?」
「あ゛?」
「二人ともやめてください!?」
咄嗟に割って入ると、刹那は害意を含んだ目で俺を睨み付けてきたが、ちっと舌打ちをして一先ず鎮まった。
「くっくっ。喧嘩にはいつでもお付き合いするので、困った時はいつでも当アプリコット商会をご利用ください♪」
喧嘩がなくて困ることがあるかっ。
「はぁ……もういいから行くぞ」
無理やり軌道修正するように号令をかけると、我関せず上等で傍観していたアンダーヒルとトドロキさんが先んじて水霞の三頭龍のいなくなった泉に飛び込んだ。
「行きますよ、ネア」
「あ、は、はい……」
唯一心配げな顔でおろおろとしているネアちゃんも、アンダーヒルに促されて大人しく水に入っていく。
「ボクが先頭で案内しますよ。ちょっと道がわかりにくいので」
そう言ってアプリコットも飛沫を上げながら水に飛び込む。さっきは奥までは行っていないと話していたような気もするが、それも適当に言っていたのだろう。
俺が飛び込んで振り返ると、不機嫌そうにしていた刹那も「ちっ、わかってるわよ」と吐き捨てるように言って、眉をしかめながらも後に続く。
肺を空気で満たして水中に潜ると、アプリコットの案内で少し深いところに開いた洞窟に入っていく。刹那は相変わらず抜群の身体能力を発揮し、まるで人魚のようなしなやかな泳ぎであっという間に先頭のアプリコットに肉薄していた。
人並みに泳げるらしいネアちゃんはトドロキさんに導かれながらも先頭組についていっている。
前をぎこちなく泳ぐアンダーヒルは意外にも黒のビキニだ。さっきから普通に目に入ってしまっているから暴露するが、控えめなりに胸の形は出ているため背の低い幼児体型の割に水着が似合っている。
(これは確かに潜ってみないとわからないな……)
岩の壁が上手く並んでいて、近付いてみないとその奥に道があることはまず気付かないだろう。側壁の所々に道らしきものも見えるが、あれも何処かに通じているのだろうか。
そんなことを考えていると、一番前を泳いでいたアプリコットが事前に決めていた「もう少し」のジェスチャーをする。その前方には、微かに柔らかな光が差し込んでいる。
そろそろ息も苦しくなってくる頃だ。スキル未使用でも発見できるようにちょうどいい時間に調整されているのだろう。
(ん……?)
気が付くと、さっきまでやや斜め前方を泳いでいたはずのアンダーヒルの姿がなかった。水中で首を動かしてその姿を探すと、俺の後ろを少し遅れて泳いでいる。決して下手というわけではないが、何でも卒なくこなしそうなイメージがあったアンダーヒルにしては少し効率の悪そうな泳ぎ方だった。
あんまり泳ぎは得意ではないのだろうか。
少しペースを落としてアンダーヒルの隣に並ぶと、無感情の瞳をちらっとこっちに向け、水中で首を傾げた。
仕方なく読唇のできるアンダーヒルに空気を吐き出しながら『連れてってやる』と伝えて手を差し出すと、ようやく意図を理解したらしいアンダーヒルは俺の手を取った。
そして水の冷たさのせいでさらに強く感じられる小さな温もりを思わず意識しつつ、水中で弱々しく握り返してくるその手を引いて頭上に見える明るい光に向かって泳いだのだった。
二人で岸(?)に上がると、他の皆は既に水着装備から通常装備に換装を終えていた。恐らく唯一男である俺が来る前にという配慮なのだろうが、アンダーヒルが遅れているから結局あまり意味が無いとも思う。
とりあえずアンダーヒルが元の装備に戻すまでそっぽを向いていることにして――
「これ……水没林ゆーやつやね」
トドロキさんが目の前に広がる光景に感嘆の呟きを漏らす。
視界正面に現れたシステムメッセージウィンドウに表示されたフィールド名は確かに『碧緑色の水没林』。
高低様々の木々が立ち並ぶ空間は足元の地面から1mほどが水に没し、光の加減かフィールド全体が薄い緑色から濃青色に色づいて見える。振り返るとフィールド外縁部には通ってきた洞窟のような水路が川のように曲がりくねって流れており、それ以外の場所には延々と水没林が広がっているようだった。
「リューウッ、シーンッ、リコーッ!」
一先ず大声で三人の名前を呼んでみるが、まったく返事はない。それどころか何故か刹那に「いきなりうっさいわね」などと文句を言われる始末だった。俺が悪いのか?
「見る限りではいないようです」
振り返ると、早くも件の黒ローブ〈*物陰の人影〉に着替えて包帯までしっかり巻き直していたアンダーヒルは、照準器を覗きながら周囲をゆっくりと見回していた。アンダーヒルがどの範囲まで見えているのはわからないが、彼女の視力で捉えられないのなら少なくとも近くにはいないのだろう。
どうでもいいけどアンダーヒルさん。
〈*物陰の人影〉の裾どころか胸下までびったり浸っちゃってますけど、大丈夫なんですかね。
Tips:『裏フィールド』
正式名称は『拡張環境領域』。一部の独立フィールドに付随して存在する隠された独立フィールドの一種であり、元の独立フィールドとの何らかの関連性が強い環境や地形であることが多い。その空間は物理的に連続している場合もあれば、特定のポイントを通じて移動する場合もあり、中には時間軸が異なる同じ空間が隠しフィールドとして存在する場合もある。対比して、元の独立フィールドのことを『表フィールド』と称するプレイヤーも存在するが、裏フィールドのない独立フィールドも多々存在するため、あまり普及はしていない。




