(6)『儚-ハカナ-』
忘れ難きを忘れ跳び、自由落下に逆らえず、そして抱かれる腕の中。かつて惹かれた戦友と、名状し難い震えの底に垣間見えるは恐怖かあるいは戦慄か。
『最強』は告げる。ただ少年にだけ。
「とりあえずサンキューな、リュウ」
「礼は要らんさ。それより放っといて大丈夫か?」
「別に市街地は戦闘や決闘は日常茶飯事だし大丈夫だろ」
「いや、そうじゃなくてだな。[†新丸†]と[刹那]の戦いを衆目に晒すのは、名の知れたギルド≪アルカナクラウン≫としていかがなものか、と」
「あぁ、なるほど」
色々あって気にする余裕がなくなっていたようだ。
『凶太刀のシン』こと[†新丸†]と『歩く災害圏域』こと[刹那]。
二人とも≪アルカナクラウン≫所属で名の知れた上位プレイヤーだが、同時に良い悪い問わず危険人物揃いのこのトゥルムでも群を抜く戦闘狂という一面も持っている。
いや、単純に危険人物というだけならまだマシだったかもしれない。
「やれやれ、止めるか……」
いつもブレーキ役に回っているリュウが、ため息混じりにそう呟く。
「頼んだ」
「頼んだ、じゃない。俺一人であの二人を止められるわけがないだろう。お前も来い、シイナ。二人がかりなら何とかなる」
リュウはそう言うと、刹那が置いていったのか床の上に鎮座する〈*ハイビキニアーマー〉を顎で示した。
「俺にアレを着ろって言うのか……?」
「着ろとは言わないが、お前も来ることは確定しているぞ、リーダー」
「こんな時に限ってリーダー扱いな。第一俺には武器がないぞ」
「おぉ、そうだったな。お前も俺ほど慣れてはいないだろうが、剛大剣は使えるだろ」
そう言って、リュウがアイテムボックスから引っ張り出して俺に渡してきたのは、分厚い剣身と豪奢な装飾、加えて被りまくってるネーミングで有名な〈*永久の王剣エターナル・キング・ソード〉。
剛大剣にしたって無駄に分厚く重い剣身のため扱いにくい代物だ。その分規格外の攻撃力を持っているため、皮表面が堅く動きの鈍いモンスターの外殻を力任せにぶち抜く目的限定で重宝されている。
「いや、こんな使いにくいのじゃなくて他の寄越せよ」
「残念だが今はお前に貸し出せるモノはひとつもなくてな。この前、偶然見つけた〈*竜鋼骨アーセナルギア〉を買うために使わないもんは全部売り払ってすっからかんだ。王剣以外は熟練度の制限がある剣ばかりだからお前には使えんだろう」
「クライノートとファルシオンはそんなのないだろ。どっちか貸せよ」
「これは今からどっちも使うからな。それで我慢しておけ」
その言葉でリュウが何をしようとしているか察し、仕方なく俺は黙り込んだ。
「アレ使うとか、どんだけ本気なんだよ……。大丈夫なのか? 俺、剛大剣とか久しぶりだぞ」
仕方なく王剣を背負いつつ、背の高い親友を見上げて問いかけると、リュウは白い歯を見せて笑み、
「奇遇だな。俺も久しぶりだ」
「たかがケンカ止めるだけなのに気合入りすぎだろ、俺ら」
仕方なく床の〈*ハイビキニアーマー〉一式を拾い上げ、胴装備・腕装備・腰装備・脚装備と順番に換装しながら、その露出の多さに思わず鏡を見るのを諦め――もとい断念する。
こんな露出激しい装備付けてるやつなんて、これまで見たことないぞ。
「何を今さら、それこそ俺たちらしいと思うだろ、シイナ」
準備を終えて玄関から外に出ると、二十階ほど下の広場は既に騒がしくなっていた。手すりから身を乗り出して見下ろすと、二人の周りには既に相当数の野次馬が集まってきているようだ。
「アンタのおっそい攻撃なんか一度もくらわないわよ、バーカッ!」
「とか言って動きに余裕がなくなってきてるぜ、ノロマッ! いい加減、レベルの差を思い知れってんだよ!」
「はぁッ!? アンタこそ自分よりレベル低い私にずいぶん苦戦してるように見えるけどぉっ!? いい加減敗けを認めて土下座したら今すぐ許してあげてもいいわよッ!」
「誰が降参なんかするかバーカ! お前の敗けは決まってんだよ!」
時既に遅し。
なんて口の悪い。小学生の喧嘩か。
あの二人は頭に血が上ると口が悪くなる悪癖がある上、負けず嫌いまで共通している似たもの同士だから、二人の戦いは際限なくエスカレートしていって最後はただの罵りあいになる。
それが日常茶飯事のあの二人が決闘する時は人気のないところで、収拾がつかなくなってきたら俺とリュウで強制終了させることになっている。これまではそんな感じで少数人数の目撃者程度で隠せていたのだが――。
「なあリュウ、もう止める必要ないんじゃないか?」
「一瞬俺もそう思ったが、早めに止めるべきなのは間違いないだろ。下手すると周りに迷惑がかかるだろうしな」
俺とリュウは呆れながらの観戦もそこそこに、少し張り出した階段を半階分下の踊り場から再び下を覗く。
仮想現実さながらの高層建築。
不可変オブジェクトで構成される市街地の公共物は壊されることもないし、街灯なども壊れてもその内元に戻る。しかし周りを囲む野次馬たちは流れ弾が当たればライフゲージは減り、ライフが尽きればゲームオーバーになってしまう。幸いこの辺の住民は大抵古参か高ステータスの中堅以上のプレイヤーだからライフゲージが満タンなら一撃で死ぬことはまずありえない。だがもちろん、痛みのフィードバックは存在する。
最高位レベルの攻撃を受ければ、相応の痛みは間違いないだろう。
加えてDeadEndに対するペナルティもある。
ステータス値低減及び罰金、そして三十分ほど治療と称した拘束を受ける。このシステムは街中であろうと例外ではない。
ログアウトしても計時はされるので、その間放っておくだけでも問題ないのだが、どちらにしろこんなアホな理由で周りに迷惑はかけたくない。
身内の恥は身内で雪ごう。
「飛ぶぞ」
まるで俺の思考が全て伝わっていたかのように、リュウは前より小さくなった俺の身体を脇に抱え、柵を蹴って飛び出した。
「【相護甘衝】」
【相護甘衝】とは、身体の移動速度を弄り、着地・衝突時の衝撃を和らげる基本的なスキルのひとつだ。戦闘スキルではないため戦闘中には使用できないが、むしろスピードダウンにつながるこのスキルはこういう日常行動でこそ役に立つ。
(ってあれ?)
ふと気が付くと、おそらく同じスキルを使っているだろうリュウが、俺よりはるか上にいた。
(効果は同じはずなのに変だな……あっ!?)
完全に忘れていた。
アバターの異常よりも、武器・防具のデータ破損よりも、素材の消失よりも、これからもプレイするに当たって深刻な損失があったことを。
(……今スキルが一つもないんだった!)
【相護甘衝】とか言ってられる状況じゃなかった。
「俺、ヤバいんじゃね?」
能天気を装って言ってみるが、まさか野次馬たちの安全を危惧しての思考の一部がそのまま自分に適用されるなんて思う奴が何処にいる?
この高さから落ちたら、現実では即死だろう。つまり現実にできる限り則したFO内でもシステム側から死亡判定を受けてしまうのだ。
こんな間抜けな死に方嫌過ぎる。
空中で風に弄ばれながら、高速で思考できる自分にも驚きだが。
地面が迫り、バランスを崩した俺は空中で一回転してリュウの方に向く。リュウも俺の状況に気づいたのか、落ちてくるスピードがグンと上がった。わずかな時間で近くまで差をつめてきたリュウはハッとしたように、
「掴まれ! シイナ!」
そう叫んだリュウに手を伸ばしながら、俺は残りの距離を確認しようと後ろに視線を向ける――――肩越しに赤茶色のレンガが見えた。
ドサッ。
覚悟していた激しい痛みが方や背中から全身に伝わって――――来ない。それどころか、肩や背中越しに感じるのは、柔らかい感触だった。
(何だ……?)
その時、視界に誰かの頭が見えた。
リュウではなかった。頭からフードを被り、冷たい印象の仮面で素顔を隠している誰かだった。
「相変わらず無茶なことをするわね、シイナは。もしかして今回のサーバーエラーでスキルでも失ったのかしら?」
この優しそうな声は――――幻聴だった。
「お前……儚……!?」
どうやら何とか安全に着地したらしいリュウの声が聞こえる。
「久しぶりね。リュウ。あなたも相変わらず背が高くてがっしりしててカッコいいわよ。それにしても、シイナ。あなたはちょっと痩せたんじゃない? 背も低くなって、髪も伸びて、胸も大きくなって。肌もすべすべで真っ白だし、とっても可愛いわよ」
(俺は儚に助けられたのか……? 何故彼女がここにいる? 何故今さら俺を助ける?)
俺を両手で抱きとめるように支えていた儚の腕を振りほどき、尻餅をついてまで彼女から逃れると、ようやく見えた全身をローブで覆った彼女の頭上には確かに[儚]と表示されていた。
「服の趣味も変わったのかしら。とても素敵よ。とても、下劣で扇情的」
ゾク……ッ。
これだ。この背骨の髄まで凍りつくような表現不可能なほどの悪寒。単純な言葉でも、複雑な心でも表せない嫌悪感だ。
儚は仮面をとり、記憶に残っているような優しげな笑みを浮かべると、フードの下から気遣うように見つめてくる。
「どうしたの? シイナ。大丈夫? 今のあなた、まるで怯える子猫のような顔して……不愉快よ。人の保護欲をかきたてるような媚びた涙を浮かべるなんて可愛いところもあるようだけど、別にあなたの悲鳴が聞きたくて助けたわけじゃないのに様子がおかしいわ。まるで今まで男性アバターを使っていたのに、システム上ありえないはずの女性アバターに変わってしまったみたいな顔してる」
彼女はこの抉るような毒舌を、優しげな笑顔と柔和な目つきで心の底から言っているのだ。
彼女は最初からこんな性格だったわけじゃないのに、いつのまにか呼吸をするように自然と敵を増やしていく。
何も考えず、何も得ることなく、全てを好んで失っていく。
「シンと刹那は元気にしてる? ≪アルカナクラウン≫はまだ残ってるみたいね」
「……ッ!?」
ギルド≪アルカナクラウン≫
サービス開始当時にベータテスター四人が発足した巨塔攻略ギルドだ。
[FreiheitOnline]初のギルドであり、当然その歴史も最も古い。
しかし現在のメンバーはたったの四人。
他のギルドに比べれば圧倒的に少ない人数だ。このFOにはひとつだけ、たった一人をメンバーとして発足し、今もそのままで存在しているギルドがあるが、それとアルカナクラウンを除けば、ギルドの最低人数は八人程度。それからしてもどれだけ少ないかわかるだろう。
大きいギルドになれば、加盟人数が千人を優に超えるのだから。
そしてその少数でもこの[FOフロンティア]中に名を轟かせるギルドのメンバーは、[竜☆虎]・[†新丸†]・[シイナ]・[刹那]。
あらゆる意味で有名なこのギルドだが、その中でも最も有名な理由が発足当時からほとんど変わらない入団資格にあった。
単独で塔を第五十層まで攻略した者。
そもそも巨塔ミッテヴェルトは[FreiheitOnline]における最終ステージに当たるフィールドだ。
第一層から攻略は困難、二百人のベータテスターがいながら資格を満たしていたのが四人だけだったのだから、その難易度は推して知るべしだろう。
しかし実は、ギルド創設メンバーは刹那を除いた[竜☆虎]・[†新丸†]・[シイナ]。
そしてもう一人――――同じくベータテスターの[儚]。
『No.1』のIDを持つ、つまりFO最初のプレイヤーである彼女にふさわしい二つ名はただひとつ――――『最強』。
彼女は単純に最強で、清々しいほど圧倒的に最強だった。快活で人懐っこく、寂しがり屋の王者にして[FreiheitOnline]の第一位。
素早い動きで敵を翻弄することもなく、防御行動を無視するほどの強力な一撃を放つわけでもなく、遠距離から高威力魔法を撃ちまくるわけでもない。むしろそういうのは彼女にやられる側のすることだ。そういう一点集中のアンバランスタイプは例外なく、彼女の用いた基本的な歩法、基本的な剣術、基本的な魔法、基本的な武器、基本的な防具、いわば『基本的な戦法』の前に膝を折った。
加えて言うなら、二点集中でも、三点集中でも、彼女を苦戦すらさせられない。彼女が勝ち星を挙げつつも苦手と公言していたのは、自分と同じ『基本的な戦法』のプレイヤーだ。
しかし実際問題、そんな戦法はまず不可能。
彼女に勝てる者がいるとするならば、そいつは彼女と同じく、全ての勝利条件に等しく長けた者だけ。そんな人間は現実にも仮想現実にも、そうそう存在するはずはないのだから。
「アレだけ無意味で無価値にもかかわらず、大きな存在感のあるギルドだもの。残るはずよね――――私が来るまでは」
「≪アルカナクラウン≫を……潰す気なのか?」
「心配しないで、今の私はかなり落ち目だからあまり派手なことはしたくないの。今日は無駄に助けただけで許してあげるわ」
彼女の声を、彼女の台詞を聞いていなければ、優しげなお姉さんが普通に話しているようにも見える。にこにこしているだけで、それが十分脅迫になる人間と言うのは、得てしてこういう人物なのだ。
「必要な時はあなたを呼ぶかもしれないわね、シイナ。あなたもその時はきっと来てくれるって信じてる」
「何の話だ……?」
「ううん、大した話じゃないの。そうだ、いいことを教えてあげるわ」
その瞬間、シンと刹那の喧嘩が白熱しているのか、野次馬がどっと湧いた。
「――――――――――――――――――」
その歓声に儚の声はほとんどかき消される。
「じゃあね。また明日」
儚は片手を振って別れを告げ、いつのまにか何処かへ姿を消した。今の今まで動けなかった俺は脱力し、自然とへたり込んでしまう。
緊張の糸がプツンと切れたみたいだ。
「シイナ、儚は最後、何を言っていたんだ?」
背後からリュウの声がかかる。
「いや、何でもない。ただのただじゃ済まない悪口だよ」
ただ人を傷つけるためだけに発せられた――――ただのたわごとのはずだ。
「そうか……。シイナ、スマン。お前がスキルまで無くなってることを忘れていた」
「気にすんな。それより、早く二人を止めよう――」
背中の〈*永久の王剣エターナル・キング・ソード〉略して王剣を抜き、思いきりレンガ造りの地面に叩きつける。
「――憂さ晴らしも兼ねて」
とりあえずやり場のないこの怒りのような攻撃的感情の矛先が欲しい。
現実とも非現実ともとれる彼女は、儚くも確かに存在していて、かつての俺たち三人はそんな彼女に惹かれ、集い、そして共に時間を過ごすためのギルドを作った。
彼女をリーダーにした、彼女のためのギルド。それが≪アルカナクラウン≫というギルドの存在意義だった。それだけ当時の彼女は憧れの存在であり、魅力的な人物だったのだ。
しかし、現在肝心要のプレイヤー[儚]はギルドに所属していない。
そのことについて、刹那を含めた他のメンバー全員に訊いても、示し合わせたように一字一句違わない答えが返ってくるだろう。
『彼女とは意見が合わなくなった』と――。
[儚]が≪アルカナクラウン≫を出ていってから、残った四人は話し合い、入団資格にある条件を付け加えた。
すなわち、『単独で塔を第五十層まで攻略し、かつ現ギルドメンバー全員に認められ許可された者』。これは、二度と[儚]が戻ってこられないようにするためのもので、俺たち≪アルカナクラウン≫が彼女との決別を決意した、その現れでもあったのだ。
彼女が残した最後の言葉は――――『今までありがとう。すごく楽しかったわ。また明日ね、皆』
ことあるごとに四人の脳裏をかすめる彼女の存在は、五ヶ月前のある日を境に[FreiheitOnline]の表から姿を消した――――はずだったのに。
(何で今になって……)
あの顔、あの声……動揺せずにはいられない。
「おぉ、怖いな」
リュウも俺に合わせるようにお気楽な調子でそう言って、野次馬の群を最後列からどかし始めた。
「ってーな、何すんだよっ!」
無理やり摘み出された一人がそう叫んだ。
しかしリュウの顔を見た瞬間、その表情に若干の怯えの色が混じる。
「悪いが、ちょっとおとなしくどいてくれや。じゃないとデスペナでステータスが0になるまでお前さんを何度も殺し続けたい気分だ」
「あ、あぁ……わかった……」
リュウの気持ちもわかるから無理もないと思うが、むしろ今のお前の方が相当怖いと思うね。身長200cmだぞ。
そんな顔で見下ろされちゃ、誰が誰でもどいてくれるだろうよ。
「さぁ、とくとご覧じろ、【剛力武装】」
Tips:『死亡判定』
プレイヤーが体力全損以外で受ける死亡状態になる特殊パターンの総称またはその仕様のこと。一般的な現実基準で考えた際に確実死に当たるものが含まれ、具体的には頭部の半分以上の喪失、胴体の半分以上の喪失、心臓の損壊、高所からの転落、酸欠等がこれにあたる。死亡判定の条件を満たした場合、たとえ体力が残っていたとしてもデッドエンドを回避できない。




