(11)『飛べればいいわ』
弱者には弱者の生存戦略があり、弱者にも弱者なりの戦いがある。
クラエスの森に入って早々に厄介事を引き寄せてしまったらしい俺たち«アルカナクラウン»対アプリコット遠征部隊は、森の上空を飛ぶ黒い鳥影を見上げて総員揃って嘆息した。
「アレってもう見つかってるわけ? できれば素通りしたいんだけど」
刹那が露骨に嫌そうな目で玄烏の動きを追いながら睨み付けると、アンダーヒルの方を振り向いてそう訊ねる。
「残念ですが、玄烏の索敵範囲は鉛直下地点より半径千メートル圏内です。間もなくシステムメッセージが出ると思います」
「要するにこの辺りも丸ごと範囲内ってわけね」
チッと刹那が舌打ちを響かせる。
しかし、苛立つのも無理もない話だ。
『玄烏』はこのクラエスの森において、厄介とされるモンスターのひとつだ。とある特殊な立ち位置にあるもののステータス上は弱小モンスターであるため、クラエス五天王には数えられていないが、その面倒臭さはFOフロンティア中にその名を轟かせている。
玄烏は頭尾長約1mと大型の黒い鳥で、そのフォルムは名前の通り“玄鳥”と“烏”を足して二で割ったような姿だ。ただし、普通の鳥類と比べて三本足に三つの目、根元から三叉に分かれた尾羽と異形の特徴を持っている。その行動は常に高速かつ複雑な動きで飛び回っているというだけなのだが、厄介とされる理由はエンカウント時に強制的に発生してしまう特殊イベントにあった。
不意にエンカウント・アラートが鳴り響き、目の前に『CAUTION』と示されたシステムメッセージが現れる。イベントタイトルは『Target Capture "Swallcrow"』。
これは通称『キャプチャーイベント』と呼ばれるイベントで、特定対象を捕獲するか殺すかしないとフィールドを出ることもできなくなる。しかし幾つか報告されているキャプチャーイベントの対象モンスターの中でも、『玄烏』の面倒臭さは鬱という字を千回書き取るような宿題を出された時に匹敵するレベルだ。
「アレ、アンタの狙撃で撃ち落とせないの?」
刹那が上空を旋回する玄烏を示唆してアンダーヒルに問い掛ける。アンダーヒルが腕のいい狙撃手というのは本人の宣告もあって既に周知の事実だ。
「一度は試みるつもりですが、期待値はあまり高く見積もれないかと」
「まぁ、あのクソガラスに狙撃が効かないのは有名な話よね」
刹那が忌々しそうに呟いて、再び玄烏の飛ぶ上空を仰ぎ見る。
その時、傍らで玄烏の飛行軌道をじっと観察していたアンダーヒルが不意に一歩下がり、続けてまた一歩と後退りし始めた。
「何してるんだ?」
「この斜面の平均角度と玄烏の高度、私自身の歩幅等目視計測可能なパラメータを用いて概算距離を算出しています」
「お前ホントに人間か!?」
「静かにして下さい、シイナ。気が逸れます」
怒られてしまった。
朝の決闘擬きは本気ではなかったようだし、アンダーヒルの真剣モードを見るのはこれが初めてだ。期待値は低いと言っていたものの、どうしても外したくはないらしい。
情報家としてのプライドの他に狙撃手としてのプライドまで持ち合わせてるのか、コイツは。
「アンダーヒルさん、つかぬことをお聞きしますが」
「何ですか、シイナ」
「その人間離れした能力はリアルの方でも同じなのでしょうか?」
「女性の素性を詮索するのはマナー違反に当たると聞いたことがありますが、少なくとも目はいい方です」
左様ですか。
目視計測なんて目がいいとか視力がどうとかの問題じゃない気がするのだが。人間には感覚的に距離を推し量る能力が予め備わっているが、それを絶対的な数値で把握する能力までは配備されていない。そこまでくれば既に脳神経のスペックか外部刺激による情報を演算している脳自体のスペックの問題だろう。
目視と暗算だけで距離を測るなんて……コンピューターか、お前は。
「対象は距離630から640mの範囲を秒速6mの等速で旋回運動中、上空の風速やや西向き9m、気温21℃、湿度63%――」
アンダーヒルはブツブツと何かを呟きながら、視線を玄烏から逸らすことなくローブの中でもぞもぞと手を動かしている。
大事なことだからもう一度言おう――――コンピューターか、お前は。
そして、アンダーヒルは徐に黒いローブの前を少しだけ開くと、その隙間を通すように、何処に入っていたのかと疑問になるほどの長大な狙撃銃を引っ張り出した。
銃全体の長さは1.4mといったところだろうか。
見るからにブルパップ式と思われるその狙撃銃の先端には大型のマズルデバイスが装着されており、銃身の中程下部には折り畳まれたスタンドが付属している。ブルパップ式という機関部を銃床に納めることでコンパクト化を図る構造のため全体的に収まりがよく、そのせいかグリップは小さくマガジンは比較的大きい印象を受ける。
「……アンダーヒル、シイナたちに〈*コヴロフ〉を見せてもよかったんか?」
全員がその姿に呆気に取られる中、唯一驚き以外の感情を覚えたらしいトドロキさんが静かな語調でそう言った。
この銃が、アンダーヒルが大会で得た武器創作の権利を使って得たユニーク武器――〈*コヴロフ〉なのか。
アンダーヒルはトドロキさんの言葉にちらっと俺の方に流し目を向けると、すぐに玄烏の方に視線を戻して一言「構いません」と零した。
「私が普段この武器の詳細を隠蔽しているのは、経験上そうした方が面倒事が少ないからです」
コヴロフはアンダーヒルしか持っていないユニーク武器。同じく世界で一つしか存在しない伝説級武器を可能な限り秘匿しようとするのと似たようなものだ。特にアンダーヒルは隠密的行動を基本にしているようだから、その辺りは徹底しているのだろう。
「ここにいるのは私にとって仲間。隠す理由は何一つありませんので」
アンダーヒルはそう言うと、さっき玄烏発見時には外して使っていた照準器をコヴロフの上部に装着し、静かに仰角四十五度で銃身を空に向けた。
「狙撃って寝転がったりしてやるもんじゃないの?」
「その場合が多いですが、この場所では目標に届くよう仰角を合わせられる地形がありませんので、このまま試みます」
現実なら見るからに重そうな対物ライフルをあの高さに持ち上げてその体勢で維持すること自体華奢なアンダーヒルには――――もとい人間にはできないだろうが、さすが全てがステータスという意図的な操作が可能なパラメータによって決まるゲーム世界というべきか。
コヴロフなら一定以上の腕力値があれば俺にも同じことができるはずだ。勿論、その状態でナノレベルの微調整を行って高精度の狙撃をしろと言われても無理だが。
「撃たないの?」
アンダーヒルが引き金を引くのを待っていた刹那が沈黙に耐えられなくなったようにそう言った。
「狙撃は集中力と持久力の戦いです。現在、標的の観察、及び行動予測によって適したタイミングを図っています」
「要するに隙を狙ってるゆうことやね」
アンダーヒル語を即座にトドロキさんが翻訳してくれる。
というか行動予測って……まぁ、俺たちもある程度敵の次の行動を予測して動いているようなものだし、その予測幅が広がったようなものか。
いざとなったら姿を眩まし、完璧な安全圏から狙撃することができるんだから、スナイパーばかりは敵に回したくはない。いつ狙われているかわからない緊張から精神的にゴリゴリ削られて、消耗したところに一撃必倒の銃弾を撃ち込まれるなんてたまったものじゃない。ひとつ救いがあるとすれば、スナイパーライフルは取り回しに難があるため使用者が非常に少ないことぐらいだ。
逆に言えば知り合いにスナイパーがいるというのは珍しいが故に心強い。特に熟練度1000となるとそもそもアンダーヒル以外に誰かいるのだろうか。
ランキングで上位三名くらいの名前を見たことくらいはあるが、当然アンダーヒルはランクインされていない。表に記録の残るような活動は極力回避しているからだ。
それ故に訊いてみたいこともある。
なんでお前黒鬼避役に負けたの、と――――。
ガァンッ!
直後、突然響いた発砲音に驚き、同時に耳を殴られたような感覚に襲われる。アンダーヒルに近かったからか、その発射音を至近距離でもろに捉えた俺の耳はその衝撃を脳に伝えると麻痺したかのように耳鳴りの余韻を残す。
くらくらとし始める意識を何とか保ちつつ上空を見上げると、その瞬間玄烏の姿がブレたのを視界に捉えた。
あれが玄烏の持つ厄介なスキル――――【電光石火矢】だ。遠距離・中距離からの射撃に対して瞬間的に加速することでそれを躱す緊急回避スキル。
それでいて絶え間なく空中を飛び回っているのだから嫌にもなる。
「う、撃つなら撃つって言いなさいよッ!」
「すみません」
刹那も俺ほどではないようだがコヴロフの発射音に驚いたようで、アンダーヒルに文句を言って至って真面目にそう返すアンダーヒルに面食らっている。
しかし、アンダーヒルは尚も玄烏から視線を外さず、手元でコヴロフのボルトハンドルを引く。
ガジャッと響く金属の擦れるような駆動音。
キーンと空薬莢が弾かれて飛び出したと同時に再びアンダーヒルが照準器を覗き込み――――ガァンッ!
再び銃声が響いた。
【電光石火矢】はその名の石火矢のごとく連発はできない。
その僅かなラグを狙ったのだ。
コヴロフから放たれた銃弾は上空の玄烏目掛けて狙い澄ましたようにまっすぐ飛んでいき――――玄鳥の影と重なって見えなくなる。
「どうなの?」
刹那が訝しげな口調でアンダーヒルに訊ねる。
「当たったようにも見えたけど、遠すぎてよく見えないな。アイツ、まだ飛んでるし……」
「外しました」
俺が刹那の問いにそう返すとほぼ同時にアンダーヒルの確信を得たようなはっきりとした答えが返ってきた。
その声に振り返ると、アンダーヒルは何事もなかったかのようにローブの前を閉じ、照準器すら覗くことなく裸眼で上空を見上げている。
「見えるのか?」
「はい。正確には銃弾は玄烏を掠めて飛びました」
「それ、当たってるんじゃないの?」
「右足の部位破壊はできましたが、あれではまだ致命傷にはなり得ません」
アンダーヒルの冷静な答えを聞いた刹那は、少し目を泳がせるとチッと舌打ちを漏らした。
「あのクソガラス……やっぱ正攻法じゃないとダメみたいね。アプリコットも探さなきゃいけないってのに嫌なタイムロスだわ。速攻で片付けるわよ!」
気合いと言うよりは苛立ちが先行していそうな気合を入れた刹那は森の方――正確には玄烏のいる方に向かって歩き出す。
ちなみに彼女の言う正攻法とは、飛行可能なら空中戦、そうでなければ森の何処かにある巣で待ち伏せるかのどちらかだ。
今回は間違いなく空中戦のことなのだろうが。
「ネア、アンタあれから飛ぶ訓練したの?」
刹那がトゲを抑えた口調でネアちゃんにそう訊ねる。
彼女の種族は天使種。元から翼を持ち、飛行能力を備えた種族だ。
他にリアウィングを使うまでもなくわなくても飛べるのはアンダーヒルの影魔種ぐらいだろうか。
「あ、はい。ユウちゃんにちょっとだけ教えて貰いましたから、飛ぶだけなら……」
「ユウちゃん?」
「私の本名です。ですが、ネア以外はその名で呼ばないでください」
そう言ったのはアンダーヒルだ。いつのまにそこまで仲良くなってたんだか。
確かに初心者でゲーム内に閉じ込められたネアちゃんにあまりリアルを持ち込むなと言う方が無理があるかもしれないが、まさか秘密主義のアンダーヒルが自分の情報を明かすなんて驚きだった。
「ふーん、ユウ、ね。……まあそれは置いとくわ。それよりスリーカーズ、またシイナにリアウィング貸せる?」
「ええよ、言うてもあのカメレオンに一機壊されてもうたから、シイナに貸したらジブンには貸せへんで?」
「私はもう自分のを買ったから大丈夫。リアウィングって馬鹿みたいに高いのね」
当たり前だ。
「リュウとシンはリアウィング持ってるわよね」
「ああ、久しく使ってないがな」
「可変ウィングの方だけならな」
つまり全員飛べる――と安堵しかけた瞬間、全員の目が同時にリコに向けられた。
「……飛べなくもないが、魔力を山ほど消費するぞ?」
その扱いが少し不服そうなリコがそう言うと、刹那はただ一言で――
「飛べればいいわ」
――使えなくても、と続きそうな台詞を宣った。
Tips:『玄烏』
風属性の鳥類系魔獣種で、全長1mにも及ぶ大型の鳥。その名の通り、玄鳥と烏の形質を併せ持ち、複雑な軌道を高速で飛び抜ける極めて高度な飛行性能を持つ。一方でその行動傾向は基本的に回避と離脱に特化しており、プレイヤーに対する攻撃性は皆無。またその体躯に比べて体力は非常に脆く、攻撃の種類によっては一撃で体力を全損させることも可能な程低い。ローカルイベント《Target Capture "Swallcrow"》のイベントフラッガーであることから、そのモンスターとしては無害な性質に対しプレイヤー間では非常に嫌われている。
特性は高速回避能力【電光石火矢】。飛来する弾体や魔法を感知して超加速を発動する能力で、連発はできないものの感覚的な死角や隠蔽効果などに影響されず自動的かつ確実に発動する。本体の飛行性能に加え、この特性から撃墜することが極めて困難であり、玄烏と言えばFOにおいて最難関の捕獲対象とされている。
≪行動パターン≫
・緊急回避 ・高速水平飛行 ・高速垂直飛行 ・急上昇反転 ・急下降反転
・錐揉み ・宙返り ・急旋回 ・連続急旋回 ・螺旋降下 ・螺旋上昇
・急上昇 ・急降下




