(10)『クラエスの森』
クラエスの森。
豊かな自然が広がるその森窟にのどかな時間が訪れる。
だがそれも長くは続かない。先に待つのは天使か悪魔か。
トゥルム西方五番街ピルガリム東部森林区――――クラエスの森。
ミッテヴェルト第二百二十三層『動無き大河の楽園』をアマゾンの奥地に広がる原生林とするなら、『クラエスの森』は指定自然公園に近いところがある。
自然がそのまま残ってはいるものの『ギリーモンスター』のように特殊なモンスターがいるわけでも背の高い下草で移動を妨げられるわけでもない。森と平原、丘、水源、洞窟で構成された、適正レベルも中堅クラスの極めて長閑な森林地帯だ。
――――表面上は。
と言うのも、確かにあまり森の奥深くまで分け入らなければ平和そのものなのだが、深部には確率は低いもののそれなりに強いモンスターも出現するのだ。クラエス五天王と呼ばれる(余りにもチープ過ぎるネーミングだと思うが)五種類の危険なモンスターもいるくらいなのだ。
かといってハイクラスランカー揃いの≪アルカナクラウン≫が苦戦するような相手でもないため、今までの塔攻略や亡國地下実験場に比べれば気楽なフィールドと言える。
ぶっちゃけピクニック気分だった。
「相変わらずいいところよねー」
森の手前の小高い丘で小休止することになった途端、刹那は芝生の上に寝転がって気持ちよさげに伸びをした。
何だかんだ儚のことで気を張っていただろうから、その気持ちはよくわかる。俺も刹那のように思いっきり寛ぎたいところだ。
ネアちゃんの目がなければなっ!
男はこういう時特に不器用になる。
どうしても人の前ではカッコつけたいと思うし、女の子の前では弱味を見せない強い自分でいたい。情けない姿は晒したくないし、子供っぽいと思われたくない。大人っぽいのがカッコよくて、クールな自分に憧れて、そんな未来に酔ってしまう。
そんな風に思ってしまう男という生き物は、きっといつまでも子供なのだ。
そんな虚しい想いを同胞であり同類でもある、同性のリュウとシンにも同意して欲しかったのだが――――うぉーい、アイツら寝てやがるぜぇ。どうせ俺だけ身体は女だよ。悪かったな、常識外れの仲間外れで。
俺が人知れず単身自爆している周りでは女性陣が三つのグループに別れて華やかな話に花を咲かせていた。
「思えばここに来るんも久しぶりやねぇ。半年くらい経っとるんやない?」
「私の記憶では、最後にあなたとここを訪れたのは三ヶ月と十九日前です」
「憶えとるんかい」
アンダーヒルは狙撃ライフル用の大きな照準器を望遠鏡のように使って森の方を監視しながら、トドロキさんと目を合わせずに言葉を交わしている。
多分華やか。漫才ではないと思いたい。
「見てくださいこの子っ、すっごく可愛いですっ!」
「不覚だが、こうも小さいとそれだけで愛らしいな、コイツめコイツめ」
丘の麓に近い辺りではネアちゃんとリコが踞って、何やら黄色い声を上げている。何事かと目を凝らすと、どうやらリコの手が捕らえている小動物を二人で可愛がっているらしい。
俺からはよく見えないが。
「クルミリスです」
「デフォで読心するな」
「申し訳ありません」
相変わらずオーバースペックなアンダーヒルとの謎の会話を交わすと、改めてリコとネアちゃんに視線を戻す。
なるほど、一度そうとわかると確かにクルミリスの姿に見えてきた。
クルミリスとはこの手の自然系フィールドではよく見かける体長十センチ位の小型モンスターだ。そのシンプルな名前の通り、見た目や行動様式はほぼリスのそれだ。
特に攻撃らしい攻撃をしてくることはない大人しい性格なのだが、唯一百歩譲って攻撃と見做せなくもない行動は植生植物型モンスター〔ローンファイア〕から採れる火薬系下級炸裂アイテム『花火クルミ』を木の上から落としてくるという俺たちからすれば可愛らしい悪戯程度のものなので、ああして捕まってしまったらどうしようもないだろう。
あのクルミリスには可哀想だが、二人の無邪気な姿が微笑ましいので暫くの間は我慢して貰おう。
「よいしょっと」
「っ……!」
一人だけスタンドアローンな刹那の隣に腰を下ろすと、刹那は少し戸惑ったような表情で十センチ余り距離を離し、「あ、あと少し休んだら行くからそれぞれ準備しときなさいよ」と誤魔化すように号令をかけた。
そして何処か落ち着かない様子でウィンドウを開くと、顔を伏せるようにして何やら作業を始める。その手の動きからして、恐らくアイテムの在庫チェックだろう。
戦闘補助アイテム、特に回復アイテムはこれからのFO――DeadEndOnlineに於いて最重要アイテムとなる。これまでは一度のフィールド攻略ができればいいくらいの量しか持ってきていなかったとしても、これからはそういうわけにはいかないのだ。何しろ一度の失敗で全てが終わる端緒になるかもしれないのだから。
そういう意味で刹那の行っている在庫チェックは少し遅いと言ってもいいくらいだろう。
「足りるか?」
「ふぇっ? あ、う、うん……あ、でもちょっと魔力回復薬が心許ないかな……って邪魔しないでよね、バカシイナッ」
ちょっとした雑談のつもりで聞いてみたのだが、どうやら集中しているところに水を差したようだ。
ちなみに俺はリコのおかげで多少余裕のできた金を一万ほど残して全て回復アイテムに注ぎ込んだため、他の皆程ではないが中堅入り直後程度には充実している。
とはいえリコの分も俺が持つことになるため、場合によっては足りなくなる可能性もゼロではないが。
「そろそろ行くわよ」
チェックを終えた刹那は勢い良く上体を起こすと、思い思いの休息を取っていた皆に声をかける。
「ネアもリコもいい加減ソレ放してやりなさい」
「はーい……」
「連れて行くわけにもいかんし、仕方ないな」
露骨に残念がるネアちゃんに対して、リコは思いの外あっさりとクルミリスを地面に放した。すると、クルミリスは小動物らしい俊敏な挙動で斜面を駆け下り、瞬く間に目の前の森の中に姿を消してしまう。
「あぁ……」
ネアちゃんはまだ何処か名残惜しそうにしていたものの、アンダーヒルとトドロキさんが俺と刹那の元に歩み寄ると諦めたように続いた。
「二人とも準備は大丈夫よね?」
「子細ありません」
「今さら準備も何もあらへんよ。言うても、寧ろ問題があるんはあっちの方やと思わへん?」
トドロキさんが指し示すのはニの字で並んで爆睡する男二人。刹那は面倒臭げにそっちを一瞥見遣ると躊躇いもなく無言で俺に視線で合図を送ってくる。
無論、起こせという意味だ。
「……蹴るか」
一番無難な選択肢だ。
俺は二人に歩み寄ると二人の頭の間に立ち、左右の足でそれぞれの頭に小突く程度の蹴りを一回ずつ蹴りを加える。ちなみに揺り起こなんていう選択肢は最初から存在しない。何故なら寝ているあの二人にその程度の外部刺激では全く意味がないからだ。
「……」「……」
しかし予想通りなのを喜ぶべきか、睡魔に囚われた二人は起きる気配を見せず、それどころか熟睡の沈黙を貫いていた。
今度は微々たるダメージが通る程度の蹴りを入れてみるが、二人ともちょっと呻き声を返した程度で結果は概ね同じだった。
「緩いコトしてんじゃないわよ、シイナ。リュウとシンがそんぐらいで起きるわけないことはアンタが一番知ってんでしょ」
「あ、やっぱり?」
できれば穏便に済ませたかったのだが、我がギルドの暴君はそれを許すつもりはないらしい。
俺は仕方なく溜め息混じりに背中の黒い魔刀〈*群影刀バスカーヴィル〉を鞘ごと外し、並んで寝転がる二人の額目掛けて無言でその鞘を振り下ろした――――ゴッ!
「「ッてぇ!?」」
その痛みに慌てて飛び起きたリュウとシンは、直ぐ様各々の武器を鞘から抜き臨戦態勢の構えに入った。素晴らしい反応だ。
「早く起きろ。そろそろ行くぞ」
何が起こったかと目を瞬かせて辺りを見回す二人にそう告げると、二人とも俺の顔をじっと見詰めて「「あぁ……」」と何処か納得したように嘆息し、
「そうか、気をつけろ」「あんまり遅くなんなよ、皆」
口々にそう言って、再びその場に腰を下ろした。
「言っとくが、次寝たら起こすのは刹那だからな?」
「そろそろ行くか皆の衆!」「よっしゃやる気出てきたあぁぁっ!」
「お前ら……っ!」
刹那がそんなに怖いのか。
容赦なく二人の鳩尾に両の拳を叩き込んだ俺は悶える二人をその場に放置して刹那たちの元に戻る。
「中々ナイスよ、シイナ」
刹那は満足気な笑みを浮かべて一言俺を褒めると、陣頭指揮を執るが如く森林方面を指差して向き直る。
「目標[アプリコット]! 家が何処かにある筈だから、見落とさないように! 幸いここは大して幅がある訳じゃないから戦力の分散はせずに全員同時進行。特にスリーカーズとアンダーヒル、アンタたちは無断独行の前科があるから絶対禁止ね! よほどのことがない限り、最低限の指示には従って貰うから!」
「了解です」
「まぁ今回は別に調べなあかんことはあらへんし」
アンダーヒルはともかく、トドロキさんがいまいち信用しにくいのはやはり日頃の行いの差と言えるだろう。
「ネアは必ず誰かの近く――隊列陣形の内側にいること。リコはネアちゃんの後ろにぴったりくっついて護衛」
「は、はいっ」
リコが無言で頷き、ネアちゃんが少し緊張気味に手を挙げて返事をする。
「そこで馬鹿やってるリュウとシンはいつも通り前衛ね。シイナは私と後衛、場合に応じて【魔犬召喚術式】も使って貰うわ」
便利だからな。
「スリーカーズとアンダーヒルは両翼頼んだわ」
「任しとき」
トドロキさんは刹那の指示に快い返事で応える。しかし、普段ならトドロキさんよりも早く即応しているだろうアンダーヒルは無言で上空に視線を向けていた。
その違和感に気付いたその瞬間、アンダーヒルの視線が再び刹那に向けられる。
「少しいいでしょうか、刹那」
「どうかしたの? 何か不満とか」
「いえ、フォーメーションに不満はありません――――敵です」
アンダーヒルの言葉にその場にいた全員の視線が上空へ泳いだ。途端、刹那が「げ」と女としてどうかとすら思うレベルで露骨に嫌そうな声を上げる。
「選りに選って、アレはキッツいで」
視線の先にいるのは森の上空を旋回するように飛ぶ黒い影――――。
「――クロガラスですね。私的意見ですが私は戦いたくありません」
「誰だってあんなのと戦いたいとは思わないわよ……」
アンダーヒルと刹那の主張こそが、ネアちゃんとリコを除く全員のそのモンスター――玄烏に対する印象の総意だった。
Tips:『ハイランカー』
FOにおいて上位プレイヤーを指す単語。本来は“闘技場”におけるウェーブ制の時間無制限サバイバルバトル“Terminal Endless”の共通スコアランキングに基づく呼称だったが、徐々に厳密な定義で使われることは少なくなり、一般的に高い実力を持つプレイヤーや高レベルのプレイヤーのことを指すようになった。




