(4)『お安い御用だ』
夜を徹して自分の身体を作り替え、彼女は傍らで眠る主の覚醒を待っていた。その胸の内には自分を見てほしい素直な欲求と去来する過去にも揺れない複雑な安らぎだった。
翌朝。
昨晩はかなり遅くまで起きていた割に俺が目を覚ましたのは何故かいつもより早い時間帯だったのだが――
「誰だお前」
――その起き抜けに発さざるを得なかった第一声がこれである。
我が事ながら無理もないと思う。目が覚めたら目の前に見覚えのない女の子がマウントポジションよろしく俺の上に乗っていたのだから。
「まさかまだ寝ぼけているのか? 引っ叩けば直るだろうか」
「んな昔の電化製品じゃあるまいし……」
「的確なツッコミはできるくせに私のことはわからんのか? よく見ろ」
そう言うと少女はずいっと身を乗り出し、透き通った金色の瞳で俺の顔を覗きこんでくる。
俺の胸元にかかる長い銀髪はさらさらで、キメこまやかな色白の肌が窓から差し込む朝日にキラキラと輝いている。乗られてはいるが思ったほど息苦しさはなく、体重はかなり軽そうだった。そしてその表情は呆れつつも怒っているような、気の強さが見て取れる。
そこまで観察してようやく気がついた。
「お前、ハダリー……か?」
「そもそもここは貴女の部屋だろう。私の他に誰がいる。せっかく貴女の好みに合わせた姿にしておいたというのに、色々と台無しではないか」
「それはすまん」
わずかに頬を膨らませて不機嫌アピールするハダリーは、まさに俺が昨日言った通りの特徴を体現していた。怒りを示しているのか、頭頂部から一房ピンと跳ねたアホ毛がピコピコと上下に動いていた。
ホントに動くのかよ。
「それと私はハダリーでもあるが、それは本来存在名であって固有名ではない。勿論、もうイヴでもないはずだ」
「そうだったな……えっと、リコ」
「そうだ。そう呼べ」
昨夜、寝る前に半ば徹夜覚悟で考えた名前をいたく気に入ったらしいイヴ改めリコは、俺がその名で呼ぶ度に機嫌良さげに微笑むのだった。
まさかその名が俺の初恋の女の子の名前を流用しているとは思うまい。騙しているようで心苦しいが、主人のセンスの無さは下に付くものとして理解してほしい。
「今、何時だ?」
「朝のだいたい七時だ」
「あれから三時間か……」
何を隠そう寝たのは大体四時頃である。既に早朝と言っても差し支えない時間帯だ。その割に眠気はすっかり取れきっていて、疲労もあまり残っていない。
「まだ眠いか?」
「いや、起きるよ。次寝たら午前中寝潰しそうな気がする」
その前に間違いなく刹那に叩き起こされるだろうが。
リコがどくのを待ってベッドから起き上がり、やや憂鬱な気分を味わいながら露出過多なフェンリルテイル一式に換装する。そしてベッド脇のテーブルに立てかけていた〈*群影刀バスカーヴィル〉を背中にかけ、〈*大罪魔銃レヴィアタン〉の装弾数を確認してそのベルトを太ももに装着する。
「まだ朝早いけど、散策がてらお前の装備でも見に行くか?」
「そうだな、それもいいかもしれない。いや、そうしよう」
リコを連れて二階ロビーに出ると、真っ先に目に飛び込んできたのはカウンターに突っ伏したまま眠りこけるトドロキさんの姿だった。
「この人は……」
アンダーヒルにも忠告されていたらしいが、大丈夫だとは思いつつも「呑み過ぎないように」と言った意味がまるでない。
無防備な女性に近づくのはどうかとも思ったのだが、このままにしておくわけにもいかないかと近付いて揺すってみる。
「トドロキさん、こんなとこで寝ないで自分の部屋に行って下さい」
「ん……むにゃ……せやね……」
一瞬目が覚めたかと思ったのだが、トドロキさんは少し身を捩ると俺に身体を預けるように眠ってしまった。
また揺すってみてもこれ以上は起きそうになかったので仕方なくトドロキさんを抱き上げて手近なソファに運び、ちょうどその時起きてきた理音に毛布を持ってくるように頼んでおく。
「待たせたな」
手伝うわけでもなく退屈そうに様子を眺めていたリコに声をかけると、リコは「それは構わんが……」と何やら言葉を濁した。
「どうかしたのか?」
「いや……何でもない」
「何だよ」
「気にするな。敵意は感じないし、本人が姿を見せないと言うならそれもありだ」
「だから何の話――」
「私が見えているのですか?」
「――ッ!?」
前兆もなく不意に聞こえた声に振り返ると、視界に突然漆黒が映り込む。
「……ってアンダーヒル?」
「おはようございます、シイナ」
後ろのテーブルに座っていたのは黒い包帯に黒いローブと朝から不動の全身黒ルック――――現≪アルカナクラウン≫メンバー中怪しさ部門では間違いなくナンバーワン当確のアンダーヒルだった。
「何か失礼なことを考えていませんか、シイナ」
「これっぽっちも」
「そうですか」
包帯の隙間に覗く左目が心の内まで見透かしたような視線を寄越してくる。
ていうかさっきまでいなかったはずだよな、コイツ。よく見ると優雅に紅茶なんて飲んでるし、まさか今までもずっとここにいたってことはないだろうな……。こんなもん気付く気付かないの問題じゃない。見るか見ないかの問題だぞ。
あるいはこれが彼女の実質的なユニークスキル【付隠透】の力とでもいうのだろうか。
「っと……おはよう、アンダーヒル」
「はい、おはようございます」
俺がタイミングを逸したせいで二度目の挨拶になったにも拘わらず、アンダーヒルはさもそれが今日初めての挨拶のような調子で自然に返してきた。
そして、アンダーヒルの視線は当然の如くリコの方へと向けられた。
「電子仕掛けの永久乙女[イヴ]改め[リコ]だ」
「リコ? 新しく名前を付けたのですね。外見も変えられるのですか」
リコの変化に特別驚いた様子も見せなかったアンダーヒルは一を聞いて十を知る相変わらずな察しのよさを発揮していた。
「改めてよろしくお願いします、リコ。私の名はアンダーヒル」
アンダーヒルの差し出した手に意図を察したリコも同様に手を差し出し、そして握手が交わされた瞬間――
「またの名を『情報家』“物陰の人影”です」
――あのアンダーヒルが自ら正体を明かしたのだ。確かにこれからは仲間になる相手とはいえ、迂闊にバラしていいことでないはずなのに。
しかしそれを聞いたリコは一瞬呆気に取られた表情になったものの、すぐに愉快そうな笑みを口元に湛えた。
「なるほど、これは裏切れない。アンダーヒル――――それが貴女の名前か、物陰の人影。だが安心しろ。確かに私はハカナの――≪道化の王冠≫の切り込み隊長だったが、今はシイナが私の主だ。貴女ならわかっているだろうが、私たちNPCにとって主従関係はシステムによって成り立つもので、そこに私の意思は介在しない」
リコははっきりとそう言い切ると、一息つくように腕組みをしつつ、手近な椅子にどかっと腰掛けた。
「ただのNPCであれば不当な扱いをされれば逃げるだろうが、生憎と私はハカナの元へ辿り着くという信念がある。ちょっとやそっとで音を上げる気はないから好きに扱き使うがいい」
「そのようなことはしないでしょう。シイナですから」
「だろうな。敵を助けるばかりか手元に置こうなど甘いにも程がある」
「お前らの中の俺の評価を本気で問い質したいところなんだが……」
俺を蚊帳の外に置いたままで俺の話をしないでもらいたい。
「何、私は最低限滾るような戦いさえできればいい。シイナといれば事欠かなさそうだがな」
「それについても私が保証しましょう」
いや、君たち。いったい俺を何だと思っているのかな?
「ところで何処かに出掛けるのですか?」
「あぁ、ちょっとグランのトコに……って何故わかる」
「そうでなければ、貴方がギルドハウス内で武装している理由がありません」
確かにアンダーヒルの言う通りだった。
ギルドハウスは基本的に安全圏内。そんなところで今の俺のように完全武装するヤツは少なく、大抵のヤツは待機状態で装備しているはずだ。待機状態では通常の装備状態と違って武器がオブジェクト化しない。しかし、装備していることには変わりはないため、付加スキルは有効になり、一動作で手の中に出現させることもできる。そうでなければ(特に大剣使いなんかは)それなりの重量物を身に付けたままで、くつろぐことすらままならないからだ。
「少しだけ待って下さい。グランにはちょうど用がありますので私も行きます」
「それはいいけど……何を待つんだ?」
「これを飲み終わるまで、です」
このぐらいのことはみればわかるでしょう、と言われている気がして、アンダーヒルの責めるような視線から目を逸らす。昨日の今日ではアンダーヒルの微々たる変化には気づけないのか、リコはただ不思議そうな表情を浮かべていたが。
「お待たせしました」
アンダーヒルのモーニングティーを待ってギルドハウスから出ると、俺たちは目的地に向かって街道を歩き始める。
「そろそろ先程の私の質問に答えていただいても構いませんか、リコ」
しばらく歩いたところでアンダーヒルが突然そう切り出してきた。
「質問? 何か言っていたか?」
「私がまだ姿を見せていない折、“私が見えているのですか?”と訊ねました」
「何だ、そのことか。厳密には見えてなどいないが……結果的には見えているのと変わらんか。詳しくは知らんが貴様の能力は視覚的に自分の姿を隠すもので存在自体を希薄にするものではないのだろう? 光学的に認識できなくてもそこに実体がある以上、私のレーダーで捉えられないものなどない」
「死霊犬」
「うぐっ……だ、誰にでも不調は……その、あるかと……」
ぼそりとツッコミを入れておいてやると、リコは目を逸らしてテンプレ過ぎる言い訳をし始めた。自信満々に言っておいていきなり論破されるなよ。
「つまり私が姿を隠していても、リコであれば発見することが可能ということでしょうか?」
「言うまでもなく可能だ。実際は何かいることが分かる程度だが、人間とモンスターの区別くらいはつく」
「【着触令】を用いた場合、個人の区別は可能ですか?」
「そのカラードアウトとやらのことは知らん。だが、外見に突出した特徴がなければ基本的に区別はつかない」
「ある程度の外形は判別できる、というわけですか」
「そうなるが……何故そんなことを気にする?」
「興味本位です。ありがとうございました、リコ」
最後に礼だけ述べて先を歩き始めるアンダーヒルに、俺とリコは顔を見合わせて首を傾げた。
FOフロンティア中央都市トゥルムの一等地――――そこから少し離れたところにある装備専門店『グラン・グリエルマ』。
最高品質の充実した品揃えと丁寧なアフターサービスで有名だが、それ以上に有名なのはグラン・グリエルマ店主でありFO最高の鍛冶職人グランの方だろう。グランはNPCの一人なのだが職人気質で腕っ節が強く、また自分の目に適う相手でないと店の商品を一切売ろうとしない。それどころかその辺の高レベルプレイヤーですら顔負けの足技で即座に店から追い出してしまうため、知名度の割に彼の店に足を踏み入れられる客は非常に少ないのだ。
「相変わらずのボロさだな……」
初見でトップ連中御用達の店だとわかる人間はそうはいないだろうというボロさだ。古ぼけた看板で店名を確認しても、『よもや偽物では?』とつい考えてしまいそうな廃墟レベルの高い店構えである。
その古さの割にしっかりとした木製扉を開けて中に入ると、奥のカウンターの中に座って何かを弄っていた強面の虎刈り白髪の爺さんが顔を上げた。恐らく六十代程度といった年の割に筋骨隆々の鬼のような体躯をボロボロの作業服に押し込んだこの爺さんがここの店主グラン=ドルヴェルグだ。
アンダーヒルの後についてカウンターに近づくと、グランはかけていた銃器類修理に使っている精密単眼鏡を外して手元に置いた。
「誰かと思えば影の嬢ちゃんじゃねえか。お前さんがそのカッコでここに来るなんて随分ぶりだな」
「お久しぶりです、グラン」
「普段どんな格好で来てるんですか、影の嬢ちゃん」
「それなりの変装を」
超見たい。
「それを言うなら今のお前さんもだろう、シイナ嬢ちゃん。装備の趣味が変わったか?」
ピクリ、と思わず頬が引き攣る。
アンダーヒルからは、システム上は女扱いだから恐らくこういう対応をされると予想は聞かされていたが、改めてその現実を見せられると泣きたくなるな。現実でも半分その扱いだったが。
俺が内心悶えていると、次にグランの視線が向けられたのは当然グランにとって新顔のリコだ。
「そっちのヤツは初めてだな………………ま、こんなものだろう」
ややトーンの下がった声でそうぼやくと、グランはそれ以上の興味はなさそうな態度でカウンターの上の黒ずんだバンダナを手にとって頭に着け始める。
「よかったな、認められたぞ」
「あれでそうなのか?」
こっそりリコに耳打ちすると、リコは釈然としない顔で首を傾げた。あまり表には出していないが、少なからずプライドに響いているのだろう。
「俺たちは常連だからな。基本無愛想なんだよ、グランは」
「ふん、人間の分際で……」
お前ブレないな。
「それで今日は何の用でえ」
「えっと……」
アンダーヒルも用があると言っていたのを思い出して確認してみると、アンダーヒルは先にどうぞとばかりに逆を促してきた。
「じゃあ、とりあえずこれとこれをよろしく」
大腿部の帯銃帯ごと外した大罪魔銃と背中の群影刀をカウンターの上に置く。
「売りか?」
「誰が売るか。メンテに決まってるだろ」
「それならこれもお願いします」
そう言ったアンダーヒルに視線を遣ると、パッと見古ぼけたローブの胴装備――彼女の二つ名を冠する防具【物陰の人影】の前がわずかに開き、その奥からノコギリのような刃を持つ短剣が差し出された。
「あいよ。こっちは二十分、ソードブレイカーは時間がかかるから十五分、計三十五分待っててくれ」
刃が複雑ならそれだけ研ぐのも難しいだろうな。
「それと『キメラ・レオ』『キメラ・ボア』『キメラ・イーグル』の防具を見たい。出せるか?」
「ここを何処だと思ってるんだ?」
グランは心外そうに頭を振ると、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「お安い御用だ」
Tips:『安全圏内』
システム的絶対安全圏のことで、セーフティ・コードとフリガナが振られることもある。NPCショップ、プレイヤーハウスやギルドハウス等がこれに含まれ、その圏内ではプレイヤーの体力が10%以下になならず、あらゆる死亡判定も発生しないようにシステム的に保護される。一方で、10%を下回らない範囲のダメージは防ぐことはできず、またデバフも全て有効とされる他、10%の保護を受けた状態でもその後圏外に追い出されて追撃を受ければ保護は働かない等危険がなくなるわけではない。




