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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第二章『クラエスの森―辺境の変人―』
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(3)『噛みつくぞ』

 トドロキのリアルの片鱗に、ほろ酔い狐の色香に惑う。

 本人不在の噂の席は新たな仲間の歓迎の席に変わり、顔を合わせた三人は男らしい握手を交わす。

 少し打ち解けた夜のひとときに、スリーカーズは一人グラスを傾けた。

「ようやく起きたんか、シイナ」


 俺とハダリーがロビーに出ると、カウンター席に着いていたトドロキさんが逸早(いちはや)く気付いて声を掛けてきた。その手にはかち割り氷(ロックアイス)の入ったグラス――その中には半分ほどまで薄いピンク色の液体が注がれている。

 完全に呑んでいるスタイルだ。


「起きるって言うより、気が付くっていう方が多分正しいですけどね」

「それももっともやねぇ♪」


 トドロキさんがクスクスと笑うと、揺れたグラスの中の氷がカランと音を立てる。そして、その音でグラスの存在を思い出したらしいトドロキさんはグラスを口元に運んでぐいと(あお)った。

 何処か大人っぽい、慣れた手付きだ。


「何ですか、ソレ」

「ん……? (なに)て……ああ、シイナは現実(リアル)では未成年やったねえ。()()()()のポーションカクテル。飲んだことはなくても、聞いたことくらいはあるんやない?」

「何てもん普通に呑んでんですか」


 『シードル』と言うのは一般的に使われている略称で、正式名称は『ニードル・シードのクレイドル・シードル』とやたらと長い名前のアイテムだ。これは『ニードル・シード』という植物型モンスターから取れる液体で、林檎酒(シードル)と冠するその名の通り要するにお酒の一種である。

 しかも、FOフロンティア内に存在する唯一のアルコール飲料だったりする。

 俺は飲んだことがないのだが、原液は確かにリンゴ酒のような風味があるらしく、その上添加物によって千変万化その味を変化させるとあっては、全体的に決して少なくない人数の大人(アダルト)プレイヤーたちが飛び付かないはずがない。それも公式発表がなくともアルコール類は存在しないと言うのが一般認識になっていた頃のことだから尚更というものだろう。

 一部の好事家たちはシードルをベースにどれだけ上手い酒((もど)き)を作れるかに心血を注ぐようになり、その甲斐もあってシードルもその派生飲料もFOフロンティア中に一気に普及したのだ。

 しかし、シードルは最初から飲み物(ドリンク)扱いだったわけではない。寧ろ本来の用途はまったく別のところにあり、特殊な加工で銃弾に込めたり、直接短剣に塗布したり、あるいは瓶ごと飲み込ませたりして敵モンスターに盛り、相手の行動を著しく阻害するためのもの――――つまり強力な()()()、あるいは催眠毒とまで言える代物なのだ。

 ことの始まりはある時、何処かの馬鹿がシードルの小瓶一本分二百ミリリットルの原液を試しにそのまま飲み干したところ、アルコール飲料の独特な風味に気付いたことだったそうだ。無論、その本人は即座に「酒だ!」と叫んで昏倒したらしいが。

 俺にとっては聞いた話でしかないが、その原液を含めた派生飲料の中で最も旨いとされる代わり呑む量によっては原液同様昏倒モノの症状を引き起こすのがトドロキさんの呑んでいる『エクストラポーション』六割+炭酸水三割+原液シードル一割のポーションカクテルらしい。

 原理なんてものがあるのかは疑わしいのだが、吸収が凄まじく早いポーション系のアイテムと一緒に飲むというのは、現実でアルコールとスポーツドリンクを一緒に飲むようなものなのだろう。アルコールの吸収が早くなって急性アルコール中毒を引き起こすと聞いたことがある。シードル節約のために戦闘用途でもポーションと混ぜて使うことができるのはありがたい限りだ。


「暇なら付き合うてや」

「うっ……え、遠慮します」


 何とか断ったものの、グラスの中の氷をカランと鳴らすトドロキさんの顔はほんのりと朱に染まっていて、普段時折感じる時よりもさらに妖艶な雰囲気を醸している。アバターは下手すると十代後半にも見えるだけに、どストライクにエロティックだった。

 このあまり馴染みのない雰囲気から察するに、やはり現実(リアル)の彼女は成人しているのだろうか。というかこの(なまめ)かしさはもしかして三十――。


「何や失礼なこと考えてへん?」

「滅相も御座いません」

()ーとくけど、うちはまだ二十一やからな?」

「マジですか!?」

「いっぺん絞め殺したろか?」

「最初からそう思ってました」

面白(おもろ)ないな」


 面白がるな。


「面白ないと言えば、さっきっからあっちで面白そうな話してんで」


 トドロキさんが指し示した方を見ると、ロビーの中央辺りでリュウ・シンとネアちゃんが同じテーブルを囲んで談笑していた。何を話しているのかはよく聞こえないが、三人共何処か楽しげだ。

 それにしても、ゲームの中に閉じ込められたというのに、あそこまで屈託なく笑える余裕があるのは何なんだろうか。勿論塞ぎ込むよりは断然そっちの方がいいのだが、何か嫌な予感がしないでもない。


「よーわからんけど、多分行った方がええんちゃうかな」

「そうします。っと……トドロキさんもあんまり呑み過ぎないように」

「アンダーヒルと(おんな)じこと言わんといてや。ウチかて何も逃避のために呑んどるわけやないし、そんぐらいの分別付いとるわ。それとウチの名前はスリーカーズや言うとるやろ?」


 言うことはまるで怒っているようだったが、語調とは裏腹に細めた流し目を向けつつ微笑んでみせるトドロキさんに一瞬ドキッとしてしまったのは不覚だった。

 俺は慌て気味にトドロキさんに軽く手を上げて視界の外に追いやると、三人の座るテーブルの方に近付いていく。

 意外と言うのも失礼だが、水橋さん(ネアちゃん)が話し手のよう――


「――九条くんは学校ではあまり他の人と話さないんです。休み時間にはいつもFO(こっち)に入ってるみたいでしたし」

「やはり廃人か」

「廃人だな」


 ――待て。

 俺の名前は九条椎名。

 つまりFOをプレイする九条くんと言うのは間違いなく俺のことだろう。ネアちゃんの言葉から察するにそれは間違いない。

 だが、問題はネアちゃんが俺の話を――しかもよりによって現実(リアル)の話をしていることだ。いくらゲーム上で類稀(たぐいまれ)な成績を残しているトッププレイヤーだって、現実に立ち返ればそれだけ現実での時間をゲームに費やしているような連中はいる。つまり、ゲーム内の人格が現実でも通用するとは限らないのだ。廃人ゲーマーなんてのは、どうせ現実ではつまらない生活を送る人種だしな。

 素性を隠すことで別個の人間として接することができる、ゲームの雰囲気を壊さない等理由はあるが、それ故にゲーム内で現実の話をするのは暗黙に禁じられている。


「はぁ……」


 俺はため息をこぼすと、後ろからネアちゃんに歩み寄る。


「あ」

「お」


 途中でシンとリュウが気付いて声を上げるがもう遅い。というか俺の方が早い。

 二人の様子が変わったのに気付いたネアちゃんが振り返ろうとした寸前、右手を伸ばしてネアちゃんの口を塞ぎ、さらに左手でネアちゃんのおでこを抑える。


「んっ!? んーっ」

「だーれだ」


 おい、ハダリー。お前、何いきなり妙なこと言ってくれちゃってるかな、至近距離で。

 いきなり後ろから口を抑えられ、パニックを起こしたネアちゃんはどうやら自分の口を塞ぐ手の持ち主がそれを言ったと勘違いしたらしく――むしろそれ以外のパターンを思いつかないだろうが――、「もがもが」と何かを言おうとしている。

 止むなく右手を外すと、まるで呼吸自体を止めていたかのように「っぷは」と大きく息を吸ったネアちゃんは息を整え、


「シ、シイナさんですか?」


 何故わかる。

 まさか一番こういうことをしそうな人間を思慮した結果そうなったのだろうか。だとしたら泣くぞ。


「ようやく起きたのか、シイナ」

(くだん)の王子様の登場だな」

「あわわ、そ、それは……」

「お前ら、人のいないところでいったい何の話を……って、なに? 王子様?」


 何故か慌てふためいた様子のネアちゃんは若干涙目になりながら真っ赤になってシンの口を押さえにかかる。近接戦闘も得意なシンに軽く遮られているが。


「何なんだ、お前らは……」


 一応更に問い詰めてみるが、リュウとシンは示し合わせたように『何でもないさ、気にすんな』とハモった。今度じっくり吐いてもらおう。


「いやはや、それにしても……」


 シンがまじまじと俺の身体を見つめ、唐突に口元をにやけさせながら言い出す。


「馬子にも衣装……いや、()()()()()衣装だな。その格好も似合ってんじゃん、シイナ。刹那が着た時もよかったけど、こっちはこっちで新鮮でさ」

「うん。シン、あの……気持ち悪い」


 引き攣りそうになる口元を隠すように目を逸らしながら俺がそう言うと、シンは「ははは」とやや乾いた笑いを漏らす。


「おいおい、シイナ。そういうマジっぽい反応やめようぜ。冗談だってわかってても面と向かって言われりゃ傷つくだろ?」

「え? 何が冗談?」

「本気!? ま、待て、シイナ! 別に僕はお前に欲情したわけじゃ――」

「欲情とか言うな、気色悪い」

「ほ、本気の拒絶、だと……!?」


 何故か語気を強めてそう言ったシンは不満気にテーブルに肘を衝くと、不可解という表情で眉を(ひそ)める。

 まさかコイツ、自分が相当気持ち悪い発言をしていた変態になっていることに気付いていないなんてことはなかろうな。


「そいつが(ハカナ)んトコにいたって(NPC)か?」


 リュウがふと思い出したように、俺の後ろに隠れるように立っているハダリーを示唆して言った。途端、ハダリーはピクンッと身体を震わせて一歩下がる。


「詳しい話は物陰の人影(シャドウ・シャドウ)から聞いてるよ。戦闘できる初めての人型NPCだって?」


 シンはリュウの助け船に乗っかって話を自分から逸らすと、自然な動作でハダリーに手を差し出した。


「僕は新丸(あらたまる)。周りは皆シンって呼んでるよ。所有者のシイナを裏切るとは思えないけどよろしくな」


 シンがそう言うと、ハダリーはやや躊躇いがちにその手を握り返す。


電子仕掛けの永久乙女アンドロイド・ハダリーだ。実質的にはフィールドにも出ることが出来るNPCになるが……どうでもいいな。名前はイヴだが、今のところはハダリーで構わん。紛らわしいのも煩わしいからな。これから世話になる」


 シンが握手を交わした手を放すと、続いてリュウが立ち上がり、ハダリーに手を差し出し、


「信用して大丈夫なんだろうな」


 冗談めかしてそう言った。


「シイナが主である限り貴様らに刃を向けることはない。安心しろ。しかし、迂闊に手を出すと噛みつくぞ?」

「はっはっは! それをやるのはシンだな。お前も気を付けておけよ?」


 ハダリーの冗談を笑い飛ばし、リュウは再びドカッと椅子に腰を下ろした。


「で、こっちがネアちゃんだ。レベルはまだ低めだけど、リアレーションがあるから保護してるってトコだな。いずれはウチの戦力になる予定だから、仲良くしてくれ」

「よろしくお願いします。ハダリーさん」

「敬称は好まない。呼び捨てで構わないから、あまり固くなるな。代わりに私も呼び捨てで構わないな?」

「あ、はい……」


 ネアちゃんがおずおずと頭を下げると、ハダリーはプッといきなり吹き出して、


「謝罪でもないのに頭を下げるな」


 そう優しげに言って、ネアちゃんの手をスッと取ると握手を交わした。


「ハダリーは結構面倒見良さそうだな」

「からかうな、シイナ。私が面倒見がいい方ではないのは自覚している」


 今の遣り取りを見る限りそうは見えなかったが、本人もそう言っていることだし、とりあえずはそういうことにしておこう。

 一通り自己紹介が終わると、不意にシンがポンと手を打った。


「そうだ、シイナ。お前に言っとかなきゃいけないことがあった」

「ん?」

「明日だよ、明日の予定。刹那が疲れたから寝るって部屋に戻ったからな。伝えといてって頼まれたんだよ。これ忘れたら明日の朝、刹那にどや――殺される」


 可能性は零ではない。


「もう予定があるのか。何処に行くんだ? 俺、明日は色々やろうと思ってたことあるんだけど……」

「午前中はフリーだから昼前に済ましとけ。午後からは≪アルカナクラウン≫総出で『クラエスの森』に行くらしいから」

「クラエスに? なんでまた……」

「クラエスの物好きに会いに行くって言えばわかるだろ……?」


 シンが気乗りしない様子でそう言った瞬間、俺の脳裏に長らく意識していなかったとある人物の名が浮かび上がる。


「……え゛。そもそもアイツ、最近はずっとログインすらしてなかったんじゃ――」

物陰の人影(シャドウ・シャドウ)からの情報提供でね。どうやら五日前から()にこもって何かをやってたらしいんだ。まあ、運がいいのか悪いのか……」

「あの……」


 ネアちゃんが学生らしく、そろそろと手を挙げる。


「私も詳しくは聞いてなくて……。その……誰がいるんですか?」

「ああ、そうか。まあ、ネアちゃんは知らなくて当然だな」

「私も知らんが」


 ハダリーも同意するように挙手する。


「あそこには(ハカナ)の一つ下、自他共に認める[Freiheit(フライハイト)Online(オンライン)]のナンバーツーがいるんだよ」


 その通り名は誰が呼んだか『白夜の白昼夢トリック・オア・デイドリーム』。

 まさに白昼夢とも言えるほど荒唐無稽で、かつ周囲への影響力・干渉力がずば抜けて高い――――所謂(いわゆる)奇人変人にあたるプレイヤーが。

Tips:『リアレーション』


 現実を意味する英単語Realと人間関係を意味する英単語Relationから作られた造語で、英語圏での綴はそのまま合成してRealationとしている。VR環境の普及にしたがって仮想現実と現実における人間関係の感覚的な差異が薄れてきたことで外国のゲーム界隈で浸透したものが最初で、日本においても同様に普及した。リアレという略称も存在したが、現実の世界を表すリアルとの聞き間違いが多かったため、意識してリアレーションと略さずに用いる人が多い。

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