(2)『名前を付けて欲しい』
至高の少女を目指して生み出された彼女は主に合わせて自己を変え、少年もそれに応えて彼女を自分の色に染める。複雑な想いを過去に変え、迷いなく前に進むために。
コンコン……。
「……冷たっ」
ふと目を覚ますと、俺は薄暗い部屋の中でうつ伏せになって倒れていた。
妙な体勢のまま気を失っていたからか、節々が痛む身体を無理矢理起こすと、俺は周囲の状況を確認する。
薄暗くてよく見えないが、どうやら俺に割り当てられている少し特殊な仕様の部屋――ギルドリーダー用の部屋のようだ。カーペットが敷いてあるのに、倒れていたのはカーペットのない剥き出しのフローリング部分。床にどんどん体温を奪われてしまっていて、適温のはずの室温が少し肌寒い。
見ると窓の外は真っ暗で、意識喪失から結構時間が経ったのだろうとわかる。
気絶から自然回復で目が覚めるのに一時間かかるような馬鹿力寝起きで発揮するなよ、刹那。素でそんな馬鹿みたいな力してるから“棘付き兵器”とか呼ばれるんだぞ。
ふと隣を見ると、丈の短いチュニックのようなインナーを着けたハダリーもうつ伏せに転がっていた。
自分の身体を触って確かめると、こっちも例の露出のキワどいインナーだけのようだ。金色の絹糸で出来ているため肌触りは心地いいが、ビキニと同レベルの布面積は保温機能は残念としか言いようがない。
大方察するに、ハダリーを脳天にぶつけられて気絶してしまった俺とハダリーを半ギレ半ヤケの刹那が部屋まで運んで放り込み、そのまま放置したというところだろう。
ギルドリーダーの部屋は唯一GL以外には開けられないのだが、朝に鍵を閉めた憶えもないから開いたままだったのだろう。
「よく考えると、三連続寝起き酷いな」
今朝は悪夢、次に浴室で危険地帯、そして今回は冷たいフローリングの上。今日だけでここまで不運が続くと自分の運命が悲しくなってくる。
俺はため息を吐きつつ、気を失っていると言うよりは完全に爆睡状態のハダリーに向き直ると、その華奢な肩を揺する。
「ん、んー……後二年」
「待てるかッ」
「……なら、後二十秒」
「お前、もう起きてるだろ」
後ろ襟を掴んで持ち上げてやると、ようやく観念したのかハダリーは腕を衝いて自力で起き上がる。
「ハダリー、頼むから二度と俺と刹那を一緒に風呂に入れるな」
「事情はよくわからんが、なんとなくどうなるか身を以て思い知った気がするぞ」
ハダリーはあたかもコブができているかのように前頭部を擦ってみせる。それを見ている内に刹那に報復する気は失せてきた。リスクコントロールはリーダーの必須事項だ。
その時――――コンコン。
突然控え目なノック音がした。さっき起きたのもこの音のせいだった気がする。
この何処か大人しい――おしとやかなノックは少なくとも刹那じゃないな、などと本人に知られたらぶん殴られそうなことを確信しつつ、ドアを開けると――
「あ、よかった!」
「どうかしたのか?」
――その向こう側に理音が立っていた。
メイド服に華奢な体躯を包んだ理音は、やや俯き加減に浮かない顔という一高校生男子をぎょっとさせるには十分過ぎる状態だった。ぴんと跳ねた茶髪のくせっ毛も心なしか元気がなかったが、俺がドアを開けた途端に理音はパッと顔を上げ、ほっとしたような表情になる。
そして、次の瞬間――
「申し訳ありません!」
――いきなり腰を直角に曲げた理音は深い謝罪のポーズをとった。
「……ゴメン、よくわからないから一応聞いておくけど、何故謝る?」
「えっ、えと……シイナ様が部屋からお出にならないのは私が何か粗相をしたからだと玖音から聞きまして――」
「それ、百パー嘘だからな」
「えぇ!? 嘘なんですか!?」
「理音、もしかしてそれでずっと待ってたりしてない……よね?」
「五時頃からずっとここで……。深音に頼まれた玖音がサボらないようにする見張りのお仕事もできてなくて」
要するにサボるために理音の騙され易すぎる性格を利用したわけだな、あの悪戯好きな性悪娘。
「玖音の言葉はあんまり信じすぎるなって散々刹那にも言われてただろ……」
「お騒がせします……」
「取り敢えず玖音を探し出して、俺のところに連れてこい。これ命令な」
仕置きにお尻ペンペンでもしてやる。
「は、はいっ!」
理音はパッと頭を下げると、慌てたように廊下を駆けていく――。
「あ、ちょっと待った」
――ところを呼び止めた。
「なな何でしょうっ、あうっ」
慌てすぎだろ。今振り向こうと勢い余って足滑らせて、壁に頭ぶつけたぞ。
「えーっと……皆は何処にいる?」
頭ぶつけさせておいて、今さら取り止めるわけにもいかず、一応訊ねてみると、
「えっと……刹那様はお一人で自室に、リュウ様・シン様・ネア様・スリーカーズ様は深音と共に二階ロビー、アンダーヒル様は射音に付き添われ入浴中のはずです」
メイド専用のポップアップウィンドウを開き、他のメイド達と共有しているリアルタイム情報を確認しながら答えてくれた理音に礼を言って見送ると、ハダリーを連れて二階ロビーに向かう。
廊下を歩きながら、自分はこれまた露出の激しい毛皮装備〈*フェンリルテイル〉に一式換装する。
さすがにインナーのままでリュウやシンの前に出るのは恥ずかしいのだ。勿論男女の関係的な意味では決してない。俺は今でも意識上は名高い上位プレイヤーで、インナー姿で人前に出ることはただの恥でしかない、という当たり前の感覚だ。
別に下着も同然の露出度で野郎に身体を見られることが恥ずかしいわけじゃない。
絶対に違うからな!
「お前はどうする?」
俺と同じくインナー姿だったハダリーに聞いてみると、一瞬きょとんとしたハダリーはやっと気が付いたように「ああ……」と声を漏らす。
「今はこのままでも構わんがな。何れ何らかの防具は欲しいところだ」
「そう言えば、イヴの着けてた装備と同じ装備着けてたんだよな?」
「いや、私はインナーの形状を自由に変えられる。プレイヤーと違って服屋や装備屋を介す必要がないのだ」
つまりインナーの形状変化でそれっぽく誤魔化してたということだろうか。イヴの装備のあの外見なら、確かにインナーの範疇でも収まらないことはなさそうだ。
「何か好みはあるか?」
「身軽に動けて、酷い見た目でなければ文句はない。なんならシイナの趣味に合わせても構わないぞ」
「俺に変な趣味嗜好はないから安心しろ」
とは言ったものの、俺のアイテムボックスにはシンから受け取った変な趣味嗜好のものばかりが無駄に揃ってしまっている。
それ以外には刹那から貰った露出度八十七パーセントの魅せ装備〈*ハイビキニアーマー〉ぐらい。あれをこんな幼児体型に着せようものなら条例違反も甚だしい。
「今は手持ちが少ないからな……。明日用意するから待って貰っていいか?」
「些細なことを気にする私ではない」
いや、お前結構細かいこと気にしてたぞ? 人間とアンドロイドとか。
やれやれというように頭を振ったハダリーは、「もうひとついいだろうか」と付け足すように呟き、
「これはできればでいいのだが――」
手繰り寄せた長い白髪の毛先を弄りながら、躊躇いがちにそう言った。
「敵だったからって遠慮するなよ」
「それでは……私に名前を付けて欲しい。それとこの姿も変えたい。それらを貴女に決めて欲しい、と言うことだ」
「……名前?」
ハダリーじゃいけないのか? という疑問が顔に出たのか、
「知っての通り、私は電子仕掛けの永久乙女だが、そもそも個体名はイヴなのだ。だが、双極星にもイヴがいるだろう? 姿形に名前も同じとあっては区別がつかんからな。シイナが名前と身体構成を選んでくれれば改造してやる。私はインナー同様、身体のパーツを弄れるからな! …………部品さえあれば」
ハダリーはそう言いながら、急に胸の前で腕を組み、悔しげな表情で俺を睨んでくる。今の身体に何か身体的なコンプレックスでもあるのだろうか。イヴそのままということもあって十二分に可愛いと思うが。
「まぁ、とにかく……名前はともかくとして、つまりアバターを考えろってことか」
「そうなるな」
「ナニその無茶振り」
今はこんなだが仮にも男である俺に、女の身体を作れと言っているのだ。可不可は別にしても、精神的にクるものがある。
「自覚はある。好きなように決めてくれていい。悩むようなら誰かに相談しても構わない。名前については[アリス]とでも……何なら[ああああ]でも気にしないぞ」
さすがにそれは拒否しろ。
「他と被らなければそれでいい」
「それなら……自分で考えればいいだろ。今言ったアリスでもいいんじゃないか?」
「私が作ってはもしかしたら周りから変に映ってしまうかもしれないからな。だから私は人からコピーするしかなかったんだ」
「いや、でも……俺センスないぞ?」
「そこは最初から期待していない」
はっきり言い切りやがった。
「ならばこうしよう」
ハダリーは廊下の真ん中で立ち止まり、俺を引き止めて足を一歩引いた。
「アバターはこの[イヴ]をベースに作るから、直感で好みのタイプを教えてくれ」
さっきよりハードルが上がった気がするのは俺だけか。好みのタイプを言えって、もろに羞恥プレイだろ。
と一人気まずくなって黙っていると、
「仕方のない主人だな。では私がパーツごとに聞いていくこととしよう」
ハダリーの助け船で質問形式へとハードルが下がることになった。確かに優柔不断で迷い性の俺からすれば多少助かってはいるのだが、それって結局後々の全体像が破綻する可能性を孕んだ最後の手段だ。
「では、まずアホ毛の有無からだ」
「まずそこかよ」
「アンテナは大事だろう?」
「お前のアホ毛ってアンテナなの!?」
「能動型動体検知センサーだ。あるのとないのとでは感度がまるで違う」
「じゃあいるんだろ……」
「了解だ」
ハダリーはいつのまにか開いていたテキストウィンドウにササッとメモを取る。
「次はアホ毛の動作性だ」
「その質問は必要か!?」
「よし、質問するまでもなく可動する、ということだな。次は髪の色だ」
直接的な疑問をツッコミ調でぶつけてみたが、軽く流されてしまった。
「そうだな……」
判別のためのアイコンであることを重視するなら、髪の色は他と被らないものがいいだろう。
刹那とトドロキさんが金、アンダーヒルが黒、ネアちゃんが藍色、イヴが白、と。一応俺がオレンジがかった茶髪だ。
「銀か」
「よかろう」
明らかに上から目線の許可だった気がするが、気にしないでおいてやる。
「髪の長さは?」
「って言われてもよくわからないからな。少し髪型変えればいいんだし、そのままでいいんじゃないか?」
「では目の色はどうする?」
赤い目のイヴと被らないように――
「じゃあ金色とか」
「ゴールデンアイか。いい選択眼だ」
「一応言っておくが、選択眼と選択肢は似たような言葉でもないからな?」
選択眼は選ぶ側、選択肢は選ばれる側というのは常識である。
「肌の色は」
「変える必要ないだろ」
健康的な白絹のような肌だ。
「スリーサイズ」
俺にわかるわけねえだろ。
「今と同じでいいんじゃないのか?」
「どうせ胸部拡張パーツもないからな。……ないからな。何故ない!」
それを俺に言われても困ります。
「名前はどうする?」
「名前か……名前は明日まで待ってくれ」
いくらゲームの中とはいえ、自分ではなく人が使う名前を考えるというのは、謂わば子供に命名するようなもの。当然、経験なんてあるわけがなく、FOに付いても自分に付けた名前は本名そのままだ。
要するにもっと迷いたいのかもしれない。少なくとも適当には付けたくないのだ。
「あまり深く考えさせてしまうつもりはなかったのだが……まあいいだろう」
やや申し訳なさそうにそう言ったハダリーはテキストウィンドウを閉じる。
「それにしても……いいのか?」
「何がだ?」
「名前と外見変えるってことは、もうほぼ別人になるってことだぞ」
「馬鹿馬鹿しい、とは言わんがな。私は私が私であることを知っているから私なのだ。私が私である証明はそれだけでいい。他者と関わることなく存続することができる我々のような存在は往々にして……そんなものだ」
我思う故に我あり、みたいなものだろうか。哲学的過ぎてさっぱりわからない。
「そんなことより、シイナ。貴女の仲間に私を紹介してくれるのだろうな? これからは仲間に……なるのだからな」
『仲間』と言ったその瞬間に曇ったハダリーの表情で、彼女が何を考えたのか、俺は何となくわかってしまった。
Tips:『メイド』
FOにおいて、一般的には個人のプレイヤーに雇用されている状態の女性NPCを指す。男性NPCのバトラーと同様にプレイヤーの身の回りの世話をする能力に長け、基本的に出した指示に対して承諾が返ってくることは何でもできる。この他、鍛冶等の職人NPCや商人NPCのような特殊技能を覚えさせることもでき、その場合は装備の修復やアイテム等の売買も指示することができるようになる。その場合の報酬や基準価格等の使用は専門のNPCと変わらない。余談だが、ギルドハウス管理の役職を持つプレイヤーが雇用するメイド・バトラーはそれぞれギルドメイド・ギルドバトラーとも呼ばれ、ギルドメンバー全員を準雇用主としてその職務を大きく拡張した権限を持つこともある。




