(32)『コイツ、鬼だ』
虜囚となった傷心の少女に新たな災いが降りかかる。
無慈悲な女帝、無情な審判者、自動人形の少女にはその姿は鬼さながらのよう。
【轟雷】付き【投閃】による〈*フェンリルファング・ダガー〉の投擲攻撃。
刹那がキレた時に反射的に出る、チート級のスキル技連携技だ。
【轟雷】は投擲武器に雷属性と麻痺効果を付与する戦闘スキルで、かなり使い道は限られるがその成功率は30%。この時点でも他のスキルや麻痺属性武器に比べれば相当高確率なのだが、フェンリルファング・ダガーの付加スキル【神咬みの誰彼】の効果でそれが55%まで引き上げられる。
加えて全身を走る電撃ダメージはデフォルトで、もし麻痺効果が外れても戦闘中に一瞬の隙を作ることはできる。
つまり実質的には、100%の行動阻害効果を期待できる、ということだ。
刹那のことは新規参入当初から知っているが、レベルは俺より低いもののゲームセンスは相当高い。先に挙げた連携技もそうだが、投閃のスキル重ね掛けの数も、単純な物理戦闘技術ひとつ取っても、それこそレベルの差を感じさせないほどその実力と潜在能力は高い。
要するに、刹那は強いのだ。
さて、何故いきなり刹那を持ち上げるようなことを考え出したかというと、要するに彼女に半殺しにされかけたのだ。相手を褒めるのは、自分の落ち度を誤魔化す時に用いられる最終手段である。
そんなネタばらしをしている時点で、既に自虐以外の何物でもないのだが。
ちなみに恥の上塗りを重ねてみれば、刹那さんの暴発から解放されたのも偶然戻ってきたトドロキさんとアンダーヒルのおかげ、という状況だった。
そして何とか刹那を宥め透かしつつ、ハダリーによる事情説明まで漕ぎ着けてからおよそ五分後――。
「つまり私たちを騙してたって訳ね」
アンダーヒルの丁寧で献身的な治療を受けつつ、大体の経緯を説明するハダリーと刹那の遣り取りを傍から眺めていると、刹那が端折り過ぎな総纏めをして立ち上がった。
場所は主格納庫を出たすぐの場所にあるエレベーターの前――――つまりもし電子人形が湧き出しても戦うにせよ逃げるにせよ、すぐに対処できる場所だ。
しかし、何れにせよ俺たちはまだ亡國地下実験場の内部にいることに違いはない。ここに用がなくなった今、何故まだ危険な場所に留まっているかというと、その理由についてはもう少し後回しにしておこう。
「済まない。貴様らには本当に悪いことをした。代わりと言ってはなんだが、何でも言うことを聞いてやろう。どんな無理難題でも強いられれば何でもやって――」
「ナニその態度、舐めてんの?」
「ぅぐ……」
刹那のかなり危な気な目に見下ろされ、ハダリーはごくりと唾を呑んだ。その瞬間、刹那のこめかみに青筋が走り、その右足がハダリーの頭上に下ろされた。
「待っ――」
ハダリーの声が途切れる。
ハダリーの顔が床よりも下に沈められたせいで、喋ることはおろか呼吸することすら遮られたのだ。床の上に突き出した両腕が如何にも苦しげにじたばたともがき、同時に少しずつ沈んでいく。
「お、おい、刹那……」
ヒュンッと風切り音が頬のすぐ隣を通り抜け、次の瞬間背後からカンッと何かが突き立つ音が聞こえてきた。
「何?」
背筋が凍りつく。
刹那は俺に『手ェ出すんじゃないわよ』と視線で語ると、ハダリーの手を掴んで胸の辺りまで引き上げる。
途端にハダリーは大きく息を吸って、
「殺す気か!」
「あ゛?」
「ぅぐ……す、済まない……」
一言で分かりやすく言おう。
刹那、鬼だ。
さすが二つ名が“棘付き兵器”やら“歩く災害圏域”やら“危険姫”やらと、第一級警戒態勢レベルの危険人物であることを示すものばかりなだけはある。
他者を虐め倒すことに関してはそうそう右に出る者はいないだろう。無論、他者を虐げることで性的快楽を得る――所謂加虐嗜好者とまで思ってはいないが、他者を虐げることで優越感を得る、一般的な感覚に於ける危険人物であるという認識は事実と相違ないと思う。
「言っとくけど、私は謝罪の言葉なんてどうでもいいのよ。あんな形だけのパフォーマンスでどうとでもなるものに意味なんかないわ。結果論とは言え、被害も最悪無視できるぐらいのものだったしね。でも謝罪と賠償は全くの別物。アンタの命なんか貰ってもしょうがないから、別の何かで払わせてあげるのよ。だからアンタは何を差し出せるのって訊いてるんじゃない。何もないんならこのまま沈めてあげるわよ?」
「ひっ! ま、待て……それだけはっ」
被害者自身が被害者であることを訴え始めればそれは既に価値観の押し付けであり、被害者は加害者へとシフトしている。要するに加害者の罪悪感と周囲からの目につけこんだ、相当卑怯な手段なのだ。
やること自体もさることながら、躊躇ひとつない辺りが如何にも刹那らしい。
「≪道化の王冠≫についての情報を吐きなさい。構成メンバーからそれぞれの強さ……とにかく知ってること全部よ。情報の有用性とか私の機嫌とか、ことと次第によってはそうすれば飼い殺し+αで許してあげるわ」
それでも飼い殺しにはする気らしい。しかも『+α』ってお前ですら口にするのを憚る時か含みを持たせて具体的な部分を誤魔化す時の口癖だろ。
刹那の命令気味の問いに一瞬迷うような――惑うような顔をしたハダリーは、刹那をまっすぐ見上げて、
「それはできない」
きっぱりとそう言い放った。
「あ?」
刹那は威嚇するように――威圧するようにそう聞き返すが、ハダリーは食い下がるように刹那の目をまっすぐ見据える。
「現在、≪道化の王冠≫に所属しているのは私以外には六人だ。しかし、これ以上のことを話すのはハカナから止められているのだ」
「ってことは何? アンタ、完全に捨てられたくせに、まだハカナの言うこと聞くつもりなの? 馬鹿? って言うか大馬鹿?」
「……たとえ捨てられても私が認め、主と仰いでいた人だ。彼女を否定することは今の私にはできないし、今の自分を否定することはそれ自体がありえない。それが私に与えられた痛み知る心のあり方だ。自己を認めることで私はこの存在を保っているのだ。自己を否定することは、私のアイデンティティに矛盾する。それが気に入らないと言うのであれば、いいだろう。私にはもう如何ともし難い。好きにしろ」
ハダリーはそう言うと、さっきよりも随分と落ち着いた表情で目を閉じた。
彼女には彼女なりの考え方や価値観があるのだろう。これ以上踏み込めば、本気でハダリーを殺すことになる。落としどころを見つけるとしたら、この辺りだろう。
という意図を込めた視線を刹那に向けては見たのだが、刹那は何処か気に入らなさそうにハダリーを見下ろして口を噤んでいる。
そして刹那が空いている片手でこめかみを押さえつつ、何かを言おうと口を開いた時だった。
「あ」
ハダリーが何かを思い出したような声を上げた。
「ドクターのことだけなら何を話しても構わない、とは言っていたか。まさかこんなに早く貴様らと会うことになるとは思わなかったがな」
いや、それ企んだのお前だろ。
それはそれとして、ドクターとか呼ばれるソイツ、人望ないな。ちょっと親近感湧いてきた。
「ドクター……ってまさか、さっき会った魑魅魍魎のこと?」
刹那が胡散臭いあの面を思い出すような調子でそう訊ねると、ハダリーはこくりと頷いた。
「メインサーバーのハッキングや今回のログアウトシステムの無効化は奴の仕業だ」
くいくい。
何かに〈*フェンリルテイル・ガードル〉に付属した尻尾を引っ張られた気がして振り返ると、そこにはアンダーヒルが俺の方を見上げるようにして静かに佇んでいた。
「やっぱあそこで殺しておくべきだったわね……」
と物騒なことを至極真面目にブツブツと呟く刹那から半ば逃げるように目を逸らし、何処となく小動物を彷彿とさせるアンダーヒルの方に身体ごと向き直る。
「どうした?」
「このフィールドで魑魅魍魎に会ったのですか、シイナ」
「ああ。さっき、ちょっとな。大変な変態だったけど……ってお前、アイツのこと知ってるのか?」
「はい。さらに言うならほぼ確実に今回の件に関与していると推測していました」
「どうして言わない」
「確実な情報以外は可能な限り表に出さないと決めているのです。それに――」
アンダーヒルは少し視線を逸らしてため息をつくと、
「――まさか彼がこんな現場に姿を現すとは、半信半疑だったものですから」
なるほど、そっちが本音か。
「魑魅魍魎のことは何処まで知ってるのか?」
「彼は二ノ宮時雨。あるいは名前程度なら聞いたことぐらいはあるかもしれませんが、VR技術の研究者です。ROLによるFreiheitOnlineの開発に外部協力者として名を連ね、界隈では有名な方のようですよ。知っている限りでは性格に難アリのようですが」
「リアル割れしてるのか……」
性格に難があるというよりは性癖に難があるようにも見えたが、あの時点でもそれほど関わったわけではないし、これ以上は関わりたくないから放っておくことにする。
「アンタ泳げないの?」
「泳げるにきまっているだろう。しかし浮力がほとんど殺されてしまって、勝手に沈んでいくのだ。そうでなければ貴様らなどに誰が頼るか、人間」
「アレ? 態度が……?」
「ッ……!? ……! ――――ぷはっ! ごめんなさい! お許しください、刹那さま!」
背後で徐々に上下関係が確立しつつある二人を放置している内に、アンダーヒルとトドロキさんがわざわざ別行動を取ってまで調査してきたという成果を聞かせてもらう。
二人はどうやら下の階層までずっと巡ってきたらしい。そう言われてみると、魑魅魍魎が下に仲間がいるとか何とか言っていたような覚えがある。
「ちょ、待ってください。それ……って、まさか……」
「そのまさかやね。てゆーか、気付くの遅いで、シイナ。この超難関『亡國地下実験場』は既にカンプしとるんよ」
「なっ……! 俺らが入った時は確かに第三階層までしか開いてなかったのに!?」
「それは私も確認していました」
ちなみにカンプというのは『完全攻略完了』の略だ。このフィールドのように同じフィールド内でいくつかの層に分かれている場合、最奥層を開放し、ボスモンスターを倒した、という意味で使われる。
巨塔に関しても、第五百層のボスモンスターを倒せばカンプ、ということになる。
「ウチらがここに潜ってから今まで約百七十分――――大して長くもないその時間で、第三階層から第八階層までの残りの層をさながら電光石火の如く駆け抜けた化け物がいたーゆうことになるやろね」
トドロキさんはそう言うと、唇の端をわずかに引き攣らせながら乾いた笑いを漏らす。
「――どないに鈍いシイナかて、ここまで言えば分かれへんことはないやろ?」
「ハカナ……か」
「彼女を含めた≪道化の王冠≫の総合戦力……今の話で言う彼女を除いた六人の仕業だと考えるのが妥当かと思われます。さすがの彼女でも、たった一人でここをクリアするのは不可能でしょうし、プレイヤーに可能な範疇を大きく外れています」
アンダーヒルはそう言うと、俺の前に人差し指を一本立てた手を突き出してきた。
「非常にまずい事態となりました」
「ん? なんで」
別にこのフィールドがクリアされたからって、何もまずいことは起きないと思うんだが。
「シイナ、ウチらはここを――文句なく最難関の亡國地下実験場を三時間でカンプした連中と敵対してんねんで?」
「この事実は、彼らの戦力の絶対量が非常に高いことを示して――知らしめています。今現在、おそらく大多数のプレイヤーは突発的な極限状態のために精神的に不安定になっているでしょう。そんな最中に、圧倒的な力を誇示された群衆はどうなると思いますか? 正常な判断が出来なくなった人間は、どうすると思いますか?」
「……わからん」
「はい、わかりません」
「少なくともウチらみたいに即行巨塔に攻略しかけようとする連中は激減するやろな。元々塔の最上層に対応できるプレイヤーなんて相当限られとるし、下手すると百人切るんちゃうか?」
それがこのバランス崩壊気味のゲームの最終到達地点、巨塔ミッテヴェルトを取り巻く現実だった。
「芯のない心の弱い人間は、他者に縋って楽をするかもしれへんし、こうなったら既に意味のあらへん努力を無意味に守ろうとするかもしれへんやろ」
「仮想現実での強者は、私のように現実では弱者である傾向が高い。それは仮想現実への依存であり、それ故に強大な、逆らう気もなくなるほどに絶大な力を突きつけられれば、あくまでも少数派でしかなかった『現実への帰還を望まない選択をした者』たちの数は激増する――――可能性があります」
アンダーヒルとトドロキさんは、まるで俺に現実を認識させようとしているかのように、矢継ぎ早に言葉を畳み掛けると、
「荒れるで~、この世界」
最後にトドロキさんが洒落にならない苦い笑みを浮かべて、そう言い捨てた。
Tips:『≪道化の王冠≫』
2042年5月19日の夕方に[FreiheitOnline]の管理システムを乗っ取り、多くのプレイヤーをVR空間に閉じ込めたテロ事件の首謀者とされる正体不明の組織。FOフロンティア内ではギルド≪道化の王冠≫を名乗り、現時点で判明している構成員は、筆頭であり最強の二つ名を持つプレイヤー[儚]と謎の男[クロノス]、技術者[魑魅魍魎]の三名のみであり、その実体を正確に把握するには情報が著しく不足している。




