(31)『完全懲悪の結末-バッドエンド・クライマックス-』
不意に現れたハカナの言葉は凄惨にハダリーの心を刻み、残酷に彼女を否定する。
それも全ては、ハカナを理解できていなかったから。
それはきっと、ハカナが間違っているから。
だからこそきっと最初から、彼女の望みは届かない。
「もしかしたら日頃の言葉が足りていなかったかもしれないから、一応言って――言い直しておくわ、イヴ」
儚はまるで幼子の悪戯を叱るような――間違いを諭すような穏やかな口調で、ハダリーに向かって語りかける。しかしその台詞の内容は間違っても幼い子供に向けるものではなく、恐らく大人にとっても並大抵の台詞ではなかった。
「確かに貴女は私の興味の対象ではあるけれど、貴女とシイナを比べたことなんて一度もないの。だってそうでしょう? 貴女に私の何がわかると言うの? 何もわかっていないでしょう? 何もわかっていないじゃない。そんな貴女とでは、シイナを比べるべくもないわよね。シイナは私をわかってくれる。私のことを理解してくれるの。その上で私を否定して、その上で私を拒絶してくれたのよ。私の本心を理解しようともせずに、愚直に付き従ってくれる貴女と私が対等になれる? シイナよりも貴女が私の隣にふさわしいってどういうことなのか、愚かな私にもわかるように説明してくれる?」
ハカナ、お前はどうして――。
どうしてそんなに穏やかな顔で、優しげな口調で毒吐けるんだよ――。
ハダリーは蛇に睨まれた蛙のように、傍から見れば尊敬している人間に向けるようなものではない恐れに染まった表情でブルブルと震えながら、儚のその台詞に唇を噛んで俯いた。
「だがッ――!」
ハダリーはすぐにバッと顔を上げると、大きな声で反論の第一声を口にした。
「――コイツは私より弱い……。だがハカナは強い。強い者の傍では、強い者しか生き残れない! 弱い者では強者を取り巻く環境にすら耐えられず、やがて来る自滅を待つ他に道はないッ!」
――口にしてしまった。
ハダリーの性格上、そして儚の性格上、その反論の言葉は無駄だ。いや、無駄と言うのは生温いだろう。
逆効果だ。
何を差し置いても儚と共にありたいなら、自分を差し置いてもその言葉を口にするべきではなかった。
これでもう、十中八九ハダリーに後戻りの道はなくなった。かつての俺たち――≪アルカナクラウン≫のように。
「今、たった今この瞬間から――――私は貴女への興味も関心も失ったわ、イヴ」
ズキン……。
俺たちの時以上に明白で辛辣な決別の言葉――――その矛先が向けられていない俺ですら胸に深いところに痛みを覚えるほど重く響く言葉だった。
その槍に直接貫かれたハダリーはどれほど苦しい思いをしているのだろう。
儚と反目するということは、直前まで敵対していた者(今回は俺だが)まで同情を禁じ得ない。それほどに彼女は壊れているのだ。
「な、何故……強さが、勝つことが全てだと言ったのはあなただ!」
「勝つことが全てだとは言ったけれど、強さが全てだとは言っていないわ、イヴ。残念ね、人工体でありながら、貴女はまるで野生の獣。弱肉強食こそがこの世の真理だと信じて止まない井の中の蛙。貴女に私の傍にいる資格はない、なんて言えるほど驕るつもりもないけれど、貴女に傍に居て欲しくないわ。私の前から消えて、今すぐに」
まるで『ありがとう』とでも言っているかのような、見る者の心を和ませる笑みを浮かべ、儚ははっきりとした拒絶の意思を口にした。
まるで身体と心が完全に切り離されているかのようなちぐはぐ感は、底の知れない暗鬱とした不気味さを醸し出している。
憐れにも思えるほど痛烈な拒絶と共に離縁状を突きつけられたハダリーはよろよろと立ち上がると、儚に向かってゆっくりと手を伸ばした。
そして、見ているだけでも悲痛な絶望の面持ちで一歩また一歩前に出てくる。
「そんな……こんな馬鹿な……」
ハダリーの声は震え、直前までに感じていた力強さは欠片も残さず消失していた。
しかし儚は、ハダリーの想いなどわからないというような表情で首を傾げ、さらに追い討ちをかける。
「馬鹿は貴女よ、イヴ。私はここでドクターと一緒に待っていてと言ったのに、それすらできなかったばかりか私の大切な人にまで勝手に手を出した。欲を持たないからこそ有望で、雑念を持たないからこそ有能で、特化したからこそ有用な機械が余計な企みを抱くのなら、いったい誰が誰でも出来る雑務を淡々とこなせると言うの?」
差別的排他的な極論で、さっき俺に語っていたような想いを完膚なきまでに粉々に打ち砕かれたハダリーは、その場で脱力するようにトンと膝を衝いて崩れ落ちた。
「わ、私はただの機械では――」
ぶつぶつと呟くように愚にもつかない言い訳を並べようとするハダリー。しかし儚の態度は、まったくと言っていいほど揺らぎを見せなかった。
「作られた人格に塗り固められながらも、周りによって矯正された己の芯たる信念に毒されない――――そんな貴女だからこそ面白いと思っていたのに……。貴女は私を盲信している。私の言葉を聞き過ぎる。普通の≪道化の王冠≫にそんなNPCは要らないの」
呼吸をするように躊躇いなく、儚はハダリーを傷つけるための言の刃を紡ぐ。
傷口を抉られるようなその痛みは、俺にも経験がなくはない。
「……だ――」
ハダリーがぽつりと呟いた。
「嫌、っだ……、嫌だ、ハカナ、私はっ……!」
ハダリーはぽろぽろと――ぼろぼろと大粒の涙をその双眸から溢し始めた。その繊細でか弱げな容姿も相俟って、儚げに消え入ろうとしている美しさがそこにはあった。
相手が儚でなかったら――儚でさえなかったら、心を動かされていただろう。思わずそう確信してしまうほどに、その姿はありのままのハダリーの心中を表していた。
強さを引き合いに出していた彼女が、全てを――自身の弱さすらも晒け出して懇願していた。
傍にいたい。
ただそれだけの願いは、現実の世界に於いて幾度となく引き裂かれてきた。あるいは失恋、あるいは死別――――その願いを改めて噛み締める時というのは、往々にしてその結果が覆ることはない。
「もういいわ、イヴ」
――儚には、届かない。
どちらとも取れる儚の語調に、ハダリーの目に僅かな光が灯る。儚の表情は一貫して穏やかな笑顔を浮かべており、それだけにハダリーは唯一の希望を捨てきれなかったのだ。
「もういいの、イヴ。十分貴女は頑張った。だから、眠りなさい。この亡國地下実験場は貴女の揺り籠で、貴女の墓場よ」
一筋の希望が膨大な絶望に変わる瞬間の、その見るに堪えない痛切な表情から、俺は思わず目を逸らした――逸らしてしまった。
だから、俺は儚が口にした滅びの言葉を――――咄嗟に制止することすらできなかった。
「――【完全懲悪の結末】――」
儚がスキルを発声した瞬間、チリーンと鈴が鳴るような澄んだ音色が響き渡る。そしてそれを聞いて目を見開いたハダリーの瞳から、光が消えた。
ドプンッ。
呆気ない水音に似た音と共に、へたり込むハダリーの足が床に沈み込んだ。
一瞬、固体潜航スキル【潜在一遇】の効果かとも思ったが、茫然自失したまま沈み込んでいくハダリーの様子を見る限り、どうも違和感が拭えない。
「何をした、ハカナッ」
俺は咄嗟に儚の側頭部に大罪魔銃を突きつけ、半ば怒鳴るように訊ねる。
何処か嬉しそうに微笑んだ儚は徐に両手を頭の後ろで組むと、「“非発”――」と発声によるスキル発動のシステムを一時的に無効にする符丁を口にした。
「――【完全懲悪の結末】は対象が最後に使ったスキルをもう一度発動させる、それだけのスキルよ。ただ保有者の制御から外れた状態で、暴走させるだけの、ね。このまま沈んでしまえば、やがて絶息に耐えきれずにDeadEnd。自演の輪廻によって地下のオブジェクト内で蘇生処理と即死判定を繰り返すから、二度と私やシイナの前には現れない。迷惑をかけて、ごめんなさいね」
残酷に輪をかけて残虐なことを、儚は微笑みすら浮かべながらあっけらかんと言ってみせた。
「まだこの下には七つの階層がある。オブジェクト外で運良くイヴの魔力が切れるようなことがあれば、もしかしたら助かるかもしれないわね。そんなことより、シイナ。もしかして刹那たちも来ているの? それならこの後、久しぶりに五人でお茶でもどうかしら」
「ふざけてんのか……? お茶の誘い? もしふざけてるつもりならふざけるな。今はそんな下らない話をしてる時じゃない」
思わず引き金を引きかける人差し指を必死に堪え、儚の横顔を見据える。
その時、ぶつぶつとハダリーが何かを呟いているような声が聞こえてきた。
「――嫌、だ……嫌だ……嫌だ……!」
それはさっきの儚とはまた別の拒絶――――自身の滅びに対する本心からの叫びの声だった。
「まだ私には……やらなきゃいけないことが……やりたいことがたくさんあるんだ! 助けてくれ、ハカナっ、ハカナッ! お願い……お願いだからッ!」
この期に及んでまだ儚に助けを求めようとするとは、敵の手は借りないという最後に残ったプライドから来るものなのか、あるいは儚への心酔故のものなのか。いずれにせよ、あまり現実的じゃない選択だ。
その悲痛な叫びを聞いた儚は、スッと右足を前に出した。
「動くな、ハカナッ!」
俺がそう叫ぶと、儚はぴたりと足を止めた。そして、その場からハダリーに何かを語るような眼差しを向け、
「イヴ、残念だけど、やりたいことが全部できるなんてご都合主義はこの現実には存在しないわ。貴女は先駆者の残した言葉をしっかり真摯に受け止めるべきね。『人生諦めが肝心』――――人であってもそうでなくても万物は有限の物なんだから」
既に胸まで沈み込んでいたハダリーの表情がぴしりと凍りつく。
その目から再び一筋の雫が溢れ落ち、今にもハダリーの全身を呑み込もうとしている冷たい床で微かな音を立てた。
「……」
俺が無言で儚の横顔を睨み付けると、儚も涼しげな笑みを浮かべて応えてくる。そうしている内に額から流れた汗が鼻筋を伝って床に落ちていき、さっき聞いたのと同じ微かな音を立てた。
「……くそっ!」
ずぶずぶと底無し沼が哀れな被害者を呑み込むような水音の呻きと儚の余裕の姿勢に根負けした俺は、儚に大罪魔銃を向けたまま、警戒の姿勢を崩さずに躄り足でハダリーの近くに歩み寄る。
「俺の手に掴まれ、ハダリー」
大罪魔銃を右手に持ち替え、ハダリーに左手を差し出す。
「……止めておけ。私は貴様の敵だ」
「やっぱり余計なプライドは残ってるみたいだな。まあ、そんなタイプだろうとは思ってたけど、そういうのは要らないから、今すぐ俺の手を取れ」
儚を見据えたまま足元のハダリーを見ずにそう言うが、ハダリーの手が俺の手を掴む様子はなく、
「敵に助けられる義理はない」
こうしてる間にもハダリーの身体はどんどん沈んでいっているはずなのに、何で素直に助けられることができないんだよ。
「こっちだって敵を助ける義理はない」
「なら何故助けようとするッ!」
「ああもうッ!」
遂にキレた俺は足元に視線を落とし、床ギリギリのところでハダリーの襟首を掴んで、力任せに引き上げた。
「何をする!」
俺は思いの外軽いその感覚に驚きつつもすぐに視線を戻すが、儚の姿は既にそこにはなく、頭上の搭乗型四脚巨大兵器の上からカンカンと金属を叩くような軽快な音が響いてくる。
「ちッ……」
大方、手近にあった脚を伝って上に逃げたのだろう。儚なら十分可能なレベルの軽業だ。
左腕でハダリーを支えている関係上、左腿の帯銃帯に戻せない大罪魔銃を腰巻きに挟んだ時、同時に主格納庫の反対側――つまり入り口側に飛び降りる儚の姿を捉えた。
しかし当然のことながら、大罪魔銃の射程では届かないし、尚も手を振りほどこうとしているハダリーを連れて追いかけるわけにもいかない。そしてこれは当然と言うのはさすがに悲しいが、追いかけたところで勝てるわけでもない。
仕方なく静観することにすると、儚が急に振り返った。
「シイナならきっと助けると思ってたわ」
かなり離れているはずなのに、穏やかなその声はしっかりと耳に届いた。
「お茶会はまたの機会にしましょう。その時は美味しいお茶菓子を持ってこっちから出向くことにするわ。イヴ、今までありがとう。すごく楽しかったわ。また明日ね」
「ハカナ!」
「馬鹿、止めとけっ」
今や危険人物でしかない儚を呼び止めようとするハダリーの口を右手で塞ぐと、また激しく暴れ出したハダリーのせいでバランスを崩した俺は、柱のような兵器の脚に背中を打ち付けるようにして倒れ込んでしまう。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、ハダリーはちょうど俺が自分の身体で抱き止めているような体勢になり、立っていたさっきより底無し床に落ちる可能性は低くなった。
膝から下はさすがに沈みかけているが、安定はしているし問題ないだろう。
「放せっ……もがっ、んっ、んぐっ……」
気力はまだ残っているようだが、どうやら儚に切り捨てられたことが精神的に相当きていたらしいハダリーの抵抗する力が段々弱くなってくる。そして脱力していくにつれ、またハダリーの目からは涙が溢れ始めた。
ハダリーの口を塞いでいる俺の右手を熱い液体が伝っていき、おそらく唾液のようなものだろう別の液体と共にハダリーの服の首筋から胸の辺りまでを濡らしていく。
そしてハダリーは俺の左手に縋り付くようにして、くぐもったような嗚咽を漏らし始めた。
「まぁ……何だ」
何を言えばいいのかわからず、何となく空いている右手をハダリーの頭に乗せ、できるだけ優しく撫でてやる。
あまり器用には見えない、どちらかと言えば不器用そうなコイツのことだ。今は色々と複雑な事情の板挟みになったせいで、気持ちを整理できずにいるのだろう。
「しばらくこうしててやるから」
俺がそう言ってやると、ハダリーは震えながらこくりと微かに頷いてくれた。
仕方ないよな……。コイツは、昔の俺と――俺たちと同じなんだから。
その時だ。
七転八倒というか一難去ってまた一難というか――――俺は凭れ掛かっていた柱もとい兵器の脚の陰から現れた刹那さんと遭遇した。
こちらとしては、「お、ようやく目が覚めたか、眠り姫さん」とでも言って一先ず一件落着したことを伝えてやろうと思っていたのだが、それよりも早く刹那が、
「アンタ……ナニやってんの……?」
やや殺気の込もった声でそう言った。
「ナニって……」
改めて確認する。
刹那の友達であるイヴの姿を模倣したハダリーの口を塞ぐようにしながら抱きすくめ、尚且つハダリーの着けていたバトルドレス型の装備は所々破れている上、その本人は口を塞いでいる手に両手を添えて泣きじゃくっている、と。
「待て、刹那」
「問答無用変態討伐」
すまん、ハダリー。しばらくこうしててやるって約束、速攻破られそう。
Tips:『【完全懲悪の結末】』
[儚]が保有する、指定した対象が最後に発動したスキルの効果のみを制御不能な状態で再発動させるユニークスキル。この効果で強制的に発動されたスキルは保有者の手動操作やコマンド発声による個別の解除、全解除等のスキルキャンセルシステムを一切受け付けず、対象選択、出力調整、効果制御等も制御不能な状態に陥る。安定した性能が発揮できるタイプのスキルではないが、使用するタイミングを選べば絶大な行動制限効果を発揮する特異な能力を持つ。




