(29)『退屈凌ぎ』
自動人形の右手が破壊の光を放ち、魔犬の将は矜持を語る。
戦いの勝者を讃えるのは強さの証明か、正しさの証明か。
強さが正しさを語るなら、その誇りは何処に答えを見出すだろう。
「――【潜在一遇】……」
何かのスキルを発動したらしいハダリーは、同時に――あるいはその直前にトンッと地面を強く蹴って軽やかに後方に跳び、空中で宙返り一回を経つつも、ふわりと〈*偽りの洗礼〉の砲身の上に飛び降りた。
「お前、固有能力ヲ有シテイルノカ?」
「貴様らのような下っ端にわざわざ使ってやるには惜しいスキルだが、貴様らのような単騎を数で圧倒しようなどと考える卑劣漢を成敗するには事足りる」
「卑劣漢、ダト……?」
『左の頭』の声が、やや怒りの語気を含みつつも静かに響いた。
ハダリーは両手を広げて舞うようにその場で一回転すると、スカートの裾や髪を翻しながら腰に手を当てた横柄なポーズで立ち止まる。まるで自分の姿をあらゆる角度から見せつけるような、一見無意味に見える動きだ。
「違うと言うのか?」
そしてまるでパフォーマンスでもしているかのようにこれ見よがしにそう首を傾げると、悪戯っぽく微笑んで見せた。
しかしそれを見た途端、
「フッ……クッ……ハハハハハハッ!」
『右の頭』が突然笑い出した。
「ほう……何かおかしいか?」
「クックッ、愚者ココニ極マレリ」
『左の頭』は『右の頭』につられたのか、器用に前肢を持ち上げて口元を隠し、一瞬笑いを堪えるような素振りを見せると、
「我ラハ騎士ニモ武士ニモ非ズ、我ラハ群隊デアル。戦争ニ卑怯モ汚イモアルモノカ。我ラガ最優先トスルモノハ騎士道デモ武士道デモナイ。勝ツコトコソガ絶対ノ正義デアリ、負ケタ者ドモノ善悪ナド二ノ次以上ニ計ラレモセヌ」
声を大にしてそう吼えた。
対するハダリーは一瞬きょとんとした表情になったものの、小気味良さそうに笑みを漏らして白い歯を唇の奥に覗かせる。
「勝つことが全て正しいか。それは概ね同意見だ。褒美に苦しまぬよう一撃で仕留めてやる。好きにかかってこい!」
「小娘ガ……咬ミ殺セ!」
『右の頭』が吼え、魔犬の群隊が一斉にハダリーに向かって飛びかかった。
「ふッ、これしき……!」
一匹の地獄の猟犬がハダリーに肉薄した瞬間、ハダリーの右手が不気味な赤色の光を纏った。
「輻射振動破殻攻撃!」
牙を躱すように身を屈めたハダリーの右手が、地獄の猟犬の胸部にズブリと沈み込んだ――――その光より遥かに濃い赤色の華が散った。
グシャ。
激しく砕け散った地獄の猟犬の胴体が、瞬く間にグロテスクな肉の塊となって床の上に落ちる。
「ム……」
『左の頭』が忌々しそうな呻き声を上げ、ダンッと左足を踏み鳴らした。途端にハダリーの周囲数匹の地獄の猟犬と死霊犬が、全方位から一斉にハダリーへと襲い掛かった。
「無駄なことを。輻射振動破殻攻撃・波動拡散ッ!」
ハダリーの右手に再び走った赤い光がいくつもの光の筋に分かれ、周囲に散りながら空中の魔犬の群隊を瞬く間に薙ぎ払った。
偽りの洗礼の上から一歩も動かずに、あの魔犬の群隊と普通に――普通以上に戦っている。
しかも無手で。
「命令、【装束不明】!」
『右の頭』が吼えるように叫び、同時に――――グオオオオオオオオオオォッ!
『左の頭』が吼えた。こと三頭犬に限っては通常より恐ろしく強力になる行動妨害スキル【衝波咆号】だ。
「ぐっ……!?」
咆哮に萎縮させられたハダリーはその直後、謎のスキルの発動と共に燃え盛る黒い炎のような闇に包まれた魔犬の群隊と接触した。
ゾゾゾゾゾゾ。
瞬く間に蠢きながら巨大な闇の塊になっていくハダリーから何故か目を離すことができずに呆然と見下ろしていると、突然その塊がバラバラと散って、元の二頭犬と大犬の姿に戻っていく。
そしてその後には――
「……ッ!?」
――誰もいなかった。
最初は跡形もなく倒した可能性も頭を過ったが、すぐにその甘い考えを棄却する。魔犬の群隊もケルベロスも、まだ緊迫した警戒態勢を解いていないからだ。
そしてその直後。
俺はハダリーの保有する固有スキル――【潜在一遇】の恐ろしさを、身を以て思い知らされることになった。
「見つけたぞ、人間」
突然、背後から聞こえた声に戦慄した。
そして俺は瞬間、手元の群影刀を抜き放ち、振り向きざまにそれで背後の空間を横薙ぎに斬り払う――――直前で手が止まった。
後ろに立っていたのは、刹那だった。
いや、正しくは刹那ではない。俺が知る刹那は、俺の隣に寝かせてあるのだから。つまり刹那の姿をした(服は変わっていないが)それは、最初に会った時と同じ――――姿を変えた電子仕掛けの永久乙女だ。
それだけの判断を一瞬で下した俺は、しかし刹那の姿をしたそれを傷つけるようなことはできなかった。
少なくとも、わずかな時間――その刹那には。
「随分と気を持たせてくれたではないか、人間。よもやここまで来て逃げる算段を立てていたわけではあるまいな?」
「その姿を今すぐにやめろ。さもないと今すぐにでもスクラップにする」
普通なら逃れられないようなあの包囲網から軽々と抜け、ほとんどあってないような短時間の内にこの場所に現れたカラクリに思考を巡らせつつ、俺は凄むようにハダリーに言葉を叩きつける。
「ふん、望むところだ。この女の外形も中々好みだが、如何せんこの胸が邪魔だ。貴様よりは数段マシだが」
そう言いながら、ハダリーはささやかながらも膨らみの見て取れる自分の胸に手を遣り、大きさを確かめるように揉む。
「おい、刹那の姿のままそんなことするな。刹那が起きてたらガチで殺されるぞ」
多分、何故か俺が。
ていうかお前その大きさで邪魔って……今の俺はどうなるんだよ。救いがないぞ。
「この女など恐くはないがな」
腰に手を遣ったハダリーが「ふん」と鼻を鳴らし、見下すように刹那を見遣る。
それにつられて俺も刹那の方を見た瞬間、違和感に気付いた。刹那の右腿の鞘帯に納められているべき短剣〈*フェンリルファング・ダガー〉がなかったのだ。
さっきはあったはず、と思って視線を泳がせると――――あ、あった。
フェンリルファング・ダガーはハダリーの足元――否、足の下にあった。ハダリーは人の大事な武器を勝手に拝借した挙げ句、その上に乗るように踏んでいたのだ。
さっきのこともあった俺はイラッと来て、群影刀の峰で殴り飛ばしてやろうと思った、その時だった。
だんっ!
「……ッ!?」
突然、ハダリーの後ろ――格納庫外の通路に通じている入り口の自動ドアを開けて飛び出してきた死霊犬が、ハダリーの背中に体突進を仕掛けた。
「何ッ!?」
やはり死霊犬が見えていないハダリーは突然の奇襲に対応できず、前につんのめるように柵を抜けて、眼下の空中に身を踊らせた。
ハダリーの奴、今、柵を通り抜けなかったか……?
俺が一瞬目の当たりにした錯覚じみた現象に目を瞬かせていた時、階下からどんっと重い着地音が聞こえてきた。
慌てて柵に手を掛けて、様子を見るべく身を乗り出すようにして下を確認する。しかし、そこに既にハダリーの姿はない。
また、消えていたのだ。
「どうなってるんだよ、これ……!?」
まるで空間から空間へ移動しているような――――そんな感想を覚えた瞬間、俺はそれが強ち間違いでもなかったことを目の前の光景で知る。
ズズズ……。
「ケルベロス、後ろだ!」
「もう遅い! 輻射振動破殻攻撃ッ!」
突然ケルベロスの背後の床からせり上がってくるように姿を現したハダリーの右手が、一瞬反応の遅れたケルベロスの左後ろ足を掴んだ。途端にさっきの地獄の猟犬のようにケルベロスの足は弾けるように肉を撒き散らす。
「己レ、貴様……!」
「ほう、痛みには慣れているようだな」
返り血を浴びながらもにやりと笑ったハダリーは、ケルベロスの爪や牙に掛かるより早く再び床の中に潜り、姿を消す。
そして今度はケルベロスの正面の空間の床から現れたハダリーは近くにいた地獄の猟犬の胸部を輻射振動破殻攻撃で打ち抜いて、またも潜伏する。
「クッ……捕ラエロ、テメェラ!」
『右の頭』の命令で死霊犬たちが殺気立ち、地獄の猟犬を狙ってハダリーが出てきた瞬間を狙って飛び掛かる。
しかしハダリーは――
「ここか、輻射振動破殻攻撃ッ」
――即座に地獄の猟犬の頭を掴んで握り潰しつつ、身体の向きを前後反転させると、見えていないはずの死霊犬を殺害する。
「やはり何かいるようだな。たかが百五十匹と侮っていたが……おおかた同数の不可視でも用意しているのだろう。つまらん、まったくつまらんな」
ハダリーはさらに追撃に来た死霊犬がまるで見えているかのように的確な回し蹴りを放ち、再び潜って消える。
完全に狩る側と狩られる側が入れ替わった……!
敵に反撃を許さない内に奇襲を仕掛けて一撃で仕留め、他に邪魔をされない内に別のオブジェクト内に潜航する――――『完全なる波状攻撃』とでも言うべき戦法を実現しているあのユニークスキルは、まさにただのチート技だった。
次々と強化魔犬の群隊を殺していくハダリー。後に残るのは、皆うつ伏せになった死骸ばかりだった。うつ伏せの電子人形の謎も、これが原因だったのだ。
「そういうことだったのか……くそっ! スキル全解除!」
柵を越えて飛び下りつつ宣言する。階下ではその宣言と同時に魔犬の群隊が消えてゆく。
全解除は、その名の通り自分が適用しているスキルを全て解除することで、消費した分の何パーセントか分の魔力を回復できるシステムだ。これを使いこなせるようになることは上級プレイヤーと呼ばれる必須条件のひとつと言っても過言ではない。
「ナンデ止メル、主様ヨォッ!」
次々と消えていく魔犬の群隊を悔しげに睨み付け、俺を見据えて『右の頭』がそう吠えた。
「お前たちじゃアイツは無理だ!」
ケルベロスに叫び返す。
元よりもう魔犬の群隊に戦わせるのは荷が重すぎる。さっきまでの一進一退の攻防までなら、まだ様子見をしていられるだけの余裕があったが、少なくとも今俺が知っているケルベロスの能力ではハダリーを止めることは不可能だ。
「不死身の魔犬の群隊のまま続けても最後に無くなるのは俺の魔力なんだよ! いいから戻って大人しくしてろッ!」
「クッ……」
言い返せないのか憎々しげな視線を俺と上半身だけ姿を現したハダリーに向けたケルベロスは、ドプンッという水音と共に黒いドロドロの塊となって姿を消した。
「ふっ、退屈凌ぎにはなったぞ」
「鎬を削ってたの間違いだろ。お前、アイツらから何回いいの喰らったよ。【潜在一遇】さえなきゃ、同レベルだ」
「図に乗るな、人間。ステルスと戦うのは初めてだったからに過ぎん」
「ステルス?」
「視認不能体――ステルスだ。私は貴様らとは物の見方が違うからな」
俺はズルズルと床から這い出そうとする奇妙な絵面のハダリーに少しずつ近づき、銃を抜く機会を窺う。
「その能力……何なんだ?」
「教えると思うか、と言うべきところなんだろうが……。なに、別段隠すほどのことでもない。世間一般大多数の中ボスたちのように、スキルの内容をベラベラと喋ったところで貴様のような者に負けるような私ではないからな。発動エリア内の固体オブジェクトを自らの移動可動領域に加える、それが私の固有スキル――――【潜在一遇】の能力だ」
「世間一般に中ボスはいねえよ」
「まあ、潜っている間は息を止めていなければならないのが、唯一の欠点だがな」
「酸素とか必要なのかよ……」
「さぁ、手下に時間稼ぎをさせている内に何を用意していたかは知らんが、そろそろ楽しませてくれるのだろうな」
確かに策もあるにはあったのだが、その準備に必要な時間を稼ぐために魔犬の群隊を矢面に立たせたのだ。そこは彼女が指摘した通りなのだが、その実何のアクションも起こせていない。
思った以上に時間が稼げなかったことと想定外のハダリーのスキル、それを差し置いても大きな要因はそれとなく観戦に意識が向いてしまったからなのだろうが。
ちなみにどちらにしろ俺の策は【潜在一遇】の存在から役に立たないことも判明している。
今から考えればかなり稚拙な発案なので、こんな奴の前で明言は控えるが。
さて……どうしたものかね。
Tips:『全解除』
自分が保有または発動し、効果が持続しているスキルの発動を全て解除するシステム。元々状況に応じて不要になったスキルは個別に解除することが可能だが、全解除では手間を簡略化できるだけでなく、それらのスキルの発動や維持コストで消費した魔力総量の10~20%分を回復する効果を持っているため、一度スキルの適用状況をリセットし、必要なスキルだけを再選択して発動するといった形で多用される。自分のスキルであれば種類は問わないが、常時展開スキルは魔力を消費しないものも多くリセット後も即座に再適用されるため、基本的には任意発動スキルが対象となる。




