(28)『喰イ殺シ、噛ミ殺シ、何ヲ求メンヤ!』
狼牙の誇り。鳴り響く遠吠え。
襲い来る魔犬の群隊に自動人形は応じるように戦意を昂らせる。
互いに戦いを好み、血肉を求める強者の戦いは凄惨を極める。
[魑魅魍魎]とエンカウントした角を曲がり、主格納庫へと繋がる透明な扉が見えると、俺は一度刹那をその場に下ろして、ハンガー内の様子を窺う。
「いた……」
油断しているのか強さからくる余裕なのか、ハダリーは一番手前の搭乗型巨大兵器の脚部に凭れるようにして座ってぼーっとしていた。可変機械斧槍〈*偽りの洗礼〉は床に置かれ、その柄の先端――つまり射突槍の砲身はハダリーの尻に敷かれている。
「アイツ……いくら歪みはないからってあんな扱いするか、普通……」
なんてぼやいてみながら、俺は件の魔刀【群影刀バスカーヴィル】を握ると、
「【魔犬召喚術式】、モード〔地獄の猟犬〕三匹、〔死霊犬〕二匹。主格納庫内において対象[イヴ]の討滅を試みろ」
無声音でそう告げた。
それと同時にドプンッと水のような音が響き、ハンガー内の空間――ハダリーが座っている場所から正面十メートルほどの地点に五つの黒い影が出現する。
地獄の猟犬は妖魔犬を双頭にしたようなフォルムの怪物だった。コウモリの翼端のような形のピンと立った耳に漆黒に艶めく毛並み、そして特徴的な骨格の双頭にすらりとした細身の身体、全体的にはやはりドーベルマンの印象が大きかった。
そして死霊犬は、地獄の猟犬よりも一回り大きい熊のようなフォルムの大犬だった。目は燃え盛る炎のように赤く、全身からぼんやりと、薄い白色の蒸気を上げている。
ハダリーの口元が、にやぁと薄く歪む。
「ほぅ、面白いヤツが来たな。あの人間、こんなこともできたのか」
ハダリーはすぐに立ち上がると、床の偽りの洗礼を無造作に拾い上げた。
「三匹纏めてかかってこい、犬ども。何処に隠れているかは大方察しもつくが、貴様らを瞬殺して主人を引きずり出してやろう!」
ハダリーの言葉を聞いた俺は、内心でガッツポーズを取り、手の中の群影刀を握り直す。
ハダリーには死霊犬が見えていない、それさえわかればそれに合った戦い方をするというものだ。
「【魔犬召喚術式】、モード〔地獄の猟犬〕百四十七匹、〔死霊犬〕百四十八匹。[イヴ]を討滅しろ」
ゾゾゾと無数の形なき影がメインハンガー内のハダリーを取り囲み、膨らむように黒一色の群影が生み出された。全群を出すのに魔力がどれだけかかるかと不安に思っていたものの、思いの外消費量は少なく上限の三分の一程度だった。
「こうして見ると圧巻だな」
総勢三百匹の黒い影が格納庫内に犇めく。無論、ハダリーには百五十匹分しか見えていないが。
「無理はせずに回避行動を最優先で、相手を消耗させろ。お前も前に出たらケルベロスの姿に戻っていいから、『右の頭』に指揮を執らせてくれ」
俺は地獄の番犬に指示を出しつつ、再び刹那を抱き上げると、ハンガーに通じている扉に背を向ける。
「ム、“右ノ”ニデアルカ? ソレハ心得タガ……何処ヘ行ク、主ヨ」
「上の通路」
少し通路を戻ったところに脇に逸れる横道があり、その先には主格納庫の側壁通路に繋がる傾斜路があるのだ。
「何故ダ?」
「戦況を確認なら上からって相場が決まってるんだよ。特等席で高みの見物って言いたいところだけど、やられっぱなしじゃそれこそ気ィ済まないしな。刹那だけ安全なところに移動させるから、その間の時間稼ぎ兼お前らの実用度検証? ま、ちょうどいいから様子見てみようと思っただけだ」
「アンナコトヲ言ッテオキナガラ、頭ハスッカリ冷エキッテイルヨウデハナイカ、我ガ主ヨ」
「おかげさまでな。あ、それと――」
格納庫に出ていこうとしていたケルベロス(まだ狼のような姿のままだが)を角から呼び止めると、
「――俺の名前はシイナ。いちいち主とかものものしいし、これからはそう呼べ」
「心得タ、シイナ。ナレバコノ戦ノ後ニ我ガ真名モ教エルコトトシヨウ」
ぴょんと飛んで壁のボタンを器用に押しながらそう言い残したケルベロスは、開いた扉の隙間からハンガーへ出ていった。
俺はと言うと、無言でその背を見送る。
「……え゛、アイツ真名とか要るの? っていうかあるの? ケルベロスって名前じゃなくて実は種族名とかそんなオチ?」
と一人静かにツッコミを入れつつも再び歩き出した俺は、一分ほど通路を戻ったところにある角を曲がり、さらにその奥にあるスロープを上がる。
刹那の頭上を踊る可愛いピヨヒヨコは時間経過で八匹まで減っている。つまり星形アイコン四つ分であり、こうなれば一応外部からの刺激や薬で起こすことが可能になるのだ。無論、そのために必要な薬は、俺の手持ちはないのだが。
下と同じく透明な扉の前まで来ると、俺はハダリーに見つからないよう気休め程度に身を屈めて通る。
格納庫側壁通路には、金属パイプを組んで作った手すりに無骨な金属板を張った簡易の柵がついているため、ちょうどいい感じの盾になっていた。金属板とパイプの間にはほんの少しだけ隙間があり、目論見通り下の戦いを見るには絶好のポイントだ。
俺は刹那をそっと通路に寝かせると、広がってしまった髪を少し整えてやり、隙間から下の様子を覗き見る。
格納庫のちょうど中心では、二種の犬系召喚獣で構成される魔犬の群隊に囲まれたハダリーが、斧刃モードの偽りの洗礼を軽々と振り回して周りを牽制していた。
「我ラハ『魔犬の群隊』! コンナ嘘クセェ小娘ナンザ全群出ス必要ナンザネェノニヨォ。我ガ主様モ兄弟モ臆病ナコッタ! 血ヲ、肉ヲ寄越セ! 喰イ殺シ、噛ミ殺シ、何ヲ求メンヤ!」
元のサイズと姿に戻ったケルベロスも魔犬の群隊たちの後方に控え、『右の頭』がこれまた暴力的な台詞を吐き散らしている。
今更ながらアイツに指揮を任せたのは本当に正しかったのか心配に――――いや、むしろ既に後悔しかない。
「アマリハシャグノハヤメナイカ、“右ノ”。オ前ハイツモソレデ失敗シテイルダロウニ、イイ加減学習シロ」
『中の頭』に代わって面に出ている『左の頭』が、既に興奮で暴走気味の『右の頭』をたしなめている。
もっと常に冷静そうな『左の頭』に指揮を任せるべきだったと後悔しても、今さら声を出すわけにもいかない。
「マッタク……“右ノ”ニ指揮ヲ任セルナドト……早クモ正気ヲ疑ワザルヲエン」
『右の頭』が好戦的ということを戦い向きと誤解して憶えていたようでホントに申し訳ない――――などという自責自謝もほどほどに、視線をハダリーへと戻す。
ちょうどその時、一匹の地獄の猟犬がハダリーに正面から襲いかかるシーンが視界に入る。
ハダリーは愉しげな笑みを浮かべながら、偽りの洗礼を一閃――振り下ろしでそれを叩き落とす。しかし、次の瞬間に後方から音もなく忍び寄った死霊犬が、振り上げた太い前足の先の鋭い爪でハダリーの背中を強く引っ掻いた――――ザクリッ。
「くっ……!」
ハダリーの頭上の体力ゲージが微かに揺れ、微量のダメージを与えたことがわかる。さらにそれで怯んだ途端に両脇からハダリーに飛び掛かった地獄の猟犬二匹が、後ろの確認のため振り返ろうとしたハダリーの両手首に食らいついて、その行動を阻害する。
「放せ、駄犬ども!」
ハダリーは思わず偽りの洗礼を取り落として両腕を強く引くが、どれ程の顎の力なのか地獄の猟犬はびくともしない。それどころか二匹それぞれのもう片方の頭が、ハダリーの両の二の腕にも噛みついた。
継続ダメージによる体力減少がさらに加速し、微々たる長さずつ体力ゲージが短くなっていく。
その隙を他の魔犬が見逃すはずもなく、再び音もなく這い寄った死霊犬二匹がハダリーの背中を爪で抉る。そして、その衝撃と左右から前に引っ張られる力でぐらついたハダリーは、つんのめってドタッと倒れてしまう。
「これ、このまま行けるんじゃないか……? 意外とやるな、アイツら」
思わず浮かんでしまった楽天的な思考を振り払うと、また隙間から下を覗く。
ハダリーの手首、二の腕、脇腹、尻、太もも、足首は両側から六匹の地獄の猟犬に食らいつかれ、さらにその上には死霊犬が乗って、完璧にその動きを封じ込めようとしている。
「咬ミ殺セ、テメェラ!」
『右の頭』が吼えるように怒鳴り、地獄の猟犬たちが俄に殺気立った。
その時だ。
――図に乗るなよ、貴様ら――
ゴキリ、と嫌な音がした。
次の瞬間、足を拘束していた地獄の猟犬二匹が宙を舞った。
「まさか、あいつッ……!?」
ハダリーは、足首に噛みついていた地獄の猟犬二匹の片方の頭を足の力だけで持ち上げ、折り曲げた足でもう片方の首を挟んで力任せにへし折ると、再び足を床に振り下ろして足首に噛みついたままの頭の顎を砕いたのだ。
「なんっつー無茶苦茶な――馬鹿げた馬鹿力ッ……火事場でもあんなんまず無理だぞ、チートかよ……!」
足の拘束を振り払ったハダリーは上に乗った死霊犬の重さなどまるで無視して弾き飛ばしながら、跳ねるように逆立ちし、その場でギュンッと回転する。
途端に、脇腹と尻に噛みついていた二匹の地獄の猟犬がその身体の重さ故の遠心力に耐えられず、瞬く間に吹き飛ばされる。
「このッ――」
回転を緩めながら身体を倒して、ダンッと足音を響かせて立ったハダリーは雄叫びを上げながら両腕を頭上まで持ち上げる。
地獄の猟犬ごと。
「――畜生風情がぁぁぁぁッ!!!」
振り下ろされたハダリーの手首の下で、牙が砕け、肉が弾け、血が散る。
そして、手首も解放されたハダリーは、両手を交差させるように左右入れ違いに二の腕に噛みつく地獄の猟犬の頭を掴み――――ぐしゃり。
呆気ない音を響かせた。
「はぁ……はぁ……」
息をやや荒立たせながら、ハダリーは足元に転がった偽りの洗礼を拾い上げた。
その全身にはまだ痛々しい咬み痕が残り、全身からはたった今殺したばかりの数匹の地獄の猟犬の返り血がぼたぼたと流れ落ちる。
背中の裂傷からも血のようなものが流れているところを見ると、アンドロイドとは言え、ハダリーにも血液と似たような役割を果たす輸液があるのかもしれない。
「ふ……ふふふ……面白い、面白いぞ、人間! 貴様が狗使いだったとはな。通りで狭い部屋を出たがるわけだ。しかし、またこれも一興。駆逐してやろう――――来い、有象無象ども!」
いや、狭い部屋を出たかったのは不利だったからってだけで、別に魔犬の群隊の使用を前提に考えてたわけじゃないけどな。
「通常ダメージじゃ、あんぐらいか……」
再び交戦を始めるハダリーから目を逸らしつつ隠れるように柵の金属板に背を預け、隣の刹那に視線を向ける。
あと五ピヨ。
「って言うか、普通に起こすか……」
と考えつつも再び隙間から下を覗く。
ハダリーが半ギレなのを覗けば、まだ魔犬の群隊の方が優勢っぽいな。
「じゃあ……【狼牙の誇り】」
俺が新たなスキルの発動を告げた瞬間、ドクンと一拍――群影刀が脈打った気がした。
その途端――――アオォォォォォォォォォォオン!
格納庫中の魔犬の群隊が一斉に遠吠えを始めた。
「……ッ!? いきなりどうした、貴様ら。何かを呼んでいるのか?」
ハダリーは偽りの洗礼を構え直して、周りの魔犬の群隊を警戒するように視線を泳がせている。見るとケルベロスの『右の頭』と『左の頭』も首を上に向け、しきりに遠吠えを繰り返していた。
魔犬の群隊を出している間は常に一定量ずつ消費し続ける魔力だが、急にその減りが速くなった。微々たる差だが、時間がかかればかかるほどその差はどんどん開いていく。
「そりゃノーコストだと思ってた訳じゃないけど、地味にキツいな、コレ……」
しかし、今のところ魔力はかなり残っているし、あと一時間程度なら余裕で保つ。
遠吠えがパタリと止むと、魔犬の群隊は一斉にザザザと動き始める。ハダリーの周りを回りながら、様子を窺うような素振りを見せた。
何処か、空気が重い。
パッと見ただけでは違いはないように見える――いや、外見上の違いはないのだろう。明らかに違うのはその雰囲気だ。近寄りがたい強者のオーラとでも言うべきか、まるで『完璧に統制のとれていた軍隊』から『弱肉強食の世界を生きる覇者』に変わったような感じだ。そしてその推測はおそらくそれであっているのだ。さっきの遠吠えは何かを呼んでいるのではなく、いわば『目覚めさせる』ためのもの――――彼らは『兵隊』である前に『獣』なのだと。
「我ラハ世界ニオイテ強者デアル」
「強者ハ弱者ヲ狩リ、ソノ血肉ヲ己ガモノトスル! 行クゼ、テメェラ!」
「フン。よくわからんがまとめてかかってこい。前戯で全力を出すつもりはなかったが、こうなっては力の出し惜しみはやめてやろう。狩りをしているつもりのようだが、これから狩られるのは貴様らだ!」
ハダリーはそう叫んだかと思うと、偽りの洗礼を突然振り上げ、後ろに投げ捨てた。周囲の魔犬の群隊が落下点から飛び退くと、ズンと地響きがするほどの重い音を響かせて落下する。
そしてハダリーはまるで徒手格闘でも始めるかのように両手の拳を握ると、
「犬ごときがこの力を目の当たりにする僥倖、感謝するがいい――――【潜在一遇】……」
ニィッと口角を吊り上げて笑った。
Tips:『気絶』
打撃や物理攻撃・爆発等で一定以上の衝撃を受けた場合に確率で付与されるデバフ。付与されると受けた衝撃の強さに応じて1~5の気絶深度が設定され、プレイヤーの意識は強制的に睡眠に近い状態になる。気絶中はその深度と同じ数の星が記されたアイコンが表示される他、深度×2匹分のヒヨコのエフェクト(通称ピヨヒヨコ)が頭部の上をくるくると回る。気絶深度5の場合、気絶デバフはあらゆる状態異常回復効果の影響を受けず、唯一時間経過のみで気絶深度4まで回復する。気絶深度4以下は有効な気絶回復アイテム(通称気付け薬)を使用したり、低深度では身体を揺することでも回復するが、気絶深度5と同様に時間経過によって徐々に気絶深度が減少するため放置されてもいずれ自然回復する。




