(27)『魔犬の群隊-バスカーヴィルズ-』
大切な仲間の無事に少年は一先ず安堵する。
戦いに備えよ。その傍らには不死の忠犬バスカーヴィルズが控えている。
「とりあえず……回復か」
気絶状態の刹那が自分でアイテムを使えるわけもなく、俺は自分のボックスから取り出したなけなしの回復薬を刹那の身体中の細かな擦り傷――頭や顔、手、お腹、太もも等にぶっかけていく。
この世界の各種薬アイテムはその九割が経口摂取で効果を発揮する。
特に液体薬、所謂“ポーション”は全て飲むことができ、そのため余程変なものでなければ、飲みやすい味――もとい飲むことが可能な味がついているのだが、それはさておき。今回のような場合のため、ポーションの殆どはかけることでも効果を得ることができる。
患部にかければ単純に飲むよりも治癒効果が早く発動するため、怪我による行動阻害は少なくて済む。その分、全部が効果を発揮できるわけではないため、パラメータ上の回復量は少なくなるが。
ちなみに患部以外でもかければ回復できないことはないが、治癒の早さでも回復量でも他の二つに劣るため、メリットがなさ過ぎて誰もやらない。
怪我の治癒を確認すると、二瓶目のポーションの残りを少し刹那の口に含ませる。と言っても飲むと言えるほどの量ではなく口を湿らせる程度だったが、体力は一先ず上限まで回復した。
普段は悪口毒舌を呼気の如く滑らせる唇も、当然だが触れてみるとその感触にトゲは感じられない。柔らかくて、少し弾力があって、ほのかに湿っている。
刹那を鬼か悪魔かと思うことは多々あっても、人間であることを再確認するなんてなかなかあることじゃない。いや、むしろ刹那に限らず誰かが人間であることを再確認する機会なんてまずありえない。
閑話休題。
「さて……」
俺はハダリーが消えた廊下の先に視線を遣りつつ、主格納庫へと向かう通路を頭の中に思い描く。
ハダリーは三十分以内にと言っていたから、残りは約二十分。今までに進んできた道を引き返す形になるから、到着時間はある程度調節できるだろう。
「またしばらくしたら電子人形が湧くだろうし、ここに置いてくわけにもいかないな……」
暫し黙考した俺はため息を吐きつつ、刹那の身体を両手で抱えるように抱き上げる。
背負うことも考えたが、刹那の着けているすらりとしたフォルムの西洋鎧〈*聖鎧・橙〉の構造上、胸部を覆う胴装備のやや角張った部分が背中を痛めつけてきそうな気がしたのだ。無意識状態でも俺にダメージを与えられそうだった辺り、何処か刹那らしいが。
「行くぞ、ケルベロス」
俺がそう言って歩き始めると、地獄の番犬(ただし四分の一サイズ)の『左の頭』と『中の頭』は無言でこくりと頷くと、後ろをついてくる。
ちなみに『右の頭』はと言うと、最初同様やはり寝ている様子だった。ケルベロスは三つの頭が順番に寝る、という逸話をこういう形で再現したのだろう。
「ていうか地味に重いな……」
「刹那殿ガ、デアルカ?」
「いや、多分鎧の重さが大きいと思う」
前にわけあってほぼインナー姿の刹那を抱え上げた時は、『案外軽いな』なんて感想を漏らした憶えがある。勿論、その直後には『案外ってどういう意味よ』などとキレられたオチまでついているが。
あるいは体格が大きく変わってしまったことにも原因があるのかもしれない。ステータスパラメータ自体は変わっていないようだったが、今の俺の身長は刹那より少し高い程度。腕の長さもやや変わっているし、体感に影響が出ていてもおかしくない。
「あ」
抱えている関係上、俺の右肩に頭を預けるようにして密着する刹那に目を遣った時、ふとあることを思い出して声を上げた。
「ドウシタ、我ガ主ヨ」
『中の頭』がそう言うと、同時にケルベロスの姿がどろりと溶けた。そして、一度真っ黒な水溜まり状に戻るとまた膨らみ、一回り小さい真っ黒の狼のような姿に変化した。そして、俺の隣に並ぶ。
通路幅を考えると、頭が三つもあるのは邪魔だったのだろうが――――それでいいのか、三頭犬。
「いや、この防具――フェンリルテイル一式のスキルの内容を確認し忘れてたなー、って思って……」
刹那に聞くのも忘れていたし、今から確認しようにも両手は刹那で塞がっていてウィンドウを開くことができない。
ハダリーと戦う直前にでも確認するか、あるいは使うのを――――と半ば諦めることにした時だった。
「【死骸狼の尾】【強者の威圧】【狼牙の誇り】【無力の証明】……デアルカ?」
「知ってるのか?」
まさかこんな土壇場で役に立つとは。
「知ッテルモ何モ、ソンナコトモ知ラズニソレヲ纏ッテイタノカ、我ガ主ヨ」
「うっ……タ、タイミングが悪かったんだよ。そもそも【死骸狼の尾】と【狼牙の誇り】は聞いたこともなかったし、この防具は手に入れたばっかりだッ」
呆れたような目を向けてくるケルベロスから目を背けつつも、たまに要領の悪い自分を人知れず嫌悪していると、ケルベロスは歩く速度を速めて俺より少し前に出た。
そして、床に垂れ下がっている尻尾を少し振って見せてくる。
「【死骸狼の尾】ハ、倒シタ敵ニ偽リノ生命ヲ与エ、ソノ場ニ限リ一匹ダケ使役スル事ガデキル能力デアル。アマリ多用デキルモノデハナイガ、使イ勝手ハ悪クナカロウ」
そう説明を始めた。
「“その場”ってのはどの範囲だ?」
「使用シタ『独立フィールド圏内』デアル。自身、或イハ主ノ仲間ガ討伐シテイルコト以外ニハ条件ハナイガ、使役スル相手ノ“格位”ニヨッテ消費スル魔力量ハ変動スル故留意セヨ」
「了解。じゃあ、後は【狼牙の誇り】」
「使用者ノ使役スル『犬・狼系モンスター』ノ全能力値ヲ一時的に強化スル能力デアル」
「使役する……召喚獣のことか?」
「ソウトハ限ラヌ。先ノ【死骸狼の尾】デ使役シテイル状態デモ効果ヲ受ケラレルノデアル。故ニ要約スルナラバ、我ラ『魔犬ノ群隊』及ビ使役シタ『犬・狼系モンスター』ノ能力値ヲ上昇スル、トイウワケダ。当然ソレ以外ノ輩ニハ適用サレナイ」
「それに雑魚殲滅のスキルに疑似バインド・ボイスか。強いのはわかるけどもう少し汎用性が高いのはなかったのかよ……」
俺が思わずそうぼやくと、ケルベロスは「何ヲ言ウ」と心外そうに呟いた。
「其ハ犬狼眷族ノ頂キニ鎮座セシ覇者ノ一柱ニシテ、悪名高キ狡猾ナル王。終世ノ兆シヲ顕シ天ニ牙ヲ向ク大イナル反逆者。其ハ冥府ヘ堕チタ不死ノ軍勢ヲ意ノママニ従エ、賢臣ニハ加護ヲ授ケ、奸臣ニハ呪イヲモタラシ、弱者ヲモ――」
「いや、待て待て待てッ。別にそういうのは言わなくてもいい、と言うか要らん!」
「ム? シカシ、イクラ主ト言エド、我ラモ侮ラレタママデハ些カ心地悪イノデアルガ……」
面倒くさい負けず嫌いタイプだな。
「別に侮ってない。それよりさっき……あの時に使ったのは何なんだ? あの刹那たちを閉じ込めた――」
「『不可転式球状牢』ノコトデアルカ? アレハ魔犬の群勢トイウヨリ、我ノヒトツノ特性デアル。死者トイウ連中ハ現世ノシガラミカラ逃レタ途端ニ勝手ニナルモノデナ。ソレヲ生ケ捕リニ――マァ、死ンデオルガ……。地獄ニモ牢獄ガ必要デアロウ?」
「なるほどね……。まぁ、さっきの言葉は撤回しておく。代わりにあっちに着いたら全群出てもらうからな」
「心得タ」
半分ほどの距離を進んでくると、通路の向こうからガーンガーンと何かを殴り付けるような音が響いてきた。
「何やってんだ、アイツは……」
おそらく〈*偽りの洗礼〉を何か硬い金属質のものに叩きつけているのだろうが。
そんなに暇か。
「そう言えば、一番戦闘向きのモードってやっぱりあの時みたいな『妖魔犬』なのか? あの、なんかドーベルマンっぽい感じの」
正直、ドーベルマンやジャーマン・シェパードのような軍用犬やポインターやボルゾイのような猟犬、ブルドッグや土佐犬等の闘犬辺りなら普通に戦えそうな気はするのだが、普通に戦える程度ではあのアンドロイドには勝てないだろう。それで一応、犬側の意見も聞くべきだと思ったのだ。
普通にありえない経験だしな、犬に意見を仰ぐとか――――などと苦笑していると、ケルベロスは何故かまた不服そうに俺を振り返って見上げてきた。
「犬ノ身体ニ向キモ不向キモアルモノカ。種々違エドソレゾレニ己ノ戦場ヲ持チ、ソノ場デノ狩リニ適シタ体躯ヲ有シテイル。ソコデ選択肢ヲ望ムナド愚ノ骨頂デアル、我ガ主ヨ」
「んなこと言ったって、こんなところでチワワ出しても役に立たないだろうが……。っていうか魔犬なのにチワワとかプードルとかの愛玩犬にもなれるのか?」
「『フェンリル』以外デ犬ヤ狼ノ“属性”ヲ持ッテイレバ、『アヌビス護神兵』ヤ『半人半狼』等ホボ何デモナルコトガ可能デアル。シカシ、今ココデ役ニ立ツカト問ワレレバ、答エハ否。オソラク〔地獄の猟犬〕ヤ〔死霊犬〕ガ主ノ意ニ沿エル形状デアル」
「ヘルハウンドとグリムね……何ソレ?」
「モウ少シ一般常識ヲ身ニツケヨ。コノ世界ニ於イテハ、イクラアッテモ困ルモノデハナイデアロウニ」
犬に一般常識とか絶対に言われたくない。確かに知識に乏しいのは自覚しているが、犬のことに関してはそもそも一般常識的な知識の範疇にはないと思う。
「ドチラモ伝承ニ名ヲ残ス名高キ犬狼眷族ノ者タチダ。〔ヘルハウンド〕ハ双頭ヲ持ツ地獄ノ猟犬。ソノ姿ヲ見タダケデ、常人ハ命ヲ落トス――――主ラ基準デ言エバ“死ヲモタラス怪物”デアル」
「見ただけで死ぬってことか。まさかそんな能力実装されてないよな?」
「視覚ヲ持タナイ者ドモハトモカクトシテ、最低格位ノ魔物グライナラ触レルマデモナク軒並ミ屠ルコトガ可能デアル」
かなり限定的とは言え、実装されてるのかよ。
「基本的ニドノ形状デモ『コピー』デキルノハ身体能力ト存在特性ノミデアル」
「存在特性?」
「ソノ犬狼眷族ガソノモノタリエル象徴的ナ特性デアル。地獄の猟犬ノ特性【一目凌然】モ存在特性ノヒトツトイウコトダ」
要するにドレッドホール・ノームワームの【大地喰らい】みたいなアレか。スキルと言うわけではなく、攻撃パターンのひとつみたいなものだ。
「それで、グリムってのは?」
あまり時間がないこともあって、話を元の路線に戻して訊ねると、ケルベロスは少しの時間思案するように押し黙り、
「……〔グリム〕ハ死ソノモノガ集マッテ生マレタ死霊犬デアル。ソウイッタ成リ立チ故ニ常人ニハ認識デキナイ特性【死して尚顕在】ヲ持ツ。本来ノ伝承ニ於イテハ死ヲ目ノ当タリニシタ者ニシカ見エナイノダガ、コノ世界ニ於イテハHCSガ関係シテイル」
「ハイディングステータスか」
Hiding Capability Status――つまり隠密性能のことだ。
この数値が高ければ高いほど敵に見つかりにくくなったりするのだが、これは逆に何らかの方法で隠れているものを発見する索敵能力にも大きく関わっているのだ。
「我々ノHCSヨリ値ノ低イ相手ニハ、死霊犬ノ姿ヲ捉エルコトハデキナイ、所謂『ステルス』トイワレル能力デアル」
「ステルス……まぁ、つまりアイツの索敵能力が低ければギリーモンスターになれるってとこか。んで、お前らのHCSいくつ?」
「現時点デ5130」
「隠す気もなくチートかお前ら」
5130なんて、隠蔽性能に優れた種族の中堅プレイヤーでもある程度ポイントを注ぎ込まないと不可能な値だ。あまりハイディングに執心していなかったとはいえ、上位プレイヤーの俺でもその数値のやや上――つまりギリギリだった。
だが、死霊犬とやら、試してみる価値は十分にありそうだ。
Tips:『隠密性能』
Hiding Capability Statusの略で、プレイヤーが持つステータスの一種。その名の通り潜伏・隠蔽等に加え、反対に索敵・調査・偽装等の精度にも影響する。直接的に戦闘に関連するステータスではないため基本的に軽視される傾向が強いが、ボス級のモンスターの大多数はこの数値が高く、さらに厄介な特性を持つとされる能力の大半が隠密性能に影響している等非常に重要なステータスでもある。




