(24)『“仲間”』
機械仕掛けのエデンの園で新たな魔犬の主が命令を下し、現れた統率者は嘆息する。
主をよそにたちまち始まる口喧嘩を傍目に、束の間の状況整理で浮かび上がった謎と不安が少年の目を陰らせる間に、その足元まで危機は潜み忍び寄ってきていた。
亡國地下実験場。
第三研究区画専用小格納庫――。
俺が狭い上に地味に長い通路を抜けてその空間(構造図で言えば向日葵の花に当たる最奥区画だ)に出ると、倒れている電子人形の背に腰かけていた刹那が顔を上げた。
見回すと、彼女の下にある一体以外には付近に倒れている二体だけだ。
「やっと来たわね、シイナ」
俺を待つ間の暇潰しに、軍用ナイフより一回り小さい狩猟用ナイフ〈*サバイバル・クッカー〉を手で回して遊んでいたようだ。
「さすがに油断しすぎだろ、刹那。いくら敵が出てこないからって」
「敵なら出てきたわよ」
「は? 何処に?」
俺が聞き返すと、刹那は組んだ膝に左肘を付け、頬杖を突いて退屈そうに視線を泳がせた。そして、右手の〈*サバイバル・クッカー〉を軽く放り、空中で逆手に取ったそれをお尻の下に敷いていた電子人形の頭に突き刺した。
「コレ」
さっきまで動いてた電子人形を平然と尻の下に敷いてるのか。
「前来た時よりずっとチョロかったわ」
「そうなのか?」
口では盛大に驚きつつ、刹那のステータスの消耗量を確認する。
「三体で体力半分と魔力三分の一、それに気力四分の一か。確かに前よりは随分楽そうだけど、やっぱ苦戦はしてたんだろ、コレ。何があるかもわからないのに、何で回復しとかないんだよ」
「イヴに回復して貰おうと思ってたのよ。あの子、私が戦ってるってのにアンタを呼んでくるって戻ってっちゃったのよ。おかげで余計面倒な――――って、あれ? アンタ一人よね。途中であの子に会わなかった?」
「――っ!? 俺は、会ってない……」
俺の答えを聞くや否や、刹那は半ば地面を蹴るようにしてバッと立ち上がる。
「イヴは一人じゃ戦えないし、レベルだって足りてないッ。やっぱり無理してでも止めておくべきだったかも……」
刹那はいざという時のために既に出してあったらしい小瓶を軽鎧の胸元から引っ張り出すと、フタを開けて一気に飲み干した。
「お前、どんなところから……小さいのに無理して」
「あ゛?」
「いや、何でもない……!」
開いたままだった刹那のステータス画面の体力・魔力・気力が上限まで全快する。
彼女が今飲んだのは『古代万能薬』だろう。
薬系アイテムの中でも最高の効果を持ち、その値段も突出して群を抜いているかなり上質な代物だ。
「行くわよ、シイナ」
そう言って通ってきた通路に刹那の隣、やや後ろ気味について走りながら、大罪魔銃からさっき使ってしまった無駄弾三発分の空薬莢を抜き、戦闘に備えて補充を済ませておく。
「ミイラ取りがミイラ、なんてことになったら笑えないよな」
「そんなことになったら全力で逃げるわよ。今唯一信じられるのはアンタたち仲間……だけだし、今唯一の希望は自分自身の培ってきたこのレベル――――上位プレイヤーとして遜色ない実力だけだし……」
“仲間”という言葉を口にする一瞬だけ、刹那の表情に陰が落ちたのがわかった。
その理由は、おそらく――――いや、間違いなく儚だろう。
元は仲間だった、信頼していた彼女は、今やこんな事件を起こした首謀者になってしまったのだ。
“仲間”という言葉を口にした、それを思い出したごくわずかな時間――刹那に揺らいだその言葉の定義に思わず口を噤みかけたのだ。
しかし刹那はすぐに顔を上げると、
「――ったく、シンもリュウも何やってんのよッ! シイナ、全部終わったら二人ともボコボコにするわよ! 泣いたら泣きっ面に狼牙棒ぶちこんでやるわ」
鬼か。
走りながら自身を鼓舞するようにぐっと拳を握る刹那の真顔の最後の台詞には、本能的な恐怖を感じずにはいられなかった。
そんなところでふと刹那が立ち止まり、自然と俺も停止する。
「どうした?」
「……シイナ、アンタこの通路に何本横道があったか憶えてる?」
「ん? ただの部屋除けば一本だろ。ただし先は行き止まりの袋小路」
「途中の部屋は? いくつある?」
「さすがに部屋数までは憶えてねえよ」
「二百五十六部屋ね」
なんで横道の数は憶えてないのに部屋の数は憶えてるの、コイツ――――そんな疑問と不満が顔に出ていたのか、刹那は黙って立てた親指で後ろを指差す。
振り返ると、傍の部屋の自動スライドドアの上にはルームプレートが貼られていた。そのプレートには部屋番号もしっかり書いてある。
「さっきのトコ出た後に見といたのよ」
なら訊くなよ――――とでも言ってやりたいところだったが、刹那が暗に俺に示唆していることがわかってしまったが故に文句を言いづらかった。
「二百五十六は三百一より少ないってことか……」
「珍しく察しがいいわね。アンタがそこまで鋭いなんて体調悪いの?」
「どんな理屈だ」
「そういう理屈よ」
理屈も何も、理論を超越してるんだが。
俺はため息を吐きつつ、改めて腰に差していた〈*群影刀バスカーヴィル〉に視線を落とす。同時に自分の格好を再認識して「これはない……」とか何とか口走りそうになるのは置いといて。
ついさっき解放された――つまり使用できるようになったスキル【魔犬召喚術式】。ここに来るまでに名前の表記共々変化して表示されていたスキル詳細に軽く目を通したが、言うなれば高汎用不定形召喚獣を召喚できるかなり特殊なタイプのスキルらしい。
俺は刹那が見守る中、群影刀を鞘帯から外していつでも抜けるように捧げ持つ。付加スキルである以上装備されていればスキルを使うことができるが、さっき第二百二十四層であったことを思うと油断はできないのだ。
「――【魔犬召喚術式】」
ドクンッ。
再び心臓の鼓動のような音が脳裏に響き、魔力を消費した時特有の気分に多少の影響を与える程度の喪失感。
そしてそれがスッと消えると同時に、ドプンッと水を容器に注ぎ入れた時のようなあの音が狭い通路内に響いた。
暗闇色の水溜まりが床に広がり、ぞわぞわと蠢き始めたかと思うと、漆黒の毛並みを持つ大犬――否、精悍な顔付きの狼が姿を現した。
「呼ビ出シニ応ジ参上仕ル。我ハ『バスカーヴィル』筆頭『ケルベロス』ガ中ノ首ニテ候ウ――」
黒狼が頭を垂れ、そんな口上を並べ立てる。そして頭を上げて周りを見回すと、再びこっちに向き直り、いわゆる『お座り』の体勢で俺を見上げ、
「――ト聞キ苦シクナイ程度ノ文言ヲ用イテミタハイイガ、デキレバ出ス前ニ形状指定グライハシテモライタイモノダナ、我ガ主ヨ。重ネ重ネ、全群ヲ欲シテイルヨウダガ、コノヨウナ狭イ屋内デ本当ニ我ラ全群総数三百一頭ヲ出セルノカ、常識的ニ今一度考エテミルガイイ」
「すいませんでした……」
いきなり犬に怒られてる俺って、どんな立場なんだろう。今は狼だが。
「気ニカケテオケバソレデイイ。チナミニ、今ノ形状ハ見テノ通リ狼デアル。タダシ我ラ筆頭ノ三首ハ如何ナル形状ニオイテモソノ身体ハ同ジモノトナルモノト心得テオクガイイ」
「了解」
「トコロデ我ラヲ使役スルニ辺リ、合ワセテ装イヲモ変エタノカ、我ガ主ヨ」
「あ、ああ……別にお前らに関係してるつもりはないけどな」
「何ヲ言ウカト思エバ、デアルナ。〈*フェンリルテイル〉ハ我ラ『魔犬群』ヲ従エシ者ノ装イデアル。我ラハ神ヨリ生マレシ死骸狼公ニ敬意ヲ表シ、ソノ群勢ノ末席……則チ『フェンリルテイル』ニ名ヲ連ネ、ソノ力ノ一端ヲ担ウ――――トイウ裏設定ガアルノデアル。二ツヲ揃エルコトデ、装備詳細ノ文章モ変ワルノデアル」
「お前の立場で裏設定とか装備詳細とか言ってんじゃねーよ……」
ログアウト不可能のせいで既にゲーム気分はぶち壊しになってる今でこそ気にするほどのことではないが、FOフロンティア内のNPCが『ゲーム』だとか『設定』だとかそういうことを言っていいのはチュートリアルまでだ。
とりあえずROLが妙なところで極度の凝り性だという今さらな事実を再認識することができた。
「そんなことはどうでもいいわ、犬。結局妖魔犬とやらは出せるの? 出せないの?」
「フム、結論ヲ言エバ出セルガ無条件ニハ出セヌ。ココデハ全群ヲ出スニハ些カ以上ニ狭スギルノデアル。オソラク出セテモ二十ガ限度デアロウ」
「少なッ。シイナ、コイツら大して使えないかもしれないわね」
暴言の同意を俺に求められても本気で困るんだが。ケルベロス(?)の言い分にも普通に理はあるし。
「刹那殿、サスガノ我デモ目前デ言ワレレバ傷ツカヌワケデハ――」
「文句言ってる暇があったら三十匹くらい出しなさいよ、役立たず」
「聞イテオルカ?」
「聞いて欲しいの?」
よく狼と口喧嘩できるな、と思わなくもないが、そんなことよりもこの二者(一人+一匹)の頭からイヴのことが吹っ飛んでいないかが心配だった。
「二十八匹」
「二十三匹ナラバ」
「二十六匹」
「仕方ガナイ、二十四匹デ――」
「二十五匹」
「ムムム……」
何やってんだ、コイツら……。
刹那とケルベロスのアホな会話に見切りをつけ、俺はもしかしたらと思いつつも近いところにある部屋を見て回る。
どの部屋にも電子人形の残骸が数体倒れていて、その全てがうつ伏せになっていた。
「やっぱ偶然にしては多過ぎる……のか? でも全部がこうなる理由なんて――」
一体を足で引っくり返す。
これもまた格納庫で見たのと同じように、穴が胸の動力炉まで貫通し、一撃の超威力で体力を全損しているようだった。
「…………やっぱ妙だな」
部屋の中にある残り二体の残骸も同じような壊され方をしている。
この数と戦うには狭い六畳ほどの空間で、全て同じ壊し方をするなんて不可能とは言わないが至難の技で不自然だ。ここだけならまだしもあの広い格納庫に大量に倒れていた全てを同じようになど、それこそ不可能。
考え得る理由は、電子人形をほぼ無抵抗で一方的に殺れるほど強いか、あるいは抵抗を許さない状態で攻撃できる――。
「…………アンダーヒル?」
確かにあの遠距離からの一方的な攻撃、通常射程外隠密狙撃ならばそれは可能――――いや、ダメだ。それでは一様にうつ伏せになっている理由がまったく説明できないし、トドロキさんが言っていた通り、こんな狭い場所では不可能。
背中までは貫通していないようだし、真正面からの攻撃であるのは確定事項。さっきは関節の構造上前に倒れやすいとは言ったが、貫通していないということは基本的に銃弾以外の物理攻撃だ。それを身体だけで受けたのなら、前に倒れることよりも後ろに吹っ飛ばされることの方が多い。
「やっぱ、何かありそうだな……アンダーヒルと合流した後、一応話として上げておくか」
その時、カシュッと背後で自動スライドドアの開く音がした。
「話は終わったのか?」
電子人形の傷口を詳しく調べようかと、内部を覗き込みつつもそう返すが――――返事がない。
「刹那?」
もしかしてケルベロスだったか? と思った時だった。
「あ、ええ。お話でしたら終わりましたよ」
刹那の声、ではあった。
「何だよ、その喋り方。ぜんぜん似合ってないって……の?」
振り返ったそこには確かに刹那が立っていた。
だが、思わず語尾が疑問調に上がってしまったのは、その手にある武器が彼女愛用の短剣〈*フェンリルファング・ダガー〉でも〈*サバイバル・クッカー〉でも、かつて幾度となく儚に向けてきた〈*X9エッジ〉でもなかったからだ。
半月斧と射突式破甲槍の機構を切換式で並立させた単一武器カテゴリ――可変機械斧槍。
彼女は明らかにその身の大きさに不釣り合いな取り回しの悪いそれを低く構え、戦闘体勢に入っていたのだ。
「お前、それ……どうしたんだよ……」
違う。
そんなことを訊くために、俺は口を開いたわけじゃない。そんなことよりもまず、コイツに問いたださなければならない。
彼女の足元に見える人の手は誰だ。彼女が踏みつける短剣の刃、それを握りしめたまま微動だにしないその手の主は誰なんだ。
その短剣を――――嫌と言うほど見慣れた〈*フェンリルファング・ダガー〉を握っているあの手は誰だって言うんだ。
この刹那は誰だ……!?
「お前……誰だ?」
その瞬間、彼女の頭上に浮かぶ[刹那]の文字が明滅し、それがかき消えて現れた文字列は――――[イヴ]。
「私は未来のイヴ計画によって生み出された電子仕掛けの永久乙女の末妹、その名前はイヴ――」
カチャンカチャンと奴の身体がブロックに分かれて組み変わっていき、瞬く間にさっきまで一緒にいた[イヴ]の姿に変じた。
「――という設定に裏打ちされた特例の存在だ。いわばROLの遊びの部分だな」
この世界のNPCは、どいつもこいつも臨場感――その空間の雰囲気をぶち壊しにするような言動ばっかりするんだよ。
「お前が誰かなんて二の次以上にどうでもいい。それにお前の立場で“ROL”なんて言うな、とかも思いはしたけどどうでもいい……」
「何か言ったか、人間」
イヴの姿をしたそれは、不遜な態度でそう言う。
「言ったさ。お前――――俺の仲間に手ェ出してただで済むと思うなよ、クソガキ」
Tips:『古代万能薬』
FOにおける調合可能なポーションの中で最上級の効果を持つ回復アイテム。指先程のサイズの小瓶に入っており、雫一滴であらゆる外傷を治癒し、体力・魔力・気力をMAXまで素早く回復する効果がある。その回復速度は一滴分で大多数の回復アイテムより速く、飲んだ量が多ければ多い程その効果も高くなる。一瓶飲み干せば最上位プレイヤーのステータスでも一秒足らずで回復する程。効果が高いだけに調合の過程も複雑で、『調合系スキルを全部取り、前提条件を最速三日で揃えても最後の調合成功率が一パーセント以下』と揶揄される。




