(15)『笑顔の時が』
≪アルカナクラウン≫ギルドハウス、地下一階――
「やっと帰って来たわね、シイナ」
階段を降りてきた俺を迎えたのは、よく見知ったいつもの顔触れと件の客人シャノン。それにある意味予想通りの、刹那の呆れたような声だった。
案の定つんとした澄まし顔でこちらを見遣る刹那の背後には、首尾よく足止めに成功したらしいレナが控えている。少し誇らしげな表情を見るに早速俺に頼りにされたことが嬉しいのだろうか。あるいは単純に本人の気分次第といえる刹那の足止め任務を遂行できたことが嬉しいのか、どちらにしろ感情と表情が一貫してる辺りは、やはり犬の属性持ちだ。
「遅れてごめんなさい。ちょうど外に出ていたものだから」
刹那の第一声を受けて、その隣に立っている何処か楽しそうな表情の少女のような女性――シャノンにそう返す。特別に召集があったわけでもない以上謝るべきかどうかは悩みどころだが、一応ギルドを代表する立場としてシャノンを迎え損ねたことは詫びておこうと思ったのだ。
だが、対するシャノンは案の定少し困ったような笑顔で首を振った。
「いいよいいよ、全然大丈夫……というか寧ろ私がごめんね。うちとしても急な話だったから、アポもさっきの今でいきなり来ちゃったし」
「ありがとう、そう言ってもらえると助かるわ。今日の攻略は元々午後からの予定だったし、こっちのことは気にしなくて大丈夫だから」
シャノンの気遣いに微笑んで返すと、向こうも同じように相好を崩す。
アンダーヒルやアプリコットからは“死神”や“毒蛇の王“等とおよそ人間に対する評価とは思えないような警告を再三受けているが、基本的にこのシャノンという人物は付き合いやすい部類の人間だ。
人付き合いや気遣いに達者で、常識的な行動規範から外れることもなく、件の誰かのように頑なな秘密主義でも、また別の誰かのように持て余した暇を他者への悪戯に費やすわけでもない。ましてルークの言葉を借りれば、彼女はこれでも最近ピリピリしているらしい。それでも外面はこうして人当たりよく取り繕っているのだから、悪印象など抱くはずもなかった。
「それでシャノン、今日はどんな用事で来たの?」
俺がいない間に話は進んでいただろうと思ってそう促すと、シャノンは「あー、うん」と言葉を濁しながら、何処か気まずそうに視線を泳がせた。その不可解な反応に二の句を継ごうとした瞬間――――パンッ。
それを見越して遮るように、不意に手拍子が鳴った。
その場にいた全員の視線が音がした方に吸い寄せられると、その視線の先にいたトドロキさんがそれはそれは愉しそうなしたり顔で両の手を擦り合わせていた。
「まーまー、こんなとこで立ち話しとらんとはよ行こうや。どうせシイナが帰ってくる前から話はほとんど終わってるようなもんやし、渦中の坊やはすぐそこや。説明するもしないも道すがらでええやろ」
「渦中の坊や……? って、ちょ、ちょっと、押さないで」
「まーまーまー♪」
俺の疑問の声を無視して背中を押してくるトドロキさんに抗議していると、おおよそ大勢は決まったと見たのか、成り行きを見守っていた他の面々もぞろぞろと無秩序な隊列を組んで後をついて歩き始める。
正直トドロキさんの言うことも一理あるとは思うのだが、相変わらずギルドリーダーとしての扱いが雑なせいか、納得できない部分も多い。凶行封鎖以降のパワーバランスを考えれば、自然とこの流れになってしまうのは仕方ないにしても自分だけが把握できていない状況が純粋に面白くない。
「大体すぐそこって……この階にあるのは倉庫と牢屋くらいで今は誰も――」
「そのロッジらしいわ」
俺への対応を見かねてか、もしくは単にシャノンの前であまり見苦しい姿を見せたくなかったのかはわからないが、先頭を歩かされる俺に追いついてきた刹那が珍しく助け舟を出してきた。
「ほら、いたでしょ。ドレッドレイドの雑魚集団が来た時に適当に放り込んどいたアキラっていう胡散臭いのが」
「……え。あ、あれって巡順争の前じゃなかった? 随分放置してない?」
「私は忘れてたわ」
刹那はあっけらかんとした口調でそう言い切ると、事も無げにフンと鼻を鳴らした。それ自体は威張れることでもないとは思うが、たとえ他の誰かが同じ立場だったとしてうっかり忘れても無理からぬ話だろう。
何しろただでさえ一大イベントだった巡順争――“巡り合せの一悶着順争”に加えて、その最中に起こった儚の襲撃、更に最前線連合“攻略戦連”の発足、いくらなんでも一週間程度の間に色々と詰め込まれ過ぎだ。
「まあ、あの小僧のことはあたしが忘れてねーから安心しろよ」
苦手なシャノンがいるからか、それとなくリュウの巨体の後ろに隠れていたらしいアルトが声だけでフォローを挟んでくる。今の位置からは彼女の顔を見ることはできないが、呆れたような顔が目に浮かぶようだ。
「ありがとう、アルト。私もうっかり忘れてたから助かったわ」
「気にすんなよ、おねーちゃん。大体あの小僧を下に案内したのはあたしだし、最低限面倒は見るさ。っても実際に世話してたのは理音で、あたしはあれから顔見に行ってすらいねーけどな」
アルトの言い草もそれはそれで威張れることではない気もするが、何れにせよすっぱり忘れていた俺や刹那にとやかく言える筋合いはないだろう。
「でもどうして今になってアキラを? しかもシャノンが?」
当然のように浮かぶ疑問を口にすると、シャノンは再び苦い笑いを浮かべた。
「実はその巡順争の前から、≪ハーテン・クオリア≫……あ、問題のアキラくんがトラブって逃げ出したギルドね。そこからの依頼で行方を探してたんだけどね。途中から足取りがまったく掴めなくて困ってたんだ。まさか«アルカナクラウン»で保護されてるなんて思わなかったから」
旧連合四祖が協力体制を築いてから攻略戦連発足までの間、その内部での情報の取扱いは特に慎重になっていた。たとえそれが、ドレッドレイドの襲撃とタイミングが重なったという理由で拘束されていたアキラのことでも同様だ。その上、アキラをこの辺りまで連れてきたのはアンダーヒルですら撒いたというあの仮名だという話だから、如何に情報通のシャノンであっても見失うのも無理はない。
「そういえばこっちに来た時そんなこと言ってたものね、あの子。ようやく話が見えたわ。シャノンはそれでアキラの身柄を引き取りに来たってことなのね」
「うんうん、そんな感じ。≪ハーテン・クオリア≫のGLさんが物凄い怒っててね。まあ怒ってたのは私たちのとこに依頼持ち込んだ時だけで、さっき連絡したら普通にテンションだだ下がって、一応連れてきてみたいな感じだったけどね」
「うわぁ……」
実際に何があったのか事細かに聞いたわけではないが、一度時間が解決してしまった激情の拳を再び上げるのは難しい。案外実際に要請通り連れて行っても、お互いに気まずくなるだけのような気もする。
何にせよたまたま当事者が紛れ込んだだけで、本来≪アルカナクラウン≫には影響のない話だ。アキラやシャノンには若干申し訳ない気もするが、引き渡せば終わりというのはこちらとしても面倒がなくていい。
そんなことを考えている内に件の牢屋に到着すると、中から男女の賑やかな、もとい騒がしい声が聞こえてきた。
「何? 痴話喧嘩?」
隣で刹那が怪訝そうな声をあげる。
声は扉越しでほとんど聞き取れないが、男の方はおそらくアキラで間違いないだろう。やや中性的で幼さの余韻が残るその声は、普段聞き慣れていないだけに記憶にある彼のものと合致する。一方で女の方は候補も多いが、この牢屋に出入りする面子から消去法で考えれば十中八九メイドの理音だろう。元々候補の大半はちょうど今連れて歩いていたのもあるが、ギルドハウス管理者の刹那ですら忘れていたゲストの世話を甲斐甲斐しくこなすのは彼女くらいだ。
「多少声は大きいが声色に緊張もない。緊急性はなさそうだな」
身体を壁に寄せ気味に割り入って扉の奥に意識をやっていたリュウが、一貫して落ち着き払った声でそう呟く。それを待ってか否か刹那は一息吐くと、いつのまにか腰の鞘帯から引き抜いていた【フェンリルファング・ダガー】をくるりと回し、その柄でおもむろに目の前の扉を軽くノックした。
「理音、入るわよ」
「はひゃいっ! あああ、あのあの、少しだけお待ちくださいっ」
部屋の中から明らかに動揺している様子の理音の声が返ってきた。かと思うと間髪いれずにバンッと扉が揺れ、施錠状態を示す鍵のアイコンがパッと浮かび上がる。おそらく理音が慌てて扉に飛び付いて鍵をかけたのだろう。
「すぐ迎えに行くって言ってあったでしょ。開けなさい、理音」
「今あのちょっとアキラ様があのっ、アレなのでお見せできませんっ」
何してるんだ、アキラ。
メイドより強い権限を持つ施設管理者である刹那やギルドリーダーの俺がいる以上、そんな鍵はあってないようなものだと彼女もわかっているだろうが、それほどまでに拒否するということは私的な理由ではないのだろう。
あるいは客人のシャノンの前だからかもしれないが、刹那も当然それがわかっていて無理に開けようとせずに『どうする?』と確認するように俺たちの方に振り返る。ギルメンしかいなかったら容赦なく扉を開けて状況次第ではアキラをふっ飛ばして制圧していただろうから、ある意味命拾いしたな。
「まあ、理音も『少しだけ』言うてるし、待てばええんやない? シャノンもウチらも別に特別急いでるわけやないしな」
「こっちは大丈夫だよ。下手にアレすぎたら、お客の私の前でみっともないところ見せちゃうかもしれないしねー」
「それをお客が言うからジブンは嫌われるんやで、シャノン?」
「嫌われてないよ!?」
不服とばかりに悲鳴を上げるシャノンからアンダーヒルとアルトが思わせぶりに目を逸らす。表向きは実益や実務に適うよう波風立てずに振る舞っているが、二人共シャノンに対して色々と抱えているらしいからな。
俄にシャノンとトドロキさんの声で賑やかになる一同を後目に傍に控えていたレナに手招きすると、レナはやや張り切った様子でさっと寄ってくる。
「何用であるか」
「リコとテルに伝令頼む」
「如何に」
「いつでも出られるように準備を整えてホールで待っててくれ。多分カナもまだホールにいるだろうから、一応カナにも。それを伝えたら、レナはまた召喚まで一旦戻っててもらっていい」
「相分かった」
そう頷いたレナはどろりと崩れるように黒い魔力の塊に変身すると、俺の足元の影に同化するように溶けて消える。所有者の俺の影を通じてリコかテルの元に移動したのだろう、相変わらず便利な能力だ。
時間にして一分程度だろうか、そうこうしている内に扉の表面に解錠アイコンのエフェクトが浮かび上がり、俄にスライドして開いた扉の向こうから理音が姿を現した。何故かその頬には赤みが差し、余程慌てていたのか吐息もやや乱れている。
「お、お待たせしました。もう大丈夫です」
理音は動揺を隠せていないような粗い所作で深く頭を下げると扉の脇に控え、トドロキさん、シャノン、リュウと順番に部屋に入る面々に一人ずつ頭を下げている。俺の立ち位置から見える範囲では部屋の中にも見てわかる異常はなく、地上階の客間より簡素なインテリアと各所に設置されたシンプルな拘束具で統一された、いつも通りの牢屋だった。
「どうしたの、シイナ?」
廊下で一人立ち止まったままの俺を不審に思ったのか、最後に部屋に入った刹那が振り返って首を傾げた。
「いや、何でもない」
「そう?」
理音に頭を下げられながら俺も部屋に入ると、刹那からは特にそれ以上の追求もなく、刹那や俺を含めたそれぞれの視線は自然とその部屋に最初からいた件の少年――アキラに集まる。
そして、シャノンが普段通りの気安い笑顔を浮かべると、わざと興味を隠さない視線で色んな角度からアキラを観察するようなステップと共に歩み寄る。ここに来た当初は何処となく掴みどころがなかったアキラも流石に戸惑っているのか、口を開けないまま甘んじていた。
「こんにちはー、アキラくん。初めまして。私はシャノン。≪ハーテン・クオリア≫のGLさんからの依頼でアキラくんを捕まえに来ました♪」
「ごっつい笑顔で言うことやないな」
外野でくっくっとトドロキさんが小さく笑った。
「それはお手数かけたみたいで……すみませんです」
「大丈夫大丈夫。実際そんなに手間かかってないし、見つけたのもたまたまだったからね。後はアキラくんをクライアントのところに連れて行けば私の、というか私たちの仕事は終わり。ね、簡単でしょ?」
この人は笑顔の時が一番怖いかもしれない。




