(14)『客人は下へ向かった』
「おかしいなぁ……」
仮名たちとエントランスホールで別れてから間もなく十分が経過するという頃――――俺は未だに道連れの一人もなく二階の廊下をさまよっていた。不可解とばかりに一人ごちては見たものの別にどうということもない。ただ単に徘徊しながら当たりを付けていた部屋がことごとく空振りだっただけだ。
最初に予想したトドロキさんの部屋はノックをしても返答はなく、次に赴いた俺の部屋では妹を起こそうとするテルとごねるリコが寝起き漫才の真っ最中。ならばと刹那、アンダーヒルの部屋にも出向いてみたが、部屋の前まで来てもそれらしい気配は感じなかった。
「絶対いると思ったんだけどなぁ」
その後も手当たり次第に人の気配を探し歩いていると、いつのまにかフロアを一周していた。もちろん各部屋中を隅々まで探すような真似をしたわけではないが、まさか俺から逃げ隠れするような理由があるわけでもない。
おそらく一度はシャノンを二階に上げたものの、その後何かの理由で下の階に移動したのだろう。大抵の話はロビーで事足りるが、中には込み入った話や取り扱いの難しい話、あまり広めたくない話もある。そういった場合、特別理由がなければ大抵二階にある誰かの個室を使っているが、必要に応じて下の階を使うこともないわけではない。
皆は下にいる、というのはまず妥当な判断のはずだ。
「さて……」
こういう時、幾つか選択肢はある。
一つ、本人に直接聞く。刹那でもアンダーヒルでもトドロキさんでも、立ち会っているだろう誰かに通話かメッセージを通して今何処にいるかを確認するだけだ。
二つ、メイドに聞く。ギルドハウスの施設管理権限を持つ刹那に雇われているうちのメイドたちは、ギルドハウス内の各メンバーの現在地情報を常に共有している。確認すればすぐ教えてくれるはずだ。
三つ、知らなかったことにする。件のシャノンの持ち込み案件だが、元々訪問自体が今日の予定に入ってなかったことを考えればおそらく彼女らにもまったく予想外の話だろう。しかし、俺のところには別段緊急招集の一報があったわけでもない。つまり、俺にはまったく関係がないとまでは言わないものの、事後報告で済むレベルの話だと判断されたから、と考えるのも自然な線だ。それなら報告が入るまでこちらからは手を出さず、経過を見守るのも選択肢としては悪くない。
しかし、シャノンの用事は置いておいても俺にも俺の事情がある。ついさっき仮名に釘を刺されたばかりの午後の予定――『エミリー・サジェの具幻境』への単独遠征で午後の巨塔攻略を抜けることは、できるだけ早い内に皆に話しておかなければならない。実力者揃いのアルカナクラウンと言えど、着実に余裕もなくなってきている巨塔攻略遠征を自分の都合で休むからには事前に断っておくのが筋というものだ。ちなみに先んじてアンダーヒルに通しておこうかとも思ったが、どうせ直接話をした時に刹那と一悶着起きるだろうからやめておいた。
三つ目の選択肢が自然消滅した以上残るのは二つから選ぶことになるが、本人たちに直接聞くと話の腰を折ってしまう可能性もある。どちらを選んでも誰かを呼び出す手間には変わりないが、手段を選ぶとしたら二つ目の方が適切だろう。
「【魔犬召喚術式】、モード『レナ=セイリオス』」
召喚スキルを使うと同時に待機モードの群影刀が実体化され、ドクンといつもの脈動感が身体に響いた。途端に足元から黒い闇溜まりが噴き出し、瞬く間に成型されて小柄なレナの体躯が目の前に出現した。
「何用か、我が主よ」
「いい加減シイナって呼べと言っとろうが」
「うぎゅ」
ダメージにならない程度の手刀を無防備な額に叩き込むと、面食らったレナは額を押さえてぱちぱちと目を瞬かせる。
いつも頑なに気を張っているレナにしては珍しい態度だが、大方何か気にかかることでもあるのだろう。だが、経験上こういう時のレナは訊いたところで素直には答えない。とりあえずは流しておいて、後でそれとなく観察するのが正解だ。何にしても気難しいレナは一筋縄ではいかない。
「とりあえず刹那たちが何処にいるか調べてくれ、レナ。シャノンが来てて……家の何処かには居るはずだから」
「相分かった」
レナは慣れない手つきで虚空にウィンドウコンソールを開くと、ちょこちょこと覚束ない手つきで操作を始める。いつもこの手の仕事を任せるのはテルだったから慣れていないのだろう。
ギルドハウスの管理権限は刹那だけではなく、ギルドリーダーである俺にもある。つまり俺の管轄下にあるNPC――リコ・テル・レナの三人もギルドメイドとしての権限を持っているということだ。レナは俺が常時連れ歩いているから機会は少ないが、リコとテルはギルドにいる間、暇を見つけては他のメイドたちの手伝いをして過ごしているらしい。
「確認した。連れ合って一階を移動中である」
「移動中?」
「左の廊下をスリーカーズと刹那の先導で進んでいる。アルトとアンダーヒル、リュウがその後ろに。近くには……シンとネアがいるな。おお、刹那がそちらに高速移動したぞ。すぐ接触して……ん? シンが逃げたぞ。廊下の先、突き当りまで退いたようである。侮れぬ速さだ」
いや、見取図に光点表示だからわかりにくいだけで、それは多分ネアちゃんにいらんちょっかいかけてたシンが刹那に飛び蹴りか何かでぶっ飛ばされただけだと思うぞ、レナ。ちなみに事実はどうあれ、刹那の目にそう移った時点で実刑が執行されてしまう点が問題視されている。主に俺の中で。
「何処に行くかわかるか?」
「現在地からしてつい先程ホールを抜けたばかりであろうな。行く手は遊戯室と展示室、客間、使用人の寝屋……それに下り階段」
「用があるとしたら、客間……か?」
遊戯室も展示室も今更用はないだろう。使用人の部屋も用があるなら呼びつけた方が早い。第一今の時間帯、うちのメイドたちは勤務中で、部屋に残っていることはほとんどないはずだ。
その点まだ下り階段の方が可能性は高いと言える。とは言え、地下にあるのは食料や消耗品の類をギルドの共有物資として置いておく倉庫とドレッドレイド関係の反逆者を拘束していた牢、それに演習室くらいだ。シャノンに関係ありそうなのは牢くらいのものだが、攻略戦連発足直後、捕虜連中の身柄は諜報機関に引き渡してからは空室になっている。それは件の大隊所属の彼女もよく知っているはずだ。
「今客間は誰が使ってたっけ?」
「アルト、キュービスト、詩音、ミストルティンの四名である」
「竜乙女達の三人とキュービストか。……ああ、キュービストか。多分そうだ」
そう言えばいつだったかアンダーヒルから、キュービストは元々シャノンが率いるギルド≪弱巣窟≫に所属していたと聞いたことがある。
儚がこの世界を外界から隔絶させた事件――――俗にいう“凶行封鎖”直後にギルドを抜けて行方を眩まし、何処かにいるはずのアンダーヒルを探すそれはそれは壮大な旅をしていた、と言うのは本人から聞いた話である。まさかトゥルムの最前線攻略ギルドで活躍していたとは思わず、FOフロンティア全域を探し回っていたと言うから概ね苦労人と言えなくもない。
「キュービストにわざわざ会いに来たってわけでもないだろうし、訪問の用は済んだのかね。まあ合流すればわかるか。サンキュー、レナ」
「この程度造作もない。我はシイナの側仕えでもある。雑事荒事憂事、もっと我に言い付けてよい。我等の矜持もまたそこにある」
「わかってる」
実際、頼りにしているのは本当だ。
レナ――正確には魔犬の群隊は偵察・囮・陽動・殲滅と戦闘面で凄まじい汎用性を持つ。それを頻繁に活用している一方で、俺はそれ以外の場面で喚び出すのを控えている部分がある。日常的にちょっとした移動の足としても使っていることもあり、あまりレナの負担にならないようにしていたのだ。
主人である俺にも躊躇なく否を叩き付けるリコや手の抜きどころを弁えているテルと違い、生真面目なレナは放っておくと何処までも自分の領分に引き込んで抱え込む性質がある。召喚しっ放しにしておくと、命じずとも俺のために思考を働かせ続けるのがレナだ。もどかしくて仕事を減らすよう努めていたのだから、プライドの高いレナに余計な気遣いと思われるのも無理はないだろう。
「頼りにしてるよ」
「一切承知の上である。我等の主は聡明である故」
「そこはもう少しハードル落としておいていい」
迷いなく言い切るレナから思わず顔を背けつつ、若干ぶっきらぼうになってしまった口調でそう返す。評価してくれるのはありがたいが、主人ということでバイアスがかかっているのか若干過大評価気味なのが難点だ。
「さて、あいつらに合流するか。いつまでも蚊帳の外じゃこっちの用件も終わらないしな。監視は続けたままついてきてくれ。何かあったら報告よろしく」
「了解である」
レナの返事を背中に受けつつ、ロビーに向かって戻り始める。
≪アルカナクラウン≫のギルドハウスはその構造上、一階と二階を行き来するにはロビーとエントランスを通らなければ移動できない。これは他ギルドによるギルドハウス侵攻に際して敵の移動ルートを完全に固定してしまう目的があるのだが、基本的にその役割を果たす機会は少なく、日常で不便を感じることの方が多かったりする。詩音たち竜乙女達組のような元外部の人間は特に強く感じるようで、アルトなんかはうちに来た当初は『めんどくせー欠陥住宅かよ』と愚痴っていた。
しかし、そんな欠陥もたまには役に立つようで、合流するまでの時間稼ぎくらいにはなったらしい。二階に行ったと言うルークの証言や今レナが調べた現在位置を考えると、二階の何処かで気付かない内に入れ違った可能性も高そうだが、向こうもまだ移動中なら十分追いつけるだろう。
ウィンドウを見つめたままのレナを先導してロビーに入ると、途端にカウンター前の椅子に一人優雅に腰掛けていた仮名の視線が向けられる。手元にティーカップが置かれているところを見ると、大方休憩でもしていたのだろう。
「あら、シイナ様。随分とお早いお戻りですのね」
「うまく合流できなかったからな。一人か? ルークはどうした?」
「ルーク様なら下で伸びてますわ」
「……何かあったのか?」
「セクハラに対しては手加減できませんもの」
コイツに狼藉を働くなんてルークの奴、さては馬鹿だな。
一応ギルドリーダーの立場的には客人の様子を気にしておいた方がいいのかと過った時、不意に後ろにいたレナがついと俺の手を引いた。
「シイナ、階段だ。客人は下へ向かった」
「……地下? キュービストは何処にいる?」
「自室に。部屋の隅で何か蠢いて……見る限り不審な動きはないようである」
お前は何をやっているんだ、キュービスト。
「じゃあ、あいつは関係ないみたいだな。オーケー、地下に向かおう。レナ、監視はもういい。先行して直接追ってくれ。カナ、お前も来るか?」
「――さっさと行け」




