(16)『ゼロ』
動きを縛るバインドボイスに為す術なく、少年は打つ手を探し身を竦む。
追いつめられた土壇場で、思い出したのはあのスキル……?
魔力武器。略称“MPW”。
剛大剣や巨鎚等の堅実に性能強化を図った物理上位武器よりも通常の攻撃力や耐久性に劣る代わり、魔力を消費することで一時的に物理武器の限界をも突破した性能を発揮する武器の総称だ。
MPWにはさらに二パターンあり、一部の例外を除けば、強化時間を犠牲に上昇幅を上げた強化系と上昇幅を犠牲に強化時間を上げた付与系で武器カテゴリ毎に分かれている。
そして、俺の使う〈*群影刀バスカーヴィル》〉――つまり魔刀もそのひとつだ。
太刀の上位武器には大刀と魔刀があるが、通常攻撃力と広範囲の間合いに特化した大刀に対して、魔刀は瞬間的な攻撃力と斬れ味に特化している。それが通称『鬼刃』と呼ばれる強化だ。
しかし、鬼刃モードは元々強力な太刀をさらに強力にした武器。その補正のためか、強化発動時には魔力だけでなく体力もじわじわと消費していく。その代わりに大刀の比じゃない切断系武器最凶の攻撃力と斬れ味ボーナスを生むのだが、一言で言えば攻撃特化の諸刃の剣だ。
あまりにもコストが重いためか、上位プレイヤーはほぼ誰も使っていないが。
(あんまり体力に余裕はない……っても、手段を選んでられる状況でもないか……)
通常時でさえ凄まじい斬れ味を誇る群影刀の攻撃が毛に阻まれてしまうとなれば、必然的に鬼刃モードで戦う他に選択肢はない。
「仕方ない、か……」
魔刀使いの戦いは攻撃こそ最大の防御と称する短期決戦。回復系のアイテムもあるにはあるが、そんな隙を見せたら一撃でやられかねない。
魔弾銃〈*大罪魔銃レヴィアタン〉を一度左太腿の帯銃帯に戻し、群影刀を両手で構える。
「ホウ、刀ダケニシタカ」
関心深げに『左の頭』が呟く。
「跳弾を狙ってくるヤツ相手に、下手に飛び道具は使えないだろ」
「正確ニハ狙ッタ訳デハナイノダガナ。タダノ必然ニ過ギナイサ」
「……っ!」
『左の頭』の言葉を聞いてようやく失念に気づいた俺は、それまでの自分を叱咤したくなる。
こんな跳弾を起こさせるようなスキルなんてただひとつ、【跳弾装甲】しか考えられない。
俺もそれなりに重宝していたスキルだというのに、相手がモンスターというだけで無意識に同じスキルを使えるはずがないと思い込んでいた、ということだ。
跳弾反射スキル【跳弾装甲】は防具や刀剣など堅い部分に当たった飛び道具のダメージの90%を相手に返すスキルだ。
ゴツいフルアーマーを着けるような重戦士に使われると、飛び道具と近接の切断武器が殆ど役に立たなくなるから、魔法を使わない俺みたいな超近接特化プレイヤーにとって相性は最悪、できれば相手にしたくない程度には嫌っている。
俺は群影刀を下段に引き、大きく一歩前に出る。
「ヨウヤク逃ゲ回ルノハヤメタカ! 折角ヤル気ニナッテルトコ悪イガ、俺ハ自分ヨリ弱イヤツニ仕エル気ハサラサラネェンダ。雑魚ハ大人シク沈ンデナ!」
『右の頭』が吼えた瞬間、ケルベロスはダンッと足を踏み鳴らし、直後三メートル超の巨体が跳躍した。
「当たるかっ!」
俺は、瞬時に判断を下して前に跳ぶと、着地と同時に身体を捻って回転し、さっきまで俺のいた所に着地したケルベロスの背後を取る。
「小娘ガ!」
振り返りざまに『右の頭』がそう叫び、『左の頭』が大きく口を開けた。
アレが来るッ……!
グォオオオオオオッ!
間髪入れずに放たれた【衝波咆号】が頭の中に響き、三半規管が狂わされるような感覚を覚える。
そして身体の動きが一瞬強張ったその瞬間、ケルベロスは鋭く大きな爪で地面を抉るように、右前足をグンッと前に突き出してきた。その一撃で跳ねた拳大の飛礫がいくつも俺に向かってくる。
『左の頭』がバインド・ボイスを、『右の頭』が何かしらの攻撃を仕掛けてくれば、そこには必ず隙ができる。
その時なら【跳弾装甲】は適用されない。バインド・ボイスの直前にタイミングを計って大罪魔銃の早撃ちを額に撃ち込めば、仕留められなくてもダメージ効率ぐらいは計れるだろう、という思考が脳裏を駆け抜ける。
が、今抜いたとしても急所の射線には飛来する礫がある。ケルベロスがそこまで考えてやっているとしたら……どうにも厄介だな。
飛礫との到達直前にバインド・ボイスの硬直が解け、上半身だけを少し動かしてギリギリのところで飛礫攻撃を躱す――
「【礫砂爆】!」
バインド・ボイスを終えた『左の頭』が、現状最悪のスキルを使った。
ドォオオオオオンッ!
【礫砂爆】は投げつけた石や岩を爆発させる上級戦闘スキルだ。場所を選ぶだけに使い勝手は悪いが、プレイヤーなら900レベル以上で投擲の熟練度が700以上でなければ発現しないのだから、その威力は推して知るべし。
「はあっ……はあっ……」
咄嗟に一番近い爆礫を群影刀で斬ったおかげで最高威力の直撃だけは免れたが、ステータスを確認すると残っていた体力をギリギリまで持っていかれていた。
こんな体力じゃ鬼刃は五秒保たないだろうし、このままじゃ、あと一撃だけでも下手するとレベル1まで戻されかねない。
大体あのケルベロス、インチキ設計にも程があるだろ。どれだけレベルが上がったって、バインド・ボイスの効果を受けないのは限られた種族の特権だし。魔法が使えたら遠距離に逃げてドンパチ……あるいは戦闘スキルが少しでも残ってれば、最後の抵抗ぐらいはできたかも――。
稲妻が走るような感覚、とでも言うのだろうか。
その時、急に思い出したのだ。名案と言い切れない辺りが残念だが、俺にはたった一つ、スキルが残っていたことを。
詳細不明ユニークスキル【0】。
発現の条件から効果の内容から使用時の必要な魔力から、何もかもが詳細不明のスキルだ。しかし、同じく詳細不明だった【バスカーヴィル・コーリング】を使おうと――試そうとした結果、半ばトラップじみた今の現状にまで発展したのだ。
この【0】も、同じようなことが起こる可能性はある。
「我ガ主トスルニハ些カ以上ニ情ケナイナ。コレデ熟練度1000トハ……期待ガ過ギタカ」
『左の頭』の辛辣な一言も耳に入らなかった。
ただ考えていたのは【0】というスキルのこと。
しかし、使うか使わないかを迷っている余裕はない。気にかかるのは、下手に発動して刹那たちの方まで影響が及ぶモノだった場合のことだ。
いや、刹那たちには悪いが、ここまで来たらもうどうしようもない。どっちにしろやってみるだけの価値はある、はずだ。
このままじゃ敗けは確定な訳だしな。
人間、一度どうにでもなれと思うと、細かいことは気にしなくなる。良くも悪くも。
「未ダ諦メズ、カ。何カ手ガアルノナラ遠慮ナク使ウガイイ。我ラハ主ヲ倒スノガ目的デハナイ。主ヲ試スノガ目的ナノダ」
「サモナキャ己ガ弱サヲ身ヲ以テ痴レッ!」
『左の頭』と『右の頭』が口々にそう言って、『左の頭』がガパッと大きく開いた。また、バインド・ボイスだ。
馬鹿の一つ覚えみたいにボコボコ打ちやがって!
(鬼刃がないならむしろ群影刀の方が邪魔……。とすると、弱点を探して、大罪魔銃で撃ち抜くしかない、か……)
俺は群影刀を抜き身で腰に引っかけると、太腿の帯銃帯からさっき収めたばかりの大罪魔銃を再び抜いた、瞬間――――グォオオオオオオッ!
四回目のバインド・ボイスに大気が震え、身体が竦む中、俺は最後の最後に望みを賭け、
「ぜっ……【0】ッ!」
ピシリッ――――と空気が割れるような小さな音が、耳元で聞こえた。その途端、拭いがたい不自然さに思わず腰の力が抜けそうになり、体勢を立て直しつつケルベロスの足元――至近距離まで間合いを詰める。
バインド・ボイスは未だに辺りに鳴り響いている。『左の頭』も吠えるモーションの途中みたいだし、ビリビリと震える大気もさっきと変わらない。それなのに、さっきとは決定的に違っていた。
頭の中まで揺さ振られるような感覚がなくなっていたのだ。
どんなスキルなのかはわからないが、動ける――――その事実だけで十分だ。
それを自覚した瞬間、俺は驚いた様子を見せるケルベロスを観察し、可能性のある弱点候補を探す。普通なら心臓や頭がそれに当たるのだろうが、その辺りを狙って撃ったとしても射線の付近にはあの牙がある。それでは【跳弾装甲】が邪魔になる。
足では致命傷にはなりえないし、ただでさえ残弾四発しかないのだ。いくら今まで見た魔弾銃の中で次席に食い込む攻撃力を持つ大罪魔銃でも、弱点を狙わなければこいつを戦闘不能にまで追い込むのは到底不可能だ。
「何ヲシタカハ知ラナイガ面白イ。我ガ主ラシイコトモデキルデハナイカ」
『左の頭』がくくっと笑い――――ギュンッ。
瞬く間に至近距離まで間合いを詰めてきたケルベロスの『左の頭』の牙を躱し、横っ面を裏拳で殴って『右の頭』の追撃の牙を逸らす。
まさか毛皮を殴っただけでこんなに痛いとは思わなかったが。
「小娘ガ!」
右前足の大振りをしゃがんで避けると、腰に吊ってあった群影刀を逆手で握り――
「――“鬼刃抜刀”――」
ザンッ!!!
鬼刃モードを一瞬だけ解放し、頭上を上弦に斬り抜いた。ブシュッと音がして、目の前に斬り落とした『右の頭』の下顎が落ちてくる。
「グウウゥッ……」
『右の頭』の喉の奥から声にならない音が漏れ出し、ボタボタと落ちてきた血が地面に冠状の染みを作った。その瞬間を狙い、俺は迎撃の『左の頭』の牙を躱して、『右の頭』の口腔内に大罪魔銃を突っ込むと――――パァンパァンッ!
(良い子は真似しないでね、っと……)
二発の弾丸は邪魔されることもなく、『右の頭』の頭の後ろへ抜け、それ以降『右の頭』は動かなくなった。脱力した首からはだらりと舌が垂れ下がり、先から血が滴っている。
「――“右ノ”ガヤラレタカ」
『右の頭』の意識喪失と同時に目を覚ましたらしい『中の頭』が、何処か楽しげな調子で静かに呟いた。
「随分と余裕だな。これでお前らの倒し方はわかったってのに」
これ幸いとその隙を利用し、地面に向かって引き金を引く。撃鉄を再び下ろして、五発目に当たる銃弾を発射できる体勢にすると、群影刀を順手に持ちかえる。
「余裕ナドデハナイ。我ラハマダ戦闘不能ニハナッテイナイノダガ……」
『中の頭』はわずかに口角を吊り上げると、
「イイダロウ。資格タルヤ充分ダ」
「は?」
俺が聞き返そうとした瞬間、ケルベロスと俺の間に無機質なシステムメッセージが浮かび上がってきた。
『Clear to “Baskervilles Calling”』
『【魔犬召喚術式】を解放しました』
Tips:『ケルベロス』
ギリシア神話に登場する冥界の番犬。三つの頭と蛇のたてがみ、竜の尾を持つ四足獣の姿で、冥界から逃亡する亡者に対して襲いかかり貪り喰らうと言われる。同神話の高名な怪物テューポーンとエキドナの間に生まれた怪物で、双頭の魔犬オルトロスや多頭竜ヒュドラーを兄弟に持つ。三つの頭は順番に休息を取っており、二つの頭が起きている間に残る一つの頭は目を閉じて睡眠をとっている。甘い物に弱く、厄介な相手を賄賂で懐柔することを「ケルベロスにパンを与える」と表現することもある。




