(12)『猫耳メイドのカナさんで』
「お? おかーっす」
揃って≪アルカナクラウン≫のギルドハウスに帰ってきた俺たちが正面の大扉から中に入ると、いつものメンバーでもメイド隊でもない、あまり聞き慣れない声に出迎えられた。
その声のした方向――ホールの壁際に等間隔に設置されたソファーの中で、向かって右側の階段に最も近い一つ――に反射的に視線を向けると、そこには見覚えのある軽装鎧の男がくつろいだ様子で座っていた。知ってか知らずか地雷原で涼しい顔をしているその姿にぎょっとしつつ、どう切り出したものかと思案しながら歩み寄ると、客人は相変わらず印象通りの軽薄な笑みを浮かべ、腰を上げるでもなく片手を挙げるだけの挨拶を向けてくる。
「どーも姿が見えないと思ったら外に出てたんすね。ちょいと邪魔してるっすよ、レギオンリーダー」
彼の名は[ルーク]。≪弱巣窟≫所属の攻略戦連メンバーであり、ギルドリーダーの[シャノン]と共に巡り合せの一悶着順争に参加し、総合評価首位の成績で試練を突破した優秀な人材だ。
その二つ名は“急襲城塞”。これはアプリコットから聞いた情報だが、昔とある全面戦争級の対ギルド戦において見せた苛烈な攻姿勢と重武装行軍の様相に由来しているらしい。その上、少数精鋭の傭兵ギルドにいたこともあり、対人だけでなく対ボス級モンスターとの戦闘経験も積んだと聞いている。
「その呼び方。慣れないからやめてちょうだい、ルーク」
「別にいいじゃないすか。正真正銘、トップの肩書きっすよ」
「表向きのね」
一見して軽妙な言動から思慮が浅いようにも思えるが、クラエスの森で見た通り、それはルークが俺を含めた旧≪アルカナクラウン≫のメンバーと同様に戦場で純粋な戦闘技術のみを追求してきた武人タイプだからだろう。アンダーヒルやシャノンのような搦め手や駆け引きに特化したタイプには盤外戦術や心理戦で大きく水をあけられるものの、全人口のかなりの割合を占める能力任せの脳筋と比べて有用性は遥かに高い――
「たまにはウチの怖いのじゃなくて、別の娘のために働きたくなるんすよね……。なんかこう、衝動が」
――無論あくまでも戦力として見た場合のみの評価であり、人物評価に関してはまた別の話だが。
「そんなことより早くそこからどいた方がいいと思うわ。後ろに≪シャルフ・フリューゲル≫の旗刺さってるでしょ。そこ危険人物の指定席なの」
「うぇ、マジすか」
慌てて振り返ったルークは、実はソファーの陰に隠れてほとんど見えていない鋭い翼模様の旗を視認するやいなや「うぉ、マジだ」と悲鳴じみた声を上げながら飛び退いた。そして間髪入れず緊張した目付きで周囲を見回し、件の人物がいないことを確認してほっと息をつく。
安全確認は大事だな。
まあ指定席と言うか、実際にはあいつが勝手に寝床にしているだけなのだが、あんな我が物顔で座ってるところを見つかればシャノンの前で物理的に絡まれる、くらいの報復は覚悟しなければならないだろう。シャノンがどう反応するかは推して知るべし。
「それより今日はどうしてウチに?」
目先の地雷原から助けたところで改めて用件を訊ねると、ルークは一瞥二階の方に視線を泳がせてから、再び元の雰囲気を纏って向き直った。
「ああ、それは――――あ、後ろのメイドは久しぶりっすね。そっちは……八式戦闘機人・射手?」
たった今連れに気付いたような素振りを見せるルークに、テルは無言で辞儀だけ返し、仮名は一瞬患わしそうにしながらも口を開いた。
「こちらは先日の戦連代表者集会でお見掛けしておりますわ、ルーク様」
仮名は普段クレイモアで被っているのと同じ完全猫モードだった。若干尊大な辺りメイドらしいと言えるかどうかは不明だが、言葉遣いもその笑顔も所作も本来の彼女とはまるで別人だろう。とはいえ俺も本来の仮名を知っている自信はないし、相手によって個性をまったく変えてしまう点については自身も人のことばかり言えない立場なのだが。
「あれは目立つっすね。もうやりたくないっす。にしても八式戦闘機人・射手がここにいるってことはその娘が噂の特殊なNPCって奴っすか」
「え゛。そんな情報出てるの?」
「ああいや、シャノンさんからっす。多分そう拡散してる訳じゃないっすよ。そもそもあの基地、クリアまでが面倒な上にボスがあの巨体っすからね。≪アルカナクラウン≫が突破してからは行ったプレイヤー自体そういないはずっす」
まあどうしても素材が必要だとかクリアしておきたいとかじゃなければ、わざわざ十二体の中ボスと厄介な本命を擁するフィールドに特攻する物好きは少ないだろう。各中ボスはそれぞれの演習場から出てくることはないが、かといって特筆して採取できるものもないのだから当然だ。
しかしそれを知っているということは、ルークはその物好きに該当しているわけだ。自分もその物好き側だから気持ちはよくわかる。以前会った時も巡り合せの一悶着順争で再会した時も思ったが、ルークとは案外気が合うのかもしれない。
「それで、本日はどのような御用向きですの?」
仮名が俺のした質問を繰り返すように問い直すと、ルークは少し決まり悪そうな様子で髪を掻き上げ、やや声を潜めるように口を開く。
「まあ、いつも通りっすよ。厄介事を持ち込むシャノンさんとその付き添い、それだけっす」
「ああ……」
新生攻略ギルド連合“攻略戦連”の諜報機関――つまり情報管理部門に属する≪弱巣窟≫は、現在その主目的である『巨塔攻略』に向け、各ギルドの前線準備の統合管制を代行している。主な業務内容は各ギルドから上がってくる攻略準備状況の報告書の取り纏めとそれが実態に則しているか検証するための内情調査の二つだ。代行、という形になっている通り、本来その役目は俺たち≪アルカナクラウン≫が負うべきものなのだが、他のギルドより少人数でやっているウチにまとまりの悪い現状の管理は難しい――実際その方面で役に立つのはアンダーヒル・トドロキさん・アルトの三人だけだ――と考え、元々ギルドぐるみで似たようなことをやっていた彼らがその実働部分を引き受けている。そして、その関係で発生する諸々の問題解決も代行業務に含まれるのだが、シャノンら≪弱巣窟≫幹部陣がさらに上に上げておくべきと判断した案件に関してだけはこうしてウチに持ち込まれる、というわけだ。
つまり厄介事と謳ってはいるが本当なら俺たちが解決するべき案件、感謝こそすれ厄介に思う筋合いは何処にもない。
「それでそのシャノンは? 二階?」
「階段上がったとこまでは見たんすけどね。シャノンさんが階下に気付かないとは思えないし、やけに静かだからどっかの部屋に引っ込んだんじゃないすか?」
旧連合四祖体制の時からこの手の相談の類は二階ロビーでやっているが、込み入った話になると別室に移動することも多い。基本的にはトドロキさんの部屋が使われ、たまに余計な物が少ないという理由で俺の部屋に持ち込まれることもある。ちなみに、それならと余計な物を増やしてみたら、刹那とトドロキさんに邪魔だと一掃された。拒否権などなかった。
というかルーク、いつもはシャノンと一緒に同席してるのに今日に限ってはなんでこんなところで時間を潰してるんだ――――なんて疑問がふと浮かんだ時、何処となく思案顔で俯いていた仮名も同じようなことを思ったのか、ぴこんと猫耳を立てて不意に顔を上げた。
「それでルーク様はこちらで何をなさっていますの? 放置プレイ?」
「この猫耳メイド、いきなりとんでもねーことぶっこんでくれるっすね」
メイド装束を見て俺が雇用主とでも思ったのだろう、ルークは呆れた顔で仮名を指差しつつ話を振ってくる。そんな風に見られても彼女を雇用している契約上の主人はお隣さんの≪クレイモア≫であって、≪アルカナクラウン≫に出入りしているのも多分ただの気まぐれだ。そもそも彼女はその性格上他者に御しきれるものでもないし、俺もその例外ではない。故に俺を責めてもその猫耳メイドの言動が改まることもない。もっともルークもそんな諸々の事情は知る由もないだろうから仕方ないのかもしれないが、要するにこっち見んな。
「今日のシャノンさん、やけにピリピリしてて余裕がない感じだったんっすよ。そんなのに四六時中付き合わされたらこっちも身が持たないんで、ここらで小休止っす」
鬼の居ぬ間に洗濯ってやつか。こっちにも似たようなのがいるからよくわかる。
それにしても『何処までが企みで何処からが素なのかわからない』とまで称されるあの“毒蛇の女王”が余裕がなくなるほどの状況ってどれほどの厄介事が持ち込まれてるんだか、そう考えただけで憂鬱になりそうだ。場合によっては午後からの攻略日程もキャンセルになるか、あるいはSPAか竜乙女達に借りを作ることになるかもしれない。
「まあとりあえず皆を探して私も話を聞いてみるかな。ルークも一緒に来る?」
「身に余るお守りは勘弁っす。あ、シャノンさんのことっすよ。二人のことを面倒とは思ってないっす。シャノンさんほど面倒な女も見たことないっすけど。どうせシャノンさんたちの相談が終わればこの休憩もそれまで、それなら今は暇を満喫してるっす」
「そ、そう……。なんか色々任せっきりでごめんなさい」
実は≪弱巣窟≫は、代行業務以外に“道化の王冠”や“強襲する恐怖”等要監視危険因子の動向調査にも早々に就いてもらっている。これは諜報機関の本来の業務の一つなのだが、≪弱巣窟≫の他にも既に十分機能していることが確認された幾つかの新参入ギルドにはそれぞれの大隊としての業務も試験的に稼働させているのだ。もちろんできる範囲で構わないと釘を刺してはいるが、やる気のある相手に手を抜けと言えるわけもない。結果的に色々丸投げしているようで気が引けるのだが、その代わりに旧連合四祖は現状では巨塔攻略に集中し、攻略戦連が連合として機能するまでのロスタイムを少しでも無くすことで分担している。今日の午後に予定されている≪アルカナクラウン≫による第三百五十八層への攻略遠征もその一環だ。
「そんなの気にせんでいいっすよ。ほっといたら何企むかわからないシャノンさんを仕事に縛りつけておくのはナイス采配っす。さすがアルカナクラウンっす」
「そんなとこを賞賛されるのはさすがに不本意なんだけど……」
今更だが俺が気付いてなかっただけで、実はそういう意図があってもおかしくないな。この体制を作る上でブレインになった面子を考えると、寧ろ意図されていないほうが不自然に感じる程だ。
「実際悪巧みする余裕もなさそうで、そこは安心して見てられるんすけどねぇ」
しみじみとそう呟いたルークはおもむろに後ろのソファーに腰を下ろし、思案顔で何故か仮名の方を見つめ始める。が、すぐにそこが危険地帯だということを思い出したのか、慌てて腰を上げて周囲を何度も確認すると、さっきと同じようにほっと息をついた。何してるんだコイツは。
「それじゃあ私はこれで。また後で会えたらその時に」
適当に別れて早くシャノンたちの方に合流しようと俺が階段に足を向けた時、ルークが不意に「あ、そうだ」とやや大げさな声を上げた。
「待ってる間、ここのメイドの誰かを話し相手に借りててもいいっすか?」
「え? えーっと……」
思いがけない要望に一瞬思考が鈍る。
まあ一人でただ待つのも寂しいだろうし、ギルドとしても正式な客人であるルークに誰も世話役をつけずに放置するというのも偲びないから特に問題はないのだが――――ルークの視線はまたも仮名に向けられていた。そしてその仮名はルークの視線にはまったく気付いていないとばかりに、俺に上品な笑顔を向けていた。これは何とかしろと言っている。
ルーク、この仮名は間違いなく手に余るから止めておけ。
「そ、そういうことならテルを残していくから。テル、後お願いね」
「テルなら先程、リコを起こす、とお先に戻られました」
「え゛……」
にこにこと微笑みながらそう言った仮名から目を逸らしつつ改めて周りを確認すると、確かにテルの姿は周囲の何処にも見当たらない。階段を早足に上って二階ロビーも確認するが、テルは疎かやはりメイドも他の皆も誰一人そこにはいなかった。
「全員会議に出てるとは思えないし……シャノンが来たから部屋に引っ込んだか」
リコやリュウ、シン辺りはまだ起きてきてすらいない可能性まである。
対応に困って階下の仮名の様子を窺うと、必然的に同時に視界に入ったルークは再び仮名を指差して俺の方を振り仰いだ。
「別にこの猫耳メイドのカナさんで大丈夫っすよー?」
その猫耳メイドの仮名さんがうちに出入りするメイドで一番大丈夫じゃないんすよー、とは口が裂けても言えず困り果てていると、仮名も俺の方を振り仰ぎ、隣に立つルークに気付かれないよう自身の身体の陰で人差し指をくるくると回す『早く行け』のジェスチャーをした。
「シイナ様、お客様のご要望でしたら私がお側付きとして残りますわ。ただし、くれぐれも午後の予定をお忘れなきよう」
困る俺を見かねてか、助け船を出してくれた仮名に何とか「お願いね」とだけ返すと、誰もいないロビーを抜けてそそくさと奥の廊下に通じるドアに向かう。そして何故か背中に伝う冷や汗に身震いしながら廊下に出て、後ろ手にドアを閉める寸前――――微かに剣戟の音が聞こえた気がした。




