(11)『意地か見栄か』
「エミリー・サジェの……グゲンキョウ……?」
≪グラン・グリエルマ≫からの帰り道、唐突に仮名の口から飛び出した単語を確かめるように反芻する。
『行く』という単語を使っている以上は場所を指しているのだろうが、持ちうる知識を総動員してもあいにくと心当たりはない。あるいは俺の知らない通り名のようなものかもしれないが、仮名の性格からしてわざわざ回りくどい話し方はしないだろう。とすると、『エミリー・サジェのグゲンキョウ』はそのものフィールド名を表しているはずだ。あまり見ない命名パターンだが、それだけに記憶にも残りやすい。ただ単に俺がド忘れしてるだけって線もなさそうだった。
仮名は俺のそんな反応から把握のレベルを察したようで、呆れたような視線と共に一拍口を噤んでから再び口を開いた。
「――ヴォラキアの占い師、フルカセドの町長、フォルカの大道芸人にグラシャの辺境伯、ミスラトスの羊飼い、あるいはサンタミルダの宿の女主人でもいい。何処かで聞いたことがあるだろう、“現に映る幻の像”の話を」
「そう言えば、大分前にそんな噂が掲示板に出てたような……」
「――多分それ」
話の詳細な部分まではわからないが、仮名の口にしたフレーズは昔≪アルカナクラウン≫でも耳にしたことがある。と言ってもこの手の具体性のないネタには食い付かない面子が集まっていたようなギルドだ。この話も内々では雑談の一幕を飾った程度に終わったが、朧気ながら賑わっていたことを思い出せるのなら、噂が発端の話題にしては割と広く浸透していたのだろうか。
「――と言っても、騒がれていたのはほとんどが尾ひれで集めてみれば根も葉もない。本物なのは種だけ。各所に配されたNPCが謳う“偽装と幻想の箱庭”。その正体が『エミリー・サジェの具幻境』」
確かその時も“運営が適当に撒いた偽の手掛かりの一つ”だとか結論付けられて終結してたな。誰も証拠を提示できない内に飽きられたのかまた別の話題が沸騰したのか、いつのまにか聞かなくなっていた印象だった。
「とにかくそこに行けば何とかなるんだな? その、コイツの覚醒強化に関しては」
大腿の大罪魔銃の銃把を軽く指先で叩い指しながら確認すると、仮名はこくりと頷いた。
ただし、これ見よがしに虚空に視線を泳がせながら――。
「…………何かあるのか?」
「――別に何もない。ただ、覚醒の必要条件を満たせない可能性も十分に考えられるだけ」
「それ何もないとは言わないよな!? 何で肝心のそこがはっきりしないんだよ!」
つい思ったままを口にすると、途端よそ行きのにこやかな笑みを浮かべた仮名が顔の横で開いた手のひらを示し、『殴ってもいいですか?』とでも問うように首を傾げてきた。
これだけ付き合いの浅い仮名の建前だらけの表情仕草からよくもまあ過敏に読み取るものだと我ながら感心もするが、誰かさんのせいで攻撃的な笑顔なんてトンデモ言語の通訳に慣れてしまったのかと思うと涙が出てきそうだった。
そんなことをぼんやり過らせつつも空の手のひらを示して首を横に振ると、何故か責めるようなジト目に豹変した仮名の鋭く薙いだ手に頬を張られた。張り手自体は勢いの割に少し熱が後を引く程度の力加減だったが、本当に殴られるとまで予想していなかった俺は咄嗟の防御反応も取れずに軽くよろめいた。
「……何をする」
「――そもそもお前が我が儘なだけ。本来さっき終わってる話」
「さっきってそれ、人任せにするか今から二十連敗するかって奴だろ……」
合理的な発想なのは認めるが、結果さえ出ればそれでいい方向に全力で振り切ってるあたりがただ難易度が高いだけの正攻法より気乗りしない。俺自身のゲーマーとしての矜持なんてものは優先度の低い状況になった今ですら、代案がある内は遠慮したいぐらいだ。
というか俺、今何故叩かれた。
「御主人様、大丈夫?」
「カナは言うに及ばずだけど、お前も一応護衛の体でついてきてるんだから少しは守る素振りを見せてくれ、テル」
「あ、そっか」
たった今気が付いたようにぽんと手を打って空を仰ぐテルの姿に、叩かれた頬ばかりかこめかみの辺りまで疼き始める。ずっと黙っていたのは俺と仮名の会話を邪魔しないためだとばかり思っていたが、さっき買った包みに気でも取られていたのか、単に上の空だっただけのようだ。
「うちのアンドロイドが能天気過ぎて辛い……」
「そんな深刻そうに言わなくてもー」
不服そうに頬を膨らませるテル。
たとえ上の空でも俺を意識の端に残していたあたり妹よりは大分マシなのだが、かと言って常々傍にいる謂わば最後の砦がそう易々と攻略されてしまうようでは肝心な時に頼ることもできない。別に本気で深刻に捉えているわけじゃないが、たまには手綱を締めておいても損はない。
「――護衛の体裁とか、お前の身の安全とか、そんなことはどうでもいい」
人が柄にもなく緩んだ従者の気を引き締め直そうとしたって時になんてこと言いやがる、この女。
「いや、さすがにどうでもいいはないだろ、カナ……」
「――魔弾刀と葬送騎がいる。それだけで九割方安全は保証済み。残りの一割を埋めるにもこの射手と魔影の群隊で十二分。だからそんなことは、ど・う・で・も・い・い」
より語気を強めて同じ言葉を繰り返した仮名は会話を仕切り直すように一拍間を空けると、再びそつのない従者のような涼しげな表情を取り繕って口を開いた。
「――エミリー・サジェの具幻境は、入るだけで指定のアイテムを消費する。手持ちには限りはあるから、そう何度も試せるわけじゃない。確実に覚醒の条件を満たせる保証もないし、ノーリスクとも言いがたい。それでもいいなら連れていく。……どうする?」
「と言われてもな……。その何とか境ってのは具体的にどんなフィールドなんだ?」
「――エミリー・サジェの具幻境。悪いけどその質問にも、それ以上の質問にもほとんど答えられない。あのフィールドについて私が知ってることはそれほど多くないから。私も入ったのは一度だけ。その時は特別用もなかったし、長居は危険と判断してすぐに出た。私にわかるのは入り方と出方、そして何がいるか、それだけ」
「予備情報としてはそれで十分な気もするけど……ってか危険なのか」
「――人による、らしい。そう聞いてる。あのフィールドにいるのはこの世界に実在するプレイヤーの生き写しの影だから」
「ドッペルゲンガー……ってのはあれか。あのー……聞いたことはある」
所謂自分に遭ってしまうというやつだ。
ドッペルゲンガーというのは、もう一人の自分――つまり自分とまったく同じ姿を持つ分身を見てしまう不気味な現象のことで、『自身のドッペルゲンガーを見るのは死や災難の前兆』なんて話も聞いたことがある。総じてあまりいい印象はないものの、未だに原因がはっきりしていなかったり、話に尾ひれがついていたり、実際に見ることなんてないと高をくくっていられる辺りがいかにもありがちな怪奇話ネタだ。
「――簡単に言えば、プレイヤーの複製分身。それでも個人個人のデータを完全に解析、再現することはできない。お前が『異形の邪神界域』で這い寄る混沌に奪われた個性の寄せ集めと同じ、所詮は本人と同じステータスを持つ劣化コピー。お前がアプリコットに特攻するよりは遥かに勝率は高いはず」
「ほぼ負け確で悪かったな」
仮名の言う個性の寄せ集めというのは多分『シイニャ』のことだ。所謂“分身”とは少し毛色が違うが、件のドッペルゲンガーというのもつまりはプレイヤーの情報を元に作られた戦う自動人形。シイニャはもう片方の親である這い寄る混沌の属性が入っていたから輪郭以外はおよそ似ても似つかない異形の姿だったが、その戦闘スタイルや性格に関しては俺自身の模倣と呼べる点も多かった。ドッペルゲンガーに会話ができるかどうかはわからないが、仮に喋ることができるなら、本人の会話ログを解析し、その特徴を彷彿とさせる程度には似せてくるのだろう。
「……ん? もしかしてドッペルゲンガーってNPCなのか?」
「――多分。【魂の恫喝】……それに【悪運の災配】も効かなかったからモンスターでも本人でもないのは確か。ただプレイヤーの模造品を本人と見做してくれるかどうかまではわからない」
「いまいちはっきりしなかったのはそれが理由か……」
普通に考えれば、PCかNPCか、なんてことは迷うものじゃない。言葉の定義の上では言わずもがな、システム上の扱いでも明確に区別されているからだ。故にドッペルゲンガーに関しても、実在するプレイヤーを模したからといってそれが本人になるはずがない。たとえまったく同じ経験値と容姿を持つアバターを用意したとしても、プレイヤーが操作していなければそれはプレイヤーにはなりえないからだ。つまり、ドッペルゲンガーを首尾よく倒したところで大罪魔銃の覚醒強化の条件を満たすことができるとは思えない。
だがそんなことは仮名だってわかっているはずだ。
それでも可能性があると言うなら、そう思うに足る何らかの心当たりがあるのだろう。それならそれで、元より駄目で元々、確かめるつもりで試してみるのもいいかもしれない。
ちなみに仮名が口にした二つのスキル【魂の恫喝】と【悪運の災配】はそれぞれ対モンスター、対プレイヤー戦闘時に使える汎用スキルだ。前者は発動後一分間の効果時間中体力の減っていないモンスターに対する初撃に畏縮デバフを確定で付与する効果を、後者は発動後三十秒間の効果時間内に他のプレイヤーから受けたダメージに応じて自身の攻撃ステータスを底上げする効果を持つ。確かにどちらも条件が明確で効果の裏付けも取りやすいスキルであり、モンスターやプレイヤーの判別には適している。
「可能性があるって言うなら試してみたいところだけど、そんなに都合よくアプリコットのドッペルゲンガー? が出てくれるのか?」
「――実際に出現する個体は無作為に選ばれるわけじゃない。侵入したプレイヤーに近しいプレイヤーのドッペルゲンガーが高確率で出現する、らしい。私が入った時は≪シャルフ・フリューゲル≫の連中も出てたから好感度とは無関係。多分」
「NPCならまだしも、各個人間でそれ数値化できたらびっくりだわ」
「――その点は今問題じゃない」
まあ、仮名流の冗談だとでも思っておくことにしよう。
「そういうことなら案内頼めるか、カナ」
「――元からそういう提案。結果の保証はできない。でも過程は保証する」
俺が差し出した手に仮名が応じ、穴だらけながらも契約が成立した。
正直なところを言えば、もう少し『エミリー・サジェの具幻境』についての予備情報を得てから決めたいところだった。“情報家”アンダーヒルに同じ“諜報部”のトドロキさん、それに“FOの生き字引”――もとい“歩くネタ倉庫” のアプリコット、幸い情報を持っていそうな人脈には困っていない。大罪魔銃の覚醒強化を控えた今無闇にアプリコットに近づくのは得策じゃないが、判断材料程度なら他の二人からも得られる可能性は十分にある。それでも結論を急いだのは、俺がこの場で答えなければ恐らく仮名は二度と同じ提案をしてこないだろうと思ったからだ。
仮名のスタンスは基本的に協力姿勢だが、彼女が要請に対してそれ以上の形で応じてきたのは実は初めてだったりする。巡り合せの一悶着順争ではアプリコットの依頼でフィールドスタッフを引き受けていたが、終わってみればその本来の役割よりも彼女が自分の利のために盤面を引っ掻き回した弊害の方が比重が大きい。つまり、応じた仕事に関しては忠実だが、その内容以外のことはどうでもいいという感じだろうか。私利私欲のために秩序を乱す、本来ならあの試験で真っ先に弾かれる対象である。
それでも仮名が今ここにいるのは旧連合四祖の面々――特にあのアンダーヒルやトドロキさんが少なくとも表面上彼女を認めたからなのだが、実際にどの点でメリットがデメリットを上回ったと判断されたのか俺自身はまったく把握していない。つまるところ、自分の領分に収まる分くらいは自分で確かめておきたいのだ。アンダーヒルやトドロキさんを盲信するのは簡単だが、これでも攻略戦連リーダーの立場にある身である。強さではアプリコットやドナ姉さんにはいまいち敵わないのが悔しいが、それならそれでギルドのパワーバランスなんて関係なく俺個人でないといけない理由が欲しい。
そのためにはまず、お飾りのギルマスを脱却しなければならない。
結局のところ、意地か見栄か、そんなところだ。




