(10)『勝てるなんて幻想は捨てろ』
数十分後――――群影刀の研磨を終えて程なくグラン・グリエルマを後にした俺たちは、ギルドハウスへ向かう慣れた道を歩いていた。
同行するのは先刻と同じくサジテールと仮名だ。二人とも俺を挟むように両隣を歩いて護衛の体裁を整えている。テルはいつものことと言えばそうなのだが、一歩引いているところのある彼女が隣を歩いているのは案外珍しい。
テルは買ったばかりの弓用特殊弾の包みを胸元に抱えて一見能天気そうにしているが、不器用なリコと違って警戒態勢は隠すのが常の彼女は、その頭部外装から骨組みだけの翼を模したような形の複合センサーを展開している。リコの持つ高汎用レーダーより索敵範囲は狭いが局地的に高い精度を誇るため、今回のように物陰が多い街中での周辺警戒用には向いているらしい。
一方仮名はというと、何を考えているのか店を出る際に何故かメイド服装備に換装している。こう言うのも失礼だが、普段はにこりとも笑わない仮名が取り繕った営業スマイルで隣を歩いているというのは少し不気味だ。とは言え、護衛である以上無碍にもできない。
本意不本意は置いておくとしても、今や≪アルカナクラウン≫のシイナ(公的に魔弾刀ではないのが悲しいが)はミッテヴェルト踏破の最前線――攻略戦連の幹部なのだ。それについて快く思わない存在がいるかどうかは別としても、ドレッドレイドの前例がある以上二人の気持ちを汲むべきだろう。
「はぁ……」
難題でもある本題に思考を戻すと、自然と溜め息が口をついた。大罪魔銃の覚醒の件である。
まず問題なのは『先制ダメージ』というフレーズ。これはFOにおいてただ単にダメージ判定の先取を意味するものではない。簡単に言えば未発見状態でのダメージ判定のことであり、よりわかりやすく言うなら奇襲そのもの。両者の合意に基づく決闘がその条件を満たしているはずもなく、少なくとも初撃だけは不意を突いての急襲にならざるを得ない。いくら身内が相手でもその後の弁明を冷静に聞き入れて貰えるかは五分かそれ以下だ。
しかし不幸中の幸いか、今回の相手はあのアプリコット――この世界が封鎖された直後に、その実行犯である儚一行と共に仲良く(かどうかは知らないが)亡國地下実験場に潜っているような頭のおかしい破綻者だ。そもそも敵と味方の区別をしているのかどうかすら怪しい彼女なら、自身を傷つけた相手でも何事もなかったように接してくるかもしれない。
ただし幸い中の不幸か、今回の相手はあのアプリコット――この世界で最も有名な変人にして警戒を余儀なくされるトラブルクリエイター。もし最初の奇襲の時点で『面白くなりそう』だなんて思われたら、後々の影響や被害の範囲は予想もつかない。
それらの第一・第二条件に俺個人の事情を加味してより具体的に状況を整理すると、俺はこれから幾度となく負け続けた因縁の相手に奇襲をかけた上で、彼女の体力を大幅に削るまで戦い続けなければならない、ということだ。
「罰ゲームか!」
「うわ、びっくりした。御主人様いつもながら頭大丈夫?」
「ああ、いきなり大声出して悪かった。謝るからお前も今の失言を謝れ」
「はいはい、受諾受諾」
「謝ってない。それ全然謝ってない」
テルは俺の要求を涼やかにスルーして数歩分前に躍り出る。
「御主人様ってたまにどうでもいいこと長々と考えてるよね。どうでもいいこと根に持ったり」
「最後の一言にはその内苦言を呈することとして、これはそんなにどうでもいい話じゃないだろ。事と次第によっては今後の俺の貢献度を左右するかもしれないレベルで重要だろ。多分」
「――まだそんなどうでもいいことを考えてたのか、お前」
「お前もどうでもいいとか言うな、カナ」
「――どうにもならないに訂正して欲しいか?」
ぐうの音も出なかった。
この件はそもそも取れる選択肢が少ない。いくら考えたところで、結局はアプリコットとやるかレヴィアタンの覚醒を諦めるかの問題でしかないのだから。
「やっぱやるしかないんだよなぁ……」
群影刀の――魔犬の群隊や戦闘介入型NPC姉妹の存在からあまり問題視はされてこなかったものの、俺単体のみでの期待戦力は決して高いとは言えない。全盛期と比べると、それこそ絶望的なほどの落差がある。【0】という他にはない特異点があったため限定的な需要だけは維持してきたが、それも一長一短あって使いづらいことに変わりはない。
認めたくはないが――――結局今の俺が弱いことを否定できないのだ。
「……なあ、カナ。アプリコットに勝つにはどうすればいいと思う?」
「――勝てるなんて幻想は捨てろ。話はそれから」
「アイツは完全中立の不完全存在かよ……」
巨塔第三十四層『永世中立圏』のボス“完全中立の不完全存在”は強固どころか完璧な防御特性を有する特殊勝利モンスターだ。その恐ろしくも面白いところはありとあらゆる攻撃手段を用いたとしても全てを相殺されてしまう点にあり、その常識破りな勝利条件を知らないと延々と無駄な戦闘を続ける羽目になる。
とは言え、アプリコットにはそんな知っているかどうかで攻略難易度が大きく変化する勝利条件なんてものはない。そんなものがあったら誰も苦労はしていないだろう。
「ねーねー、御主人様。今更だけどアプリコット以外に条件満たしてる人っていないの?」
振り返ったままの後ろ歩きで先を行くテルが本当に今更なことを訊いてくる。
「いなくはないけどな。アプリコットより無理ゲーなのが」
「え? 誰々刹那?」
「んなわけあるか」
いくら弱体化した身とは言っても刹那と比べればレベルや経験はまだ俺の方が上だ。そんな彼女相手に一敗二敗ならともかく二十連敗なんてしていたら、今頃とっくに戦力外通告を言い渡されているだろう。
「――ハカナか」
「察しが良過ぎてたまにお前が怖くなるよ、カナ」
「――褒め言葉と取っておく」
「半分はな」
もう半分は仮名さん怖い。名前が儚と似てるからか。
「――何にせよ問題児が相手じゃ本末転倒、正攻法じゃ課題の成立以前の問題。敗者復活戦があればいいな」
「俺が負けるのは決定デスカ」
確かにほぼ決定してるようなものだが。
アプリコットは飛翔能力と魔法適性によるアドバンテージで対多戦闘に長けた天使種を素体に持ち、型破りな戦い方と個人的なポテンシャルで近接戦闘でも他の追随を許さない。その上、縛りプレイなのか単なる気まぐれか、彼女は普段から魔法やスキルをほとんど使わずに武器と本人の性能だけで戦っている。普段から紙装備で過ごしていることからもわかるだろう。巷では格上どころか別次元の扱いで、最早強さの目標とは見られていない。
噂が先行しているところもあるが、基本的には火のないところに煙は立たない怪物なのだ、アプリコットは。
「それで、正攻法以外ではどうなんだ?」
気を取り直してそう訊ねると、仮名は急に足を止め、驚いたような表情で振り向いた。
まるでそう訊かれることをまったく想定していなかった反応を意外に思いつつも同じく立ち止まると、仮名はさっきまでの笑顔の仮面を脱ぎ捨て、いつもの仏頂面で冷淡に睨み付けてきた。
「――学習能力がないのか、お前。私に訊くなと何度言えばわかる」
「いや、何と言うか……カナは色々知ってるから、つい」
「――言葉でわからないなら痛みで躾けてやろうか」
「え、遠慮しておく」
今にも鞭でも持ち出してきそうな刹那ばりの不機嫌オーラを発している仮名から逃げるように一歩後ずさると、仮名は意外なほどにすぐ怒気を収めた。
「――この程度のこと、二つくらいは誰でもすぐに思い付く。お前の頭が悪いだけ」
「面と向かって頭が悪いとか言うなよ。にしてもやっぱり正攻法以外にもあるのか。さすがカナ、ギリギリでアウトな裏技を考えさせたら随一だな」
「――褒めているつもりはないだろうけど、褒め言葉として取っておく。気分がいいから教えてやろうか、大罪魔装の真価、覚醒強化のギリギリでアウトな裏技を」
今の物言いは微妙に失言だったらしい。
仮名は再び歩き出すと、隣に並んだ俺を一瞥して、次に大腿の帯銃帯に収められた大罪魔銃に視線を落とした。
「――それを誰かに渡して、覚醒後に返してもらえ」
「お前の発想はたまにゲーマーとしてどうかと思う」
「――おかしい。この方法は極めて合理的でお前の負担も軽微、故に非難される理由はないはず」
仮名は心底納得がいかないという顔だった。
「いくら一時的にでも自分の武器を簡単に人に渡せるか。そもそもそういうのは自分でやらなきゃ意味ないだろ」
「――今更それを言うな。群影刀も大罪魔銃も物陰の人影から貰った物のはず」
「…………誰から?」
「――刹那」
お願いですから仮名に余計なこと吹き込まないでください、刹那様。
「――と新丸」
野郎後で憶えとけよ。
「――それとアプリコット」
何でアイツは毎度毎度話してもいないこと知ってるかな。というか三人共俺の知らないところで俺の個人情報話しすぎだろ。プライバシーとモラル仕事しろ。
「あれは緊急だったと言うか……マジで何もなかったから仕方がなかったんだよ」
「――なら今から決闘で二十回負けてこい」
仮名の口調はかなり投げ遣りだった。
「……それもかなり抵抗があるんだけど。いや、寧ろそっちのが気乗りしないんだけど」
「アハハ、御主人様は嫉妬より強欲の方が相性良かったんじゃないかなーって今思った。気のせい?」
「マモン? ……えーっと、確かアレ魔砲槍だったろ? 槍は趣味じゃない」
「んーと、怠惰も入れた方がいいかも?」
「――放っておけ。ベルフェゴールとは遠くない未来向き合うことになる。それに、どちらにしろコイツは理解してない」
二人が何の話をしてるのかわからなくなってきた。武器の話をしていると思っていたが、どうも違うニュアンスを含んでいる気がする。
「――私も他人事じゃない。私の……」
「……カナ、何か言ったか?」
「――今のお前が気にしても仕方がないこと。それより駄目元で行ってみる?」
静かに微笑む仮名の目は相変わらず周囲の全てを遠目に見ているように虚ろだったが、その意識は外から見てわかるほど――不自然なほど明確に俺に向けられていた。
「……何処に」
その穏やかな豹変とでも言うべき変化に思わず身構えてしまいそうになる自分を抑えてそれだけ口にすると、仮名はさっきの仮面とはまったく違う笑みを浮かべ、
「――現に映る幻の像、“エミリー・サジェの具幻境”」
聞いたことのない場所の名を口にした。




