(9)『覚醒強化-アローサルシフト-』
トゥルム街道、装備専門店『グラン・グリエルマ』前――
「酷い目に遭った……」
ハードな宙吊り高速飛行体験を何とか切り抜けた俺は、元凶である仮名に文句一つぶつける気力もなく、憔悴のあまりグランの店の前でへたり込んでいた。
「――私はちゃんと早く乗るように要請した。それに応じなかったのはお前」
カラス型召喚獣“兵危神速の頻鳴き鴉”――チェルカを影の中に帰した仮名は悪びれる風もなく淡々と言うと、早く立てとばかりに二の腕を掴んで引いてくる。
「あの時そんな余裕は与えられなかった気がするんだけど……」
「――それはお前が無駄口を叩いていたからで私のせいじゃない」
そういう側面もなかったとは言えないか――――と自分を納得させ、今度の仮名の要請には素直に応じることにして立ち上がった。
仮名は基本的に自分の都合を最優先にして他者のことは二の次というある意味スタンダードな人間だが、自分の言葉を簡単に曲げるようなタイプじゃない。寧ろ容易に曲がらないせいで扱いに困るタイプと言える。少なくともギルドハウスに戻るまではその言葉通り付き合ってくれるだろう。
「――それでいい。素直な方が好き」
途端、仮名は少しだけ機嫌を直したように相好を崩した。
仮名は付き合いやすさという点でアプリコットよりは多少ましだ。確かに変わった行動を取ることもあるが、彼女には常識と合理的判断の二点は特に問題なく備わっている。つまりその行動には彼女なりの理由があるということだ。時折その理由が他者の同意を得にくいだけで、愉快犯的に騒乱を企てるアプリコットに比べれば遥かに被る負担は少ないだろう。
アプリコットもあれはあれで楽しい人間だと思うのだが、あくまでもそれは巻き込まれる当事者でさえなければ、という前提条件がある。不思議と彼女に絡まれることの多い俺にとってはその条件こそ一番の難題だ。
おそらく今も奇行に勤しんでいるだろうアプリコットに何気なく思いを馳せていると、唐突な電子音と共に目の前に小さなウィンドウが出現した。
『[Eve the Android Sowana]が自己覚醒を開始しました』
アンドロイド・ソワナ――つまりテルが目を醒ますことを知らせるシステムメッセージだ。この後、完全に意識が覚醒すると同時に主人である俺のところに自動召喚される。
「――何?」
メッセージ受信時の電子音やウィンドウ自体は認識されていないはずなのに、仮名には当たり前のように感付かれている。アンダーヒルや刹那にもその辺り簡単に気付かれてしまうのだが、そんなに俺の反応は顕著なのだろうか。
「テルが起きただけだ。もうすぐこっちに来ると思う」
「――テル……?」
仮名が首を傾げた。
「――八式戦闘機人・射手?」
「そうそう、ってあれ? 二人会ったことなかったっけ?」
「――あるのは居合わせたことだけ。……どうでもいいけど」
淡々とそう言った仮名の視線がグラン・グリエルマの地味な看板に逸れると、狙い澄ましたようなタイミングでその死角に当たる空間に花弁状の殻に護られた水晶球――“自我を包みし電脳殻”のような半透明の像が浮かび上がり、サジテールの転移召喚が始まった。
リコと同じような人型の立体レイヤーの描画演出から始まって粗い人型の輪郭が空間に浮かび上がったかと思うと、そのボディは瞬く間に細緻なものに変化していく。素体、各身体パーツ、外装具、装身具と次々と色付き、そして最後に光の粒子が集約して白銀色の長髪が広がって自然に束ねられ、特徴的な頭部外装を通ってポニーテール状に整えられた。
ふわりと浮き上がるように現れたサジテールはゆっくりと街道に降り立つと、一拍間を置いてすっと瞼を開けた。その瞳の中でセンサーアイが微かな作動光を帯び、一度瞬いた後には人のそれと変わらない見た目にカモフラージュされる。そして二度目の瞬きと共にその姿や仕種、纏う空気が俄かに息づいた。
「――過剰演出」
「それを言ってやるな。おはよう、テル」
台無しなことを言う仮名を制してサジテールに呼びかけると、もう一度瞬きしたテルは、
「通常セットアップ、フォーマットチェック、イニシャルローディング。システムオールグリーン。自動記録開始――おはようございます、御主人様」
機械的な平坦な台詞の後に寝起きとは思えない優美な微笑みを浮かべ、普段の姿より仰々しい態度で腰を折って一礼した。
「テルは寝起き毎回そんな感じなのか。初めて見たな」
テルは大体いつも俺より早く起きていたし、そうでない時も朝は大体同じ空間にいることが多かったからな。
「私はリコと違って夜更かしとかあんまりしないからね。昨日はちょっとリコに付き合ってたから落ちるの遅くなったけど」
思い出してみると昨晩は二人を見た覚えがない。何をしてたのかは知らないが大体アクティブなリコにテルが渋々付き合っているパターンが多いから昨日もそうだったのだろう。ただ変に何か企んでいたら困るし、後でさりげなく聞いておこう。
「……って、あれ?」
気が付くと、いつのまにか仮名の姿が視界から消えていた。一瞬帰ったのかとも思って目で探したものの、実際は一人でさっさと店内に入っただけらしく、店の中からグランの応答と思しき声が聞こえてくる。
「相変わらず気配が曖昧な奴だな……」
アンダーヒルのように気配を隠すわけでもなく、アプリコットのように不自然なほどに目立つわけでもなく、そこにいると思っていたのに次の瞬間にはいなくなったり、寝転がっていたはずなのに動く気配を悟らせずに起き上がったりと、気配と実体が乖離しているようで最早超常現象に近い。
「カナってたまに化けて出るよね」
テルがグラン・グリエルマの扉を見つめてぽつりと呟くようにそう言った。
あいつは幽霊か何かかよ。
「そうだ。テルの蒼天弓もついでに調整してもらおうか」
「あはは、私はいいよ。弓の手入れくらい自分でできるから」
軽口の割に目がマジだった。
相変わらず年季の入った扉を開けて店内に入ると、いつものように奥のカウンターに座って軽作業をしていたらしいグランとすぐに目が合った。
「おう、シイナの嬢ちゃん。朝から来るたぁ珍しいな」
職人気質のグランも普通は接客サービスなんてしないのだが、俺を含め本来の≪アルカナクラウン≫メンバーたちは付き合いも長ければ上得意の客でもある。特級鍛冶職人のグランがわざわざ声をかけてくるというのはこのトゥルムでも特別な証だ。
「ちょっとな。取り敢えず群影刀の研磨頼む。それと弾の補充も」
店内に仮名と俺以外いないことをさりげなく確認しつつカウンターへと歩を進め、グランの前に【群影刀バスカーヴィル】を置く。できれば大罪魔銃のメンテナンスもしておきたかったが、二つとも頼むと計一時間も待たなきゃいけなくなる。仮名を付き合わせている以上、武器一つ分――三十分くらいにしておくべきだろう。
「それと今日はもう一つ用があるんだ」
「用があるなら勿体振ってねえでちゃっちゃと言いな、嬢ちゃんらしくねえ。まさか前に頼んだアプリコットの件か?」
「いや、あれは説教してる内にもっと悪化しそうになって、全力で現状維持に務めたからあの時から変わってないんだ、大巌の大鍛冶」
「……手間掛けさせたみたいですまねえ」
「いや、こっちの力不足というか、そもそも身内の問題というか……」
閑話休題。いや、本当は置いておくわけにもいかない問題ではあるのだが、このままでは本題に入れなくなる。
「それで用ってのは何だ。武器でも新調する相談か?」
「いや、大罪魔銃の覚醒について聞きたくて」
向こうから話を戻してくれたのに心底ホッとしつつそう返すと、グランは一瞬緊張したような面持ちになった。
「……覚醒か。ようやく来たな」
「できるのか?」
「それは見てみんことにはな。覚醒は普通の強化と同じく素材が必要だ。とりあえずはそれが揃っているかどうか……なければ集めてこないと話にならん」
大腿部の帯銃帯から大罪魔銃を引き抜いてカウンターの上に置くと、グランはすぐにそれを手に取って軽く検分し始める。
「話はわかった。【大罪魔銃レヴィアタン】の覚醒強化引き受けよう」
「結論早いな」
「早いも何も、最初からそっちが持ち込んだ話じゃあねえか、シイナ嬢ちゃん。俺ぁ一度認めた奴からの仕事を断らない」
「う……もうちょっと難題だと思ってたから拍子抜けしただけだよ。覚醒には条件とやらがあるとか聞いてたけど、そっちはもう満たしてたのか?」
「第一条件はな。第二条件はこれから調べる。ちょいとここで待っててくれや」
そう言って大罪魔銃を台上に戻して椅子から腰を上げ、奥の工房に繋がる扉に手をかける。
「ちなみに第一条件って何なんだ?」
単なる好奇心からの質問だったのだが、グランは特に迷う様子もなく――
「『自分以上のレベルを持つ特定の相手との決闘で合計二十回以上連続で敗北する』。しっかり負け通して条件クリアだ」
――そんな不名誉極まりない事実宣告だけ残して奥の工房に入っていった。
「……負けて嫉妬か。複雑な気分だ」
「――負け越して強くなるなんて随分と都合のいい世界」
後ろで陳列された武器を見ていたはずの仮名がいつのまにか隣に立っていた。ぼそりと呟くのはまたひねくれたような御感想だが、強ち否定しきれないところが何とも言えなかった。
「ってか誰だっけ、そんなに決闘で負けまくってる相手……」
「――お前よりレベルが高いってだけでアプリコット一択」
「アイツか。そういや確かに決闘で勝った覚えがないな」
おかげで可能性の選択肢自体が完全に頭から飛んでた。
アプリコットは時折、暇潰しだとか何とか理由を付けてアルカナクラウン含め一部の攻略メンバーに決闘を仕掛けては、一通り遊んでちゃっかり勝っている。アプリコットの蛮行は基本的に天災レベルで対策会議が設けられるのだが、付き合わされた方もアプリコットのような非凡な視点から見た弱点を発見できるというメリットがあるこの“突発的突撃衝動”については半ば黙認状態だったりする。
「そう言えばお前もアプリコットと結構決闘やってるみたいだけど、戦績の方はどんな感じなんだ?」
「――あれと決闘で戦り合ったことはほとんどない。システム外の戦績でいいなら多分一勝一敗二分け」
「さすがに総数少なすぎだろ……」
「――嘘じゃない。他は大小問わず勝敗不明。多分千回は超えてる」
どんな状況だ。
「――戦闘の不成立、両者の共倒れ、戦意放棄、部外者の乱入等による中断でまともに決着したことがほとんどないだけ」
アホな状況だった。
そう言われてみると、一昼夜戦い続けた挙げ句二人とも疲労困憊になってうちのギルドハウスのテラスで倒れてたなんてこともあったな。あんな感じか。
どちらとも戦った経験のある俺からすると、全身チート性能のアプリコットが相手ではやはり仮名の方がやや分が悪いようにも思えるのだが、仮名の場合実力の底が何処まであるのか知れないことを考えるとやはりどっちに転んでもおかしくないというのが無難な見解だろうか。
「待たせたな」
間もなくそう言って工房から戻ってきたグランは見馴れない小槌を手にしていた。グランが普段使っている無骨な実用品とは趣が違って、全体に青白い光を帯び、表面に同系色の光の筋が幾重にも走っている。外見だけなら小振りの魔鎚だが、不思議と攻撃的な印象は受けなかった。
「それは?」
「お前さんでもさすがに見るのは初めてか。こいつぁ“黒鉄の神式鍛心儀”――特級鍛冶職人の証みてえなもんだ。伝説級装備の覚醒強化に必要な条件と材料を調べる時に使う」
「グランでもわからないことがあるのか」
「伝説級装備は誰が作ったともわからん先史の遺物みたいなもんだ。知る者しか知らん物に手を出すなら、こうして“知る者”に訊くのが手っ取り早かろう」
そのまま見ていると、グランは珍しく緊張した面持ちで作業台の前に立った。そして具合を確かめるように小槌を数回小さく振り、直後振り上げたそれを突然大罪魔銃目掛けて振り下ろした。
「っ……!?」
キーン――。
まるで銃の排莢で弾き出された空薬莢が奏でるような澄んだ音が響いた。
勿論大罪魔銃が打ち砕かれた音ではない。そもそも振り下ろされた小槌はわずか数センチ届いておらず、【伝播障害】のような見えない障壁に阻まれたように直前の中空で静止していた。そしてさらに一拍遅れてその小槌と大罪魔銃の間に小さな水色光の魔法陣が出現し、波紋のようにゆらゆらと揺れながらさらに少し広がった。
「さあ来るぞ……」
グランが一歩後ろへ下がると、宙空の魔法陣から迸った光がカウンター上の大罪魔銃に零れ、溢れるように床へと流れていく。床へと落ちた光は間もなく薄れるように消滅したが、カウンター上に残った一抹の光が形を変え、文字のような記号のような羅列が残った。
「うわ、何か綺麗……」
テルさん、綺麗なら「うわ」とか言わないであげて。
「……何だこれ」
「この世界の古い文字だよ。大分汚いけど。えーっと……」
「鍛冶職人なら誰でも読める文字なんだがな」
ふむふむと口に出しながらその文字を解読するように目で追っていくテルを横目にグランはやれやれとばかりに首に手を遣る。
つまりはどうでもいい凝った演出か。
「――手で触れればプレイヤーでも詳細が見れる」
仮名に言われた通りに光の文字に触れてみると、その上に小さなウィンドウが開いた。内容は単に覚醒に必要な素材と覚醒条件が書かれた簡単なリストのようだ。最初から普通に出せとも思うが、ROLの無駄な凝り性は今に始まったことじゃない。
「――材料の方は特別面倒なことを除けば特別難しくない。問題は第二条件か。御愁傷様。頑張れ」
俺の手元のウィンドウをちらっと横から覗き見た仮名が他人事のようにそう言って、すぐに離れていく。
言われてリストに改めて目を通す。仮名の言う通り、必要素材の方は面倒なだけで難しい物はほとんどない。場合によっては仲間内に訊けば概ね揃うだろう、その程度だ。
「んで、第二条件は……と――」
“第一条件に該当する特定のプレイヤーに先制ダメージを含め体力上限値の七割以上のダメージを与える”
「――嘘……だろ……」




