(8)『その答えが事実とも』
「ちくしょう……。こんなことならフレンドになっとけば……」
エマと別れてから早二十分――――俺はストレロークの失意体前屈張りの陰鬱な後の祭り気分を痛切に味わいながらその場に留まっていた。
もしかしたらここに戻ってくるかもしれない。そんな非効率を極めたような希望を否定するだけの意志もなく、ただぐだぐだと似たような台詞を一人呟いては無策に等しい行動に時間を無駄にし続けていた。
あれから何度か試しているが、いつのまにかログアウトできるようになっていた――――なんて都合のいい話はなく、発声式だけでなくメニューウィンドウのログアウトボタンもまだ消されたままだった。
しかしエマは確かにログアウトを成功させている。俺の目どころか手まで届くような距離だから見間違いということもない。アンダーヒル辺りからすれば、偶発的に一人だけログアウトできるようになったなんて事態は不可解極まりないのだろうが、それでも実際に起こっている以上何らかのからくりがあるはずなのだ。当然と言うと悲しいが、いくら考えても俺の頭じゃ理由も理屈もさっぱりわからないのだが。
「……帰るか」
こういう時、アンダーヒルになれないなら俺は椎乃になりたい。細かいことを考えずに突っ走れるいい意味での馬鹿に。
頭の中がいい感じに麻痺してアホな思考が浮かぶようになってきた頃、ようやく思い立って立ち上がると不意に人の気配を感じて振り返る。
「やっとその気になったのであるか、我が主人」
「――待ちくたびれた」
一抹の期待は軽く裏切られ、そこにはさっきまでの俺と同じようにタイル張りの地面に座っているレナと仮名の二人が俺を見上げていた。仮名の方はいつものフードでよく見えないが、レナはかなり退屈を持て余していた様子だ。
「……どうしてカナがここにいる?」
「――眠気覚ましにお前の後を尾けてきたら女を押し倒していた」
「……抜粋に悪意しか見えないんだけど」
「――純粋に悪意しかないから諦めろ」
相変わらず何処までが本気かわからないひねくれた答えを返してきた仮名がそっぽを向くと、レナは溜め息をひとつ吐いて近場に見える細い路地を指差した。
「決闘の最中からそっちの奥で覗いていたようである。それが終わっても主人が心ここに在らずと呆けているから業を煮やして出てきたのであろう。……我を無視しているからわからないのである」
「すまん、レナ。完全に忘れてた。謝るから機嫌直せ。いや、直してください」
それどころかレナと侍従人形の決着すらまともに見ていなかったから記憶にない。戦わせていたことすらいつのまにか忘れていたから無理からぬことと諦めてくれるといいのだが。
「――NPCを蔑ろにするのはよくない」
「それをお前が言うなよ……」
レナと同じ、群影シリーズの群影槍のヒューマノイド・インターフェースを思いっきり蔑ろにしてたくせに――――そんなことを思いつつ返すと、言葉の意味するところを即座に理解したらしい仮名は小さく鼻を鳴らした。
「――ルナのことを言っているのなら、私は子供が嫌いだから仕方がない。それだけの価値があればそれなりの態度で示すけど、あれは基本的に使えない」
仮名が巨塔に向かって歩き出しながらそう言うと、件のルナと一応旧知の間柄らしいレナはやや気まずそうに視線を逸らしてすぐに黒い影となってどろりと形を崩し、吸い込まれるように俺の足元の影に姿を消した。
「三百一体の召喚獣なんて、それだけでかなりぶっ壊れてると思うんだけど」
「――怪鳥の群隊は群影武装六中第五位。次席の魔犬の群隊と一緒にするな」
何となく味方のいないルナのフォローをしてみたが、それも仮名にとっては大した価値はないようだった。別次元のチートスキル同士で比べても数多のスキルに対して両方優秀なことに変わりはないと思うのだが、主人でもないし縁もない俺がルナの待遇改善を求めても面倒なことになるだけだ。
この辺りで適当に引いておくか。
「お前はこのままハウスに戻るのか?」
「――寄るところがあるのなら同行する。そうじゃないなら連行する」
「俺は監視対象か何かかよ」
「――そう思うなら不用意に一人で出歩いて無防備晒すような愚を犯すな」
何だかんだ心配してくれている、ということでいいのだろうか。
アプリコットといい仮名といい、素直じゃないのはわかったからせめて心にもない言葉や感情を偽装するのだけはやめて欲しい。普段からそんな調子で何処まで本気かわからないせいで、こういう嬉しい言葉すら真正面から受け止めていいのか迷いたくない。
「――エマが無害な女でなかったら、今頃お前は溺死体だ」
「どうして溺死……って待て。お前エマのこと知ってるのか?」
「――お前よりはね。でもあれは気にするだけ無駄。あれはそういうものだから」
「いや、そういうものって言われてもわからないからもう少し具体的に教えてくれても――」
「――私に聞くな。私は何も教えない」
何処かで聞いたような台詞でぴしゃりと言い放つ仮名の手に出現した白刃の魔刀【幻刀・小夜】の刀身が、行く手を遮るように突き付けられた。
しかしそんな言葉とは裏腹に、今までにも仮名は何度か俺に教えてくれている気がする。時に指導するように、時に示唆するように、まるで降って湧いた解説役のように。でも、だとすると――――仮名が逐一教えないと言っているのはいったい何のことなのだろう。
「――あれのことが知りたければ、アプリコットかお前のアンドロイド娘に訊け」
結局教えたいのか教えないのかどっちなんだ、コイツは。
「……リコとテルが知ってるのか?」
思わず両手を挙げながらそう返すと、思いの外薄い俺の反応をどう思ったのか仮名は無言で小夜の実体化を解除して、再びすたすたと歩き出した。
「――実際に知っているかどうかまでは私は知らない。私が知っているのはただ知っていそうだということだけ」
「曖昧だな……」
「――知るべきことを知ろうとしないお前にはこのぐらいがちょうどいい」
その含みのある台詞に立ち止まると、仮名は俺の方に振り返ってちらっと無感情な視線を寄越してきた。
「どういう意味だ?」
「――外連味なくそのままの意味だよ。自分の武器のことなのに、大罪魔装のことも群勢軍隊のこともまるで知らない」
馬鹿にするような調子で鋭利な笑みを浮かべた仮名は、まるで舞いでも踊ろうとするかのような大仰な仕草で両手を広げ、くるりと俺の正面に向き直る。
「――便利な情報源を囲ってる割には随分な体たらくだな、戦連リーダー」
「……便利な情報源ってのはもしかしてアンダーヒルのことか?」
「――あれはあれで便利なのは認めるけど、融通が利かないのはナンセンス。表面的な愚直と本質的な誠実は情報を扱う者としては正しくても、情報を使う者としては実用性に欠ける」
酷い言われようだな、アンダーヒル。寧ろ仮名の場合言葉どころか言動の何割かがデフォルトで酷いんだが。
「……ってことは待て。まさか情報源ってのは……」
「――無論、アプリコット」
おい、マジであれなのかよ。
仮名のキメ顔の目元に、キラっと星形の光がちらつく。これと似たような演出効果はアプリコットも事あるごとに使っているのだが、未だにその仕掛けがわからないなんて曰く付きの代物だが、仮名も普通に使えるらしい。
閑話休題。
「あれを情報源と言っていいのか……?」
「――あれはあれでもああ見えて、仮に腐ってもROLの人間。その上頭の回転は早いから、大体のことは訊けばわかる」
「いや、それは知ってるけど……」
アプリコットは恐らく、現在のFOフロンティア内で魑魅魍魎を除いて唯一開発者側の人間だ。完全にROL内部の人間という意味ではそれこそ唯一無二の存在だろう。
仮名の言う通り、まだ開放すらされていない上層のボスモンスターのことも知っているようで、弱点や特性スキルなんかの情報を教えてくれることもある。勿論あの性格で素直に話すわけもなく、大抵は極稀に気が向いた時にだけこぼす感じだが。
「――ただし訊いて答えるとは限らないし、その答えが事実とも限らない」
「それがアイツを情報源と見做していいのかどうか判断しかねる一番の問題なのですがそれは。アンダーヒルと相性が悪いのも一番の原因はそれだろ。ちなみに二位は不真面目な態度」
「――否定。二位はお前」
「おい、他人同士の不仲を勝手に俺のせいにするな。俺関係ないだろ」
「――関係はしてなくても関連はしてる。でもどうせお前にできることはないから放っておけ面倒くさい」
「それ、最後の理由がメインだろ」
「――私の理由なんてどうでもいい。無駄口叩いて愚痴ってないで足を動かせ」
「待てって、カナ。こっちから行くぞ」
すたすたと歩く仮名の隣に追いつきながら細い横道を指し示すと、仮名は俺の方を怪訝そうに振り返り、再び正面を向いて視界に聳え立つ巨塔を仰ぎ見た。
「――アルカナクラウンはこっち。不審人物?」
「偽装工作でもゴミ処理でもないから安心しろ。グランのとこだよ。群影刀が結構損耗してきてレナが煩いから研ぎ直しにな。大罪魔銃のことも一応確かめておきたいし。同行してくれるんだろ?」
一応確認すると、仮名は一拍迷ったような間を置いてこくりと頷く。
「――かなり遠回り」
「悪かったな。元々グランのところに行くつもりじゃなかったんだよ。そもそもあの決闘から想定してなかったけど」
「――徒歩は面倒」
やや苛立ち気味にそう言った仮名は腕を提げるように掌を地面に向けると、その手に漆黒の嘴槍を実体化した。
「――【怪鳥召喚術式】、モード『兵危神速の頻鳴き鴉』」
途端に魔犬の群隊のそれと同じように仮名の足元から出現した漆黒の影溜まりが瞬く間に肥大化し、ケルベロス程の体躯と鋭い刃のような嘴を持つ大ガラスに変身した。
グアァァァ――。
現れるなり短く鳴いて、仮名に頭を垂れるようにやや前傾気味の従属姿勢を取った大ガラス――兵危神速の頻鳴き鴉は、巨塔第七十三層『叫び鴉の大渓谷』に出現するモンスターだ。ボスモンスターではないが高速の飛行能力と攻撃性を併せ持ち、件のフィールドでは特に厄介なモブモンスターとされている。
仮名はその嘴を無造作に掴み、アクロバティックな跳躍ワンアクションでその背中に飛び乗ると、俺に向かって手を差し出してきた。
「――乗れ」
「……まさか七十三層のボスまで召喚できるとか言うんじゃないだろうな」
「――愚問。【魔犬召喚術式】を持つお前にだって断ち切り呀狼くらい出せるだろう」
それもそうなんだが、同時に“竜”の属性も持っているだろう“黒鴉竜コルヴァネロ・フェリータ”の前ではさしもの九十七層のボスも霞むだろう。
「――警告はした。掴め、チェルカ」
「へ?」
不意に大きく羽搏いて上昇を始めた大ガラスの風圧に押し負けて姿勢が崩れた途端、攻撃にも使われるその鳥足が目の前に迫り、胴の辺りを挟まれるように鷲掴みにされた。
「ちょ、待て、ちゃんと乗る、ていうか服引っかけてる見える見える……!」
「――私には見えない。飛べ、チェルカ」
マジですか、これ。
大ガラスは仮名の指示を忠実に実行すべく俺を掴んだまま急上昇し、視界から地面が遠ざかる。地面という絶対的な安定を失った俺は浮遊感と不安感に襲われ、咄嗟に大ガラスの足を掴んだ。
「――ちなみにチェルカは足の力が弱いから、元々運搬には向いてない。死にたいなら間違って落ちろ」
「拷問か!」
「――チェルカ、加速。多分あっち」
「多分!? カナさんちょっと、面倒だからってそこ適当に済ませるのは――――あぁぁぁぁぁぁ……!」
俺の声は間もなく耳元を過ぎる風切り音にかき消された。




