(7)『ログアウト』
「友軍少数を近域に潜伏、必要なら奇襲しろ!」
巡り合せの一悶着順争中に用意した魔犬の群隊用指令コードで“激情の雷犬”モードのレナに指示を出す。
このコードは期間中暇を持て余していたレナ・リコ・テルのNPCトリオにブレーキ役のネアちゃんを加えた四人で考えたものであり、俺自身最低限必要そうなものしか覚えていないが、対人戦でも相手に命令の内容を秘匿できるのは思いの外便利かもしれない。
と思ったのも束の間、肝心のレナは『馬鹿にするな』とでも言いたげに牙を剥いて睨んできた。一応万が一の保険になるよう見越しての指示だったのだが、余計なお世話と見做されたようで軽く一蹴されてしまい、俺は仕方なく予定を前倒しにして意識をエマのみに集中する。
侍従人形の能力は戦って大体把握した。レナの知能と雷犬の戦闘能力があればまず負けることは有り得ない。ただでさえレナ単騎の性能自体が高水準の怪物なのだ。多少の数的不利が寧ろ戦いを成立させるために最低限こちらが負うべきハンデとさえ言える。
しかしそれはそれ、所詮は召喚獣の話であって、召喚獣同士の話だ。最近多少魔犬の群勢やテルリコ姉妹を頼り過ぎているような気もするし、これも一対一戦闘の勘を取り戻すいい機会だろう。
「本気でいくよ」
「勿論です! この期に及んでまだ手を抜くようなら通報しますよ」
何処にだ。
性格の割に何となくアプリコット辺りを彷彿とさせるテンションだが、それはエマが親しげながらもですます口調を崩さないところであの変人と似ているからだろう。もっと砕けた喋り方にすると、恐らく椎乃のようになると思う。元々椎乃自体、フレンドリーでいい意味で見境がない点でアプリコットと似たところもあるし。
そんなことを考えながら、俺は改めて左大腿の帯銃帯から【大罪魔銃レヴィアタン】を引き抜き、本来の“魔弾刀”の構えを取る。右手の魔刀を引き気味に、左手の魔弾銃を前で牽制に使う、アルカナクラウンではお馴染みの一刀一銃スタイルだ。
俺の“黒の魔刀”と“大罪の魔弾銃”から本気を感じ取ったのか、召喚獣同士の戦いを横目に見ていたエマも満足そうな笑みを浮かべて向き直り、再びその手の“白の軍刀”――重鎮剣ヘヴィージャックを中段で構えた。
「何て言うか、途中で中断した決闘ってなかなか再開するタイミング図り辛いですよねー。いまいちメリハリ付かないっていうか」
「あー、わかるわかる。何か逃した感あるというか、白ける感じ」
そんな遣り取りを交わしつつも、どちらから言い出すでもなく俺は大罪魔銃の予備弾を一つ実体化する。これをコイントスの要領で弾き、地面に落ちたその瞬間が決闘開始の合図――システム外の決闘でたまに用いられる方法だ。投げられるものはある程度硬いものであれば刀の鞘から空弾倉、その辺の石ころと色々あるが、どれも大した違いはない。投げたものが地面に落ちるその音を使って平時と戦闘の空気を明確に区切っているだけで、投げるもの自体は何でも構わないのだ。
キンッ。
親指で銃弾を弾く。形がやや丸いため案外うまく弾くのは難しいのだが、多少慣れていたから不自由はなかった。
「ああ、そうそう。誤解されても困るので一応断っておきますけど、私が非装備武器を使ってるのはシイナさんを侮っているわけじゃないんですよ」
「え?」
街道のタイルに落ちた銃弾がキーンッと乾いた金属音を奏でる。
その瞬間、エマはまるで迎撃のことなんて頭にないような思い切った挙動で俺の間合いに飛び込んできた。その表情は何処か楽しげで、斬り上げるように振られた重鎮剣の太刀筋は迷いがなかった。
ただ、それでもまだ甘い。
――鬼刃抜刀――
群影刀に鬼刃のオーラを纏わせつつ、逆にその一撃を紙一重で躱してエマの間合いに飛び込み、その眼前に肉薄する。
「――ッ! 【四速演算】!」
俺が退くと思っていたらしいエマは一瞬驚いた表情を見せたが、自信家なだけあって狼狽える様子もなく不安定な姿勢から即座に加速スキルを用いた高速の上段斬りを見舞ってきた。
「よっ……と」
群影刀で太刀筋を逸らしつつ、サイドステップで大きく躱す。
あの局面から追撃してきたことには驚いたが、体幹も安定していない軽い攻撃を捌くのは難しいことじゃない。受けきってみても良かったが、【四速演算】による加速分を含めても無理して連撃まで持ち込む意味があったのか疑問視せざるを得ない不自然な行動――――警戒はしておいて過ぎることはなかった。
「もう一回、今のやっときましょうか」
懲りもせず平然とそう言ったエマは地面に手を突いた低姿勢でくるりと反転すると、地面を蹴って再度猛攻を仕掛けてくる。
さっきよりさらに大胆な身体運びは一見隙だらけに見えるが、俺より身体が小さい分実際に狙える隙は思いの外小さい。寧ろそこに誘導されている可能性を考えると、下手に誘いに乗らない方が賢明だろうか。
「【牙突連衝撃】!」
ギィッ、ギギィンッ!
やや上向きに突き出された重鎮剣の刺突三連撃を群影刀の刀身で受け流し、返す刃で力任せに押し返すと、思惑通りスキルアーツの発動直後でやや不安定だったエマの重心が大きく揺らいだ。
「……ッ!」
その好機に一歩踏み込み、大罪魔銃のトリガーガードを群影刀の峰にあてがって体重を乗せた上段からの強撃を見舞うと、ビリビリと震動した重鎮剣はエマの手から離れて地面に落ちた。
そして案の定バランスを崩したエマは前のめりになりながらも、地面を転がるように受け身を取って即座に俺の方に向き直る。
「さすがは最前線を担う戦士、やりますね。シイナさんは意外とスキルを使わない派なんですか?」
「んー……まあね。普段一番使ってるのはこの激情の雷犬を召喚するスキルかな」
「いいですね、シビれますねーっ。自分の技で勝ちに行くって感じで! シイナさんそれが言えちゃうくらい強いですし。いやー、私もいつかそのくらい言ってみたいものですっ」
使うスキルがないなんて口が裂けても言えなくなったな。
「それよりさっきのはどういうこと? 非装備武器がどうとか」
「ああ、それですか。私の武器は元々二つとも決められてるんですよ。一つはさっき見せた魔導書型召喚スキル内蔵デバイス【誠心奉仕の自動人形舘】、もう一つはまだ使える条件が揃ってない特殊武器指定オプショナルデバイス【欠落害意のイノセンス】。普段からそれらで装備枠はいっぱいなんです」
メイン武器のひとつが使用制限付きで使えるタイミングが限られてくるから、その時間稼ぎのために非装備武器を使っている――――という解釈でいいのだろうか。本命の付加スキルが強力で不利な戦況も覆せると言うのなら、それも選択としては悪くない。
重鎮剣がどうかは知らないが、物によっては馬鹿高いステータスの代償にデメリットスキルが発動する脳筋武器もあるからな。
「それに……私こう見えて武器なしでも結構戦えるんですよ」
エマの纏う空気がまた変わる。ついさっきいいのを貰った時と同じ、何か狙っているような気配に反射的に身構えると、エマはその警戒を気にも止めない風に一歩足を踏み出した。
「近寄らせるとは思ってないよね」
即座に大罪魔銃の照準をエマの胸に合わせる。この距離なら、エマが何らかのスキルを使っていない限り外すことはまずありえない。
しかし、エマは足を止めたものの退く様子はまったくなかった。まるで自分も同じように銃口を向けているような、そんな余裕の表情で大罪魔銃を――その引き金にかかる指をじっと見つめ、そして静かに笑みを浮かべた。
その瞳が、不意にぼんやりと光を帯びた――キュィィィッ!
「ッ……!?」
「――高密光線照射攻撃!」
一閃。
エマの右目から放たれた一筋の光線が、動物的な反射反応で左に跳んだ俺の右隣――ちょうどさっきまでいた位置の肩の辺りを貫通するように瞬いた。
その瞬間にまるで周囲の空気が丸ごと違ったものに変わってしまったかのように凍りつき、既に消えた光線の残像すら危なく思えた。
「あ、あれ? 避けられ……嘘ぉ……」
エマが信じられないものを見たように呟いている。
俺は今、エマの攻撃を――光撃を躱した……んだよな。自分でもまさかと思うが、こればっかりは事実だから仕方がない。
そう思って呆然とするエマを再び視認した時、同時に未だ決闘が終わっていないという当たり前の事実を思い出した。
群影刀と大罪魔銃を投げ捨てて徒手格闘の間合いに飛び込むと、エマの首を右手で押さえるようにしながら左手でその腕を取り、仰向けに押さえ込むように街道に押し倒した。
その際、右足と左手で両腕を封じ、姿勢をやや低めに右手と肩でエマの首の向きを無理矢理斜め上に固定しておく。少し抱きついているように見えなくもない組み付き方だが、さっきの光撃をまた使わせないためにはこうするのが一番だっのだから仕方がない。本当なら腕を取って俯せに地面に捩じ伏せるのが最適なのだろうが、さっきの位置関係からそこに持っていくのは無理があったのだ。
「うひゃー、やっぱりこの距離では本物には勝てないですね。降参します降参します、降参!」
エマが何故か慌てたような様子で早々と宣言すると、俺の勝利を示すシステムメッセージが目の前に出現する。そんなエマの態度を若干疑問に思いつつも上から退くと、エマは少し照れくさそうに苦笑いを浮かべて起き上がった。
「とほほ。また、連敗記録更新です。なーんか最近誰かと決闘する度に負けてる気がするんですよねー。負け癖付いちゃったのかも」
それを言うなら俺だって、最近誰かと決闘する度に中途半端なところで終わるから消化不良でございますとも。
そう言いたくなるところを抑えて曖昧に相槌を打つと、俺はさっき投げ捨てたまま転がっている群影刀と大罪魔銃を拾い上げてそれぞれ所定の位置に収めた。
「ところでその魔弾銃、もしかして七つの大罪……大罪魔装シリーズの一つですか?」
「え? あ、うん。そうよ」
突然の問い掛けに思わず口ごもってしまったが、エマはそんな俺のことは気にする風もなく、きらきらと輝く興味津々の眼差しを帯銃帯に納められた【大罪魔銃レヴィアタン】に向けている。
「よく知ってるね。誰かさん曰く何処ぞの界隈では有名らしいけど」
俺は大罪魔銃を抜いて水平にした掌の上でくるりと回し、回転部の部分を掴むようにして銃全体が見易いように差し出した。
「さっき話したシュードさんも大罪魔装の魔爪を持ってたので、こんな輪をかけたような偶然もあるんだなーなんて思いまして」
「魔爪って、また使い手を選びそうなカテゴリね……。私の一刀一銃は魔弾銃タイプだから、たまたまこれを持ってた人に貰ってからずっと使ってるの」
「これを貰ったんですか!? くれた人は随分欲のない人だったんですね……」
アンダーヒルは確かに無欲――もとい寡欲だ。知識や情報に関してはかなりの執着を見せるが、それ以外の大抵のことには淡々とした姿を崩さない。食欲や睡眠欲も普段人前で見せることはほぼなかった。ちなみに性欲なんてものは微塵も感じない。
「すみません、ちょっと失礼して……」
エマがそう断って、大罪魔銃に人差し指で触れる。そうすることで視界に小さなウィンドウが出現し、武器の名前や一部のパラメーターを確認することができるからだ。
「原材の悪魔はレヴィアタン……ということは七つの大罪の内の“嫉妬”ですね」
元ネタが七つの大罪だから今更と言えば今更だが、その中でも嫉妬は特に人間の内面に密接したかなり生々しい感情――――勿論俺とは直接何の関係もないが、嫉妬とはつまり羨望のことでもある。【0】というある意味規格外のスキルを得たとは言え、昔より大幅に戦力価値が低下した今周りの仲間に思うところがないでもない。
思いがけずそんな自分の心を垣間見た気がして胸が痛んだ。俺は自分を落ち着けるために大罪魔銃を手の中でくるりと回して銃把を握ると、そのまま太腿の帯銃帯に落として留め具をかける。
ただそれだけで何となく少し気持ちが落ち着いた気がした。
「そのシュードって人の魔爪はどの大罪だったの?」
「怠惰です。怠惰のベルフェゴール。それにしても意外でしたね。シイナさんぐらい強いなら、もう覚醒済みとばかり思ってたんですけど」
「覚醒?」
初めて聞く話に反射的に聞き返す。
「……もしかして知らないんですか? 大罪魔装シリーズは条件を満たせば、特級鍛冶職人に覚醒武器として鍛え直してもらえるんですよ」
「普通に初耳。そんなのあるんだ」
よく考えたらアプリコット辺りは間違いなく知ってて黙ってたな。普段の恨み言もあるし、後で一言文句言っておこう。
「シュードさんの大罪魔爪は覚醒でもう【覚醒大罪魔爪アケディア・ベルフェゴール】になってましたね。一応それ以外にも“暴食”の魔双剣ベルゼブブと“強欲”の魔砲槍マモンは見たことありますけど、どっちも条件を満たして覚醒してたみたいです」
――と言うことは残る大罪魔装はルシファーの名を持つ“傲慢”とアスモデウスの名を持つ“色欲”の二つ。結局それらも覚醒しているか、あるいは誰かの所持武器なのかすらわからない状況だが、できれば残る二つより早く覚醒しておきたいと思うのはゲーマーの性か。
「……覚醒してないのレヴィアタンだけなんてオチにならなきゃいいけど……」
「シュードさんは『覚醒前の大罪魔装はただの骨董品に過ぎない』なんて言ってましたよ」
「十分性能は高いのにえらい言われよう……。覚醒後ってそんなに強いの?」
「数値は微上昇くらいみたいですけど、付加スキルが解放されるって言って――」
「覚醒条件って何だろう、知ってる?」
「私が言うのもあれですけど、シイナさんも結構変わり身早いですよね」
慢性的なスキル不足に陥っている今、ここで躊躇う理由はなかった。
「それぞれに違うみたいですよ。シュードさんは長いこと部屋に飾って放置してたらいつのまにか爪先から刃全体にひびが入ってて、修理に行ったらお爺ちゃんから『鍛え直せる』と言われたそうです」
「まさかそれで怠惰って言うんじゃ――」
「『久方ぶりの伝説級の魔具じゃ。儂の右手が疼くのう』って言われたそうです」
「疼くのうって言われたんですか」
思わず丁寧語を使ってしまった。
口調からしてシュードが修理を頼んだのはトゥルムの端に工房を構える特級鍛冶職人NPCのバッハッハ=ウォッホンだろう。ふざけたような名前だがお馴染みグランの商売敵で、本人は至って真面目な職人気質な性格であるため、親しみを込めてバッハ爺さんと呼ばれている。地理的に近いから自然とアルカナクラウン行きつけの店はグラン・グリエルマになっているが、職人としての腕は互角という話だ。
閑話休題。
「もしかしてレヴィアタンの覚醒条件も嫉妬に因んだものだったり」
「さすがにそこまでは……っと、おっとそろそろ時間がヤバい。というか軽くオーバーしてました」
「もしかして何か用事があった? 付き合わせちゃってごめんなさい」
「ああ、いえいえ。そろそろ母が起きるので、早いとこ戻らないとまた怒られるかなーと。ほら、もう朝時間ですし」
母親も同じく閉じ込められてるのか? 姉妹や兄妹で、っていうのは見たことがあるが、親と一緒っていうのは珍しいパターンだな。少なくとも俺の周りでは聞いたことがない。
シンの話ではROLのスタッフでもある母親もゲーム内のアカウントも所有しているということだが、本人は主にハードの技術者で中に入ることは滅多にないとも言っていた。そのおかげで巻き込まれることはなくてよかったとシンは安堵していたが。
「そういうことなら私のことは気にしないでいいから」
「また機会があればお会いしましょう、シイナさんっ! ではでは――――ログアウト!」
俺に向かって笑顔で手を振るエマの姿が色彩を失っていき、次の瞬間には無数のブロック片に分かれたアバターが突風で吹き散らされるような演出と共に掻き消えた。
随分久しぶりに見る接続切断のシステムエフェクトにしばし目を釘付けにされる。
「……え?」
またも一瞬理解が追い付かなかった。何故ならそれは、今この世界から失われてしまったはずのものだったから。




