(6)『有効活用しただけです』
トゥルムの一画でシイナとエマが決闘に興じていたちょうどその頃――――≪アルカナクラウン≫ギルドハウス二階ロビーでは、アンダーヒルとスリーカーズ、そして偶然起き出してきたネアの三人が同じ丸テーブルを囲んで座り、モーニングティーついでに巨塔次層攻略の略式打ち合わせを始めていた。
「これが第三百五十八層『暁に戦慄く黒き森』内部の映像です」
アンダーヒルが先行調査で【言葉語りの魔鏡台】を用いてフィールド内の様子を映像として記録したデータの静止画像をテーブルの上に並べていく。
「わぁ、真っ黒……」
「また随分と変な森やね」
写真を確認したネアとスリーカーズから各々似通った反応が漏れる。
そこに映っているのは、まるで群影刀の刃のような漆黒色の葉を持つ木々の森。その幹の色も炭のように浅黒く、その枝葉が日の光を遮って森全体が暗闇に覆い尽くされている。
その異様で不気味な光景に、ネアとスリーカーズは二人とも二の句を躊躇い、無意識の内に口を噤んだ。
「この木は“悪魔の木”。これ自体が特殊な素材になっているようですが、幹の表層面が非常に堅く、私の影魔を用いても容易に切断することはできませんでした」
アンダーヒルは幹から切り出した素材アイテム“悪魔の木片”を幾つか掌上に実体化し、サイコロでも振るようにテーブルに転がす。
「そう言うてもしっかり採ってくる辺りさすがやね、アンダーヒル」
「採取不可能なほどの硬度ではありませんし、私の影魔は優秀ですから」
スリーカーズは取り上げた木片を手の中で軽く遊ばせ、すぐにまたテーブルの上に落とすように転がして戻す。総じてぞんざいなスリーカーズに対し、几帳面なところのあるネアはおずおずと木片に手を伸ばすと、物珍しげにそれを観察し始める。
そんな二人の反応をしばし傍観していたアンダーヒルは更に九枚の写真データを可視化すると、再びテーブルの中央にプレビューウィンドウを差し出した。
「都合上、今回調査できたのは予定していた半分もない三十分ほどでしたが、その間に八種類の中型上位モンスターを確認しています」
「はーん、今回の担当が≪アルカナクラウン≫になったんはそのせいか。このテの跳梁跋扈フィールドは少数精鋭のうち向きやからな。って、吸血球出るんか……。あれ苦手やのに……」
スリーカーズが写真に映る赤黒い風船のような中型魔物モンスターの姿を見てぶつぶつとぼやき始めると、アンダーヒルはすぐに視線をネアの方に移し、意図して緊張した雰囲気を緩める。
「出現モンスターの大半が物理高め寄りのステータスですので、今回はあなたの役回りが重要になってきます、ネア。期待していますよ」
「は、はいっ……頑張り、ます……」
本人は大役にやや萎縮気味だが、アルカナクラウンの“輪唱曲独唱”がレベルの割に非常に強力な戦力となっているのは周知の事実となっている。それは本人の真面目な学習態度と無駄のない運用効率の良さから来ているのだが、その自覚が薄いためか直接自信に繋がっていないのが現状だった。
「んー、言うても吊るし蔓に喰人樹、隠遁蜥蜴、集い月熊、戦慄き烏……パッと見気ぃ抜かへん限りは戦りやすい連中ばっかやから大した相手でもないんよ。厄介なんは精々こっちの二匹――逆鱗大蛇と吸血球くらいやけど、今のネアちゃんなら気ぃ抜かんかったら楽勝やろ」
スリーカーズは手にしていた吸血球の写真と、新たに選り分けた逆立つ鱗を持つ大蛇――逆鱗大蛇の写真を滑らせるようにネアの方に寄越しながら、安心させるような笑みを浮かべて見せた。
ネアはその写真をこわごわと確かめつつ、その他の写真の中から目に留まったデータを拾い上げた。
「あ、このウサギちょっと可愛いです」
「そら、巨体兎や。立ち上がったら四メーターいく怪物ウサギ」
「……可愛かったです」
「素直やね」
すぐに写真を戻すネアに苦笑したスリーカーズは軽く写真を束ねながら、アンダーヒルに報告の先を促すような視線を送る。しかしアンダーヒルが続きを口にするより早くロビーの扉が派手な音を立てながら開き、三人の視線がその方向に逸れる。
「あ、刹那さん。おはようござい――」
「アンタたち、シイナ見なかった?」
ネアが当たり前の朝の挨拶をした途端、開け放たれた扉から姿を現した刹那がその言葉を遮って三人にそう訊ねる。
「あー、ごめん。おはよう、ネア。他二人も」
「あらら、他二人で纏められてもーたな、アンダーヒル」
「おはようございます、刹那。シイナがどうかしましたか?」
スリーカーズの同意を努めて流したアンダーヒルが、極めて冷静に刹那にそう問いかける。すると刹那はギルドハウスの管理者用ウィンドウで建物内のプレイヤーリストを再確認しながら、近くのカウンターチェアに腰を下ろす。
「ギルドハウスの中にいないみたいなのよ。いつもならアイツ、まだ寝てる時間でしょ? アンタたち見てないの?」
「私は、今日はまだ見てないですけど……」
真っ先にネアがそう答える。
「三人共ずっとここにおったから、見てるとしたら一番早く起きとったアンダーヒルやないの?」
「シイナは一時間程前に一人で何処かに出掛けたようです」
平然と告げられたその言葉に刹那の眉がわずかに歪む。
「一人って……リコとテルは?」
「少なくともここを出た時点では同行していませんでした」
「妙にキナ臭い割に、アンタが落ち着いてるのが気に入らないわね……。なんで付いてかなかったのよ。いくらシイナでも一人で出歩かせるのは危ないってわかってんでしょ?」
刹那の詰問するような声にも気圧されることなく、アンダーヒルは静かにこくりと頷いた。
「補足しますが、私がシイナのことを知っているのは先程表の監視映像の確認作業中に外出する彼を見つけたためで、実際に会ったわけではありません。その後も街頭に設置してある監視鏡体で足取りを追いましたが、途中で見失いました」
「ちょっと待って。アンタ、それトゥルム全域に張ってたじゃない。それで見失ったの?」
「監視体制の効率化のため、一部地域を常設監視対象外としたのが裏目に出ました。基本的な生活圏や重要施設とその連絡経路は網羅しているはずですが、その範囲外に出てしまったためシイナの行き先及び目的は推測できません。ただシイナは【群影刀バスカーヴィル】を携帯していたため、最低限の安全策は確保できていると判断しました」
「一応レナが付いてるって言いたいの? そんなのいつものことでしょ。それで何かあったらどうすんのよ」
刹那がそう言うと、アンダーヒルは一瞬言葉を躊躇うように口を噤み、その後やや目を伏しがちに再び口を開いた。
「……これも私が知り得た補足情報ですが、仮名がシイナを尾行しているはずです」
「ッ!?」
「それ、あんまり大丈夫じゃないんじゃないの?」
アンダーヒルの言葉に一瞬怪訝な様子を見せたスリーカーズだったが、すぐに相棒の思惑を察したように余裕の姿勢を取り戻す。
「刹那の仮名に対する信頼度がよく分かる反応やね」
「あの女、いつも何考えてるかわかんないじゃないの」
「否定できんとこが不運やね。多分わかってて見逃したんやろうけど、ホントに大丈夫なんか? アンダーヒル」
スリーカーズの問いにアンダーヒルは迷いなく頷いた。
「確かに彼女に全幅の信頼を寄せるのは不合理ですが、少なくとも現時点で彼女は明白な敵対行動を取ったわけではありません。あくまでも彼女が本質的に攻略側の味方であるとすれば、シイナの護衛としては心強い部類の人間です」
――しかし何か企みがあるとすればこの好機を逃しはしないでしょう。
アンダーヒルが言外に濁したその言葉に気付いた瞬間刹那は大きく目を見開き、その瞳に激情の火が灯す。
「……アンタ、シイナを囮にしたの?」
「いいえ。何れにせよ私が同行あるいは尾行警護することは不可能でしたので、状況を看過した上で有効活用しただけです」
「メッセでも送ればどうにかできたでしょ、はい論破」
刹那は馬鹿馬鹿しいとばかりに切り捨てると、メニューウィンドウからメッセージ作成のウィンドウを開いてシイナへのメッセージの本文を作り始める。
既に結論は出たと言いたげなその姿勢を一瞥したアンダーヒルは瞬きするように目を閉じ、そして徐に目を開いて再び刹那に視線を遣る。
「以前、彼女は言っていました。『私は現実に絶望なんかしてないし、この状況を望んだりなんてしない』と。また『現実に今更興味がないからこの世界の成り行きを面白くしようとしたいわけでもない』と言いました。そして『人並みに現実には戻りたいし、だから私は裏舞台に立つ。私はただ、どんな状況でも楽しみは見つけたいし、楽しみながら何かを成し遂げたい』と言っていました。これが本心であれば、彼女は紛れも無く我々の味方です」
刹那の手がぴたりと止まる。そして刹那はアンダーヒルの考えを見透かそうとするかのようにその目を睨み付けた。
「あ、あの……」
「やめとき、ネアちゃん」
緊張に耐え切れなくなったネアが間に立とうとするも、スリーカーズに止められて椅子に座り直す。
そしてその緊迫した空気の中十秒あまりが経過し――
「ふーん……。ま、考えなしってわけじゃないならいいわ」
――刹那はメッセージウィンドウを保存せずに閉じた。
「私はシイナを信じています」
「そんなのアンタだけじゃないわよ」
刹那はほっとしたように緊張を解くと、それを隠す余裕もない様子で力を抜き、カウンターテーブルに背中を預ける。
当然その安堵に目敏く目を付けたスリーカーズは音もなく椅子から立ち上がって瞬く間に刹那の隣の席に陣取ると、新しいおもちゃでも見つけたかのように弄り出す。
「今日に限ってえらい心配性やねぇ、刹那。またつまらんことでシイナと喧嘩でもしたん? お姉さんに話してみ?」
「え゛、別に何もな――って寄るんじゃないわよッ」
「ええからええから♪ あー、そう言えば昨日の夜、シイナが刹那のことでなんや言っとったな」
「え? な、何て……って嘘言ってんじゃないでしょうね!」
「即バレとるし」
「アンタねぇ……」
呆れたようなジト目を向けながらも鉄拳制裁のため拳を固く握った刹那に対し、スリーカーズは「にゃはは」と誤魔化しの笑みを口元に浮かべて刹那の間合いから逃げるようにひとつ隣の席に撤退した。
「そうかっかしとるといつまでも素直になれへんよ、刹那♪」
「っさいわね。斬るわよ」
「そら勘弁」
スリーカーズはさっと身を翻すと、素早く丸テーブルを回って元の席に逃げ帰る。
「ちッ……。で、アンタたちは揃って何の話してたわけ?」
「今日から攻略を予定している第三百五十八層のフィールド調査報告を行っていました。概ねボスモンスターに関する調査報告です」
「ほなよろ。刹那、コーヒー淹れたろか。ついでにお茶も淹れ直すわ」
「何で私だけ別なのよ。貰うけど。ていうか手伝うわよ。あ、アンタはそのまま報告続けて。ちゃんと聞いてるから」
「わかりました」
刹那とスリーカーズがカウンター内のキッチンスペースに立って作業を始める中、アンダーヒルもウィンドウを操作して報告すべき内容を纏めたウィンドウを可視化する。
「端的に言って、ボスモンスター及びその手掛かりと成り得る情報はありませんでした」
「手掛かりゼロで帰ってくるなんて、アンタにしては珍しいわね」
「諸事情から、早めに切り上げなければいけなくなりましたので」
「そういや、さっきもそんなこと言うとったな。何かあったんか?」
「……はい。ただし、これは未確認情報になるのですが……」
アンダーヒルの珍しく勿体つけたような態度に刹那とスリーカーズの手が止まり、全員の視線が収束する。
「――アルペガらしき咆声を聞きました」
そして、空気が凍りついた。
「「……え゛?」」
「あるぺが?」
それを知る刹那とスリーカーズは呆然とした表情で硬直し、幸か不幸か知らないネアはただ首を傾げていた。




