(5)『舐めてますよね?』
やや冷たい空気が満ちる薄明かるい街中に、剣戟が奏でる涼やかな金属音が幾度も連なって響き渡る。至近に聞こえる風切り音はその場の気持ちのいい緊張感を殊更に駆り立て、その戦律はお互いの心臓の高鳴りを煽るように徐々にテンポを速めていく。
早朝のトゥルムの街道で俺と共に物騒な合奏に興じている二体――俺の群影刀の黒色の刃と対比的な白刃の短剣を両手に携えた機械人形たちは、偶然出会った自称ベータテスターの少女[エマ]の持つスキル【盲目の幻想世界】によって召喚された“侍従人形”たちだ。
華奢で丸みを帯びたボディラインや黒髪ツインテールを意識したのだろう頭部のデザイン、そしてその身に纏った軽装鎧仕様のメイド服を見る限り、プレイヤーと同世代の少女を象った女性型アンドロイド――所謂ガイノイドであり、その外見的な雰囲気はリコやサジテールに非常に近い。サジテールの方が各所により機械っぽさが残ってはいるが、リコほど人間らしい外見というわけでもない、ちょうど二人の中間に当たるバランスだろう。
ただ一点、二人と違うところがあるとすればその表情だ。
リコやサジテール同様、それなりに豊かな表情に適した人間らしい造形の顔を持っている割に、その面持ちは機械系人型モンスター等にありがちな何処と無く薄い微笑みにも見える、凍りつくような無表情だ。その容姿は普段ならこんなものかと気にならないが、いざ戦いに入ると変わらない表情が薄気味悪くて仕方がない。
しかし外見はどうあれ、その機械的で正確な剣捌きや気持ち悪いほど一貫した体運び、そして常に敵に向けられている冷徹な視線を見る限り彼女たちが戦闘行為を前提に作り出された一面を持っていることを顕著に物語っていた。
何にせよケルベロスやリコ、テルのような独立戦闘介入型NPCや汎用召喚スキル【精霊召喚式】等を除けば剣術を主とする召喚獣なんて今まで見たことがないから、ある意味貴重な経験と言えば確かにそうなのだろう。
(まぁ……より欲を言うなら、もっと手応えが欲しかったところだけど)
剣を交える度に大きく脈動する心臓とは裏腹に、侍従人形二人の猛攻が普通に往なせる程度のものであることに物足りなさを感じていた。
決闘が始まってから約五分が経過した今の今まで、侍従人形の主人であるエマ自身はまったく戦闘に関わってくる素振りはなく、何故か戦いは従者に任せきりで戦いの顛末を後ろから傍観しているだけだった。さすがに戦闘は丸投げしているなんてことはないだろうが、これではあまりにも口だけが過ぎる。
個人的にはこのまましばらく遊んでいてもいいのだが、侍従人形の相手は俺にとっても所詮は遊び。貴重な経験は尤もだが、恐らく侍従人形は魔犬の群隊や人喰い影魔、盲目にして無貌のものよりも弱い中級クラスの召喚獣だ。それどころか≪アルカナクラウン≫メイド隊より弱い可能性まである。
そうなると、ストレス等の発散という当初の目的を果たすにはプレイヤーのエマを引きずり出す必要があるわけだ。
それを考えればそれこそ魔犬の群隊を使って侍従人形を退けてもいいのだが、正直人が居ないとは言えこんな公の場で貴重な手の内を晒したくないのもまた本心だ。
困ったというほどではないが、あまり策を弄するのもストレス発散の目的から外れる気がして躊躇われる。
そんなことを色々考えていたために、いまいち乗り切れないまま今に至っていた。
「ま、地道にやるしかないってことね」
結局最初からわかりきっていた結論を認めて色々と諦めた俺は、その刹那振り下ろされた侍従人形の持つ短剣の切っ先を苦もなく躱し、俺からすればまだ隙の残るその手首を捻るように地面に引き倒す。そして事のついでに奪っておいた短剣をその侍従人形の背中に突き立てるとすぐに転身――もう一人の侍従人形に肉薄する。
「今更ながらで悪いけど、このくらいじゃ足止めにもならないよ」
機械人形としての性質なのか、何度か見ただけでも動きが読めるようになった刺突撃を苦もなく躱しつつ、すれ違いざまに群影刀の峰でその手の短剣を強く跳ね上げる。すると、弾かれるように手から離れて放物線を描いた短剣はエマの足元に落ちて軽い金属音を響かせた。
そして、武器の喪失で一瞬静止した侍従人形を同じように地面に引き倒し、くるりと群影刀を回して逆手に持ち換える。
――鬼刃抜刀――
俄に燃えているような赤いオーラを纏った群影刀を足元の侍従人形の胸に突き立てて、その鋭さ任せに胴体を大きく切り裂くと、そのまま侍従人形は動かなくなった。
「おおッ、何と言う切れ味。電話帳でもザクザク切りたくなりますね」
「何そのテレホンショッピングみたいな試し切り。包丁と一緒にされても困るんだけど」
一人勝手にハイテンションになっているエマにそう返しつつ、侍従人形の残骸から群影刀を引き抜いて、再び順手に持ち直す。
すると、さすがに余裕の様子を保てる状況ではないのを理解したのか、エマは徐に足元の短剣を拾い上げると、それをウィンドウに放り込み、改めて大きめの西洋軍刀を実体化させた。
「それがあなたの持ち武器なの? エマ」
「いえいえ、実はこれ非装備武器なんですよ。武器装備枠が埋まってましてね」
「それはまた難儀な――」
――そしてまだ舐められてるらしい。
さっきの本がひとつ装備枠を占めているにしても、まだ主力装備枠が一つ分残っているはず。それを使わないということは、俺が使うまでもない相手だと見做されているということだ。
多少感情がささくれだってくるのを感じるが、今回は初めから勝敗は問題じゃない。あくまでも気楽に、気分転換のつもりで叩きのめす方向でいくとしよう。
「まあ、そう不満気な顔しないでくださいよ、シイナさん。まだ何となくですけど、シイナさんの実力はわかりました。退屈はさせません。それに――」
俺の考えを見透かすようにくすりと薄い笑みを浮かべたエマは大軍刀を両手で構えると、魅せるように大きくゆっくりと頭上に振り上げた。
「――シイナさんも私を舐めてますよね?」
その瞬間、一歩だけ前に出たエマへの反応が図星を突かれたこともあってわずかに遅れた――――そして、時間にしてたった一秒にも満たないその緩やかな意識の麻痺から目覚めた俺を鋭い痛みが襲った。
「……え?」
思わずぐらつきかけた視界に、残像のように振るわれた大軍刀の刃の軌跡と死骸狼衣の胸装備を引き裂いて胸元に走る大きな斬り傷が映り込む。
確かに舐めていたかもしれない。警戒していなかった。あるべき緊張を欠いていた。油断や慢心の類はあっただろう。だが、それでもいざ刃に晒されれば反応できる自信はあった。
「言ったでしょう、私はベータテスターですと。隙を見せれば、それはもう強者の独壇場ですよ」
「うん、ごめん。そうだった」
見た目の割に耐えられないこともない傷を、落ちそうで落ちない胸当て布の破片ごと左手で庇いつつ、よろけそうになりながらも一歩、二歩と後退ってエマから距離を取る。
「あんまり好戦的には見えなかったから、ついね」
「だとしたら私の作戦勝ちですね! 私の二つ名は“常春の興言廻し”。大抵のことは笑顔で煙に巻いちゃう、自称トリックスターの大ベテランですから」
「身に沁みたよ」
正直、この世界では強さを感じさせないのも一つの強さだ。
アプリコットや詩音はそれが非常にうまく、アンダーヒルや刹那は基本下手だ。考えればわかることだが、それは性格によるところも大きい。相手の領域に入り込む際に、油断しにくい外面を纏うことができるか否かが分かれ目だ。
尤も、詩音の場合は誰に対しても素で接しているだけなのだが。
「そうだね。それなら私も、変に惜しまず名乗ればよかったかも」
「ふむふむ、ようやく本当のシイナさんが見れそうですね。期待で胸が膨らむとはこのことです。まぁ、こっちの方は見ての通りすっとんですけど」
いきなり自分の胸元を撫で示しながら自虐ネタで締めてきたエマは大軍刀の構えを解くと、それを地面に立てるようにして捧げ持つ。
どういう意図の行動かは分からないが、少なくとも油断でないことは確かだろう。しかし、構えを取っていないというのはこちらとしても好都合だ。
そろそろただ遊ぶのも頃合いだろう。
「【魔犬召喚術式】、モード――――『激情の雷犬』」
エマに聞こえているかいないかといった程度の声量でそう命じると、足元に出現した黒い液状の影から膨らむように雷の霊犬“激情の雷犬”がざわざわと毛を逆立てながら姿を現した。
その姿を見たエマは呆気に取られたように驚きの表情を浮かべる。
「……そのワンちゃん、確か巨塔の――」
「第五十七層『吹きすさぶ雷嵐の天空城』のボス。正真正銘の本物だよ」
俺がそう言うと、その言葉に呼応するように恐らくレナ本人だろう激情の雷犬が身体の表面を覆う雷の鎧をバチバチと激しく通電させる。
「ややや、これは驚きましたよっ。まさか、ボスクラス――しかも塔だなんて、自称トリックスターも形無しです」
「私の二つ名は“雷犬の魔女”。この子は私の可愛い部下……。この胸の傷の借りは返させてもらうね」
激情の雷犬を牽制として使いつつ、そこで初めてアイテムボックスから取り出した速乾性のポーションを傷口に直接流しかけ、同じく取り出した安全ピンで軽く装備を纏めて止める。
システム上保護が効いているから絶対に外れて落ちるなんてことはないが、気になって集中が乱れないようにするための措置だ。
「それじゃ私は今度も本気でいきますね。この重鎮剣も、一度抜いたらなかなか引っ込みつかないので」
“ヘヴィージャック”という名前らしい大軍刀を掲げるように上に向けたエマは、再びそれを正面で構え直した。
「それではもう一度仕切り直しの【盲目の幻想世界】、おいでませ、侍従人形!」
エマがそう叫ぶと、さっきと同じように魔法陣が足元に映し出され、再び二体の侍従人形が出現する。
「あなたたちは激情の雷犬の相手を」
「「了解。命令には絶対服従」」
「えっ!?」
コイツら喋れたのか。
「んむ、どうしました?」
「ううん、何でもないよ」
返事というにはあまりにも定型文じみた台詞だったが、もしかしてこの機械人形召喚スキル――――独立戦闘介入型NPC絡みなのか?




