(4)『さぁ、おいでませ』
翌朝。
寝たのが早かったことと夢見が悪かったせいもあっていつもよりかなり早い時間に目を覚ましてしまった俺は、二度寝する気にもなれずギルドハウスから抜け出して、珍しく一人でトゥルムの街を歩いていた。
アンダーヒルや刹那辺りにバレたら、きっと一人で出歩くなって怒られるだろう。最近はリコやサジテールを筆頭に大体誰かしらが隣にいたから、本当に一人で外を歩くのはFOだった頃以来かもしれない。ちなみに二人はまだ睡眠中だ。
【群影刀バスカーヴィル】を装備している以上、厳密にはレナが一緒にいると言えなくもないが、かと言って他愛もない話をするためだけにわざわざ召喚する気にもならない。と言うより、寧ろ一人でいたい気分だった。
「はぁ……」
溜め息が溶けて消える。
「思いっきり暴れたいな……」
誰も気にせず、何も考えず、余計なことを考える余裕がなくなるまでただひたすらに身体を動かしたい気分だ。でもそれに踏み切るだけのきっかけもなく、結局はただ歩いているだけだ。おかげで独り言も捗って仕方がない。
何もかも、今朝見た夢のせいだ。
昨日の昼過ぎからずっと儚のことばかり考えていたせいか、盛大に儚の夢を見てしまったのだ。それも日常が歪んでしまう前の――俺たちが連んでいた頃の優しくて気高くて、ちょっぴりお茶目で不器用な彼女の夢だ。
まるで夢のような悪夢だった。夢の中の彼女は、かつての彼女は、大人びている割に屈託ない笑顔で心の底からの感情をありのままに見せてくれていた。
そんな彼女の夢を見れば、どうしたって心が騒つく。
もう大丈夫と思っていても、その名前を見るだけで、聞くだけで、考えるだけでこの感情が頭をもたげてくる。
俺は結局、あの頃から何も変わっちゃいないのかもしれない。
俺と刹那とリュウとシンの心に打ち込まれた深く抉り取るような楔は、元を辿れば心に刻まれた友情の追憶だ。三人は完全に心の奥底に仕舞い込んでいるみたいだが、俺には雁字搦めの柵を解くことはできそうもない。
人の心は難しい。
自分の心すらコントロールできないのに、相手の心を――儚の想いを確かめることなんてできるのだろうか。彼女に勝つことなんてできるのだろうか。
「……あぁ、もうやめだやめ。帰ろう」
頭痛を堪えるように乱暴に髪を掻き上げながら、くるりと身体の向きを変える。
ギルドに戻れば一人でうじうじ考えることもできないだろう。そう思ってギルドハウスの方に向かって歩き出した時だった。
振り返るその一瞬に視界に入った人影のようなものへの反応が遅れたことに気付いて、踏み出しかけた足が止まる。
(誰かいた……?)
一瞬儚の姿が脳裏に映るが、すぐにその可能性を切り捨てる。わざとでなければ儚はこんな見つかるような下手は打たない。もしこれがわざとだったとしてもその場合は彼女にとって隠れる意味はない、つまり特別危害はないわけだ。
「誰?」
群影刀の柄に手をかけながら、背後でじっと息を殺している気配の主に静かに問いかける。するとその呼びかけに応えるように、中途半端に隠されていた気配がたったっと軽快な足音に変わる。
(攻撃……!)
警戒しつつも引き気味に身構えて振り返ると、いつのまにか至近距離にまで迫っていた人影が目の前で軽やかに急停止した。
そこに立っていたのは白を基調にした簡素なドレスを身に纏った、緩いウェーブのかかった金髪が特徴の女の子だった。身長の関係でやや下から覗き込んでくる緑色の瞳は少し不思議な光を帯びていて、その輪郭に丸みを帯びた目と何処か幼さの残る顔立ちそして、やや緩み気味の朱色に染まった頬は普段俺の近くにいる女子陣とはまた違った雰囲気――強いて言うならネアちゃんのような殺伐さとは縁遠い空気を醸している。
「む、むぅー」
その女の子は怪訝な表情で俺の顔を下から覗き込むと、細部を確かめるかのように視線を彷徨わせる。
「えっ、と……」
初めて見る顔に戸惑いどう反応していいかわからないまま言葉を濁していると、その女の子は突然ぱぁっと花が咲いたような明るい笑顔になった。
「やっぱりシュードさんじゃないですかっ。お久しぶりです!」
「へ?」
「いつ以来でしたっけ。懐かしいです! お元気にしてました?」
「え? いや、ちょっと……」
「あれ? でもお名前が……あれれ?」
俺の頭上に視線を泳がせた女の子は首を傾げ、ぽかんとした表情で驚くほどわかりやすく疑問符を量産していた。
「ごめんなさい、多分人違いだと思います。私の名前はご覧の通りですから。シュードという名にも聞き覚えがありません」
「むむぅ……。ホントにそっくりだと思ったんですけど、そう言えばよく考えると髪型も装備センスも話し方もあんまりシュードさんらしくないですね。初対面の人にこういうのもなんですけど、シュードさんの方が見る目ありました」
ほっとけや。
「っとと、申し遅れました。不肖私[エマ]と申します! 愛縁奇縁の一期一会、以後お見知り置きをっ」
妙に元気な女の子――エマは何故か掌を見せない海軍式敬礼でそう言うと、さっき見せたものとは少し違う、やや他所向きの快活な笑顔を浮かべてみせた。
あまり距離を感じさせない、正統派って感じのフレンドリーな子だな。
アプリコットみたいな何か違うフレンドリーさに慣れていたが、こうして比較してみるとやはりあの変人とはまったく違う。馴れ馴れしさとフレンドリーさの違いくらいの感覚だ。どちらも表面上同じように見えるが、印象が良い悪いで両者の使われ方に大きな差があるのだ。少なくともこの子の親しみやすさには裏が感じられなかった。
「そ、それじゃ改めて私も自己紹介させてもらうわ。私は≪アルカナクラウン≫ギルドリーダーの[シイナ]です」
「アルカナクラウン? へー、そうなんですか。凄いですね、キテますね」
敵である可能性も考えてアルカナクラウンの名前も出してみたが、エマは特に目立った反応を見せることもなく、上位ギルドに対して向けられる羨望の入り交じったごく普通の尊敬の眼差しを向けてきた。
「アルカナクラウンって言うと、例の全員がベータテスターっていうギルドですね。最初期の」
刹那がまだ入ってない頃の話じゃないのか、それ。最初期にしても最初期過ぎる。
「随分と古い情報ね、それ。今はそうじゃない人が大半だから」
尤も、アンダーヒルとトドロキさんの情報操作のおかげで、今のギルドメンバーの構成なんて余程親密に関わってなければ殆ど表には出ていないのだが。
俺の言葉に呆気に取られた表情になったエマはすぐに微笑みを浮かべて、口元を隠すように手を添える。
「あちゃー、これは失敬。なかなか普段関わらないギルドのことには疎くて。シイナさん、GLということはやっぱりベータテスターなんですか」
「え? あ、ううん。私は……何だろう、押し付けられただけみたいなものだから」
「……ふむふむ。となると、これは俄然期待が高まってまいりましたね」
「期待?」
鸚鵡返しにそう言うと、エマはやや興奮気味に鼻の穴を膨らませて頬を紅潮させた。
「運命的に出会ったシイナさんより私の方が強い可能性への期待ですよっ!」
「強いって……」
そういう世界でした。
「シュードさんにそっくりなシイナさんより私の方が強いっ。これは燃えてきますね!」
「そのシュードって人、強いんだ?」
「ええ、それはもう鬼強です」
人差し指を立てた両手を頭の上に角のように掲げたエマはぷるぷると震えていた。表情や様子は如何にも楽しげだが、身体の方は正直に思い出して怯えているのだろう。
そんなに強いのか、シュードさんとやら。
何とも闘争心を擽られる話だ。
「それにしても、エマさんより私の方が弱いっていうのは何だか信じがたいかなぁ」
「むむむ。シイナさん、それは私への宣戦布告と見做していいんですね!」
なんかこのノリ、懐かしい気もするな。エマとは初めてあったばかりのはずなのに。
エマの表情は何処か続きを期待するような、悪戯を企んでいるようなものだった。
「宣戦布告ってほどのことはないけれど……そんなに自信があるの?」
お望み通り少し挑発的にそう言うと、エマは我が意を得たりとばかりに慣れたウィンクを返してきた。
「ふむふむ、こうまで言われては私としても黙っているわけには参りませんね♪ いいでしょうっ。不肖このエマがシイナさんのお相手、務めさせていただきます!」
どうやら向こうも何らかの理由で暴れられる口実を探していたようで、エマはにまにまと頬を緩めながらウィンドウをぽちぽち操作し始める。
そして間もなく、目の前にシステムウィンドウが表示された。
『[エマ]さんから決闘が申し込まれました。規定に従い、提示された決闘のルールを確認することが可能です。
[確認する] [受ける] [拒否する]』
詳細なルールを確認すると勝敗は半ライフ。つまり体力を先に五割削った方が勝ちという単純なもので、即死判定もオフになっているし、他の安全面に関わる幾つかのルールも問題なく設定されていた。
ルール確認のウィンドウを閉じ、[受ける]のボタンに指で触れる。そしてお互いに少し距離を取って離れると同時に、決闘開始のカウントダウンが始まった。
5――。
心を落ち着けるように深呼吸する。
4――。
【大罪魔銃レヴィアタン】をオブジェクト化し、いつでも抜けるように左大腿部の帯銃帯に収める。そして正面に視線を戻すと、対峙するエマもまったく同じタイミングでオブジェクト化処理を終えたようだった。
(って、本……?)
3――。
エマが手にしていたのは武器ではなく古めかしい装訂の為された一冊の硬表紙の本だった。その表紙には金色の印字で“A-Doll House Works”と書かれている。
FOフロンティアでは一般的に戦闘で本を使う機会はない。魔法はあっても魔導書なんて武器カテゴリはなく、戦闘中に本を出すこと自体がまったく無意味なことだ。
しかし、エマは何の澱みもない自然体のままでその本を正面に抱え、まるで解き放つかのような大仰な所作でそれを開いた。
2――。
「手加減なしでお願いね」
「当然です。こう見えて私にもベータテスターとしての自負がありますからね!」
1――。
「え?」
「ふぇ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。
(エマが俺と同じベータテスター?)
ベータテスターは二百人いるが、逆に言えば二百人しかいない。
その大半は顔馴染みとまでは行かないものの顔も名前も把握しているが、エマのことは今日初めて知ったばかりだ。勿論ベータテスターにも顔を合わせたことがない面子はいる。しかし四ヶ月の間、限られた空間内で過ごした面子だ。顔まではわからなくても名前くらいは知っている。
でもエマなんて名前は聞いたことがなかった。
そして『開始』のシステムメッセージと同時に決闘が始まる――。
「……っ!?」
――瞬間、背筋にゾクリと戦慄が走った。
突然大気が穏やかに震え、周囲の空間が一際薄暗いヴェールに包まれる。そして、エマの手にしている本が俄に淡い光を帯び、その光が不敵に微笑むエマの顔を映し出す。
「――さぁ、おいでませ。【盲目の幻想世界】!」
エマの足元から荒々しく吹き上がる上昇気流に呼応するように光の帯がカーテンのように揺れ、次の瞬間、街道のタイルの上に投影された二つの魔法陣のような幾何学図形ひとつひとつから、迫り上がるように二人分の人型召喚獣が出現した。
いや、各所に見えるパーツから推測するに、あれはプレイヤーで言う機人や半機人のような機械人形だ。となると、感覚的にはリコやサジテールに近い。
「なかなかのレアスキル持ちみたいで何よりね、エマさん」
「私にはこれぐらいが妥当なので♪」
依然として変わらない調子のエマだったが、さっきまでとその身が発している気迫が桁違いだ。心の何処かであまり強くはなさそうだと思ってしまっていただけに、その先入観を一瞬で払拭された緊張感でごくりと喉が鳴る。
「“常春の興言廻し”エマの舞台へようこそ。――踊れ踊れ狂兵の如く!」




