(2)『駆逐できるし』
第一次GL会談兼新参入ギルド選抜試験が終了した翌日の正午――。
VR空間閉鎖の首謀組織≪道化の王冠≫によって強制的にアップデートされた史上最悪のVRMMORPG[DeadEndOnline]に多くのプレイヤーが閉じ込められてからおよそ九ヶ月と半月が経過したその日、≪アルカナクラウン≫に端を発した巨塔攻略戦線は再び転機を迎えようとしていた。
「――以上二十一ギルドを代表し、ここに新生攻略ギルド連合“レギオン”の発足を宣言します。この場に集いし同志たち、己が剣に誓ってこの塔を天上へ到らんとする意志を示せ!」
FOフロンティアの中心部に位置する、天を貫く巨大な塔ミッテヴェルトを擁する事実上の首都トゥルムの巨塔前広場にSPAのGL[ガウェイン]の声が大きく響き、その直後無数の誓いの声が重なって、喚声や雄叫びに似た怒号となって広大な敷地の一画に谺する。
FOがDOへと変貌してから閑散としてしまっていたが、この広場は今かつての栄華を取り戻し、新生攻略ギルド連合――正式名称“巨塔攻略戦線連合”の発足の記念式典会場となっているのだ。
旧連合四祖に加え、“巡り合せの一悶着順争”で合格した十六のギルド、そして、正式参加が決まった旧連合の良き隣人≪クレイモア≫を合わせた総勢二十一ギルドの大連合。FOが正常に稼働していた頃なら、ギルド全体が余程親密でない限りありえない規模であり、今この場に居合わせてさえこれほど多くの人間が何の摩擦も軋轢もなく一致団結できるなんて異常事態は到底納得しがたいものがあるのだった。
「ガウェインもなかなかやるじゃないですか。堅苦しいテンプレ並べ始めた時はもう帰ろうかと思ってましたよ」
一メートル半離れて左隣に立つアプリコットがそんな感想を口にする。
俺とアプリコット、そしてガウェインとドナ姉さんが立っているのは、地面から一メートル程の高さで静止する浮遊雛壇の上だ。その関係で視点はこの式典のために集合した他の攻略戦連構成ギルドのメンバーたちを見下ろす形になり、必然的に未だ嘗て無かったほど多くの衆目に晒されている。参列者は各ギルド内で自由参加で募っていたため、幹部格以外は面倒な集会にほとんど参加しないだろうと高を括っていたのだが、この同盟に向けられる期待は思いの外大きいのか結果数えられるだけでも二百人以上ものプレイヤーが集まっていた。それどころか広場の外縁付近には周辺の攻略戦連とは無関係のギルドから来たのだろう見物衆もちらほらと確認できる。
「とは言え、もう少し遊んでくれればボクもそういうものとして楽しむ気も起きるってもんでしょうけどね。いやぁ、残念です」
アプリコット語を翻訳するのは面倒だが、彼女にしてはまだ好評価な方だろう。アプリコットの場合、好評価が決して高評価とイコールとは限らないのが忘れてはいけないポイントだ。
「お願いだから大人しくしててちょうだいね、アプリコット。面白みがないとつまらなく感じる気持ちはわからないでもないけれど、ここで勝手をされたら新参ギルドに示しがつかないから」
視線は正面の人集りに固定したまま事も無げにそう言って、物騒なことを考えていそうなアプリコットに釘を刺しておく。するとアプリコットは珍しく素直に「言われなくてもわかってますよ」と一笑し、ひらひらと手を振って見せた。
そのらしくなさに思わず横目にその様子を見遣ると、やる気なさげな立ち姿勢や当事者の癖に傍観者を気取っているような目付きはいつも通りなのに、普段と違って何処か疲れて倦怠感を前面に醸し出すのも面倒と言わんばかりのかなり微妙な雰囲気だった。
「……ちょっとアプリコット、何かあったの?」
さすがに違和感を覚えた俺がやや躊躇いがちながらもそう訊ねると、アプリコットは俺の方を見て不意に苦笑した。
「大勢の前だから緊張してるのかもわかりませんけど、そろそろ女装歴もそこそこなんですから、装うキャラぐらい統一したらどうです、シイナお姉様?」
「うっ……て、体裁はこの際関係ないでしょう。それで妙に脱力しているようだけれど、何かあったの?」
「んー、そうですね。変人キャラ続けるのも疲れるって話ですよ。ま、これはもう癖みたいなもんですから諦めてますけどね」
アプリコットは何処か寂しげな遠い視線を目の前の集団に向けている。
そう言えば、前にも変人キャラは素じゃないみたいな話を聞いてたな。どう贔屓目に見てもそうは見えないし、その時もふざけている様子だったからそれ以降気にも止めていなかったが。
「まったく理解できない悩みね……。面倒ならやめればいいでしょうに」
「いやー、あはは。ま、こう見えて結構臆病なんですよ」
そういうアプリコットは声色が笑っていなかった。
「人前に出るとどうしても仮面を付けたくなるんですよ。それに関しちゃ、シイナも察しはつくでしょう?」
それは俺のこの演技のことを言っているのか。
確かに最近は不意に声をかけられても無意識にそれらしい演技をできるようになっている。アプリコットに指摘された通りキャラが一定しないのが難点だが。というか以前どんなキャラクターで相手に接したのか正直あまり覚えていないのだ。自分の性格柄、演技だと意識すればボロが出ることに気付いているのだろうか。矛盾しているようだが、おそらく自然体で振る舞うことが演技を気にせずに演技をするコツなのだろう。
我ながら器用なところもあるものだ。
「……極稀に、だけど。あなたがもう少しわがままになってくれたらと思うことがあるわ、アプリコット」
「……そういう優しい言葉はもっと別の子に言ったげてくださいな」
寂しげに苦笑したアプリコットから一瞬表情らしい表情が抜け落ちる。
しかし、何と言えばいいのかもわからないまま声を上げようとした瞬間、「くっくっく」と聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。
「シイナんは本当にからかいがいがありますねぇ。今日もわざわざ寸劇にお付き合いいただきありがとうございます♪」
戻った、みたいだな。
「まったく……じゃあ様子がおかしいのはどう言い訳するの?」
釈然としない感情を心の中に押し込め、平然を装って訊き返す。
アプリコットが仮面を被り直したなら俺はそれ以上先には踏み込まない、それがずっと前からの約束だ。どうせ仮面が剥がれかけていることを指摘する程度のつもりだったしな。
「んー、そうですねぇ。それじゃあ、昨日入れたばかりの新人のアレがちょっとアレ過ぎてアレなだけ、ってことでどうです?」
抽象的過ぎて何一つ把握できないが、拾ってやった方がいいんだろうな。
「新人ってシャルフルに?」
「またその捻りのない略称で呼ぶんですか……。まあ、今度シイナにも紹介しますよ。彼女も会いたがってましたし」
しれっとそんなことを言ったアプリコットは退屈そうにふぁぁとあくびをすると、衆目など意にも介さないと言わんばかりに大きく伸びを始める。
「え……っと、会いたいって私に? 誰? もしかして私の知ってる人?」
「ん? 気になるんですか、珍しい。いつもならボクやうちのギルドのことなんざほとんど興味示さないでしょうに。デレ期?」
「そんなわけないでしょ。そもそも自分に会いたがってるなんて言われたら、多少なりと気になってしまうものでしょう?」
それとまあ、この手のあまり意義を感じないイベントで退屈してるのはアプリコットだけじゃないってことだな。
「ま、何れにせよシイナが隣でよかったです。気兼ねなくやり過ごせそうですから」
「まったく……。人を勝手に仕切りに使わないでちょうだい。さっきからアルトの視線が痛いじゃないの」
はいはい、真面目にやるので視殺を試みるのは勘弁してください、アルト様。刹那まで触発されたら目も当てられない。
ガウェインの戦線布告が終わると、進行役を変わったドナ姉さんから攻略戦連の組織体系についての簡単な説明が始まる。
とは言っても、ここに集まっているような上位ギルドの幹部格連中なら理解するのに然程時間も苦労も必要ないだろう。
何故なら攻略戦連の組織構造は竜乙女達のそれに非常によく似ているからだ。尤もそれを下敷きにして草案を作っているから、似通ってくるのは至極当然なのだが。
攻略戦連の構成ギルドでは大まかな仕事別で暫定的に四つのグループに組分けされる。
即ち≪竜乙女達≫で言えば戦闘隊に当たる“最前線”、偵察隊に当たる“諜報機関”、教導調練隊に当たる“戦闘教導局”、物資調達隊に当たる“兵站分隊”だ。
旧連合四祖を含めた一部のギルドは既にどの大隊に所属するかが決まっている。これは昨日の午後を丸々使って攻略戦連構想を練っていた際に協力して貰った相談役数名の所属ギルドが既に申告済みだからだ。
まず最前線。
これは文字通り塔攻略のために最新階層に出向いて攻略する最前線担当の武闘派で、SPAや雨天鶴が属している。しかし攻略戦連の存在意義から言って他の大隊に属していても、最前線に準所属扱いになっていると言っても過言ではない。日毎の持ち回り制でミッテヴェルトレベルに対応できる戦力を持つギルドを一纏めに括っているに過ぎないからだ。ちなみにアルカナクラウンも一応最前線の所属となっている。
次に諜報機関。
攻略に必要な調査を行い、≪強襲する恐怖≫等の脅威の捜査も担当する隠密班で、シャルフ・フリューゲル、弱巣窟、メビウスリングが属している。アンダーヒルやトドロキさんの存在からアルカナクラウンも実質所属扱いになるのだが、やはりこの部署は個人的には一番不安要素が強い。と言うか、もはや不安を通り越して確信に至りつつある。
アプリコットにアンダーヒルにシャノンなんて面子で何も起きないなんてことがあるだろうか、いやない。
更に戦闘教導局。
上位ギルドが集まったと言っても、実際に塔のレベルについていける人数はたかが知れている。そこで実力が未熟な構成員を最前線に足る実力を得るまでマネージメントする教導隊で、竜乙女達が所属している。大所帯を否定するつもりはないが、既に実績のある旧連合四祖は事実別格なものの、人数の多いギルドほど少人数戦に慣れておらず、その分制体精度が悪い傾向も相変わらずだ。何せ何があっても仲間が助けてくれるのだから、余程意識していない限り危機的対応力が身に付くはずもない。
最後に兵站分隊。
これはクレイモアが請け負っていた仕事をさらに大規模に統制しようというもので、まだ前線参加の用意が整っていないギルドでも用意が整うまでは基本的にこの仕事をすることになる。その辺りの調整事務はクレイモアが引き継いでやってくれるとパトリシアから聞いている。
基本的にはギルドを主体にして分かれることになるが、アンダーヒルやアルトのように基礎的な仕事能力が高かったり、高性能召喚スキル【魔犬召喚術式】を持つ俺や仮名、全域把握スキル【全体超瞰図】を持つゴア――[あああああ]のように強力で特殊なユニークスキルホルダーは必ずしもギルドの枠に拘る必要はない。特別ギルド内の和を乱すつもりはないが、寧ろそういう人材をギルドの枠を超えて登用できるようにするための攻略戦連なのだから。
「前線に局に分隊に機関ね……。いちいち単位系がおかしいと思わない?」
説明を聞き流しながらも手元の資料に目を通していた俺は、同じくドナ姉さんを完全傍観者視点に徹しているアプリコットにそんな感想を漏らす。
「はっはー、ボクです」
すると、ある意味想像していた通りの答えが返ってきた。
「あなたにしては珍しく普通な方ね」
「あぁ、無論別途呼び名は思索中ですよ。これでも下っ端ですからね。あまりふざけると上からノーサインしかいただけません」
「通称は通称で広めるんじゃ意味無いでしょうに……」
余計な地雷踏んだかもしれない。
「まぁ、所詮書類上の都合、余所向きの呼称なんてこんなもんですよ。FOも[Freiheit Online]でゴーサイン出るまでは本気で[うたかた×クロスオーバー! ~Die Freiheit der Wahrheit , die andere Realitat~]なんて名前にしてやろうかと思ってましたし」
「……途中から何を言ってるのかさっぱりね」
溜め息一つ。
とりあえずROLグッジョブ。このアプリコットを制御するなんてやはり大人は凄いな。何処まで大人かは別として。
「……その英語、なんて意味なの?」
「残念、ドイツ語です。ディー・フライハイト・デア・ヴァールハイト,ディー・アンデレ・レアリテート。意味は……ま、“もう一つの現実という真実の自由”ってとこですかね♪」
「こ、ここまで閉鎖されちゃ自由も何もないわね」
「それも今更です♪」
話の割に緊張感皆無でウィンクしてくる気楽の権化の姿に、さっきからずっと覚えていた頭痛が気のせいだと気付く。
「いやはや、シイナんもお疲れですねぇ」
「こういう式ってだけで敬遠したい世代なの」
「それって世代の問題ですかね……」
それにしても最近非常に常識人的な反応が増えてきたような気がするな、アプリコットのヤツ。
その時、急に周囲の雰囲気が変わった。見るとどうやら説明が遮られたらしく、ドナ姉さんが無言で人混みの一点を注視している。
「あぁ……そろそろ例の茶番の時間ですか」
「そういうこと言わないの」
口に人差し指を立てて、アプリコットの言葉を遮る。
そして再び人混みの方――後ろの方から人並みをかき分けて前に出てくる二人の人物に視線を戻した。
「はいはーい、通してねー」
「んなことしてないで浮けばいいんじゃないすかね」
「あ、それもそう……じゃない! ルークが言わなきゃ、もしかしたら上位種ってバレなくても済んだかもしれなかったのにッ!」
「大声で言っちゃ何れにしてもバレバレだと思うっすけどね」
「あぅ!?」
コントかよ。
初っ端からグダグダ感が否めない会話をしながら、間もなく雛壇正面の空いた空間に出てきたのは、≪弱巣窟≫のGL[シャノン]とそのパートナー[ルーク]。シャノンは昨日の攻略戦連構想段階で参加していた相談役の一人であり、アプリコットの言う“茶番”の首謀者だった。
悪名高き“毒蛇の王”の登場で、俄に集団が浮足立つ。
「一つ提案があるんだけど、参加ギルドの一意見として聞いてもらってもいーい?」
「ええ、勿論よ。攻略戦連では全ギルドが対等。お姉さんが代表して聞きましょう?」
ドナ姉さんがにこりと笑ってそう返すと、シャノンは「ありがとー」と営業スマイルの割に親しげな返事をして、軽く跳躍して雛壇の上――ドナ姉さんの隣に登ってきた。
「それで提案というのはどんなものかしら?」
「要求は簡単。攻略戦連では全ギルドが対等、というのを改変して欲しいの♪」
「……それはどういう意味かしら?」
ドナ姉さんがやや低まった声で聞き返し、真意を見透かそうとするような視線をシャノンに向ける。わざとらしさのない真に迫ったその姿にどよめきが走った。
意外に二人とも演技が上手いな。どう見ても自然体にしか思えないという意味で。
「私たち≪弱巣窟≫が提案するのはただ一つ。旧連合四祖の一柱――≪アルカナクラウン≫に攻略戦連を統括して欲しい、それだけだよ」
シャノンがそう言い放った途端、再び聴衆が大きくざわめき、視線を感じた俺は自然体のままドナ姉さんの方に向き直る。
「理由を聞いてもいいかしら、毒蛇の女王さん」
有名な悪名にシャノンの笑顔が一瞬引き攣り、その刹那空気が凍りついた。
どう見ても友好的には見えない光景だが、二人の間には本当に謎の火花が見えそうなくらい鬼気迫る敵意が漂っているのだ。迫真の演技とはこのことだろう。
この話した時ドナ姉さん起きてたっけ? ――なんて今さら不安になるレベル。
二人はしばらく互いを牽制するように睨み合っていたが、シャノンはその重苦しい空気に人心が不安定になる直前のタイミングでにこりと無害な笑顔を浮かべた。
「発足してすぐにハイ攻略なんて言われても、末端まで周知徹底されて体制が整うまでにここにいるギルドの半数はまず不具合を起こすでしょ。残った半数のさらに三分の一も攻略効率は悲惨の一言、他の三分の一も何とか成果を出すのがやっとだよね。まともな攻略戦力として残るのは実質旧連合四祖ぐらい。そういう時に纏め役というか、最終的な判断を下す権限を持った人がいた方がいいでしょ? だから、この戦線のファースト・ペンギン[アルカナクラウン]にリーダーをやってもらえたらなー、なんて――」
「シャノンさん、そこに立つとこっからパンツ見えるっす」
「わひゃぅ!?」
雛壇の下で待機するルークの言葉に、シャノンがお尻を押さえて飛び退いた。
「って、パンツじゃなくてインナーだよ!」
「はっはっは」
「何で話に水差しといて朗らかに笑えるの!?」
雛壇の上と下で何故か夫婦漫才が始まっているが、そのせいか緊張していた空気は完全に霧散し、元の賑やかで和やかな雰囲気に戻っている。
これをわざとやったんだとしたら、相当頭の回るヤツだな。
その間に壇上ではドナ姉さんとガウェイン、そしてその裏側に立つアルトとアンダーヒルが相談するかのように言葉を交わす。何もかも予定通り、アルカナクラウンを攻略戦連のトップに据えるための茶番劇が進行していた。
「静粛に、静粛にー」
ガウェインが両手を振って声を張り上げ、再び緩んだ空気を適度に収束させる。すると、同時に再びシャノンの前に戻ったドナ姉さんが静かに腕組みをした。
「元々攻略戦連はただの同盟。全員が対等であることは無用な利権や序列を生み出さないためにも必要なことだとお姉さんは思うし、もしアルカナクラウンをトップに据えるにしても一朝一夕に決められることかしら?」
「アルカナクラウンが代表ならふさわしくないって意見は出ないだろうし、元々攻略戦連は『塔の攻略』と『戦力防衛』で利害の一致を見て結ばれた同盟のはずでしょ? 誰が上とか何が下とか下らない次元のお話を持ち出して和を乱すようなお馬鹿ギルドがこの中にあるはずないじゃない♪」
毒蛇の女王こと死神シャノンはあっという間に極論で全体を牽制し、和を乱す者を低能と見做す風潮を作っている。
「それにほら。人数の少ないアルカナクラウンだけなら、もし利権絡みで暴走しても最低限の被害で駆逐できるし?」
うちを槍玉に上げて、害となるものは容赦なく排除すると言外に匂わせる。
この後、結局シャノンは昨日アルカナクラウンのギルドハウスで宣言していた通り、第一回戦連代表者集会だけで自身が画策したアルカナクラウンの攻略戦連リーダー化計画を完遂してしまった。




