(1)『うちに来ませんか?』
私は、歩いていた――。
目的もなく、動機もなく、ただ色々な所を歩いて回る。
無作為にこの世界を巡ってきて、今歩いているこの場所を歩くのはいったい何度目だっただろうか。どうでもいいことだけれど、ふとそう思って、そして答えが出ないまま浮かんだ疑問は思考ラインを流れて消える。
いつもこうだった。何処に行っても、何を見てもいつも例外なくこうだった。
この閉鎖された世界では結局見ることのできることなんて限られている。識ることのできることなんて限られている。
ああ、何故私は今歩いているのだろう。何がしたくて歩いているのだろう。何のために生まれてきたのだろう。そんな疑問さえも答えが出ないまま流れて消える。こう考えるのももう何度目だろうか。どうでもいいと思っているわけでもないのに、まるで飽きたおもちゃを捨ててしまうかのように簡単に色んなものを切り捨ててしまう。私は何故、いつも、いつまでもこうなのだろう。
目の前に不意にモンスターが現れた。
私の背丈ほどの大きさの、燃え上がる黒い炎塊――“地獄の魂鐘”。何ということもない、この無差別エンカウント地帯では大して珍しくもない中級の魔物モンスターだった。
「――幻唱劇戈の戦歌――」
右手に実体化した剣刃で横薙ぎに斬り裂いて、私はそのまま先へ進む。
『“地獄炎の鈴飾り”×1』
目の前にドロップアイテムを表示するシステムウィンドウが出現した。
「へえ、珍しくもないと思えば珍しい」
私は立ち止まることなくウィンドウに触れると、ドロップしたレアアイテムを左掌に実体化させる。それは強い主張のない黒いリボンのヘアゴムで、リボンの結び目の下に小さな鈴があしらわれている。
私は深く考えずに髪を手櫛で梳き、纏めて軽く縛ってみる。その途端、髪がぼんやりと温もりを持ち、うっすらと燃えているような黒い炎の視覚エフェクトが髪全体をさっと覆った。
振ってみると、ちりんと小さく涼やかな音がした。
「いい感じ」
私は即座に地獄炎の鈴飾りを髪から外すと、開いたアイテムウィンドウ内にひょいと放り込んだ。大抵のドロップアイテムはその場に放り出していくのだが、意外にもそのヘアゴムが気に入ったらしい私は、いずれまた気が向いたら着けてみようと思いつつ、メニューウィンドウを視界から消して再び視線を前に向ける。
地平線の向こうに見え始めた街に向かって歩き始めること二時間。そろそろ街も近付いて見える頃合いだ。街に入る前に、周囲に人が増える前に少しだけ休んでおこうかなんて思いながら、私の足は休むことなく地面を踏みしめて進んでいく。
地図によれば、見えている街の名前はシュトラッセン・シュテルン。
取り立てて特徴はないよくある中規模の街だが、街自体とその周辺にボスモンスターの出現ポイントが幾つか設定されているため、街の規模の割には人の通りは多い。そんなことを思い出しながら、以前訪れた際の記憶を頭の中で探し始める。
「そう言えば……あの女と最初に会ったのはあの街だったか」
思い出すのは随分前のこと、初対面のはずの私にいきなり「うちに来ませんか?」と声をかけてきた際立って変な女のことだ。
最後に会ったのは一年以上前だったか、最初に会った時から時間も場所も違う場所で幾度となく偶然会っているが、その度に開口一番未だに同じことばかり訊いてくる。変に馴れ馴れしく、その割に一線を超えてくることはないのが厄介なところで、鬱陶しくても容易に排除もできやしない。
とは言え、私からすれば所詮大勢すれ違う内の一人と変わらない。変に絡まれたくはないが、また偶然何処かで会おうと会うまいと根本的には私と無関係なのだから。
印象の強いそんな回想すら思考ラインを流れて消えていってから約三十分後――――シュトラッセン・シュテルンに入った私は、不意に目の前に現れたその人影に気が付いて久々に足を止めた。
「……」
「うちに来ませんか? シャーンテ♪」
清々しく微笑むその女に、こうも都合のいいタイミングで思い出すものなのかと世界の悪意を感じてやるせない気分になる。
「やー、奇遇ですね、シャンテ。まさかこんなとこで会えるなんて思いもしませんでしたよ。たまには来てみるもんですね。今日中くらいは神様信じちゃいそう」
「また随分と……久しぶりの顔に会うものだね、道化女。今日は妙に足が重いと思ったら、お前のせいだったなんて。会えて嬉しいよ。来るんじゃなかった」
「そう言ってもらえるとここまで来た甲斐があるってものです♪」
隠すつもりもない皮肉を歯牙にもかけずにそう返してきた女――アプリコットは可笑しそうに笑うと、道化のように大げさに一礼して見せた。
「あっそ。それで? わざわざ待ち伏せしてたんだ。何か用があるんだろう?」
「話が早くて助かりますよ。っつっても用件はもう言ったんですけどね。うちのギルドに入りませんか、シャンテ」
またそれか、と私は溜め息を吐く。
「断る。何度も言ってるだろう、私はあのチェリーって女が嫌いなんだよ。そんな用なら私は先を急がせてもらう」
「あぁ、そう言えばシャンテは知りませんでしたね。チェリーさんなら今この世界にはいませんよ。さすがに知ってるでしょう、FOが今どうなってるのか」
「確か……儚とかいう女がログアウト不可能にしたんだったかな」
「チェリーさんはそのVRテロに巻き込まれなかった方なんですよ。っつーか、当時既にゲームに飽きて来なくなってましたしね」
ログイン状況はこの女も然程変わらなかったと風の噂で聞いていた。
「それにあなたにとっては耳寄りの情報もありますよ、シャンテ」
「興味ないね。私にとっては大抵のことはどうでもいいことだし」
私はアプリコットに構わず、その横をすり抜けるように通り過ぎようとする。しかしその瞬間、アプリコットは狙い澄ましたようなタイミングで、トーンの低い声で囁いた。
「――“機械仕掛けの心象乙女”――」
ドクン、と心臓が高鳴る。
思わず足を止めてしまったことに気付いた時には、私の身体は無意識の内に振り返っていた。動揺を隠せない私に、アプリコットはしたり顔で笑った。
「……久しく聞かない名だったけど。何だ、もう目覚めてたのか」
「それに“電子仕掛けの永久乙女”もとっくの昔に目覚めてますよ」
これが、今さらこの女が私に声をかけてきた理由というわけか。心中見透かされてるようで実に腹立たしい。
「それで、二人は何処にいる?」
「それで、ボクと一緒に来てくれます?」
「…………」
「…………」
微笑んで手を差し出してくるアプリコットに対し、私は引きつった笑いを浮かべているのだろう。尤も、それは内心の話であって、きっと表の顔には出ていないのだろうが。
「……わかったよ。ただし、お前の命令に従うのはこれが最後にしてくれ。これ以上面倒に巻き込まれるのは沢山だ」
「それは別に構いませんけど、せめてあなたの能力を貸して欲しい時ぐらいはお願いしますよ? じゃなきゃぶっちゃけシャンテを手元に置く理由無いですし」
「それもそうか。幻唱劇戈の戦歌」
右手に実体化した特殊な魔双剣の片割れが肉を裂く感触が直に手に伝わり、笑顔を浮かべていたアプリコットが軽く咳き込むように血を吐き出した。
それを確認した私はアプリコットの左脇腹に深々と突き刺さった剣を徐に引き抜き、その場でしゃがみ込むアプリコットを無言で見下ろす。
いきなり街中で流血沙汰に発展したせいか、周囲ではプレイヤーだかNPCだかわからない連中が私とアプリコットを見て大騒ぎを始めている。逃げる者が大半だが、中にはその場に留まって様子を見ている者も少なからずいた。
「ふ、ふふ……相っ変わらず何の躊躇いもないですね。ぶっちゃけチェリーさんが嫌いなのってただの同族嫌悪でしょう。いきなり刺すとかマジありえねえ」
「それ以上余計な口叩くと今度は首を切り落とすよ、アプリコット」
「はいはい、ったく……。超痛い。久々にマジ死ねる」
「死にたいのか?」
無駄口を叩くアプリコットに切っ先を突きつけると、アプリコットは肩を竦めつつ取り出した回復薬を脇腹に流すようにかけながらゆっくりと立ち上がる。
「お前と会うと、毎度こんな騒ぎになるから嫌なんだよ」
「いやいや、会うとも何もアウトなのはどう見てもシャンテの方でしょう。十中八九あなたのせいですよ、【粒子構造体】」
アプリコットの腕輪を起点に実体化された片刃腕輪の刃が槍のように伸び、私の腹部を貫通して背中側に抜けた。
「報復するのが面倒だからいちいちキレないでくださいっていつも言ってるじゃないですか、まったく」
私が腹に突き刺さったブレードを中程でへし折ると、やれやれとばかりに首を振って見せたアプリコットは溜め息を吐きつつ一歩後ろに下がった。私はそれに乗じて残ったブレード片を腹から引き抜くと、それをぽいっと放り捨てつつ同時に自己修復を終わらせる。
「短気なのはリコだけで十分ですよ」
「リコ?」
剣の実体化を解除しつつ、アプリコットの口にした名前に首を傾げる。第三者の名前がこの流れで出るとは思えないが、少なくとも聞き覚えのない名前であることは確かだった。
「“電子仕掛けの永久乙女”の今の名前ですよ。ちなみに“機械仕掛けの心象乙女”の今の名前はサジテール、通常テルと呼ばれてますけど」
「ソワナはともかく、ハダリーにまで主人がいるのか?」
“機械仕掛けの心象乙女”――モンスターとしての名前は八式戦闘機人・射手。塔の第何層目かの中ボスで実装されていたはずだから、それから復活している時点で誰かの所有NPCになっている可能性は非常に高い。
対して“電子仕掛けの永久乙女”はプレイヤーを偽装するとはいえ、元々NPCとして実装されたタイプ。ソワナに比べれば誰かの所有NPCになる可能性は五分五分といったところだろうからだ。
「ええ。っつっても二人共同じ主人に仕えてるんですけどね」
「まさかお前じゃないだろうね。もしそうならさっきの話はなしだよ」
「そんなまさか。ボクがそれだけの戦力持ってたら、わざわざあなたに声かけたりしませんよ」
アプリコットが開いた所有NPC一覧のウィンドウを可視化して提示してくる。確かにそこには[Eve the Android Sowana]も[Eve the Android Hadaly]も表示されてはいなかった。
「まあいいよ。どうせ私には関係ないし、好きにさせてくれるならどうでもいい。どうせあの二人とは近い内に顔を合わせることになるんだろ?」
「ボクと一緒に来ればそうなりますね」
こんな迷惑なプレイヤーに関わることになるなんて、行く末を思うと不安の方が幾分か大きい気もする。
そんなことを思いながら、私は実体化した手のひらサイズの巻物をアプリコットに手渡して歩き出す。
「確かに受け取りました。それじゃ、これから宜しくお願いしますね。微笑みの歌劇人形、もとい――――“発条仕掛けの詠唱乙女”」
きひひ、と如何にも愉快そうに漏れている笑いに振り返ると、そこには隠す気のない企み顔で瞳から妖しい光を放つアプリコットの姿があった。
「今まで通りシャンテにしてくれ。刺すぞ」
「はっは、楽しくなりそうですね、シャンテ」
「さあてね」
やれやれ、久しぶりに姉妹喧嘩でもしに行くことになりそうだ。




