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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第七章『巡り合せの一悶着順争―集いし力―』
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(54)『不器用なまま』

「……」


 幻覚スキル【思考抱欺(ナイトメア・ブルーム)】の恐ろしさを再確認する羽目になった事例からおよそ十五分後――。

 俺は仮眠室のベッドで手を枕代わりにして横になり、じっと天井を眺めていた。

 あの後、振り下ろされる拳を掴んだ途端、刹那はその手を振りほどいて逃げるように部屋を飛び出していってしまった。結局状況を整理できないまま階段下のGLRから這い出した俺は刹那を探してギルドハウス内をさ迷い、今に至ると言うわけだ。

 傍らでは廊下で偶然会って何故かついてきたサジテールがベッド脇の椅子に腰掛け、黙って前に刹那から借りていたと言う本を読んでいる。表紙は猫のブックカバーで見えないが、サイズからして単行本だろう。

 これで俺が掛け布団を使っていれば、病人を付きっきりで看病しているかのような光景だったのだろうが、それに反して周りの空気はただただ気まずかった。


「はぁ……」

「……七回目」


 テルは特に何も訊いてこないくせに、本から顔を上げもせず当てつけのように俺の溜め息の数をカウントしてくる。


「……何か用か」

「別に」


 やはり本から顔を上げることなく、テルは少し躊躇われた俺の発言を用意されていたかのような台詞で斬り捨ててきた。


「何か言いたいことがあるなら、変に気を使わないで遠慮なく言っていいぞ」

「うん、御主人様(マスター)にはいつもそうしてる」


 どうして俺の周りにいるのは、こう可愛げのない奴ばかりなんだろうな。

 しかし、諦めてテルのことは花瓶とでも思うことにしようと寝返りを打って背を向けた途端、パタンと本を閉じる音がした。


「ホント。刹那を怒らせることに関しては天才的だね、御主人様(マスター)

「……ほっとけ」

「で、今度は何やったの?」

「わからん」

「もー、御主人様(マスター)はまたそうやってすぐはぐらかす……」


 色々あって疲れていたからやや投げ遣りな語調になっていたのだが、テルはまた違った印象を受けたようだった。大方怒っているか拗ねているかのどちらかだろうが、その気がまったくないわけではないので黙って肯定しておく。

 と言うか冷静に分析すると、今回は俺だけが悪いわけじゃないはずだ。

 【思考抱欺(ナイトメア・ブルーム)】は自分の空想で相手の五感を支配し、疑似体験させる幻覚スキル。つまりその性質上、思いもよらない幻覚を相手に見せることはできない。つまり逆に言えば、刹那はスキルを発動した時に俺が体験したままのことを想像していたということだ。ちょうどその時か、あるいは直前かはわからないが、少なくとも俺が見た幻覚が【思考抱欺(ナイトメア・ブルーム)】によるもので間違いないのなら、刹那が一瞬でも考えたことは確実だ。

 それなら何故、刹那はあんな場所でそんなことを考えたのだろう。

 刹那はアプリコットのようにスキンシップ過剰なタイプでもなければ、ドナ姉さんのような可愛ければ嫁呼ばわりするオープン嗜好のタイプでもない。暴君の如き外面からは分かりにくいが寧ろその逆で、人見知りで恥ずかしがりな性格が彼女の本質だ。

 普段からあんなことばかり妄想しているなんてことはさすがに考えにくい。


「テル」

「何?」


 テルはAIであり人間ではないという認識があったからか、俺は半分無意識の内にテルにそのことを相談しようとしていた。


「いや、えっと……。お前誰かと、キス……とかしたりするの考えたことある?」

「ほえ? ……いやー、御主人様(マスター)が望むなら別にしてもいいけど、私AIだよ? 後で空しくならない?」

「殴るぞ」

「あっ、ゴメン、待って待って。真面目な話なら反省しますから待って、御主人様(マイ・マスター)


 精神的に女性として構築されているテルならあるいはと思っていただけにふざけた答えを返したテルに本気で腹が立ったのだが、慌てて弁解する表情が素直に申し訳なさ気だったため一先ず溜飲を納めておく。


「率直に言えば基本的にはないかな。そういう話が出てる時にはこんなものかなくらいにはシミュレートするけど、多分御主人様(マスター)が訊きたいのはそういうことじゃないんでしょう?」

「ん……まあ日常的な場面での話。誰かと二人きりの時とか」

「いやー、意識してる人でもなければさすがにないと思うよ。そこでテンパるかどうかは人によると思うけど…………刹那は色々と間違い過ぎてるけど」


 具体的に何を間違えてるのかはわからないが、刹那が問題だらけなのは確かだ。

 しかし、テルの話がある程度正しいなら、刹那は俺のことを意識しているということになってしまう。

 あの刹那だぞ?

 普段俺を召し使いか盾ぐらいにしか思っていなさそうな暴君姫が、俺のことを――――ないな。俺が刹那のことを憎からず思ってる以上絶対にありえないとまでは言わないが、現実そんなことはないだろう。

 しかし、そうなるとやはりさっきの件は説明がつかない。

 刹那は特に理由なくあんなことを考えていて、それが思いがけず幻覚として表に出てしまったから慌てて目撃者の抹殺を――――これはこれで不自然だな。

 寧ろここは俺ではない誰かのことを考えていたと仮定してみるか。狭い部屋(?)で二人きりというシチュエーションから、もしこれが想い人とだったら、とつい考えて――――刹那の柄じゃないな。


「あの、御主人様(マスター)……? 何考えてるのかだいたいわかるから言うけど、御主人様(マスター)はいつか刹那に刺されると思うよ。名誉毀損で」

「名誉毀損で刺されるとかどう考えても割りに合わないって思ったけど、刹那ならやりかねないのが怖いな」


 未だに“棘付き兵器ホーンテッド・アームズ”って口にした連中はだいたい路地裏で鉄拳制裁(オ・シ・オ・キ)されてるしな。本人は話し合いと言い張って――もとい言い切っているが。


「だからすぐそー言うのがダメなんだってば。御主人はいったい刹那を何だと思ってんの?」

「絶対自分制暴走危険種」

「うわー……即答しやがったよ、このゴミ主人は」

「おい、何か一文字多いぞ」

「おっと、ついばっさり」


 うっかりじゃないのかよ。

 テルは悪びれもせずそう言うと大きくひとつ溜め息を吐いて、椅子から立ち上がった。


「あー、もういいや。御主人様(マスター)は取り敢えずここで寝てて。後で私が刹那探して話訊いとくから」

「いや、でも……」

「寧ろ御主人様(マスター)邪魔だし」


 テルの容赦ない言葉がぐさりと突き刺さる。薄々気付いていただけにその破壊力は尋常ではなく、たった一言で刹那を探す気力が俺の中から消し飛んだ。


「……お願いします」

「はぁ……。こんな調子で御主人様(マスター)と普段付き合ってる人の胃に穴が開いてないか私は心配だよ……」

「こんな間接的な酷い(なじ)られ方されるの初めてだよ……」


 俺も胃に穴開きそうだ。どんなにストレス受けても胃潰瘍なんてシステムはないから再現はされないけど。

 ていうかそんなに酷いのか、俺。


「で、御主人様(マスター)。刹那にキスしたの?」

「ししししてませんよ!?」


 どもった上に裏返った声、我ながら説得力が皆無過ぎる。


「うーん、御主人様(マスター)の場合どっちなのか判断つかないなぁ。ま、何したのかは知らないけどさ。できるだけ早めに謝っときなよ。刹那の機嫌が悪いとほら、周りに影響するし」


 前半の言葉の意味を問い質したいところだが、何故か今のテルには逆らわない方がいい気がする。

 刹那の機嫌が悪いと――

 リュウとシンが部屋にこもる。

 アンダーヒルが姿を消す(物理)。

 トドロキさんが昼間から飲みに出る。

 ネアちゃんが落ち着かなくなる。

 スペルビアがいつもと違う場所で寝る。

 リコが普段以上に何度も入浴する。

 レナがなかなか召喚に応じなくなる。

 アプリコットがやや大人しくなる。

 詩音が心配げに刹那について回る。

 アルトが詩音の面倒を見なくて済む。

 ミストルティンが俺に近寄らなくなる。

 周辺地域でいさかいが激減する。


「――割と大した影響ないんじゃないか? 一部いいこともあるくらいだし」


 特にアプリコット。これ重要。

 俺は物理制裁やストレス発散用サンドバッグにされるのを危惧して、気の休まる時がないかもしれないが。


「いやいや。空気が気まずくなる度に人の仲を陰で取り持つ私の身にもなってよ」

「お前、そんなことしてたのか?」

「今してるのは何さ」


 それもそうか。


「真面目にお悩み相談できるお姉さん枠は私しか該当者いないでしょー。元々私のAIは人心観測に長けたモデルだからね。メンタルケアは私の趣味みたいなものなんさー」


 じゃあ文句言うなよ。


「人心観測って……初耳だな」

「まあ、その辺の細かい話はまた今度ね。とりあえず刹那を探してきっちりお勤めしてくるよ。まったく、世話の焼ける御主人様(マスター)だこと」


 テルはやれやれと言わんばかりの大仰な動作で(かぶり)を振ると、椅子を壁際に片付けて、廊下に出る扉に手を掛けた。


「あ、そうだ。御主人様(マスター)

「ん?」

蒼天弓(ハクリュウ)、買ってくれてありがとうって言い忘れてた」

「……そういえばそうだったかな」


 まさか今さらそのお礼の言葉が来るとは思っていなかったが、あるならあるで気分がいい。正直金ぐらいしか出してないが、その甲斐もあったというものだろう。

 ……強いしな、あの弓。


「そんだけ。じゃね、御主人様(マスター)


 最後に手を振ったテルは静かに仮眠室を出て行った。壁一枚隔てても微かに聞こえる足音が徐々に遠ざかっていき、やがて部屋の中は落ち着かないほど静まり返る。


「元々世話焼き体質なのかね……」


 姉妹関係もあるからか、特によくリコの世話焼いてるしな。リコ本人はウザがってるが、それが口だけというのも周知の事実だ。

 その時、静かになった廊下の方から足音が聞こえてきた。


「テル……じゃなさそうだな」


 テルは脚部装甲と足自体が一体化しているため、足音にすぐ分かる特徴がある。しかもさっき聞いたばかりの音だから、尚更彼女ではないことがはっきりとわかった。

 もし刹那だった場合に鉢合わせるとまずいと思った俺は、咄嗟(とっさ)に転がって受け身で音を殺しつつ床に降りると、そのままベッドの下に潜り込む。

 その次の瞬間、仮眠室の扉が廊下側から開かれ見知った人影が入ってくる。

 アンドロイドと誤解しそうな感情の薄い顔に、頬に入る稲妻型の黒いタトゥー――。


(何だ、アンダーヒルか。……ん?)


 刹那でなくてよかったと胸を撫で下ろした途端、アンダーヒルの次に入ってきた人影に再び気配を抑える。


(あの女……確かルチアルとか言う――)


 最初にこのギルドハウスに到着したPKギルド≪地獄の厳冬インヴェルノ・インフェルノ≫のギルドリーダーで、自身も無類のPK記録(キルスコア)を持つ悪趣味な悪党(プレイヤー)だ。

 二人とも妙に人目を気にするように部屋の中を確認すると、ルチアルが後ろ手に扉を閉めて器用に鍵までロックした。

 どうも不穏な空気だ。


「そろそろ話ってのを聞かせて貰おうかねえ。話だけならここで十分だろう?」


 アンダーヒルがPKギルドのGLをわざわざ呼び出すなんて、どういうことだ?


「先ほどスタッフから連絡があり、シャノンを回収する旨が報告されました」

「へえ。あの毒蛇を捕まえるなんてスタッフとやらもなかなかやるじゃないか。それで? 今さらアタシに何の用だい? こないだ()()は済ませたし、アタシの()()はもう終わったと思ってたんだけどねえ」


 報告? 仕事? 何のことだ?


「彼女がまだ何かを策しているかどうかを確かめておこうと思いまして」

「報告すべきことは前に全部報告したからねえ。今さらそんなことを言われても困るってもんさ。嘘は吐かないよ」

「疑っているつもりはありません。報告された以外に些細なことでも何か言っていなかったか、それを知りたいだけです」

「そうさねえ……」


 アンダーヒルの問い掛けに、ルチアルは眉を寄せて真面目に思案を始める。

 普段は包帯で隠している素顔を晒していることからも、どうやら二人はこのGL会談に関連した何らかの付き合いがあるのだろう。

 推察するにシャノン――あの≪弱巣窟(ネストネスト)≫のGLに関する何かをアンダーヒルがルチアルに依頼した構図なのだろうが、人目を避けているということは、少なからずこのGL会談の公平性に影響する取り引きがあったということだろうか。


(もしそうだとしたら――)


 見過ごすわけにもいかないだろうな。

 だが、アンダーヒルの判断が間違っていたことはない。いや、正確には間違ったこともある。ただ、彼女が間違いを犯す要因は常に自分のことを勘定に入れていないことが原因なのだ。自分を大事にしない点を除けば、彼女の考え方は往々にして正しい。

 それはつまり、自分を省みない行動にブレーキが働かないということだ。今回もあるいは、ということは十分に考えられる。


「そう言えば……」


 ルチアルが思い出したように呟いた。


「何か?」

「関係があるかどうかはわからないけどねえ。(テラ)のことは報告しただろう?」

「テラ……確か≪Ghost(ゴースト)Knights(ナイツ)≫のサポーターですね。彼がどうかしましたか?」

「初日の夜、一人で森の中を歩いてたのさ」

「何時頃かわかりますか?」

「十二時頃だったかねえ」


 それを聞いたアンダーヒルは、途端に険しい表情になる。

 初日の夜というと、俺は十二時前辺りに寝て早朝には起きている。アンダーヒルも寝たのは俺より遅いだろうが、起きたのはほぼ同じ時刻だったはずだ。

 しかし、アンダーヒルの表情を見る限り、何かおかしいことになっているのかもしれない。


「その後、彼は?」

「仕事以上に馴れ合う気はなかったからねえ。何処へどうして向かったまではわからないさ」

「わかりました。最後に例の件ですが……」


 例の件?

 一拍、頭を高速回転させて心当たりを探るが、該当しそうな話をアンダーヒルから聞いたことはなかった。


「後は相手の返事次第ってところかねえ。多少荒っぽくなってもいいなら手がないわけでもないだろうけどねえ。元々タチの悪い連中だ。そうやすやす手懐けることはできないだろうさ」

「それをあなたが言うのですね」

「やれやれ。そう言われる内は面目一新(めんもくいっしん)もまだまだってことだねえ」


 ルチアルはアンダーヒルを見下ろして、肩を落としつつ溜め息を吐く。

 正直ルチアルのそんな反応が第一印象と違い過ぎて意外なのだが、もしかしたら最初に思ったほど裏取引じみた関係ではないのだろうか。


「協力には感謝しています。例の件については、後ほどスリーカーズに伝えておきます」

「どうせここにいる間は進展も何もないから急ぐ必要はないさ」


 トドロキさんも共犯(グル)か。ルチアルの言う通り、このことを問い質すにしてもGL会談の後の方がいいだろう。進展がないというなら尚更後回しでも問題はなさそうだ。


「では私は戻ります。あなたはいつも通りに――」

「わかってるからさっさと行きな。五分後に部屋を出ればいいんだろう?」


 アンダーヒルは無言でこくりと頷くと、解錠した扉を音もなく開け、その向こうへと姿を消した。

 仮眠室の中に残ったのは、扉の前で疲れを解すように肩を揉むルチアルと、人知れずベッドの下に隠れたままこの場をやり過ごそうとしている俺の二人だけだ。


「面倒が増えて困るね、まったく……」


 そう独り()ちたルチアルは何処か穏やかな表情で天井を仰ぎ、閉ざされた扉に背を預けて(もた)れかかる。警戒心も緊張もないその姿は、俺の存在を予想だにしていないからだろう。

 彼女の言葉通りなら、あと五分もすればそのルチアルも部屋を出ていくはずだ。ここまで気付かれるような愚を犯せば、面倒なことになるのは間違いない。

 そんな気を張りつつも脱力するという一見矛盾しているような気分でじっと待っていると、普段の外面に似合わない穏やかな表情のままぼーっとしたルチアルが不意に呟いた。


「――あの子は、いつまでも不器用なままなのかねえ……」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 “巡り合せの一悶着順争トラブルスポット・トラベリングツアー”――


 現在の合格ギルド。


 ≪地獄の厳冬インヴェルノ・インフェルノ

 ≪トキシックバイト≫

 ≪フルーツカスケット≫

 ≪五芒星団(ペンタゴン)

 ≪らっぷるりっぷる≫

 ≪レティクル・スカーレット≫

 ≪クリスタル・ユニバース≫


 現在の脱落ギルド。


 ≪黄金羊(ゴールデンシープ)

 ≪ソロモンズ・シンクタンク≫

 ≪天龍騎士団(ティエンロン)

 ≪TRIAL(トライアル)

 ≪白兵皇(はくへいおう)

 ≪ロードウォーカー≫

 ≪地底地(アンダーワールド)


 ――タイムリミットまで残り二十五時間十四分。

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