(51)『毒にも劇薬にも』
お待たせしました。
“碧緑色の水没林”某所――。
「止まれ、ルーク」
相変わらずフィールド内を迷走しながら困った上司を追いかけていたルークとストレラのギルド違いペアは、進行方向に現れた人影に足を止めた。
ルークを制止したストレラの声色に若干の警戒が混じっているのは単純な理由――二人の目の前に現れたその人物がただ遭遇したわけではなく、まるで待ち伏せていたかのように樹上から不意に飛び降りてきたからだ。
長い白髪を靡かせて思いの外静かに着水したその人物――何故かメイド服装備を身に着けた猫系獣人族の少女は即座にルークとストレラの方に向き直ると、およそ感情らしいものを感じられない色彩の希薄な目を二人に向けてきた。
「何用だ」
ストレラが強い語調でそう言い放つと、少女は無言で意識を逸らすように視線を泳がせてから徐ろに口を開いた。
「ごきげんよう、ルーク様、ストレラ様。お初に御目にかかります、私[仮名]と申しますわ」
そう言ってスカートの裾を摘んで恭しく一礼した少女――仮名は顔を上げると、打って変わって気品に満ちた微笑みを浮かべて見せる。
普段着の装飾入りのバトルドレス【葬送の姫騎装】から戦闘用も兼ねたメイド服装備【メイド鎧装・魔導乙女】に換装していたこともあって、普段の彼女とはまったく異なる印象の仮名だが、勿論同名の人違いではない。彼女が自身の趣味と称する暇潰し――『現実演技』に基づいた“何処の誰でもない誰か”モードの仮名本人だ。
「ご丁寧な事だな。が、聞こえなかったか? 私は『何用だ』と訊いたはずだが」
何故か苛立っている様子のストレラが変わらず強い語気のままにそう言うと、仮名は少し困ったように笑み、ルークに助けを求めるような視線を向けてきた。
性格柄助けを求められると弱いルークは人知れず溜め息を漏らすと、ストレラの肩にぽんと手を置いて「まあまあ」と取り成すように宥め始める。
「とりま落ち着けっす。あの子の手見てみ」
「ん? 手がどうしたと――」
ストレラが仮名の二の腕から手首までをなぞるように見、そこで初めて白い翼を模した腕章――つまり試験運営のスタッフであることを証明するアイテムが嵌められていることに気付いて眉を顰めた。
「貴様、攻略ギルド連合の手の者か」
「“手の者”って久々に聞く表現っすね、それ」
「黙れ、ルーク」
「……ぅぃっす」
ストレラに睨まれ、ルークは肩を竦める。
「正確には≪クレイモア≫ですわ。尤も、最もルーキーだったために、こんなところにまで駆り出される羽目になったのですけれど」
仮名は知る者からすれば白々しい台詞を躊躇いなく口にすると、手首の腕章に手を掛け、ゆっくりと二の腕の辺りまで引き上げて見せる。
「腕章には番号が付いていると言っていたな。貴様は何番だ」
「0番ですわ」
「……何?」
事も無げに不可解なことを言う仮名に、ストレラは再び胡散臭げな目を向ける。
「0番だと申し上げましたの」
「何だ、その数字は」
「こればかりはこれを用意したアプリコット様にお尋ね下さいな。私にも意味がまったくわからないのですわ」
と言って本人がその意味を知らないはずもない。
本人が元の所有者と主張しているユニークスキル【0】の存在と、掛け合わせればあらゆるものを巻き込んで滅茶苦茶にしてしまうその性質に由来する、何とも仮名らしく、アプリコットらしい番号振り。事情を知らない者から見れば懐疑的になって当然の代物だが現時点でルークには仮名が本当のスタッフかどうかを確かめる手段はなく、自称か物証か、その腕章を信用しておくのが最も無難な選択だった。
「それで一体何の用――」
「暫し待て」
「――むぐ」
ルークが気を取り直して用を訊ねようとした時、ストレラがアイアンクローでその言葉を物理的に遮ると、ルークを手近な木の陰に引きずり込んだ。
「……おい、ルーク」
「何のつもりか知らんがその前に酸素ぐぅぇ」
「貴様らに会ってから想定外の事ばかり起きる。重ねて何の冗談だ、これは。疫病神か」
「俺に言うな、俺に。寧ろそれはシャノンさんに言えっ……。大体トラブルなんてのはシャノンさん絡みで来るんすから」
ルークもストレラもそれほど普段の行いがいい方ではないが、少なくとも自身の常識と良識から外れるようなことは何一つしていない。にも関わらずこうも次から次へと災難が降り掛かってくるのは、運が悪いというよりは結局特殊なタイプの人間との付き合いの弊害でもあるのだろう。尤も、仮名の本性に気付いていない今は災難に巻き込まれていることすら自覚していないのだが。
「つまり貴様の責任だろう」
「俺はお前ん中でどういう位置付けなんだ……」
互いの息がかかりそうな程に鼻先を近づけるルークとストレラ。今現在シャノンが見ていれば発狂も止む無しという姿勢でそんな小声の遣り取りを交わしているわけだが、ルークとストレラはお互いそれぞれ男女関係への慣れ様が逆ベクトルに平均離れしているためにその事には気付かなかった。
「フレンからアレのことは聞いたことがある」
「いや、アレ呼ばわりは流石に酷くね? さっき名乗ってたし」
「アレは……いや、実態は到底名で計れるような輩ではないらしいがな。兎角巷では“名無しの災厄”とでも呼ばれていたか、生粋のトラブルメーカーだ。私も会うのは初めてだし、フレンの話しぶりが有象無象の都市伝説染みていたから、今の今まで思い出す機会も気もなかったがな。障らぬ方が良いという助言だけはよく覚えている」
「今のお前の話しぶりも確かに十分それっぽいっすけどね。呪いでも貰うんすか、馬鹿馬鹿しい」
FOフロンティア内において[仮名]というプレイヤーのことはあまり知られていない。それはただ単に特筆すべき特徴や戦果がなく無名であるというわけではない。確かにそれが一因となっている側面も否めないのだが、彼女に限ってはそれを勘定に含めてはいけない。そういう意味ではやはり一般的なプレイヤーとは違う“特権”を持つ存在なのだ。
それだけならまだしも、自身の評判や風聞を善悪織り交ぜて捏造し自ら流布して躊躇のない人間の外聞を真に受けること自体が馬鹿馬鹿しい話だった。
「んー、言いたいことはわからんでもないけど、ある意味考え過ぎだと思うっすけどね」
「どういう意味だ」
微妙に楽しげなルークの様子にストレラのこめかみが微かに引き攣る。
「俺はお前ほど真正面から物を考えないからな」
「……馬鹿にされている気がする」
「それこそ馬鹿言え。そういうお前が気に入ってるんだ。俺は馬鹿正直なことを馬鹿にはしない」
「……」
ストレラは釈然としない表情ながらも、次いで口をつきそうになる反駁を飲み込んだ。普段の何処か不真面目な態度が酷く気に障ることもあるが、ストレラ自身ルークを嫌っているわけでも敵対したいわけでもないのだ。
「……スタッフと言うのは間違いないのか?」
「間違いないんじゃないすかね。一応番付きの腕章着けてるっすし、シャノンさんの言ってた通り、この試験はプレイヤー同士で騙し出し抜くことに何の意味もないっすからね。多分」
そう言いつつも、ルークの言葉に若干迷いが見られるのは他ならぬその腕章に振られた不可解な番号のせいだった。
「少なくとも誰かに会った時点であれに見つかるわけで……もし偽物だとしてもハイリスクノーリターンでメリット皆無っすね」
ルークが頭上をひらひらと舞う不揃いな一対の木の葉隠れの番蝶を指差しながらそう言うと、ストレラもそれを仰ぎ見た後に納得顔で「成る程」と呟いた。
「しかし、だとすると更に不可解だな。正規のスタッフが我々に何の用があると言うんだ?」
「だからそれを聞こうとしてたんじゃないっすか……」
やっぱ本質はアホの子か、と言いかけたルークが口を抑えて咄嗟に自制してストレラの手を引いて戻ろうとした時、二人は目の前の光景に思わず足を止めた。
「いや、何処行ったし」
戻ったその場所には、さっきまでいたはずの仮名の姿がなかった。動く気配どころか、その時必然的に鳴るだろう水音にすら気付かないままルークとストレラは仮名を見失ったのだ。
「ふむ……少なくとも設置型罠の類はなさそうだ」
「当然ですわ」
周囲を検分したストレラがそう結論付けた瞬間、少し離れた場所に突然現れたように立っていた仮名が悪戯っぽく弾んだ口調でそう言った。
「何のつもりだ、貴様」
「そう怒らないで下さいな。私別段御二人と敵対するつもりは御座いませんもの。今の私はクレイモアの新人メイド、メイドの本分は概ねサポートの一言で片付いてしまうものですわ」
敵意のない微笑みを浮かべながら、仮名はゆっくりとストレラとルークの元に歩み寄ってくる。
しかし彼我の距離が三メートルにまで近付いた時、ルークがその場での制止を意味するジェスチャーと共に「ちょっとストップ」と声をかけた。
「下手すると依怙贔屓に見られるかもしれないリスクを無視してまで、俺たちに何をやらせる気すか?」
「ルーク様もお人が悪いですわ。何をを何も、私たちはただ、少々目に余るイレギュラー因子を排除あるいは是正して頂きたいだけ……。ルーク様とストレラ様はただシャノン様とフレン様を追い掛ければ良いのですわ。私、カナが御側付きとしてそのサポートを致します」
「そう簡単にルールに抵触するようなことをシャノンがするとは思えないっすけどね」
ルークが乾いた笑いを漏らしながらそう心にもない主張をしてみると、仮名は人差し指を唇の前で立てて、くすりと妖艶に微笑んで見せた。
「ルールには不備があるものですわ。その不備に対応し修正するのは体制側の義務だと考えておりますの」
「気に入らんな」
「必要最低限の運営努力と認めて頂ければ幸いですわ」
顰め面のストレラと営業用笑顔の仮名との間に目には見えない火花が走る。正確にはストレラから仮名への一方通行なのだが、仮名の笑顔の裏に何処となくシャノンと同じものを感じて戦々恐々としていたルークにそれをフォローするだけの余裕はなかった。
「それにしても安心しましたわ」
不機嫌を表に出すように足早に歩くストレラとそれを宥めるルークが追走を再開すると、二人のすぐ後ろをついていく仮名が唐突にそう言った。
「……」
「安心したって、何がすか?」
何も聞こえていないかのように口を噤むストレラの代わりに、ルークが仮名に応答を返す。
「ルーク様とストレラ様が、私のことを全く知らなかったからですわ」
「「……は?」」
意味深な言葉に、二人の頭上に疑問符が浮かぶ。
「最近になって特別酷くなりましたけれど、アプリコット様にあることないこと色々言いふらされてるのですわ。あるいはルーク様とストレラ様も私の醜聞を耳にしているやもと危惧しておりましたの。それも程々のようで安心した、という話ですわ」
アプリコットの名が出た途端ルークの頬がわずかに引き攣り、同時にストレラも眉を顰めた。
本人を知らずともその人物像は知っている。それがこの世界に於ける共通認識であり、彼女には極力関わるなと言うのがアプリコットに対する評価の全てを表していた。
「ルーク様はあのシャノン様のお知り合いと聞いていましたので、これでも不安だったのですわ。何か聞いていてもおかしくありませんもの」
「何だかんだあの人悪評の方が多いっすからね」
「仮にも自分の伴侶の陰口を叩くとは見損なったぞ、ルーク」
「さっきまでは普通にスルーしてた癖に、虫の居所が悪くなったら絡み始めんのやめろっす」
ストレラの機嫌は募るように降下中だった。
「ところでルーク様。私もパーティに入れて下さると嬉しいですわ」
「ん、ラジャっす」
「馴れ馴れしい女狐め」
「だから絡むなと」
「ストレラ様、キャラが変わってませんこと?」
こと人間関係に関しては毒にも劇薬にもなる仮名だった。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の合格ギルド。
≪地獄の厳冬≫
≪トキシックバイト≫
≪フルーツカスケット≫
≪五芒星団≫
≪らっぷるりっぷる≫
≪レティクル・スカーレット≫
≪クリスタル・ユニバース≫
現在の脱落ギルド。
≪黄金羊≫
≪ソロモンズ・シンクタンク≫
≪天龍騎士団≫
≪TRIAL≫
≪白兵皇≫
≪ロードウォーカー≫
≪地底地≫
――タイムリミットまで残り二十七時間三十七分。




