(14)『汝足ルカ』
醜悪なる愚鈍の王は大地を、魂を揺らし、その腹を土塊と魔犬の血肉で満たす。
混戦乱戦残党狩りに魔犬の主は頭を振り、口元に浮かぶ笑みを隠せもしない。
我らは不死の群勢バスカーヴィルズ――その力にて汝を試さん。
巨大な岩石蟲の出現で、魔犬の群に明らかな動揺が走った。
その【精霊召喚式】で召喚されたにしてはあまりにも醜悪なフォルムに、初見のネアちゃんが顔面蒼白でドン引きしている。
「薙ぎ払えッ!」
刹那の鬼気迫る掛け声と共にゴツゴツとした身体を蠢かせた〔ドレッドホール・ノームワーム〕は、円状の頭部の中心にある巨大な穴のような口を大きく広げ、その奥から甲殻類の爪のような触手をザワザワと無数に覗かせた。
次の瞬間――――ぞぐんッ!
視界の一画で、大量に並んでいた妖魔犬の一団が消滅した。わずかに残ったその残骸――最前線に近い前方数列分の脚部だけがころんと倒れて赤土をさらに赤い血で染める。
今の一瞬で、その一画にいた魔犬の群を喰らい尽くしたのだ。
愚鈍の王、と俺が呼んだこのドレッドホール・ノームワームは巨塔の第九層『愚鈍の王の祭祀場』のボスモンスターなのだが、その割にはやれることは非常に少ない。何しろ登場シーン以外は動きが鈍いため、物理的な攻撃などそもそも当たるようなものじゃないのだ。
故に刹那がこのモンスター――召喚獣を実戦投入した場合、使われるのはその特性とも言える特殊攻撃のみなのだが、実のところこれこそがこのモンスターの存在意義といっても過言ではなかった。
その攻撃パターンから、巷で“始まりの初見殺し”の二つ名を拝命しているドレッドホール・ノームワームの特性は【大地喰らい】。
誰が名付けたものかはわからないが、その能力は効果処理時に口を向けている方向の延直線上に存在するモノを一瞬で丸呑みにし、全オブジェクトの体力と耐久値を全損させる。
その上、どんなに遠くにいようが何処に隠れようがタイムラグなしで一撃必殺というまさに鬼畜仕様で、一桁台だからといって下調べなしでいくとエンカウント後最初の一撃で葬られ、身を以てその二つ名の意味を思い知ることになるのだ。
ドォオオオオオオン……ッ。
地響きを轟かせながら、たった一回だけの役目を終えたドレッドホール・ノームワームは再び地中へと姿を消し、巨大な穴を残して召喚が解除される。
ドレッドホール・ノームワームの使い方を熟知している刹那は、その能力を大軍を斜めに横切る形で使わせていた。当然だが、そうするのが一番個体数を減らせるのだ。
「三分の一は逝ったわ!」
「じゃああと二回頼んだ」
「はァ? 馬鹿なの? 後二回で全滅させられるわけないじゃない、常識で考えなさいよ。それにここで魔力使い果たしたら、私ボス戦お荷物じゃないの」
「え、回復アイテムないの?」
「なくはないけど、よく考えたらカメレオンの後補充してない。こんなトコで高位薬使いたくないし」
馬鹿なの、コイツ?
とは言え、黒鬼避役の討伐で報酬金を得ている俺も全く何も買っていないから、擁護も非難もできない。
「そうだ。ボス戦の時は、ネアちゃん護っててくれよ。そしたら俺はお前を護ることに専念するから」
「な、ナニ言ってんのよッ! 馬鹿じゃないの!? 馬鹿なの!?」
元々、ネアちゃんを護らなきゃいけないわけだし、消耗したとはいえ刹那は高レベルプレイヤーで実力もある。
むしろ攻撃的な戦闘スタイルの俺とトドロキさんとアンダーヒルは攻撃に集中できるからむしろ楽になるはずだし、下手に虫型のボスだった場合の戦力低下を鑑みれば、後の懸念も減る。
刹那は対虫戦になると、【投閃】等を用いた補助戦闘に回ってしまうことは〔グレイブヤード・マンティス〕で実証済みだったからな。
なんて考えだったのだが……一蹴されたな。即答で。
「アンタと一緒に戦えなきゃ意味ないでしょ、バカシイナ! あっ……えっと、そう、背中預けられるヤツがいなくなるでしょ! た、楯って意味で」
「信用されてんのか捨て駒なのかわかんないぞ、それ……」
刹那とこんな遣り取りを交わしながらでも妖魔犬の猛攻を対処できているのは、絶対的な個体数が減っただけが理由ではない。相手の陣形が完全に崩壊したことが大きいのだろう。
「バスカーヴィル残数、百二十八」
「何故わかった!?」
アンダーヒルの一瞬独り言のようにも聞こえる報告に咄嗟のツッコミを敢行する。
「目視です」
「お前ホントに人間か!?」
動かないならまだしも、動き回る相手を目視で数えるなんて人間業ではない。
しかも百二十八。
「一人頭三十二です、頑張ってください。【烈風脚】」
とか言いつつ、アンダーヒルはスキルを使った強烈な回し蹴りで妖魔犬を空中撃墜する。
「俺も負けてられないな」
体術だけで片付けてるアンダーヒルには既に負けている気もするが。
とはいえそろそろ気力の限界が近付いている。本当ならスキルを使って魔力消費の戦い方に変えているところだが、今は【0】とかいうわけのわからないスキルしか持ち合わせていない。
そうなると短期決戦が最善。とっととノルマを達成してしまい、後は無理の出ないように留意しながら他のサポートだ。
「シイナさん、今回復しますからあまり動かないで下さい」
「えっ、あ、了解」
まぁ、回復魔法も経験だから、やれるというなら止めるのも悪い。
「神界に轟く奇跡の名よ、大いなる加護の魂よ――」
俺は、詠唱を始めたネアちゃんに近付く妖魔犬を優先し、群影刀の並外れた切れ味に任せて斬り捨てる。
ちなみに取り回しの容易な銃はできるだけ温存しておくのは一刀一銃の基本戦術だ。
ネアちゃんだけでなく誰かを護る時、距離を詰める必要のない飛び道具の方が刀剣よりも都合がいいからだ。
「――天恵を司る大いなる意思よ、森羅万象に遍く数多の精霊よ――」
俺が護衛に徹しているものの、周りを警戒する素振りをまったく見せない彼女は危なっかしくてしょうがない。
俺を信頼しているのなら嬉しいのだが。
「――此処に聖なる光の奇跡をっ。『祈り』!」
途端、身体が薄緑色の光に包まれ、身体の奥から湧き出るような暖かさと共に体力と気力がわずかに回復した。
彼女が使ったのは低レベルの微回復魔法『祈り』だが、種族資質《エンハンス・ヒーリング》を受けて、その場を凌ぐには充分程度の効果を発揮していた。
そして、さらに五分が経過し、ようやく俺にも目視で数えられるぐらいに妖魔犬が減ってきていた。
その数、十九匹。
「シイナ、そっちの三匹を片付けて! 私はこっちの二匹を殺るからっ」
目に見えて数えられる数になってからは、ただの残党殲滅戦になっていた。
既に敵も味方も陣形なんてものはなく、ただ単にこのサバイバルイベント『“Baskervilles Calling”』の後片付けをしているようなものだ。
その後、アンダーヒルの体術で四匹、トドロキさんの双剣で六匹、俺の群影刀で五匹、刹那の短剣で三匹が葬られ、俺は最後の一匹に大罪魔銃を向けた。
「これで終わりだ!」
残弾は一発だが、この距離なら一撃で仕留められる――――そう計算しながら引き金に人差し指をかけた。
パァンッ。
銃弾が、放たれる。
銃口から飛び出した魔弾は、一瞬の内に威嚇モーションをする妖魔犬の口の中に――――ギィンッ。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
右肩に鋭い衝撃。同時にその部分がカァァッと熱を持ち、刃を突き込まれたような激痛が走った。
思わず左手で肩を押さえると、ぬるりとした触感が生暖かい。そして〈*ハイビキニアーマー〉の肩当てに、弾痕。
ちょっと待て、まさかコイツ……!
俺は、見たはずだ。
たった一秒にも満たない一瞬だったが、コイツの犬歯の辺りが光ったのを。それはチカッと、まるで火花が起こったみたいな激しくも儚い光で――。
「跳ね返した……!?」
しかも跳弾した後、俺に当たるような角度で正確に跳ね返したのだ。
そして、呆然とする俺に向かって――――わ、笑ったように見えたぞ。
「シイナ、それは妖魔犬ではありませんっ!」
アンダーヒルの声で我に返り、咄嗟に戦闘時のバトルウィンドウを通してそいつを見ると、頭上に浮かぶモンスター名を見て――――ぎょっとした。
そして俺の反応とほぼ同時にその妖魔犬の身体がどろりと溶け、黒い水溜まりのようになって地面に円状に広がる。ちょうど出現時のモーションを逆再生したみたいに。
「イベントクリアのメッセが出ないゆうことは、それも倒さないかんみたいやね」
気楽そうに言ってはいるが、トドロキさんの声からは緊張が感じられた。
再び膨れ上がるように大きくなり出した影の塊とも言えるそのモンスターは、みるみるうちに世界で最も有名な怪物犬の特徴的な姿を形作っていく。
地獄の番犬。
黒い毛並みに三つの頭を持つ大犬。右の頭は寝ているようだが、姿形はまさに話に聞くケルベロスそのものだった。
ギロッ。
左の首がそれだけで小動物くらい射殺せそうな目付きで俺たちを睨み付け――――グオオオオオオオオオオォッ!
大気が、身体が震え上がった。
ただ吠えただけじゃない。獣系の大型モンスターがよく持っているスキル【衝波咆号】だ。これには一時的に周囲のプレイヤーを怯ませ、萎縮させて行動を制限する効果がある。
「力、が……」
目の前でモロにバインド・ボイスをくらったためか、ピリピリと痺れたようになって身体の自由がきかない。
立っているのがやっとみたいだ。
さっきの跳弾でネアちゃんの回復術の効果は帳消しにされ、体力の半分も残っていない。幸い魔力は丸々残っているが、悲しいことに魔刀の特殊強化以外に使う当てはない。
そして、ケルベロスは俺を品定めするかのように真ん中の頭を上下させると、
「待チ望ンダ主ガコンナ小娘トハ些カ天運ニハ恵マレナイヨウデアル。オ前ハドウ考エル、“左ノ”」
「“中ノ”。誰ダロウガ関係ナイデハナイカ。主ノ強サ、トクト見セテモラオウ」
「……喋った!?」
「みたいやな」
「嘘でしょ!? モンスターが喋るなんて聞いたことないわよっ」
「犬が喋るところ、初めて見ました!」
「いえ、犬は通常喋りません」
俺から始まって三者三様な反応を見せる俺たちをさも愉快そうに見ていたケルベロスは周りの妖魔犬の死骸を一瞥すると、
「情ケナイ。我ガ『魔犬ノ群隊』ヲ名乗ルナラバモウ少シ頭ノイイ戦イ方ヲ見セナイカ、オ前タチ」
『左の頭』が残念そうに呟き、右前脚で足元の額に銃創のある死骸を蹴り飛ばす。
「イツマデモ何ヲ寝テイルノデアル、オ前タチ。兵ハ拙速ヲ貴ブ。早ク起キロ」
『中の頭』が呆れつつも厳かな威厳溢れる声でそう言った、瞬間――――むくっ。
蹴飛ばされた妖魔犬が起き上がった。
「なっ、アイツ頭撃ち抜いたんだぞ!?」
「主様ヨ。我ガ不死ノ群勢ハオイソレト殺セルモノデハナイ、ナア“中ノ”」
「我ラハ死後ノ番犬。スナワチ魂ノ番犬デアル。故ニ牧羊犬ガ羊ヲ操ルヨウニ、我ラハ魂ヲ操レルハ道理デアル」
確実に絶命していたはずの奴らが、次々と起き上がっていく。身体の欠損すらものともせずに再生していく妖魔犬の群勢は、一分もしない内に元の戦力を取り戻していた。ドレッドホール・ノームワームに丸呑みされた連中はさすがに復活しないようだが、それでも全体からすれば大した数ではない。
『中の頭』がそう言うと、二つの頭をまっすぐこっちに向けてくる。
「我願ワクハ、汝ガ我ガ主トシテ相応シキ器デアルコトヲ。故ニ我ハ力ニテ問ウ――――汝足ルカ」
Tips:『〈*大罪魔銃レヴィアタン〉』
レベル666以上の竜の属性を有するボスモンスターを怒り状態で討伐した場合に極めて低い確率で一本だけドロップする、リボルバー型の伝説級魔弾銃。装備条件として魔弾銃熟練度1000を要求するが、能力値は高いものの付加スキルは存在しない。




