(47)『素で間違えた』
碧緑色の水没林某所――。
「ごきげんようなのだ、双槍蛇。≪らっぷるりっぷる≫のルリタマアザミをよろしくだぞ」
ルークにとっても相手にとってもそれぞれが初対面の相手、だが瑠璃珠はそんなことを微塵も感じさせない気安さでルークの正面に歩み寄ると、やや愉しげな笑みを浮かべて品定めするような視線を上目に送ってくる。
大きくて丸い目、頭の両サイドに髪を纏めたお団子ヘアが容姿の幼さをさらに引き立て、騒々しげな第一印象も相俟って、ルークからすれば対応が面倒だからあまり関わりたくない、という部類の人間だった。
無論対応の面倒くささではシャノンやアプリコットの方が一般人の比ではないのだが、子供というある種別の生物に対して苦手意識を持っているルークからすれば、子供っぽい相手よりはまだ言葉か無視の少なくともどちらかが通じるシャノンたちの方が変に気を使う必要がない分楽なのだった。
「……その双槍蛇ってのはいったい何なんすか」
妙に近い距離まで踏み込んできていた瑠璃珠をさりげなく引き離しつつルークがそう言うと、シャノンはほっとしたように息を吐き、字海が無言で瑠璃珠の肘を掴んで引き戻した。
「勿論、毒蛇の巣に住む槍使いの番のことなのだ。こっちではそれなりに有名だぞ。やっはっはー、幸せそうで微笑ましいのだ」
瑠璃珠が独特な笑いを漏らしつつもからかい調でそう言うと、その思惑通り直接的な煽りを受けたシャノンの頬が俄に朱色に染まった。
「か、からかわないでよ、ルリ」
「やっふー、あのシャノンが顔真っ赤なのだ。いい土産話ができたのだ~」
「余計な噂立てないで!?」
「やっはっは、冗談なのだ。シャノンを敵に回す度胸はあっても、敵に回す意味はないぞ。貸しを作ることはあっても借りを作ることはないのだ」
急に至って真面目な雰囲気を醸したルリはそう言うと、屈託なく笑って踊るようにその場でくるりと一回転した。
「うー、何かうまく丸め込まれた気がする……」
「こっちは末永くお付き合いをしたいのだ。変に波風立てたりはしないのだ~♪」
不服げに唇を尖らせるシャノンとにまにまと笑っている瑠璃珠――――二人の会話を聞いていたルークは、内心「なるほど」と納得していた。何に納得したかと言えば、シャノンが『大丈夫』と言った理由だ。
シャノンは、アンダーヒルが情報家“物陰の人影”であることを隠しているのと同様に、通常は情報屋“千羽鴉”であることを隠している。それを知っているのは、シャノンが大丈夫と見做した特に親しい人間か、あるいはそうであることを確約されている依頼人ぐらい。そして何より、シャノンという情報屋に関われば、まともな人間なら不必要に敵対したりしないからだった。
まだ尾けていた具体的な理由がわからないのが気に入らなかったが、ルークは仕方なく巧妙に隠していた厳戒態勢を解除する。シャノンが大丈夫といった以上は少なくとも何があろうと抑えられる相手ではあるのだろうという推測だったが、彼女の普段の行いを考えれば杞憂などするだけ無駄だった。
「やっはっは。まさかここまで来て、こんなところで会うとは思っても見なかったのだ」
「それはこっちの台詞だよ。何で二人がここにいるの? 私が知る限り、“らぷりぷる”が参加するなんて情報なかったのに」
「シャノン、家のギルドを妙な略称で呼ばないで欲しいのね」
「事前申請には通ってても、参加を告知したのが昨日だったのだ。いくら千羽鴉の情報網でもそう簡単には乗らないはずだぞー?」
先程からほぼ空気に徹していた字海がシャノンのネーミングセンスに不服申し立てをするも、シャノンどころかGLの瑠璃珠にまであっさりとスルーされる。
「運営絡みってことは間違いなくあの物陰の人影も関わってるだろうし、あんまり漏洩には期待してなかったけどね」
「やっはっは、さすがはシャノン、なのだ。ところで最近どうなのだー? あんまり前みたいな目立ちに目立った噂が聞こえてこないぞ?」
「私は元々表立つ方じゃないのよん。今は悪目立ちは避けたいところだし」
何故か世間話を始めた二人を前に会話の内容からようやく≪らっぷるりっぷる≫の名を思い出したルークは、隣で自分と同様GL二人の話を傍に立って見流している字海にふと視線を泳がせる。と同時に、その時同じく振り向いた字海と視線が重なる。
字海の表情に一瞬驚きと戸惑いの色が浮かんだが、ルークが少し微笑んで見せると表情の揺らぎはすぐに消え去り、彼女の方からルークに向き直った。
「ルークさんと直接会うのはこれが初めてだった気がするのね。シャノンがなかなか紹介してくれないからなのね。初めまして、サブリーダーの字海です」
「ルークっす。まぁ、こっちは別にサブリーダーとかじゃないんすけど」
「なのね?」
「その返しは日本語としてありなんすか……まぁいいか。シャノンには第一部隊隊長なんて大仰な役職をもらってはいるっすけど、実質ただの下っ端っすよ。知名度で言やぁ“ブーンドック・シーカー”のがよっぽど高いっす」
ギルド≪らっぷるりっぷる≫――――通称“僻地の訪人”。
この名は昨今、ただ上位ギルドという以上に一種の捜索機関として名が通っているギルドだ。
凶行閉鎖以前のFOではフィールドやモンスターの調査機関として機能していたが、不幸中の幸いに裏打ちされた不幸か、DO移行後は本来のギルドメンバーの殆どが運良くVRテロに巻き込まれずに済んだために人材不足となり、組織機能の立て直しに八ヶ月を費やして再編されたギルドだ。
今現在は中堅以下の層の一部のギルド群を同格の上位ギルドと協力する形で纏め上げつつ、総括的な治安維持を量ると共に行方不明者の捜索を主な活動にしている。端的に言えば、塔への出入りを正確にチェックして帰りの遅いプレイヤーの捜索を行っている≪竜乙女≫や≪クレイモア≫のような活動をさらに広い範囲で行っているということだ。戦力期待値の高いプレイヤーを守るという狙いも当然あるが、やはり自演の輪廻の被害を少しでも減らそうという目的が大きい。つまり、クレイモアほど迅速な活動再開はできなかったものの、同様に表立って現攻略ギルド連合をサポートするための組織である。
尚も残る人材不足という課題から誰かしらの依頼がなければ動くことはできないが、最近ではその活動が認知され始め、自力での救出活動が難しい低位ギルドから助力を依頼されたりとそれなりに有意義な組織となっている――――というのがルークの覚えのある“僻地の訪人”についての数少ない情報だった。
「ご存知でしたのね?」
「有名どころはそらもう。これでも千羽鴉の片腕に(無理矢理)されてるもんで」
「そちらも色々大変そうなのね」
「……似てるのは外見だけ、か」
「何か言ったのね?」
「ん、気のせいっす」
ルークが思わず妙なことを口走った口を押さえつつそう返すと、字海にやや疑惑を感情を含んだの目を向けられて、シャノンと瑠璃珠の方に視線を逸らした。
「私たちもたまには外に、表に出ないとあちこちに怒られるのだ」
「私も私もー」
「ちょっと目を話した隙に何の話かわからんくなった……」
話についていけなくなるのはいつものことか、とすぐに諦める方向で思考を切り替えたルークはまた空気になりつつある字海と一緒にGL二人の動向を見守る。
「ところで、ホントらぷりぷるがここにいるなんて未だに意外なんだけど、まさかここにいるのも依頼の一つとかってことあるの?」
「妙に厄介な依頼を請け負ってるのは確かだけど、今回はまったく関係ないのだ。≪メビウスリング≫の[クリフトン]に奨められたから、箔を付けるつもりで来ているのだ。もし受かったら勿論攻略にも参加するつもりだけど、それだけの余裕がまだ確約できないから申し訳ないのだ。正直に話してダメならそれは諦めるつもりだぞ」
「妙に厄介な依頼って? 誰を探してるのかによっては私が知ってるかも」
「[アキラ]とかいう子供なのだ。依頼人が妙なキレ気味テンションで懇願してきたから、気味が悪くなって請け負ってやったのだ」
「あうーん。ごめん、ちょっと聞いたことないかも」
VRMMOの中では、普遍的な名前は逆に浮いてしまうのだが、本当にその名を聞いたことのなかったシャノンは即答で自分にとっての事実を返す。
あるいは本当は知っていて、少し時間がもらえれば思い出すくらいはできるかもしれないが、ここでそれに時間を費やすメリットはないと思ったのだ。
この場にいる誰もが知らない事実――つまり真実は某ギルドにおいてリーダーの恋人にちょっかいをかけた件の少年[アキラ]が夜闇に紛れてトゥルムまで、そしてアルカナクラウンまで逃げてきたという経緯があるのだが、少なくともこの巡り合せの一悶着順争中に四人がそれを知る機会は来ない。
「六割くらい当てにはしてたけど、色んなところに情報提供の要請をかけてあるから、別に構わないのだ。そんなことより適材適所――――また誰か、使えるトレーサーを紹介して欲しいのだ」
「追跡技能者を?」
「依頼が重なって人手不足なのだ。優秀なトレーサーに話を付けてくれるなら、紹介料はたんまり弾むぞ」
GLとしての仕事中に全く別の仕事の話を始めた二人に、ルークと字海――それぞれの補佐官は一様に呆れたような視線を向ける。
「要望はある? とにかく仕事が早いとか仕事が正確とか変態NGとか」
「最後の何すか」
「変態は何れにせよNGだけど、例の彼なら別段構わないかもなのだ。あの、えっと、糠漬けの人」
「憶え方が酷過ぎなのね。名前を憶えてやれなのね」
「うーん、キュービストはもう私の部下じゃないんだよね」
然り気無くルークと字海がツッコミを入れるも、仕事モードの二人は外野を完全に無視して協議を続ける。ある意味この仕事への拘りと集中力がそれぞれの分野における成功者の証なのかも知れないが、本人たちは良くとも周りからすればいい迷惑の種だった。
「一応声はかけておくけど、あんまり期待はできそうもないかも?」
「あれだけ優秀なストーカーはそういないのだ」
「間違ってないけど一応トレーサーね。尤も逃げる方が得意そうだけど」
「素で間違えたのだ!」
本人の預かり知らないところで素で間違えられたキュービストだったが、間違いが間違いでないだけに誰も否定出来なかった。
「ふっはー、優秀な人材は大好きなのだ。だからお前も好きだぞ、シャノン。正直怖いけど」
「あ、あれ? 最後だけ何か変だった気がするんだけど」
「大丈夫だぞ。使いにくいと言い換えられなくはないのだ」
「やっぱり怖いの!?」
「ちょびっと」
瑠璃珠の容赦ない言葉にショックを受けたような挙動で後ずさる。
しかし切り替えと言う名の立ち直りが早いのもシャノンの特徴のひとつである。
「そっちは誰かと組んでる?」
「当然なのだ。そもそもこのゲーム、協力プレイをしなかった連中は纏めて篩い落とされる可能性だって十分にあるぞ。危ない橋は渡らないのが吉なのだ」
自信満々にそう言って見せる瑠璃珠の考察は当たらずといえども遠からずだった。
「やっぱりそれ思うよね。私たちは地獄の厳冬とGhostKnightsと螺旋風で組んでるんだけど、そっちは何処と?」
「地底地、天龍騎士団、TRIAL、白兵皇、フルーツカスケット、レティクル・スカーレット、五芒星団、クリスタル・ユニバース、トキシックバイト、それにウチ含めて十ギルドなのだ」
「ず、随分と大所帯だね……」
「手当たり次第に声をかけてたらこうなったのだ」
驚くことに参加者全体の四分の一以上である。
「て言うか誰にも会わないと思ってたら、地底地も狙撃連もそっちの連合に入ってたんだね」
「会わなかったのは連合に入ってたとか関係ないと思うぞー? と言っても、別に仲良しこよしで組んだわけじゃないから、皆好き勝手やってるぞ。確約してるのはいざという時の利害の一致だけだから、わざわざリーダーぶるのも面倒だからな」
色々とダメなことを言っているのに、瑠璃珠は何故かえっへんと胸を張ってみせる。
「ってことは、ふーん。らぷりぷるから声掛けたんだぁ。…………なら良さそうかな」
「何か言ったのだ?」
シャノンの漏らした意図の先に気付いた瑠璃珠が聞き返すと、シャノンはにこりと笑って見せた。
「そんなルリにいい情報あるんだけど、買わない?」
シャノンの言葉に一瞬きょとんとした瑠璃珠だったが、シャノンの笑顔から何かよからぬ企みを感じ取ったのかその瞳の奥にわずかな迷いと期待が生じる。
「やっはっは、このタイミングでのその申し出。まさかギルドの場所でも教えてくれるのか?」
「ちょっとは揺さぶりもできるようになったんだね、ルリ。ちょっと前まで素直過ぎて危なっかしかったくらいなのに」
「昔の瑠璃を“素直”呼ばわりするのはこの女くらいの気がするのね……」
人知れず苦い笑みを浮かべる字海にチラッと視線を向けたシャノンはくすりと微笑み、再び瑠璃珠に向き直って――――
「さ、どうする?」
その頃、≪シャルフ・フリューゲル≫の一室――――現在≪地獄の厳冬≫の面接試験を執り行っていた部屋では、シャノンに対する監視範囲のみ会話ログにまで広げていたアンダーヒルが珍しく感情豊かに唇に歯を立てていた。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
≪ソロモンズ・シンクタンク≫
≪ロードウォーカー≫
≪黄金羊≫
――タイムリミットまで残り四十八時間五十七分。




