(46)『企んでなんてないよ』
「人は誰も怯えている、目の前の現実に~。世界の中、見えてるものが全てではないから~。自分に剥かれる牙が怖くて~♪」
クラエスの森の裏フィールド『碧緑色の水没林』圏内某所にお馴染みとなったシャノンの即興歌が響く。
≪弱巣窟≫代表のシャノンとルークは、Dの提案で基本に則った分担捜索で固まった三ギルド連合(D命名)の方針に従い、個別の班で分かれて水没林の中を歩いている。そしてシャノンは図らずもルークと二人きりになれたことで上機嫌になっていた。
「視界の中、見えてるものが真実とは限らないのに~♪」
シャノンが年端もいかない少女のように楽しげな調子で歌う歌は相変わらず一般的な感覚から外れた歌だったが、既にそれが常識的感覚として刷り込まれているルークは歌に意識のリソースを割くことなく、シャノンの隣で普段通りに普段より鋭く研ぎ澄まされた視線を周囲に泳がせていた。
それはある意味シャノンの歌を聞く気がまったくないということでもあるのだが、妙に思わせぶりで何処か考えさせられるところのある歌詞が多いというのはそれだけで、考える生物である人間にとっては十分に意識散逸の要因となりうる。その上、本人は半分無意識で歌っているというのだから、真っ当に受け取る方が馬鹿というものだった。
さらに言い訳を並べるとするなら、ルークにとって今のシチュエーションと言うのは得意とするプレイスタイル――“急襲城塞”と呼ばれる所以となった特異で物好きな戦い方をもっとも強く発揮できる状況だったからというのも一理あるだろう。ルークは昔――DO移行前のFreiheitOnlineで巻き込まれた事件にもならない些細なトラブルを境にそう呼ばれることになったのだが、ルークという余り目立つ方ではなかった無名の一プレイヤーをFOフロンティアで知る人ぞ知る有名人にまで引き上げたその一件がシャノンとの初めての出会いを演出したことを考えると、運命というものは時に演出過剰で出来過ぎで、そして常に予定調和的と言えるだろう。
第一印象が可憐、第二印象が恐怖というのも実に劇的でシャノンらしい遭遇だったわけだが、そんな彼女が時を経て何故か隣を歩いているというのもまた劇的でシャノンらしい。
わざわざシャノンの歌を無視してまで確保していたリソースを回想に無駄遣いしていたルークは、シャノンの歌声が不思議と心地よい余韻を響かせて消えたことに気付いて立ち止まる。
「そろそろ聞いてもいいすか?」
「いいって……何を?」
シャノンは急な質問の意図がわからず、素直に首を傾げる。
ルークはその反応を見て意図して惚けているのかそうでないのか図りかね、変に深読みせずに「そろそろ何を企んでるのか教えてもらおうかと」とただ素直にそう言った。
しかしシャノンは、その問いを聞いてやはり一瞬思案するように視線を泳がせた。そして相手が相手だった故に見せてしまった素のままの素直な反応にルークが気付く前に視線の揺らぎを修正すると、シャノンは柔和に微笑み、
「何のこと?」
――笑って首を傾げて見せた。
しかし、万人が万人疑うという思考が浮かばないだろうシャノンの優美な微笑みは、彼女にとっての特別であるルークには余りにも装い過ぎで余所向き過ぎた。それをシャノンが自覚していないはずもなかったが、ルークに対してあらゆる遠慮をすることはなく、ルークだからといって素の自分を特別晒すこともない。歪んではいても、それがシャノン流の真摯で誠実なコミュニケーション流儀だった。
「惚けんでもいいっすよ。どんだけ付き合い長いと思ってんすか」
だからこそ、ルークは自分の中の自分を見てくれるのだから。
「よ、四ヶ月……」
「そっちの付き合いじゃねえっす」
そわそわと恥じらいの様子を見せつつ答えたシャノンの額にルークのチョップが打ち込まれ、反射的に目を瞑ったシャノンは額を押さえてその場にしゃがみ込んだ――――ばしゃ。
「ひゃんっ!」
途端に間髪容れずに飛び上がった。
水没林は水没林である以上、当然水没しているのであって、その足元には場所によって常に水が満ちている。二人がいる場所も例外ではなく、シャノンはしゃがみ込んだ拍子にお尻を濡らしてしまったのだ。
「うぅ……冷たい」
「これで二十歳とは思えないっすね……」
濡れたお尻を押さえて涙ぐむシャノンにルークは思わず溜め息を漏らした。確かにシャノンは子供っぽい部分もあるのだが、今の場合は驚いた拍子に涙腺が緩む正常な反応である。
「ルークが変なことするからだもん……」
「それ以前の因果関係は丸っきり無視っすか。もうネタは上がってんすよ。さっきルチアルと戦ってた時、皆の視界から外れてる間に何か話してたっすよね。断片的なところだけなら見えてたっす」
「うぅー。もうその視力ならスナイパーやっちゃいなよ、ユーだよー」
唇を尖らせて拗ねて見せるシャノン。
ルークが「いやいや、視力とスナイパー関係ないっすし」と冷静な返しで答えると、シャノンは少し不服げにまたも唇を尖らせた。こんな風に打算的な行動や仕草が時折含まれるからこそアンダーヒルに『人心掌握に長ける』などと評され、アプリコットに『可憐な策略家』などと揶揄されたりしているわけなのだが、実質的に何処までが天然で何処からが計算なのかがわからない辺りが『毒蛇の王』と言われている所以である。
「それで結局そんなことより、ルチアルと何企んでるんすか?」
「企んでなんてないよ。ただ私は、彼女に助言したぐらいだから」
「やっぱし暗躍してんじゃないすか。んで、どんなこと吹き込んだんすか?」
「吹き込んだって人聞き悪いよ!?」
シャノンは普段から感情表現が豊かだが、その中でも特に泣いたり涙目になったりと悲しみに裏打ちされた反射的な反応が多い。それは咄嗟のことには打たれ弱いということでもあるのだが、しかしその打たれ弱さも本質的に天然か必然か何れに属するものかがわからない以上ある意味アプリコットや仮名並みに底知れない底なし沼だった。
「それを言うなら企んだ云々の時点で十分人聞き悪いっすし、今さら誰も聞いちゃいないっすよ。どうせあの二人はもう≪シャルフ・フリューゲル≫に着いてるとかってそんなオチっすよね」
「そういうわけじゃないよ。もしかしたらあるかもしれないってところを教えてあげただけ。あ、いや、厳密にはまったくだけじゃないけど。私は今わかってることと誰にでも想像できそうなことを教えてあげただけだから、その後どうするかはあの二人次第だったけど、ルチアルは思ったより頭良さそうだし多分大丈夫」
「さりげに酷いこと言ってるっすけど……仮にもPKギルド相手にそんなんで大丈夫すかね。もしそれで合格なんてしたら、殺人ギルドに背中預けることになりかねないんすよ?」
ルークが一応言っておくべきだと思って口にした言葉に一瞬きょとんとしたシャノンは、次の瞬間くすっと吹き出すように笑みを零した。
「確かにルークはそう思うかもしれないけど大丈夫。PKPは極悪人じゃなくて、ただの行き過ぎた効率厨だから。だからこそそれなりの理由と状況が揃えば、彼らほど御し易い存在もないよ」
シャノンの口元にあまり良いとは言えない部類の薄い笑みが浮かぶ。
謀り策する毒蛇の王――おそらく彼女の表情の中で唯一確信を以って無意識によるものだと言えるその顔を見ると誰しも及び腰になり、その搦め捕るような術中に際限なく嵌っていく。逃れられる者は――過剰なまでに及び腰なアンダーヒルのような人間か、或いはまともな物差しで測ることのできない規格外の行動を是とするアプリコットや仮名のような変人だけだ。
「そのそれなりの状況ってのは何なんすか?」
「ルークも参加したでしょ? こないだの粛清作戦」
「もち憶えてるっすよ」
PKギルド≪暇潰士≫。
中堅層にあった構成人数十三人という少人数ギルドで、平均レベルが500程度という総戦力から言って大したことのない連中だが、低レベル層のプレイヤーを集団で襲って経験値を荒稼ぎしたり、遠征に出たパーティを尾けて出先で罠に嵌めたりと悪質な行動が明るみに出始めたため、下位ギルドから上位ギルドに討伐依頼の打診があったのだ。
ただでさえ疎まれている上に、DO移行後はさらに風当たりが厳しくなっているPK行為を繰り返し行っていたのだからこうなるのも時間の問題だっただろう。
しかし、いくら大義名分があってもするのもされるのも忌避されがちなPK行為のこと、色々なギルドを盥回しにされた依頼はDがトップを務める≪GhostKnights≫で漸く受理され、最終的にはDと旧知の仲である≪弱巣窟≫、≪地底地≫、≪トキシックバイト≫、≪○○○○近衛隊≫、≪永久凍土≫、≪レティクル・スカーレット≫に加え、シャノンの要請に応じた≪竜乙女達≫戦闘隊、そしてギルドではなく個人として作戦に参加した[スリーカーズ][竜☆虎][†新丸†][アプリコット]というオーバーキル気味の戦力を投じて決行され、構成メンバー十三人を無事に粛清した。
終わってみれば作戦遂行に要した時間はたったの三十分と当然予測され得る結末で、同時にFOというゲームにおける強者と弱者の絶対的な隔たりがより克明に人心に刻まれた結果でもあった。
ちなみに同じくスリーカーズを通してシャノンに誘われていたアンダーヒルは作戦には参加していなかったが、これはシャノンのことが苦手だからだとかそんな理由ではなく単に表立った行動を差し控えただけのことだった。しかしその割に作戦終了後、不審な狙撃痕の報告が作戦参謀を務めていたシャノンの元に上がっていたりするのだが。
ルークが当然と頷くと、シャノンは人差し指を立てて説明調で話を続ける。
「アレ以降中堅以下の厚い層でPKギルドは皆潰してしまえっていう風潮が目立ってきたんだよ。そのせいで≪地獄の厳冬≫は今PK容認派とPK自重派で意見が分かれちゃって内部分裂気味なの。今回参加してるルチアルとロキはそれぞれ自重派と容認派のトップだよ」
「それぞれ対立する派閥のトップがタッグ組んで来てたんすか? ってかルチアルがPK自重派だったことにも驚きっすけど、何でそんな面倒そうなことをしたんすかね」
「二人共ギルド崩壊なんてことにはなりたくないみたいだし、その辺りで利害が一致したんだろうね。そこをちょっと突いてあげたら素直になってくれたよ」
「何したかわからないだけにおっかねぇっす」
「おっかなくないよ!?」
その実、シャノンが(その言動を含めて)ルチアルにしたことと言えば万人の半数にはグレーゾーンだと言われそうな範囲にしっかり抵触しているためルークの反応は的を射ていたと言える。ちなみに残りの半数は八割方問題ありと口を揃えるだろうが。
ルークは呆れ果てた頼もしさを覚えつつも『自分は怖くない』という説明を必死に並べ立てるシャノンの姿が可笑しくなってその頭にぽんと手を載せる。
「ま、シャノンさんがおっかないかどうかはこの際置いといてっすね」
「置いとかないで!? それと二人きりの時にさん付けは――――誰かいるの?」
「後方二百メートルくらいっすかね。二、三分前から尾けられてるっす」
「……ホントだ」
周囲の木の葉の微かなさざめきはあるもののこの水没林は基本的に静かな空間――――聴覚はほぼ人並みのルークでも気付いた自然なものとは違う水音にシャノンが気付かないはずがない。髪を弄るようにして耳を澄ませたシャノンは少し楽しそうに微笑むと、
「どうしよっかなー……」
――がしゃんっ。
「“浮遊慟力”、“加速慟力”」
その手に竜の骨を用いた機械槍――【死屍竜槍ルナーズアイ】を具現化させて、同時に浮かび上がった。
「ちょ、シャノンさ――」
ルークの制止の声を振りきったシャノンが空中を高速移動して後方へ駆け、ルチアルとロキに遭遇した時のように(あの時飛び出したのはルークだったが)尾行者の目の前にアクロバティックな機動で躍り出た。
一拍遅れて翼を広げて飛び上がったルークもすぐに追い付いてくる。
「あ、ルーク。この二人は大丈夫」
ルークは打って変わって殺気を収めているシャノンに驚き、次いでそこにまったく警戒する様子も見せずに立っていた二人の人物を見てまた驚いた様子を見せる。
「私は≪らっぷるりっぷる≫のGL[瑠璃珠]なのだ。よろしくだぞ、≪弱巣窟≫の双槍蛇」
「私は瑠璃のサポーター兼≪らっぷるりっぷる≫副リーダー[字海]なのね。よろしくだね、シャノンにルーク」
そこには瓜二つの――否、まったく同じ外見を持つ二人の少女が立っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ソロモンズ・シンクタンク»
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り四十九時間十九分。




