(45)『埒が明きませんね』
炎――。
部屋の外で破壊を振り撒き、わずかに開かれた扉の隙間から激しい熱と明々と揺らめく殺意の塊を覗かせるその怪物を生み出した変人ことアプリコットは対物ライフルの銃床で強かに打ち抜かれて椅子から転げ落ち、床でくるくるとひよこを遊ばせている。
その対物ライフル――【コヴロフ】を携えて立つのは、無感情な無表情のままに見た者を凍りつかせんばかりの冷たい視線をアプリコットに向けるアンダーヒルだ。彼女がこの手の物理制裁に出るのは非常に珍しいのだが、それはつまりアプリコットの行動がそれだけ常軌を逸している何よりの証明であって、かつアンダーヒルがどれだけこの巡り合せの一悶着順争の円滑な運営を真剣に執り行っているかが窺える。これ以上邪魔をしようものなら、たとえアプリコットが相手だとしても速やかに確実に排除しようとするだろう。
「相変わらずやるときゃおっかねえな」
アルトが苦笑いしながらそう言うと、アプリコットの暴挙に対する驚きと業火の威圧感で緊迫していた空気が微かに和らぐ。それと同時に動いたドナ姉さんがC字テーブルを飛び越え、視界が歪むほどの熱気に押されつつも開いた扉に歩み寄った。
「【水霊希環】」
ドナ姉さんがスキルを発動すると、立てた人差し指の周りに渦巻く小さな水の流れが出現する。その水流は間もなく螺旋状に指先へ移動すると、幾つかの小さな精霊に分かれて扉の隙間から廊下へと出て行き、直後扉一枚隔てた向こうから激しい蒸発音が響く。
「ドナ姉さんがマトモなところ久しぶりに見た気がする……」
「奇遇だな。あたしもだ」
「同じギルドの人間としても直属の部下としてもそれはどうなんですか、アルトさん……。ほら、あの……尊敬とか敬意とか」
「あぁ? 馬鹿言ってんじゃねえよ、お兄――おっと、お姉ちゃん。あんなお守りが必要なレベルのダメ人間に尊敬とか敬意とかあるわきゃねえだろ」
「あのね、アルトちゃん。聞こえてるんだけど……お姉さん泣いてもいい?」
気が付くとドナ姉さんは扉に手をかけたまま半身振り返り、絶妙に涙ぐみながらアルトに物申したそうな視線を向けていた。その悲しさと不機嫌さの重なったような拗ねた表情は普段の大人びた雰囲気を綺麗さっぱり霧散させ、恐ろしいことに最早大きな子供にしか見えない。
「泣いてる暇があったら、ちっとは真っ当に仕事しやがれ」
「アルトちゃんの罵倒にはアンダーヒルちゃんみたいな愛が感じられないの!」
「私は愛情など込めて罵倒した覚えはありませんが」
「いいから行けよ、ド変態」
「そう言われるとゾクゾクするわ」
もうダメかもしれない、この人。
「あなたも撃ち抜かれたいのですか、ドナドナ」
「漢字が変わっているような感じがするのだけれど、何れにしてもハーレムエンド前に死にたくはないから仕事はするわ。ほら、お姉さん真面目だから」
色々とツッコミどころがあることは明白だが、この場にいる誰もが無言を貫きつつも心中で『この人はもうダメだ』という結論に至る中、火が消えたのを確認したドナ姉さんは扉をさらに少し開けて廊下を覗き見ると、一人扉の外に出てきょろきょろと左右を見回し始める。
「あら? 彼女たち、ちゃんとここまでは来ていたのよね?」
「消し飛んだか」
「いや、縁起でもないこと言わないでよ、アルト」
ただでさえさっき裁滅の流殲群で運営としてあるまじきギリギリのラインを踏み越えかけたのだ。そこに重ねてプレイヤーを必要性のまったくない攻撃行為で消し飛ばしたなんて(ありえないが)あっていいことではない。
「いやー、別にいいんじゃないですか? ぶっちゃけどっちでもいいっつーか、まぁ個人的にはその程度脆弱な方が好みだったりもするんですけど、イベント的には寧ろこの程度で吹き飛ぶような人材は要らないんじゃないですか? ほら、もしかしたら背中を預けなきゃいけないわけですし」
いつの間にか目を覚ましていたアプリコットがお気楽そうに言うと、黙って静観していた刹那が「それもそうね」と真剣な目のままに呟く。おい、同意するなよ。
「今と他じゃあ状況がまるで違うだろーが。それこそ無意味に仲間になるかもしれない奴を撃つようなクソ迷惑な奴よりゃ、ただの雑魚のが数倍マシだ」
ドナ姉さんの席の後ろに待機しているアルトが腹立たしげにそう言うと、
「おいおい、アルトんまで裏切りくらいで何を馬鹿なこと言ってるんだぜ。裏切り者は表立たないから裏切り者なんですよ? そんな甘ったるいことを平気で口にしてるアルトんが本当に裏切り者が現れた時どうなるかボクは心から心配ですよ。想像しただけで居た堪れなくなって…………まぁ、おやつくらいは喉を通りそうにないですねぇ」
相変わらず反論しにくい論理と反応しにくい台詞回しを演技過剰なしたり顔で言ってのけると、アプリコットは二の句を継げないアルトを正面から見据え、その心中の動揺を見透かすように瞳の色を覗き込む。アルトは頭がいいし、椎乃よりは対変人スキルも身についているが、根が素直なだけに真正面からしか相手に向き合わない。同じく根っから素直な椎乃(正確にはうちの妹は裏表がないだけなのだが)の方がまだ難しい話を難しく捉えられないだけ変人の相手に向いている。
「埒が明きませんね」
突然そう呟いたアンダーヒルはお馴染みの対人狙撃銃【正式採用弐型・黒朱鷺】の銃口をアプリコットのこめかみに押し当てた。当然ながらアンダーヒルはその細い指を引き金にかけていつでも銃弾を撃ち放てる状態だ。
現実ならアプリコットの口元に浮かぶ笑みのせいで凄まじい違和感と不気味さを感じさせる光景だろうが、非現実と現実の狭間にあるこの空間に置いてもその気味悪さの片鱗くらいは容易に触れることができる。
怖いものなしにも普通限度があるだろ。
「ボクに銃を向けるのは勝手ですけど、ボクは殺されたぐらいじゃ死にませんよ?」
「知っています」
「いや、冗談で言ったつもりが、デフォでチートキャラ扱いされても色々と困るわけですけども――」
デフォでチートキャラだから仕方ない。
「――ま、いっか」
「…………」
尚も余裕ぶった表情でふざけて見せるアプリコットにアンダーヒルの無言の威圧がかかる。
「あっはははっ♪ アンダーヒル、無言がマジっぽいですよ?」
「………………」
「もうしません」
今回はアプリコットがお手上げし、アンダーヒルは無言のままに黒朱鷺を下ろした。
「あ、ちなみにボクは裏切るよりは掻き回す方が好みですから、これっぽちもそんな裏はまったく以って持ってないですよ」
アプリコットが単純に敵になるより面倒な存在だというのは自明の理だ。
「まあ、この程度の引っ掛けにかかるような裏切り者なら元より敵にもなりえないですし、元々歯牙にもかけずに可愛がってあげられるので別に構わないんですけどね。っつっても、≪地獄の厳冬≫は思ったよりは思い通りに動いてくれそうです、け・ど♪」
「それは心外ねぇ」
不意に聞こえたハスキーボイスの方向――扉の方に皆の視線が注がれると、最後に振り返ったドナ姉さんの背後の廊下から人影が現れた。
仮名を除いて最初にこのギルドハウスに到達したプレイヤー[ルチアル]と[ロキ]だ。
「まさかと思ってたけど、まさか本当に砲撃されるだなんて……さすがは毒蛇の王――――ムカつく相手の言葉もたまには聞いておくものねぇ、ロキ」
「いやはやいやはや、末恐ろしや末恐ろしや」
何処かで見たような暗紅色の剣装を纏った女性がギルドリーダーのルチアル、その横の怪しさ全開の黒衣の男ロキがサポーターなのだろう。
ルチアルはともかく、ロキは不気味な雰囲気を醸している上に何処かふざけているような妙な話し方をしていて第一印象はあまり良くない。元々地獄の厳冬にいるというのは経験者であることを示しているのだから、心象がいいわけもないのだが。
それにしてもコイツら――――アプリコットの迷惑千万な不意撃ち砲撃をもろにくらって、どうしてこんなに無傷なんだ?
「――なるほど。いやいや、まさか避けられるとは思ってませんでしたけど、抜け目のなさじゃアンダーヒル以上に気色悪いシャノンの入れ知恵なら有無を言わずとも納得ですね♪」
にまにまと気持ち悪い笑みを浮かべたアプリコットが如何にも愉快そうに毒づくと、その言葉にアンダーヒルが微かに眉を顰める。商売敵(?)という以外に理由があるのかはわからないが、どうもシャノンを毛嫌いしてるみたいだからな。
というかこの二人、前以て助言されていたとは言えアプリコットの砲撃を避けたということはそれなりに実力はあるのだろう。PKPというのはつまりレベリングを同意を得ない対人戦闘に特化させて行う効率厨のことで、得られる経験値の絶対量は多いがその分恨みを買いやすい。報復目的の奇襲を受けやすいということでもあるし、高レベルだけに奇襲には慣れっこなのだろう。
「――っつーか、予想されてたんならもっとぶっ放し系のアレをやっても良かった感じですかねー」
「何系のアレですって?」
ルチアルとロキの時と同じく、急に聞こえた何処か震え気味の声に全員の視線が扉の方に向けられ――――そこに立っていた人物を見て出入りを塞ぐように立っていたドナ姉さん・ルチアル・ロキがさっと道を開けた。
それは巨鎚【荒廃の残響】を肩に担ぎ、こめかみからバチバチと紅いスパークを迸らせる臨戦態勢のイネルティアだ。明らかに激昂している様子だが、少なくともその怒りの矛先は明白だった。
「どうしたんですか、ネル。そんなハイテンションで入ってくるなんて珍しい。もしかして出オチボケ狙いの新しいネタですか?」
「さっきの爆音は貴女でしょう、アプリコット……」
紅雷がイネルティアの背後で轟き、荒廃の残響の表面にも無数のスパークが走る。
「ピンポーン、大正解。凄いぞ、イネルティア。遂に透視能力に目覚めたんだね。さて、ボクから教えられることはもう無いようだからここで退散させてもらうとしよう、それじゃアディオス――」
「――じゃ、ないでしょう?」
訳の分からないことを言って煙に巻こうとしたアプリコットが、予め発動されていた【閃脚万雷】の高速機動版イネルティアによって瞬く間に捕らえられ、腕を取られておろおろと狼狽えている。
時に動揺すら簡単かつ的確に演じてみせるアプリコットだが、この時ばかりは何となく本気でまずいと思っているように見えた。ブチ切れたイネルティアには逆らわないようなことは前に言っていたが、まさか本当だったとは。
「あはは、ネル。そろそろ視聴者の皆さんもこのパターンには飽きた頃でしょうから、もっと穏便にっつーか……寧ろ編集でカットされるようなつまらない方針でいきましょうよ、ここは実に地味にあはははは――」
「こちらのことは待たずに、皆様で先に執り行っていてください」
アプリコットの首根っこを掴んでにこりと微笑んで見せたイネルティアは、何処か恐怖を覚えるそんな言葉を残してアプリコットを引きずりながら部屋を出て行った。
「あれが霆天華の戦闘モードですか。敵に回したくはないですね」
それとほぼ入れ違いに現れたミルフィは眼鏡の位置を直しつつ二人の背中を見送ると部屋に入ってきて、ルチアルとロキに目を遣った。
「まずはご到着おめでとうございます、お二方」
ミルフィは恭しく二人に頭を下げると、いそいそとその脇を擦り抜けてガウェインの後ろの自分の席に戻る。
「それでは攻略参加ギルド選抜審査第二次試験を始めます。都合により≪シャルフ・フリューゲル≫が席を外していますが、ご了承ください」
そこで、アンダーヒルがすべきことを思い出したようにそう言った。
彼女のことだから多分忘れていたわけではなかっただろうが、タイミングを図っていたというのは案外あるのかもしれない。だとしたらミルフィが帰ってきた今はそれこそ狙い澄ましたタイミングだ。
「――私はあくまでもシイナのサポーターですので、基本進行は攻略ギルド連合のGL四名にお任せします」
その時のアンダーヒルの一見無感情なその目にGL勢――俺にドナ姉さん、ガウェインは何故だかごくりと喉を鳴らした。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ソロモンズ・シンクタンク»
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り四十九時間四十三分。




