(42)『ありがとね、魔弾刀さん♪』
チリン。
鈴の鳴るようなメッセージアラームの音で意識が浮上する。
視界がゆらゆらと歪んでは揺れ、周りの音は何か雑音のような耳鳴りにかき消されてほとんど聞こえない。色彩はオレンジと黒、そして赤黄とほぼそれだけだった。
どうやら周囲が燃えているらしい。それを認識してから、意識が飛ぶ直前のことをぼんやりと考え始める。刹那の裁滅の流殲群と、危うく雷犬で轢いてしまうところだった淡緑髪の女の子。あれからどうなったんだったか――――そう考え始めた辺りで、俺はようやく覚醒した。
頭の隅々まで血流が行き渡り、視界が急激に鮮明になっていく。そして、倒れている件の女の子の姿を捉えた。
「無事か……よかった」
残っているライフゲージのバーの長さはざっと八割。防御率よりスキルか見た目を重視した服装備のようだが、それでも中々のステータスを持っているらしい。
今の俺からでは名前も顔もよく見えないが、誰であれここにいる以上は彼女は高レベルプレイヤーの一人だ。超火力魔法で即死判定に引っ掛かる可能性もあったとは言え、それほど心配することでもなかったかもしれない。魔法による即死判定は極低確率の上、一定以上の特殊防御率があれば完全回避できるため、最上位レベルのプレイヤーは忘れがちなのだが。
ちなみに状況が状況だけに、ついネアちゃんとのファーストコンタクトを思い出してしまったのは内緒だ。
「痛……っ」
起き上がろうとした時、身体中に引き攣ったような痛みが走った。
「ってー……。ったく、アイツ無茶しやがって。こんな問題起こしたなんて知られたらヤバいんだからな……?」
ただでさえ一部のメンバーが問題視レベルのトラブルメーカーで構成されている現攻略組ギルド連。ある意味でゴーマイウェイな連中が集まっていたからこそここまでやってこれたわけだが、こういう時には少し自重してもらいたいものだ。
とは言え、刹那の暴走と俺が接触事故を起こしそうになったのは別の問題。こっちは俺で何とかするしかない。
取り敢えず、彼女を起こさなければならない。気絶ステータスのアイコンは付いていないし、大方極一時的な意識喪失。揺すればすぐに起きるはずだ。
差し迫った危険がないことを確認した俺は、先に自分の方を済ませることにした。
まず普段通り(多少)露出度高めなフェンリルテイル一式の肌の怪我に速効性のポーションをぶっかける。最初は多少ぬるぬるしていたが周囲の熱もあってかいつも以上に早く乾き始め、同時に火傷や擦り傷、切り傷が痛みと共に消えていく。
「って、ヤバ……」
ふと大腿の帯銃帯に【大罪魔銃レヴィアタン】がないことに気付いて辺りを見回す。
確か迎撃をするつもりでぶつかる直前に抜いて残弾確認まで済ませているはずだから、おそらく事故の拍子に何処かに行ってしまったのだろう。
身体の調子を確かめつつゆっくりと立ち上がって一通り辺りを探してみるが、少なくとも見える範囲には見つからなかった。
「ストライク・スウォームで壊れてなきゃいいんだが……」
ただでさえ今はサジテールの武器新調で金欠状態。できるだけ無駄な出費を抑えようとしているところを、さらにこんなしょうもないことで修理代を払う羽目になりたくない。刹那に請求する手がなくもないが命は惜しい。
「仕方ない……後回しにするか。【魔犬召喚術式】、モード『レナ=セイリオス』」
足元に広がった黒い円から、人型形態のレナがぴょこと頭を出した。
「如何な用であるか、我が主よ」
「……何故出てこない」
「一糸纏わぬ姿故」
「何故そうなった」
「主様は知らぬままでよいこともある、ということである…………もうよいが」
もぞもぞと動いていたレナは一度沈み込むと、跳躍するように飛び出してきた。普段通りの下着のような薄いボロ布のみの姿だが、何をしていたのか、よく見るとその下の肌はいつもよりツヤがいい気がする。
「この辺りを警戒して、他に誰かいないか探しててくれ。あとついでに大罪魔銃を探してくれると助かる」
「御意に」
レナを送り出して、ひとまず安全だけ確保した俺は次に目覚めるきっかけとなったメッセージを確認することにして、メッセージウィンドウを呼び出した。
(アンダーヒル……?)
送り主は彼女だった。
開いてみると、『今すぐ帰投してください』との文面が目に飛び込んでくる。アンダーヒルらしくない、何の説明もない一方的な要請だった。
「何かあったと見るべきかね……?」
可能性としては初めてギルドに辿り着いたチームが現れたと見るのが有力だろう。真っ先にそう考えうることを予想済みのアンダーヒルなら、理由を書かない選択もありえなくはない。自然とは言いがたいが。
何はともあれ、少なくとも危急の問題ではないはずだ。その手の問題であれば、逆にアンダーヒルに限って説明がないなどありえないからだ。
「ってもほっとくわけにもいかないし、取り敢えず起こすくらいはしないとな」
ひとまず大罪魔銃のことはレナに任せ、俺は未だ俯せで動かない女の子の元に歩み寄る。
「ん?」
近付くに連れてぼやけていた彼女の名前が鮮明に見えてくると、その正体に俺は思わず一拍足を止めた。
「コイツ、確か弱巣窟の……?」
その名は[シャノン]。
三時間以上を無為に費やしたり、休息の場所として絶対防護のギルドハウスを持ち込むという荒業を披露して中継を見ていたアプリコットを大爆笑させた――――そのアプリコット曰く今回のゲームに於いて唯一トップ合格が期待できるプレイヤーだ。
死神シャノン。黒衣の姫騎士。蛇の巣の女王。
とかくいい意味でも悪い意味でも噂には事欠かないため俺もある程度知った相手だが、何だかんだ実際に会うのは二度目だった気がする。もちろん最初に会った当時は本来の男の方の姿だったが。
「……失礼します」
傍まで寄って何となしに頭を下げ、シャノンの肩にそっと手を遣って少し揺すってみる。普段は重装甲を愛用しているという話だが、今日は特殊なデザインの柔らかな布服で華奢な体型を隠すこともなく、俺が揺すると微かな衣擦れの音が耳をくすぐった。
「……ん」
微かに開いていた口から小さな声が溢れ、シャノンはもぞもぞと動き始める。
そして何かを探すように手を前に伸ばされた手が空振りした時、シャノンの双眸がぱちりと開かれた。
「……ぅ?」
ぱちくりと瞬きひとつ。
その視線はすぐに俺へと向けられ、さらに俺の頭上へと移動する。
「起きれる?」
手を差し出しながら中性的な口調でそう言うと、シャノンは「そっか」と口の中で呟き、俺の手を取って身体を起こした。そして徐に周囲を見回して、かくんと首を傾げた。
「あ……えっと――」
事情を説明しようと口を開きかけた瞬間、シャノンはぽむっと手を打って一人納得したかのように頷いた。
「轢かれたんだった」
「轢いてない轢いてない。轢きそうになって激突しただけ…………同じか」
「あはは、自己を顧みずに回避行動を取ろうとしたのはポイント高いかも」
妙に固い単語を使ってそう言ったシャノンは寝返りを打つような動きから尻餅を着き、間髪容れずに足を伸ばす変な挙動で素早く立ち上がった。
格闘技の受け身に近いが、上からの攻撃を躱して間合いを取る、昨今ではFOのようなVRゲームで見られる戦闘挙動だ。世が世なら騎馬兵の突き槍を躱す場面で歩兵が使ったかもしれないが、生身と重装甲では勝手が違うからあるいは武器で受ける方が主流だったかもしれない。俺は詳しくないから知らないが。
閑話休題。
「何があったか覚えてる?」
「んー、ちょっとだけ?」
気を失う直前の出来事は、少し覚えてるだけでもなかなかのものだろう。俺の怪我を見た限り、ストライク・スウォーム一発分くらいは直撃していそうだが。
「とある事情から放たれた裁滅の流殲群から逃げようとして、うっかり貴女を轢きかけたの」
「この平和な森で最終魔法使わなきゃいけない事情ってむしろ何?」
「普通なら訊きにくいようなことまで躊躇なく訊いてくるね……」
「あはは、ごめんね。癖みたいなものだから気にしないで。それにしてもまさか私以外に単独行動してる人がいるなんて思いもしなかった。何処ギルド?」
「えっ……と、私は……」
この流れで隠しても無駄だろうなと思いつつ、俺は群影刀の鞘に入れられた≪アルカナクラウン≫の紋章を黙って指し示す。
「あれ、また運営スタッフ。まさか何か変なことでも起こってるんじゃないよね?」
「ううん、そういうわけじゃないから。それよりまたって?」
「さっきアプリコットと仮名にも会ったの。ルーチェって子にもね」
「それはご愁傷さまです」
どうりで心なしか表情が疲れているわけだ。もう朝早くというほど早くもないが、朝からあんな連中に絡まれたらそれは体力と気力を持っていかれるだろう。
「ゲームとは関係ない想定外の事態なら収拾するのに力貸すよ?」
「イレギュラーと言えば確かにイレギュラーだけど、アプリコットのことだからむしろ想定内だね。今のところうまくやってるから、そっちはそっちで競技に集中してください、ってことで」
むしろあまり首をツッコまれても困る。
「あーうー、そっち系のトラブルはもうお腹一杯かも…………ついさっきだし」
「え?」
声が小さくて聞き取れなかったところを聞き返そうとしたその時、再びチリンと鈴の音が鳴り、メッセージウィンドウが開いた。
さっきと同じく、アンダーヒルからだ。
「ちょっとごめん」
「あ、うん、どーぞ~」
一言断ってシャノンに背を向けると、メッセージの開封ボタンを押す。
『[アンダーヒル]シャノンに注意してください。彼女は人心掌握に長け、その一挙手一投足から言動まで全て計算されたものの可能性が極めて高いです。情報漏洩を防止するため、すぐに彼女との接触を中止し、可能であれば彼女を一時的に意識喪失状態にした上で痕跡を残さないよう帰投してください。』
できるかっ!
ツッコミどころが多過ぎて、もはやツッコミを放棄せざるを得ないレベルだった。
と言うか情報漏洩って俺、そんなに信用ないのかよ――――などと思っていると、スクロールした空白の下に続いて一文書かれていた。
『追伸 シイナを信用していないのではなく、シイナの策謀に対する免疫力を信用していないだけです。』
続く思考までお見通しとかナニソレ怖い。
「主よ」
不意にかけられた声とガサリという下草の音に振り返ると、そこには大罪魔銃を手に提げたレナが立っていた。
「あ、サンキュ」
「取り込み中ならば我のことは後に回しても構わないのであるが、先ほど刹那の気配を感じ取った故急いだ方がいいと思う」
それはやばいな。アンダーヒルだけじゃなくて、レナと刹那にも急かされるのかよ、俺。
シャノンはぼんやりとレナを眺めていたものの、俺が向き直ると同時にはっとしたように我に返ってぱたぱたと手を振って見せた。
「あ、私のことはもう大丈夫だから。別に行ってもいいよ。これから仲間と合流しなきゃだし、後追っかけたりもしないから」
にこにこと柔らかな笑みを浮かべて、そう提案してくれるシャノン。アンダーヒルからは珍しく偏見じみた前情報が送られてきたが、少なくとも目の前の本人を見る限り、そんな印象はまったく見られなかった。
アンダーヒルが言っている以上、少なくとも嘘ではないのだろうが。
「そ、そう? じゃあ、お言葉に甘えることにしようかな……」
刹那が怖いし、アンダーヒルの様子もおかしいようだから、早めに戻った方がいいだろう。
「それじゃあ、また後でね~」
俺が姿を隠すまで手を振って見送ってくれたシャノンが別の方向にゆっくりと歩き出したのを一応見届けた後、ギルドに戻るべく激情の雷犬モードのレナの背に乗って走り出す。
その時、何が契機か不意に気付きたくないことに気付いてしまった。
「あ、刹那ってギルドの場所知らないんじゃ……」
この後、仕方なく刹那を迎えに行った俺が地獄を見たのは言うまでもない。
「ふふっ、一応疑ってはいたけど、この様子だと間違いなさそう」
一人ルークの元へ戻るシャノンは舌なめずりをするように唇を薄く舐め、シイナが去って行った方向にチラと視線を泳がせた。
「ありがとね、魔弾刀さん♪」
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ソロモンズ・シンクタンク»
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り五十一時間三分。




