(41)『逃げるが勝ち(後で地獄)』
「――で、何であの馬鹿がんなこと知ってんのよ」
四人に置いていかれた俺と刹那は、レナ(激情の雷犬モード)に騎乗して、無秩序に並び立つ無数の木々の間を縫うように駆けていた。
今の台詞は【0】――仮名曰くスピアリア・ゼロのことを粗方説明する俺の話を前に座って黙って聞いていた刹那の第一声だ。ちなみに説明の関係上何度もゼロと言わなければならないため、スキルウィンドウから【0】を無効にしてあるため、召喚獣がその影響を受けることはない。
「遂に仮名も『あの馬鹿』呼ばわりされるようになったか……」
「馬鹿は馬鹿でしょ。後、変なのも馬鹿。て言うか理解できないのも馬鹿だし、馬鹿と付き合えてる連中も馬鹿。言っとくけど、アンタも馬鹿よ、馬鹿シイナ」
俺の周りの連中は結局馬鹿しかいないようだ。刹那ロジックに基づいて考えると、刹那も含まれてしまうのだが、本人はその欠陥に気付いていないようだしご愛嬌といったところだろう。
「何でも何も、元々【0】はアイツのって話だし、知ってるのは当たり前なんじゃないのか?」
「それは聞いたわよ。そもそもアイツが何者なのって話! 大体アンタがあの馬鹿から聞いたって話じゃ根本的にわからない部分が残ってるじゃないの」
「根本的にわからない部分?」
「元々仮名のモノだったってことは、何処かの時点で【0】の所有権がシイナに移ったってことでしょ?」
「何処かっつーか、多分あの時からだな」
事の発端になったあの時――――FOの全サーバーがダウンしたあの日からだ。
「あの日、アンタのアバターが今のそれになって、全てと引き換えに【0】を手に入れた。偶然にしては出来過ぎ」
「全てじゃなくて正確にはレベルと熟練度は残ってたけど、偶然にしては出来過ぎだな……ってちょっと待て。仮名が一枚噛んでるって言いたいのか?」
「ここまで言ってそれに気付かない可能性があるのはアンタぐらいよ」
酷い言われようだった。
「そうでなくてもスキルの譲渡なんてマトモじゃないことはわかってるんでしょ」
「まぁ……【0】の効果自体がバランスブレイカーにも程があるし、普通一プレイヤーに出来ることじゃないな」
「そこで逆に考えるの」
刹那がパチンと指を鳴らす。
「仮説“仮名は単なるプレイヤーではなく、少なくとも部分的にプレイヤーを超える権限を有している”」
半ば確信を持っているような口調でそう言った刹那は、呆気にとられていた俺の無言の反応が気になったのかチラッと振り返って見てくる。
そして、補足するようにぽつぽつと言葉を続けた。
「えーっと……可能性が高いのはROLね。それならアプリコットと旧知なのも頷けるし、V-TACのスリーカーズを知ってるのも不思議じゃないわ」
「……なるほど」
一理ある。
思い返せば、俺も以前仮名はROLの人間ではないかと思ったこともある。刹那の言った通り、うまい具合に説明がついてしまうのだ。
「アプリコットも一枚噛んでるみたいだし、裏でこそこそナニ企んでるんだか……」
刹那がため息混じりに言う。
アプリコットが信用できない、というわけではない。ただ、何を考えているのか分からないところがあり、それが彼女と俺を含めた周囲との間に重たい壁となって横たわっている。一見フレンドリーな外面に騙されがちだが、アプリコットは俺たちとの間に確実に線を引いている。彼女の心の壁は限りなく曖昧で不明瞭で不安定な一線だが、距離がどれだけ近かろうが、一線隔ててしまえば赤の他人とさほど変わらない。
少なくとも親しさとは縁遠い関係でしかない。
結局、一つ屋根の下同じ時間を共有して久しい今でも、誰一人彼女の全容を掴めていないのだ。ある意味、彼女を理解できていないのと同じことだ。こっちがそれを望んでいても、アプリコット本人にその気がまったくなさそうなのが一番の問題なのだが。
それはアプリコットと同質の仮名についても同じ。アプリコットほど付き合いが長くはないが、彼女のスタンスも自分だけの領域を頑なに守っている。
踏み込んでこないし、踏み込めないのだった。
よく人間は自分の知らないものを恐れると言われるが、あの二人の場合、何処まで知ったら知れていることに――気心が知れていることになるのかがわからない。
それ故に、不安なのだ。俺も、刹那も。
「勝手奔放もここまで来ると筋金入りね」
「お前もな」
「あ゛?」
「い、いや、何にも……」
いつになく殺気に満ちた刹那の声に一瞬びっくぅっと跳ねたレナの背中をさすってやりつつ、どちらかというと誤魔化す方向で刹那を宥めにかかる。
「裏、か……」
刹那の言葉がキーワードになって、ふと思い出したことがあった。思い出したと言うよりは、より強烈なフラッシュバックに近いような気もするが。
――私を役者と一緒にするな。お前は表で、私は裏。裏で何が起きていようと、表舞台は整然としているべき。だから訊くな。私は何も答えない。つまり、これが最後――
さっき仮名が言っていた言葉が、妙に印象に残っている。
どういう意味で言ったのかはよくわからないが、彼女なりの何らかのルールを示している気がしていた。
「それで? 精霊召喚式はいつ返してくれるの?」
急に振り向いた刹那が、悪びれる様子もなくそう訊いてきた。
「返……いや、この際それはどうでもいいか。精霊召喚式は良くてあと七個。悪いとあと十個もユニークスキル無効にしなきゃいけないんだぞ? 明確な敵が≪道化の王冠≫と≪強襲する恐怖≫しかいない現状、そんなたくさんのユニークスキルを何処から調達できるって言うんだよ」
この世界に閉じ込められ、今尚現実への帰還を望むプレイヤーたちは、誰もがいつか必ず訪れる儚との最終決戦において俺たちの味方となりうる可能性を秘めている。
ユニークスキルの全容は未だ明らかにされていないし、【精霊召喚式】や【剛力武装】に匹敵する極めて実践向きなスキルだって必ずあるはずなのだ。
いくらなんでもそれらのスキルだけを攻略組ギルドが接収するなんてできるわけがないし、するつもりもない。
俺の思考回路がその辺りまで考えをまとめたところで、思案顔の刹那が顔を上げてとんでもないことを言い出した。
「リュウが三つでしょ? シンが二つ、スリーカーズも二つくらいは持ってるかもしれないし、ネアも……あ、キュービストも二つ持ってたはずよね?」
「お前は鬼か」
「え、何が?」
無自覚に鬼畜だったらしい。
「これで十よ。いけるわ」
「いけるかっ」
半身で振り向いて無邪気な(ように見える天然詐欺じみた)笑顔でピースする刹那に、否定の言葉を叩きつける。
「何よ、ケチくさい」
「寧ろお前が無頓着だろ……」
理不尽な被害を被る側の身にもなれ。特に俺にもっと優しくしてください。
「ドレッドレイド辺りから取れれば最善なんだけど、そんな都合良く来るわけもないし…………このゲームに参加してる連中、そこそこの連中よね?」
何か危ないことを考えている気がする。気がするだけの気のせいであってほしい。
「時間空いたら後で狩りに行きましょ、二人で」
「頼むから俺を巻き込むな。っていうか誰が許可するか、そんなの。アンダーヒルだってそう言うぞ」
俺がそう言った瞬間、刹那のこめかみがピクッと痙攣し眉がキッと吊り上がる。
しかし、俺が咄嗟に身構える素振りを見せると、
「……っさいわね。わかってるわよ」
ふてくされたようにそう言った刹那は何故か大人しく前に向き直り、俯いたまま黙り込んでしまった。
不機嫌刹那Lv1だ。
後に控えているだろう苛立ち紛れの八つ当たりの矛先が自分に向かないことを切に祈りつつ、俺は気まずさを誤魔化すようにスキルウィンドウを開いた。
迷わず【0】の項目に触れると、一瞬のラグを経てほとんど何も書かれていないスキル詳細画面が出現する。
そしてその右下に新たなボタンが増えているのに気が付いた。
短い横線が縦に四本並んだアイコン――何らかのエクスプローラだ。
何らかのとは言ったものの容易に想像はついた。開いてみると、予想通り【0】によって無効化されて新たに発現したスキルがリストアップされていた。
今のところ【思考抱欺】と【幻痛覚謝肉祭】の二つが並んでいて、それぞれのスキルの詳細まで確認できるようになっているようだった。
「……あ」
それを見ていて、ふと気付いた。
「刹那」
「あによ、ヤるの?」
「ヤらねえよ」
なんでいきなり喧嘩腰かな、この子は。
「そうじゃなくて、ちょっと面倒だけど今すぐにでも精霊召喚式を渡せるかもしれない」
俺がそう言うと、走る雷犬の背中の上で器用に身体の向きを反転した刹那は、訝しげな視線を向けてくる。
「【0】にはスキルを奪う効果と与える効果があるってのは言ったよな」
「で?」
「十個分のカウントラグがあるなら、そのカウントをループさせて目当てのスキルまで回せばいいってこと。具体的にはスキルの譲渡と奪取を繰り返せばいいかなと」
「……アンタ、それ今気付いたの? て言うか今さら気付いたの?」
「え゛」
刹那の呆れたような視線が突き刺さる。
「気付いてたの?」
「当たり前でしょ、バカシイナ。アンタほど鈍くないわよ、バカ」
「うっ……バカって二度も……」
「何ならもう一回言うわよ、バカシイナ」
「おい、言ってる言ってる」
気分悪そうに眉をつり上げ、こめかみを浮き立たせる刹那。どうやらたった今俺の発言の何処かが逆鱗に触れたらしい。
不機嫌レベルは更にひとつ上がり、対応を間違えれば手が出るLv2だ。
「気付いてたんなら、何でさっき言ってくれなかったんだよ。そうすればすぐ返してやれたのに。作業になるけど」
「別に今じゃなくてもいいからよ。どうせ巡り合せの一悶着順争の間は私たち裏方は暇だし、時間はいくらでも空いてるでしょ。明後日、また攻略が始まってからでも十分よ」
「でも万が一PKギルドが潜り込んでたら、安全とは言えないだろ? その時のためにも――」
俺はそこまで言ってハッとすると、思わず口を噤んだ。そして、おそるおそる刹那の顔色を窺うと、
(あー、怒ってる怒ってる)
しかも珍しく非常に冷静なタイプのキレ方だった。
元々表情と感情の変化に富んだ性格の刹那だが、こと怒りに関する表情のバリエーションは抜群に豊かなものだ。
今回の場合は責めるようなジト目と何か言いたげながらも固く結ばれた唇。傍目からは無言の威圧ととられそうだが、安全かと問われればそうでもないしとんでもない。これはあくまでも前兆である。
「それはつまり私が弱いって言ってるのよね、シイナ?」
「いや、そんなまさか――」
「私がここに集めた程度の連中に負けるって言ったわよね、シイナ?」
「待て、そこまでは――」
「この私が【精霊召喚式】以外は戦力外って言いたかったのよね、シイナ?」
「ははっ、そんなわけが――」
段々と冷たい笑みへと変化する刹那の表情に、急速に喉は渇き心臓が激しく高鳴り――本能が危険信号を出し始める。
「すまん、刹那」
俺は咄嗟に刹那の右肩に右手をかけ、ぐっと力を込めて押し退けた。
「きゃっ……!」
ぐらりと急に身体が傾いて驚いたらしい刹那が短い悲鳴を上げるが、走る騎獣の上で一度バランスを崩せば如何に刹那と言えどひとたまりもない。
『逃げるが勝ち(後で地獄)』だ。
「死ぬ気で飛ばせ、レナ!」
刹那を置き去りにしてレナに命じる。
「むしろこれで死が確定したのではないか、我が主よ!? 正気!?」
「よしよし、いい子だ、レナ。刹那のことを良く理解しているな。そうだ、無事に戻れたら美味しい菓子でティーパーティーでも開こう。皆喜んでくれるかなぁ」
「主よ、それ死亡フラグではないか!? その上キャラ変わっとるではないか!」
だって後ろから怨嗟の声みたいに聞こえてくるんだもん。文字通り炎属性の高火力攻撃――もとい迫撃魔法の詠唱が。
「――炎禍の災杯、鋼龍の烙宝、火の山に吠え猛る獅子王の誉。流星の巫女よ、我が身の一部を此処に捧げる。凶兆の星を以て我が敵を討ち滅ぼせ――――裁滅の流殲群!」
森に轟く刹那の詠唱が終わると同時に上を見上げると、遥か上空に無数の魔法陣が次々と出現していく。
殺す気満々ですよね、あの子。
俺やレナなら全弾直撃でもしない限り多分死なないとは思うけど多分。
着弾地点に誰もいないことを切に祈る。
「レナ、何とか撃ち落とせるように頑張るけど、一応避ける方向で頼めるか」
朝からこんな騒動か、と自分の不遇さを嘆きつつもレナにそう打診し、太腿の大罪魔銃レヴィアタンを引き抜いて銃弾を確認する。
そして、俄に雷犬が加速を始めた時だった。
「掴まれ。跳ぶぞ、我が主よ」
前を見ていなかった俺にそう警告し、俺がその背に伏せるようにして対応したのを確認したレナが前方に転がっていた岩のような物体を軽く跳び越えた――――その一瞬、俺はとんでもないものを視界に捉えた。
岩のような物体、もとい大輪転装甲獣の死骸の陰で、突然、目の前に飛び出してきた俺とレナに驚いて目を丸くして突っ立っている女の子の姿を。
「嘘、だろ……っ!」
召喚解除、と咄嗟に叫ぶ。
次の瞬間、雷犬がどろりと形崩れして消滅し、俺は空中に投げ出された。そして、女の子の短い悲鳴が聞こえた直後、重く響く痛みと衝撃が瞬く間に俺の意識を刈り取った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ソロモンズ・シンクタンク»
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り五十一時間十八分。




