(40)『また後でね』
「一人……二人かな」
葉の擦れる音に紛れている微かな足音を敏感に感じ取ったシャノンはそれを人だと半ば断定しつつ、他の三人にもその旨を告げる。
「片方は自然に足音殺して歩いてるみたいだけど、もう一人はちょっともたついてるし。“木の葉隠れの番蝶”っぽい音も聞こえるから、案外ただの参加者かも」
シャノンが優れた聴覚に基づいて推理すると、途端に「面倒だ」とこぼしたLuceの身体が霧散するように消失する。彼女の種族――反実体の特徴であるアバターの実体化を解除し、ユニギアの半自動操縦に戻ったのだ。
彼女の二歩後ろをついてきていたユニギアはびよんびよんと三対六本の脚を上下させる反応を示すと、前脚を振り上げながら踊るヤドカリ類のような威嚇動作に入る。プレイヤーからの操作入力が途切れると、一定間隔でこの動作をするのはユニギアの自律行動パターンだ。
「シャノン、こっちに来てる二人に心当たりはないんですかね?」
「今のところ八人パーティ組んでるけど、この辺りには誰も来てないよ。早朝動いてるのは私の知ってる限り、私たちと運営の人間だけだし」
シャノンがマップでパーティメンバーの位置確認をしつつそう答えると、アプリコットは徐に懐を探り出す。
「知ってる限りでは、って言いますけどシャノン――――いえ、千羽鴉は何処まで知ってるんです?」
キーン……。
シャノンが急に別称で呼ばれてマップウィンドウから顔を上げると、ちょうど目の前にアプリコットが指で弾いた一万オール硬貨が視界に映り込んだ。
「何も知らないよ」
パシっと危なげなくその代価を受け取ったシャノンはやや低めの極めて真剣な声色で呟く。
シャノンが報酬を受け取った事実というのは情報屋“千羽鴉”として情報の開示要請を受け入れたということになる。その情報の確度は情報屋として名高いシャノンの信用が裏付けている。損得勘定込みの信用だが人柄抜きの判断になるため、無償の情報家アンダーヒルとは異なり、分け隔てなく誰もがその“事実”の恩恵を受けることができるのが特徴だった。
「今回はまだ何も飛ばしてないから」
「ま、そうでしょうとは思ってましたけど♪ 途中までとは言え、中継で見てましたしね。死神シャノンのそれはもう桁違いに見当違いな所業」
アプリコットは思い出したように「そう言えば二回ほど勘違いもしてましたね」などとシャノンの羞恥ポイントを抉りながら笑うと、シャノンはじとっとした目をアプリコットに向ける。勿論、その内心は「気違いだとかアプリコットには言われたくない」の一言に尽きるのだが。
ここで口にしなかったのは、徐々に近づいてきている二人組が向こうからも気付ける認識圏に入ってきたからだ。シャノンがそれを警戒する様子を見せると、当然アプリコットや仮名もそれを察し、押し黙って耳を澄ませる――
「【喰い滅びて惨禍あり】」「【猛吹雪化粧】」
――素振りすら見せずに同時に動いた。
「へ?」
シャノンが間の抜けた声を上げた一拍の後に、火炎が草木を薙ぎ払い氷柱の槍を伴う猛吹雪がその焼け跡を吹き抜けていく。破壊と殲滅の嵐が目の前の空間を丸ごと蹂躙し、シャノンが息をすることすら忘れていたことに気付いて我に返る頃には、辺りは不自然なほど乾いた静寂に呑み込まれていた。
「何してるのーっ!?」
咄嗟のことで、シャノンの声は裏返っていた。
「ボクやカナが何かする度に、誰かしらそこにいる人がこんな反応してるような気がしませんか、カナー」
「――何を今さらそれがどうした」
アプリコットの同意を求めるような発言に棒読みで返す仮名。Luceに至っては沈黙を保ったまま、完全に我関せずを決め込んでいた。
「このゲームの閉鎖的なルールを考えればむしろ敵対しない可能性の方が高いのに、いきなり攻撃するとかありえないよ!?」
「ありえないとかありえないですよ。現にありえてるじゃないですか」
「もういーよ……」
根本的なコミュニケーション自体を諦めたシャノンががくりと肩を落として項垂れた――――その時だった。
シャノンはふと急激な体感温度の降下を感じ、背筋が凍るようなざわざわとした感覚を覚えた。そしてそれが戦慄だと気付いた瞬間、シャノンは本能の危険信号に従ってバッと頭上を仰ぐ。
その瞬間――――大気が悲鳴を上げてビリビリと震えた。
途端にシャノンのすぐ隣の空間を蒼い発光体が目にも止まらぬ速さで駆け抜け、アプリコットと仮名の身体が突風に巻き上げられるように宙へ浮いた。
「「……ッ!?」」
直後、地面に叩きつけられた二人は、珍しくも本気で声にならない音を喉から漏らし、息を吐く間もなく地に伏して悶える。
「な、何っ……!?」
シャノンは驚いて周囲を警戒するが、その動作とほぼ同時にその神速の攻撃の正体を目の当たりにする。
蒼雷――。
迸る雷撃を纏い、特徴的な巨鎚を振り抜いた生ける雷の姿があった。
「スペル……ビア……!」
指一本動かせないシャノンに、スペルビアはくるりと振り返る。
その目はアプリコットと仮名を攻撃対象として捕らえてはいても、顔見知りと捉えてはいない。ぼんやりと呆けているようにも見えるが、殺気と言うよりも言い知れない狂気に支配され、自己制御ができていない者のする目だった。
「シャノン……」
スペルビアはそう呟くと、ぶしゅーと気が抜けたように殺気を鞘に納める。それと同時に今自分が殴り付けたのが誰なのかを確認して、くいっと首を傾げる。
「アプカナ……何してるの?」
「そのぼんやり面のまま全自動反応とかマジパねぇっすね、ルビア……」
「――常人じゃない……」
軋む身体を必死に制御しながら、変わり者二人がスペルビアに縋り付くようにして立ち上がる。その足はガクガクと震え、ダメージの余韻が重く響いているのがわかる。
「ごめんなさい?」
「疑問形じゃないですか……」
どちらが悪いかと問われれば、言うまでもなくアプリコットや仮名が悪いことになるのだが、スペルビアは物を深く考えることは滅多になく、今回もアプリコットの言動から素直に自分が悪いと受け取って謝ったに過ぎないのだった。無論、その謝罪に心がこもっているかという問題はあるのだが、本人の本心に関わらず、少なくとも誠意は感じられにくいだろう。
「謝られてる気はしませんが、今はそこそこ機嫌悪いので、まあ――」
「はろはろ、シャノン」
「私のこと知ってるの?」
「面沙汰、それなりに有名」
「昔ので憶えてる人久しぶりに見たよ……」
「――良しとしておきましょう……って二人とも聞いてます?」
アプリコットとのコミュニケーションを放棄したシャノンとマイペースを極めたスペルビアは、アプリコットを完全にスルーしたまま会話を進める。
自覚と誇りを持ってトラブルメーカーを自称する変人アプリコットを無視する――つまり念頭に置かないこと自体ある意味対処法としては間違っていないのだが、そこで逆の可能性を否定しきれない辺りが彼女が破綻者と呼ばれる所以でもある。
「にしても珍しいですね。どんな欲より睡眠欲なルビアがこんな早起きするなんて」
その当の本人は一度無視された時点で思考を切り換え、気にせざるを得ないような迷惑行為を――――ではなく、極めて普遍的な範囲で収まる対応をしたのだが。
「そう、さっきまで寝てた。起こされた」
安眠妨害を受けたと主張したいらしいスペルビアは、ぷくーと頬を膨らませて不機嫌をアピールする。一見して愛らしい子供の仕草だが、暴走気味の姿を見た直後のシャノンには、スペルビアがそれほど器用な方ではないとわかっていても少なからず演技のようにも見えてしまうのだった。
「ルビアの至福の時を邪魔しようなんて、余程の命知らずか相当の実力者か単なる馬鹿かでしょうね。誰なんです?」
「あたしだ」
スペルビアに対して投げ掛けられた質問に応えたのは、スペルビアではなく樹上から突然飛び降りてきたモノクロカラーの忍装束の少女――――≪竜乙女達≫の[アルト]だった。
思いがけない人物の登場に目を丸くしたアプリコットは、直後ふっと思いがけず笑みを溢した。
アプリコットはスキルを使うことなく技術のみで気配を消すことに人並み以上の自信があった。それと同様に、気配を絶とうとする気配ですら察知できることも自負していた。それだけにアルトの無影術に驚いたというのもある。
しかし何より、自分が異常であることを自覚しているが故の疎外感を払拭してくれる存在が、アンダーヒルや仮名の他にもまだいたことが嬉しかったのだ。
しかし、本質的な部分が似過ぎているが故にアプリコットのその感情の揺らぎを察してしまった仮名は、逆に外界との接点を狭めるようにフードを引き下げ、自身に芽生えた近い揺らぎに抗うようにその表情を隠してしまった。
「アルるんはいつも早起きですからねぇ」
「こんな睡眠中毒と比べんじゃねえよ、ド変人。健康的でよろしいだろうが。後、あたしを妙な名前で呼ぶな」
「別にいいじゃないですか、呼び方くらい減るものじゃなし。っつーか、ただでさえ出払ってんのに凜ちゃんまで出て来て、ギルドの方は大丈夫なんですか?」
「本名で呼ぶなっつってんだろうが。ギルドの方はアンダーヒルがいるから大丈夫だろ。あたしはそのアンダーヒルに言われたからド変人共を迎えに来たんだ」
アルトはそう返すと、アプリコットの周囲に視線を遣って眉を顰めた。
「んで、シイナは何処行きやがった」
元々腕章持ちの仮名はともかく、主催側としてギルドで待機する義務のあるアプリコットを単独行させないためにシイナが監視しているはず、とアンダーヒルから聞いていたのだが、その姿が周囲の何処を見ても見つからなかったからだ。
「シイナんなら多分、今頃は職務放棄して、刹那んといちゃつきながらギルドの方戻ってると思いますよ」
「ぁんのヤロー、次会ったらただじゃおかねぇかんな……」
怒りの拳を握るアルトを見て、アプリコットが『アルるんはシイナのことになるとボクの言葉でも鵜呑みにするんですねぇ、くっくっく♪』などとほくそ笑んでいたのだが、シイナの処遇をどうするか考えていたアルトがそれに気付くことはなかった。
「それはともかく、どうしてスペルビアを連れてるんです? どうでもいいっちゃその通りなんですけど、ぶっちゃけスペルビアは朝は寝起き悪いですし、アンダーヒルからの指示でもなければアルるんがそんな面倒なことするかなーなんて思っちゃったり。まあ、んな訳ないのは大体わかりますけど」
「お前らを探した時に偶然見かけたから、ちょっと手伝わせてただけだ。保険みてーなもんだよ、わかんだろ?」
いくらアプリコットと仮名と言えど、高速移動を完全にものにしている天雷人から逃れるのは至難の業、少なくとも正攻法では不可能だ。無論、正攻法から外れた手段・方法をむしろ好む傾向がある二人だが、少なくとも選択肢の幅を狭めることはできる。アルトにはそれで充分だった。
「妙にチョコマカ動きやがって、アンダーヒルリアルタイム誘導がなきゃ日が暮れてたっつーの」
「変に入り組んだルートになったのはシャノンのせいですよ。ボクたちは彼女を追っかけてたんですから」
「責任転嫁もいいとこだよ!? さっき見失っただとか探すのも面倒だとか言って、積極的に探す気ゼロだったじゃない!」
突然矛先を向けられたシャノンはコミュニケーションを放棄していたことも忘れ、間髪入れずに事実に基づいた反論を返す。しかしアプリコットはやや戸惑ったような表情を浮かべるとくいっと首を傾げ、
「そんなこと言いましたっけ?」
「そこでとぼけるよね、さすがアプリコットそれでこそアプリコットっ」
やや自棄気味に涙目でそう言い捨てたシャノンは、「うぅぅ……」と唸るような呟きを漏らして俯いてしまう。
当然普段のアプリコットを知っている者にとってはどちらがより事実に近いかは言うに及ばず、当然アルトもシャノンの姿をシイナ辺りと重ねて同情しつつも、遠巻きにそれを眺めて面白がっていた。
そんなことだから詩音に「アルトは性格だけあんまりよろしくないからね~」などと言われるのだが、本人がそれを自覚しているだけに詩音による無意識の皮肉も功を成さないのだった。
「――っと、忘れるところだった。お前が新入りだな」
アルトは懐から何かを取り出すと、それをLuceに向かって放り投げた。それを危なげなくパシッと受け取ったLuceは、手の中のそれ――――白い翼を象った腕章を確認すると、疑問顔で首を傾げた。
「お前、何の説明も受けてないのか?」
「この妙な腕章のことは聞いていない」
アルトとLuceのジト目がアプリコットに突き刺さる。
「まあまあ、そうかっかしないで下さいよ。ぶっちゃけこの腕章の意味なんて知ってようが知らなかろうが大した違いはないでしょう。ルーチェを呼んだのは、ただ単に人数合わせの顔合わせなんですから」
「わけわかんねえことほざいてんなよ?」
「そんなのいつものことでしょうに」
他人事のように言うアプリコットに諦めの眼差しを向けたアルトはさりげなくアプリコットを視界の端に追いやりつつ、同時にシャノンに視線を向けた。
「お前、パートナーはどうした?」
「今は別行動中だよ? 別にルール違反じゃないでしょ?」
「アンダーヒルから単独行動してる奴は要注意だって言われてるからな。個人的にはそれ以上に、情報屋気取りの囀りカラスが嫌いなんだがな」
アルトはそう言って、凄むようにシャノンを睨みつける。
アンダーヒルの存在のために忘れられがちだが、≪竜乙女達≫の偵察隊を率いるアルトは所謂諜報担当。特別それを利用した活動をしているわけではないものの、プライドの高いアルトのことだ。実質的にはお株を奪うようなシャノンの活動は面白くないのだろう。
しかし、シャノンは気にも留めない様子で屈託のない微笑みを浮かべてみせる。恐るべきはそれが取り繕ったものには見えないことなのだが。
「ちっ、とっとと戻るぞ。気違い共」
「仮名、ボクらのことだと思います?」
「――勝手に私を含めるな。お前以外は該当しない」
「お前ら二人以外に該当者が存在しねえよ。お前も早くパートナーんとこに帰れよ、バカガラス」
しっしっと犬を追い払うようにシャノンに手を振るアルトは見るからに不機嫌そうになっていた。
「はいはい、いいよーだ。……どうせ目当てのモノは手に入ったしね」
後半は微かに口内の空気を震わせる程度の小声で呟いたシャノンの言葉は、誰に聞かれることもなく溶け込んで消える。
そして、くるりと大人しく踵を返したシャノンは、
「じゃあ、また後でね」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべると、ぱたぱたと駆けて森の中へ消えていった。
「くっくっくぅ、アレはキてますね♪」
「――多分、気付いただけ」
アプリコットと仮名が何やら怪しげな会話をしているが、シャノンの呟きと同じく誰に気付かれることもなかった。アルトはシャノンへの敵愾心にいつもの冷静さを欠き、Luceに関しては我関せずを決め込み、スペルビアに至っては立ったまま静かに船を漕いでいた。
その五分後――――クラエスの森の一画に流星群が降ることなど誰も予想していない。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ソロモンズ・シンクタンク»
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り五十一時間二十三分。




