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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第七章『巡り合せの一悶着順争―集いし力―』
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(39)『アプリコット並み』

 クラエスの森中心部――。

 全体に比較的一様な光景が広がっているこの森の中でも一際目立つ大樹があった。

 名は天翁樹(オールドツリー)

 かの天盾樹(イージスツリー)ほど大きくはないが、頂きの枝で高さ十四メートル超というのは平均樹高が八メートル程度のクラエスの森では頭ひとつふたつも飛び出し、目印や位置確認の基準として使われることの多い存在だった。

 そして、今。

 アプリコットたちから逃げていたシャノンは、そのオールドツリーの根と根の間の奥に偶然出来た空間に隠れていた。

 狭い樹の壁に背を預けるように座ったシャノンは、胸に手を当てて瞑想するように目を閉じ、静かに呼吸を整えているその姿に普段纏っている独特な余裕感はなく、目に見えて消耗している。

 逃げ始めてからもう一時間近くになるから、無理もないのだが。

 相手が相手だけに闇雲に逃げるわけにもいかず、隙を見て撹乱のために偽装した痕跡を残したり、わざとめちゃくちゃな進路を取ったりとシャノン側の消耗は追跡する側(アプリコットたち)より激しい。しかし、シャノンにとってある意味、相手が自分のことを知っているのは好都合と言えた。

 何故なら、追跡者たちはシャノンの残した足跡について、その真偽がわからずに混乱するだろうからだ。

 というのも、シャノンの種族――上位種(オーバード)は翼こそ持たないものの“浮遊慟力(レビテーション)”という形で単体飛行能力を有している。つまりやろうと思えば、足跡を残すことなく普通に走るよりも速く移動することが可能なのだ。

 アプリコットや仮名(カナ)も当然それを知っているし、シャノンの策士としての一面は承知の上――――だからこそ残された足跡を辿るべきか否か。つまりその足跡の先に本人がいるのかどうかわからなくなっているはず、という算段だ。

 いかにアプリコットと言えども、状況的にはシャノンの方が有利だった。


(五分経ったら次は北に……)


 シャノンは頭の中でこのフィールドの地図を構築し、逃走経路を模索する。


(この辺で一度東に行く……? それから迂回(うかい)も一応ありかな……。あー、もう何でこんなことに――)


 シャノンははっと息を呑むと、いけないいけないと首を横に振る。思わず無意味な方へと傾きかけた思考を振り払ったシャノンは一度大きく息を吐いて頭の中を白紙(クリア)に戻した――


「あっはっはー。随分手間かけさせてくれましたね、千羽鴉(センバガラス)


 ――途端、頭の中が真っ白(クリア)になった。

 心臓が跳ねる間もなく、シャノンの視線が狭い入り口の方にぎこちなく泳ぎ、そこにアプリコットの姿を視認する。逆光の割に明瞭に見える、その整った顔を彩る何処か不自然な満面の笑顔に――――戦慄する。


「はあい、シャノン。ご無沙汰ぶりですね、元気でしたか?」


 アプリコットからシャノンへ、珍しく何の変哲もない言葉が愛想良くかけられる。


「ま、まだ元気っ。これから何もされなければこれからも元気っ」


 シャノンは上ずった声でそれだけ言うと目を逸らし、やや引き攣った笑みを浮かべて何とか逃げられないかを画策していた。

 アプリコットがどんな感情を以って笑みを浮かべているのかはわからないが、シャノンにとってみれば危機的状況に変わりはなく、寧ろアプリコットという人間は機嫌がいい時ほど性質(たち)が悪い傾向がある。


「どうして私がここにいるってわかったの? 自分で言うのも何かアレだけど、今回はミスしてないと思ってたのに」

「いや、それがですね。シャノンを見失った後、探すのも面倒ですから帰路の途中でもし見つけたら捕まえてみようということで話がまとまっちゃいまして」

「私、ついで過ぎる!?」


 今の今まで全力を逃げていたことに何の意味もなかったと知らされたシャノンは、悲鳴にも似た率直な感想を漏らす。

 アプリコットという人物は、実のところ無自覚に、周囲の人間の努力というものを水泡へと変えてしまう天才だった。


「いやいや、ついでも何も。今回は参加者である貴女にそれほど無茶はしませんよ、っつーか、ぶっちゃけこれ以上無茶やるなって耳タコでゲシュタルト崩壊気味ですし」


 けらけらと笑って見せたアプリコットは穴の入り口からわざわざ狭い空間内に押し入ってくると、警戒色を見せるシャノンの隣にころんと転がり落ちた。


「これ以上……ってことはやっぱりこの面接(ゲーム)アプリコット監修なんだ。大穴で仮名(カナ)かなーとも思ってたんだけど、本命は期待を裏切らないね。要らないとこばっかり」


 皮肉も込めてシャノンがそう言った途端、アプリコットの背後から覗き込むように仮名(カナ)が顔を出した。


「――私がこんな面倒なものに参加するわけがない」

「いや、今してるじゃないですか」

「――必要不可抗力」

「不可欠ではないんですね」

「――お前が仕事をしないせい」

「結局結論、結果ボクのせいですか」

「――当然」


 やはり相変わらずと言うべきか、アプリコットと仮名(カナ)――何処か普遍的とは言いがたい二人の応酬は、傍から見ていても仲がいいのか悪いのかはわからない。

 シャノンが呆れつつも傍観していると、


「そうそう。見てましたよ、シャノン」


 アプリコットがシャノンの頭上にいつのまにか止まっていた“木の葉隠れの番蝶パピリオン・フォーリウム”を示してそう言った。


「見てたって?」

「勿論、千羽鴉の手腕をですよ。さすがと言いますか何と言いますか、いやはや遅刻といいギルドハウスといい、相変わらずギリッギリのライン試すようなことを平然とやってのけますよね、シャノンは」

「ルール設定が甘いからだもん。これじゃ()()()()()()がやりたい放題だよ?」

「ま、それも込みのゆるゆるなルールですし♪ 珍しく大っぴらに動ける舞台が貰えたので、遊べるだけ遊んで――もといやれるだけやってみようかと」

「そんなこと普段から気にもしてないくせによく言えるよね……」


 呆れたようにそう言ったシャノンはため息を()くと、仕方なく樹洞から出るべく心なしか重い腰を上げる。

 アプリコットと仮名(カナ)の二人を前にして下手に先制行動を取るのは危険だが、シャノンはそれ以上に逃げる手段がない――つまり保険すらない今の状態の方が気持ち悪かったのだ。

 仮名(カナ)が退き、アプリコットに続いてオールドツリーの樹洞から出たシャノンは、さらにルーチェの姿を確認してマトモな方法でもそうでない方法でもその布陣を強行突破することは不可能だと悟る。


「それにしても主催側(そっち)ってそんなに暇なの? 途中までとは言え私なんか追っかけてくるなんて。確か他にも人いたよね? えっと、アルカナクラウンの――」

「シイナんと刹那んのことはいいんですよ。二人ともボクの無茶苦茶と予定無視には慣れ切ってるでしょうしねー」

「かなーり同情に値しちゃうんだけど、いっつも何やってるの、アプリコット……」


 シャノンが何となく想像できてしまうアプリコットの私生活に閉口を考えていると、堪えるような笑いを(こぼ)し始めたアプリコットの後ろに、ゆらりと移動した仮名(カナ)が――


「くっくっく♪ それはもう筆舌に尽くし難い限りで――」


 ――ガッ。

 その後頭部に手をかけた。


「――引っ込め」


 頭を固定されたアプリコットは勿論(もちろん)、シャノンやルーチェからも見えないフードの奥で、仮名(カナ)の目がぼんやりと不気味な殺気を放ち始める。


「あ、あれー。何でいきなり怒ってるんですか、カナー?」


 振り向けなくなったアプリコットは引き()った笑みを浮かべつつ、豹変した仮名(カナ)を刺激しないように両手を頭の上に挙げてみせる。

 しかし、それ以上アプリコットの相手をする気はなかった仮名(カナ)は、アプリコットの髪を掴んだまま、改めてシャノンに向き直る。


「――それで今度は何を企んでる?」

「今回は何も企んでないよっ」


 シャノンは即座に否定するが、『あわよくば』程度には幾つか想定していたため、それ以上重ねて弁解することは避ける。しかし仮名(カナ)は心を見透かそうとするようにシャノンの瞳をまっすぐ見据えた。


「――嘘を吐けば、()()()()()

「何を!? なんか怖いんだけど!」

「まぁ、何はともあれ実際尾けてたわけですし、何もないってことはないでしょうね、くっくっく♪」


 いつも通りの薄っぺらい笑いを伴ってアプリコットがそう言うと、仮名(カナ)は威圧感のある無言と共に掴んでいる茶色の髪をぎりぎりと引き下げた。


「痛たたたたっ!」

「――尾行を差し置いても、あの“可憐な策略家(プリティ・キューティ)”に限って何もないなんてありえない」


 アプリコットの悲鳴を無視して仮名(カナ)がそう言うと、シャノンは不意に疑問の表情を浮かべた。


「あれれ? もしかして私、外聞悪い?」

「――アプリコット並み」

「そんなに!?」


 仮名(カナ)がきっぱり言うと同時にシャノンは涙目で悲鳴を上げる。アプリコットはそんな二人の言い草に「こらこらー?」と棒読みで抗議の声を上げたが、当然二人はないものとしてそれを流す。


「でも今回はホントに何も企んでないよー。さすがに現役の最上位ギルド四つ相手に無茶はリスク高いし」

「――それもそう。でもお前ならあわよくば利を得る何かはあるはず。例えば……そう、私の知る限り、面接官八人中六人と知り合い(フレンド)

「え? フレンドってアプリコットとナナちゃんとガウ君と……あと誰?」


 一瞬ぎくりとしたのを隠しつつ、シャノンは平然を装って聞き返した。


「――ミルフィとアルト。それに物陰の人影(シャドウ・シャドウ)もそこにいる」

「あーうー、やっぱいるんだね、アヒルちゃん。やだなー、あの子苦手」


 予想はしていたものの、その名を聞いた途端にあまり思い出したくない昔のことを思い出してしまったシャノンは、自爆にも関わらず拗ねたように唇を尖らせる。

 情報屋シャノンと情報家アンダーヒル。

 同じ情報を扱う者としてスタンスの違う二人の過去の()()()()は、彼女たちの関係者であれば知る人ぞ知る有名な話だった。


「シャノンにかかっちゃあのアンダーヒルもアヒルちゃん呼ばわりですか。今更ですけど、シャノンのネーミングって特異(ユニーク)ですよね」

「――今更だとか、それ以上にそれ以前に、お前がそれを言えるのか、変人(クラックポット)

「いやいや、ボクは一応アームキャンディの方ですから♪」

「――そうか、黙れ」


 仮名(カナ)が再びアプリコットの髪をぐいっと引っ張ると、仰け反るように上を向いたアプリコットは「いだだだっ」と涙を(にじ)ませて悲鳴を上げ、背後の仮名(カナ)の手から髪を取り返そうと地道な奮闘を開始する。


「アヒルちゃんの場合は“みにくいアヒルの子”もかかってるからね~。あの子、折角(せっかく)の綺麗なお顔、変に隠しちゃっるでしょ」


 シャノンがそう言うと、アプリコットは「ああ、そういうことですか」と納得したようにしたり顔で頷いて見せる。


()めてんのか(けな)してんのかわからない辺り、シャノンらしいっちゃらしいですね。褒めてるつもりで貶してる新感覚のツンデレもここにいますけどね」

「――お前は引っ込めと言ったはず、アプリコット。()ね」


 アプリコットに指差された仮名(カナ)は、殺気を収めることなく睨みを利かせる。


「いや、去ろうにも後頭部掴まれてちゃ無理ですよ。カナって実は天然入って――曲がってるっ! 首の骨曲がってますから、痛い痛い!」


 仮名(カナ)の両手がアプリコットの後頭部と首にかかり、無言でそれをへし折ろうとする仮名(カナ)のどんよりと重苦しい殺意が辺りに立ち込める。

 その時――――不意にシャノンの動きが止まり、その意識が聴覚へと集中した。次いで仮名(カナ)・アプリコット・ルーチェの三人も動きを止め、同時に背後に振り向く。シャノンは物凄い速さで近付いてくる何かの足音を、他の三人は草木が擦れる音や気配を察知して、長く染み付いたVRプレイングの癖で瞬時に警戒態勢に入ったのだ。

 しかし接近者は、思いがけずも拍子抜けするような二人だった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 “巡り合せの一悶着順争トラブルスポット・トラベリングツアー”――


 現在の脱落ギルド。


 «ロードウォーカー»

 «黄金羊(ゴールデンシープ)»


 ――タイムリミットまで残り五十二時間十分。

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