(36)『スピアリア・ゼロ』
「――教えてあげるよ、【0】のことを。そろそろ私が出張ってきた意味を、忘れてしまうところだったし」
仮名はそう何処か含みのある前置きをすると、前を歩くアプリコットを一瞥して再び歩き出した。
「――取り敢えず紛らわしいのは避けたい。お前の持つ算用数字の方を上位のゼロ、火狩の持つ漢数字の方を下位のゼロと呼称を改め、スピアリア、インフェリアと通称することとする」
どうやら仮名は物事を簡潔に済ませたいタイプの人間らしい。
常人とは一線を画した奇抜な言動に目が行きがちだが、仮名は物事の認識や価値観、感覚に関しては案外人並みなのだろう。面倒くさいことは普通に面倒くさがる。戦い方や行動も、変なだけで無駄を好んでいるわけではなく、堅実と言えば堅実だ。
無意味なことほどやる気が上がるアプリコットと違って。
「――まず言っておく。私に訊くな」
「……は?」
今にも【0】の説明をしてくれるというタイミングで、まったく意図の読めない台詞を叩きつけてきた。
「――私を役者と一緒にするな。お前は表で、私は裏。裏で何が起きていようと、表舞台は整然としているべき。だから訊くな。私は何も答えない。つまり、これが最後」
「いや、さっきからお前が何を言ってるのかがところどころわからないんだが……」
「――わからなくてもいい。とにかく私に訊くな。注意事項はそれだけ」
言動だけで十分わけのわからない奴認定することはできそうだ。
仮名は跳ねるように歩くアプリコットに物憂げな視線を送ると、フッと静かに短く息を吐いた。
そして一拍無言になると再び視線をやや俺の方に傾けて、
「――簡潔に言えば、スピアリアはインフェリアよりも遥かに優れている。これは紛れもない紛うことなき事実で、ある意味での大前提」
簡潔と言った割にまったく具体的な内容に触れていない説明を口にした。
「いや、向こうは無効化したスキルを奪い取るスキル。こっちが無効化したスキルを消すってだけじゃ、どっちが強いかなんて火を見るより明らかだろ」
「――それ自体が否。シイナはスピアリア・ゼロの効果認識を間違えている」
何故か呆れ半分怒り半分の声色でそう言った仮名は、可視化したメニューウィンドウを開いて何かを探し始めるような挙動を見せる。
「――そうだった。前からそれを指摘しようとして幾星霜」
「いつからだよ」
「――シイナが私と出会ったあの日から」
「えらく最近だな……」
そんな遣り取りを交わしながら作業が終わるのを待っていると、どうやらスキルメニューで一覧を確認していたらしい仮名が、何かを指折り数え始めた。
それとほぼ同じタイミングで俺たち三人は森を抜け、大きく視界の開けた丘陵地帯に足を踏み入れた。遠くにはフィールドの内外をしっかりと線引きして分ける、巨大な岩壁が見えている。
「――シイナ、スピアリアで最初に無効化したユニークスキルは?」
森の中では感じなかったやや強い日の光を鬱陶しく思ったのかフードをさらに引き下げながら、仮名は唐突にそんなことを訊いてきた。
「えっと……“非発”【思考抱欺】だな」
『異形の邪神界域』でアンダーヒルにも同じことを訊かれたのを思い出しつつそう答えると、仮名は一度数えるのを止めて「――ああ、ミキリの」と呟く。
コイツ、あの幼い魔眼遣い――ミキリのことも知ってるのか。アプリコットとは別の意味で底の割れない奴だな。まるで常時煙に巻かれているみたいな感覚だ。
「――じゃあ、今までに取得した中で取得条件のわからないスキルは?」
「……【0】?」
「――それは問題ない。それ以外」
「えーっと……」
そこで俺は仮名の問いの意図に気付いた。いや、正しくは気付かされたと言うべきか、気付いていることに気付かされたという言い方でもアリかもしれない。
少し考えれば、少し掘り下げて調べればすぐにわかっていただろう。あるいは何処かで気付いていたのかもしれない。
偶然とは思えない不自然な――出来過ぎな一致に。
「最初に無効化したのも取得条件がわからないのも、どちらも【思考抱欺】だ……」
驚きのあまり“非発”の符丁を打ち忘れたせいで、スキルが空撃ちされ、右目の前に火花に似たエフェクトがバチバチと飛び散る。
「……っとと、危ね」
安易な発想の発動エフェクトに呆れながらも咄嗟に右目を押さえる。
「――つまりそういうこと」
俺の声色から何か察したらしい仮名が、人を見透かしたように呟く。
「――無効化したスキルを奪えるのは、何もインフェリアだけじゃない。少し変わっているけど、少し外れているけど、スピアリアも同じ効果を持っている」
「いや、まったく同じ効果を持つスキルなんて有り得ないだろう」
同じ効果と言えば、相手に強制怯みモーションを取らせる二つのスキル【衝波咆号】と【強者の威圧】。これらも非常に近い効果を持つが、モンスター・プレイヤー限定の違いを差し置いても無条件かレベル制限付きかの大きな差がある。
ただ【免解遮絶】と【音響塞停】の例のように、主観的には似た結果を生み出すスキルでも仕組みが違うこともよくある。そのため何とも言えないが、さすがにスキルを無効化するスキルなんてのは結果が直接的過ぎて、別の仕組みは考えにくい。
「――もう気付いているはず、故に愚問。インフェリアと違って、スピアリアには無効化から発現までに開きがある。具体的に言えば、無効化したユニークスキル数で十個分のカウントラグが」
仮名の言っていることが正しいとすると、つまり今までに【0】で無効化したユニークスキルが十一個あり、その十一個目のユニークスキルを無効化した時に最初に無効化した【思考抱欺】が発現した、ということになる。
そんな順番覚えてられるかっ!
しかし、確かにそれならいつのまにか取得していた理由も取得条件無視の理由も一応は説明がついている。
仮名に騙されている可能性も考えたが、普段はよくわからない理由で睨み合うアプリコットと何やら通じているところを見ると、どうもこの件に関しては二人とも扱いが違うらしい。嘘は吐いていないと暫定的に判断しても大丈夫だろう。
大体隠す理由も想像がつかないし、【0】の持ち主が俺である以上、騙してもいずれバレることだ。
寧ろ気になるのは、何故仮名とアプリコットが【0】のついてここまで知っているのか、というところだろう。
「――百聞は一見に如かず。アプリコット、適当なユニークスキル」
仮名がそう言うと、鼻歌混じりに前を歩いていたアプリコットは「えーっ」と露骨に嫌そうな顔で振り向いた。
「いやいや、おかしいでしょう。そこで何でボクなんですか」
「――お前のことだから、腐らせてるスキルならいくらでもあるかと思い込んだ」
仮名が何の躊躇もなくそう言ってのけると、
「いやいや、おい。いつまでも思い込みで誤魔化せると思わないでくださいよ」
「――早く適当なスキル出せ、殺るぞ」
「あは、無茶の音が聞こえる♪」
笑顔で挑発を返したアプリコットを、仮名はカミソリのように鋭くなった目で睨み付ける。
コイツら、メンドクセー。
「二人ともやめろって。俺とアプリコットはホントならフィールドに出てること自体がおかしいんだから、あんまり目立つようなことはしないでくれ」
「――「シイナがそう言うなら」」
「何なの、お前ら。俺に懐いてんの?」
言うことを素直に聞きすぎて寧ろ怖いレベルなんだけど。
「良かったじゃないですか。変人とは言え、女の子二人に好かれるなんてリアル充実してて結構結構~♪」
「おい、ここ非リア非リア。しかも変人って時点でシャットアウトしたいぐらいの感覚なんだけど、特にお前な」
「ちょ、シイナん、エンディング直前でツンデレなしの弾き宣言なんてさすがにあんまりじゃないですか!?」
俺がそう言った途端、相変わらずのゲーム感覚全開で騒ぎ出すアプリコットに対して、仮名は不敵な笑みと共にやや隠すようにしながら拳を握った。
「――勝った」
「さりげなく私勝ち組みたいな空気出すのやめてくれませんかね、不二咲杏奈ちゃん」
「――本名で呼ぶな、アプリコット=リュシケー。捌くぞ」
再び今にも交戦に入りかねない雰囲気を醸し出す二人の間に入って、物理的に二人を押し留める。
「ってか変人ってだけでカナだって弾かれてるんですからね!」
「私が変人なわけないじゃない。少しは考えてから物を言いなさいな」
いきなりキャラ変わったぞ、コイツ。
「ああもう……。二人とも頼むから話を戻してくれ、頼むから」
思わず『頼むから』を二回使ってしまったことを悔やみつつ、二人の肩を押すようにして引き離すと、仮名とアプリコットは一瞥目を見合わせて、各々こくりと頷いた。
「仕方ないですね、まったく。それじゃ、【部分衆合】」
やれやれとばかりに頭を振ったアプリコットは一歩二歩と歩いた後に振り返り、何の用意もできないぐらい間髪容れずに初耳のスキルを発動する。そしてその足元がパッと光ったかと思うと、次の瞬間、目の前の何もなかった空間にイネルティアの姿が出現した。
「……やっほー、ネル」
「あら? アプリコット、どうしてこ……こ…………に?」
アプリコットの何処か気まずそうな声に首を傾げつつ俺と仮名の方に振り返ったイネルティアは、まるで見返り美人図のような姿勢でピタリと全ての動きを止めた――。
「……へ?」
――否、凍りついた。
どうやらギルドハウス内でシャワーでも浴びていたらしいイネルティアは、全身びしょ濡れだったのだ。
システム仕様のおかげで即座にインナー姿に補整されたものの、身体表面に残っていた水滴で薄い布は透けてしまい、おそらく前にいるアプリコットの視界にはあられもない姿が映っていることだろう。
「……ッ!」
瞬く間に状況を理解したらしいイネルティアは悲鳴すら咄嗟に堪え、涙目になりつつも流れるような動作でその手に巨鎚【荒廃の残響】を出現させ、横薙ぎの一撃でアプリコットを殴り飛ばした。
「ちょっ、ネル、ちょっタンマ、待った待ったー……!」
狂気の宿った目でアプリコットを追い、イネルティアはさらに追撃を加えようとする。しかしアプリコットは最初の一撃以外は紙一重で躱していく。
イネルティアは知らないとは言え、俺は身体は女でも中身は男。さすがに見続けているわけにもいかないとごく自然に仮名の方に向き直っておく。
「――【部分衆合】はパーティメンバーを召喚するスキルでこれ以上の効果はない」
「だろうな」
わざとらし過ぎる選択ミスだった。あれだけでは足元が光った瞬間しか【0】を使うタイミングがなく、それを逃してしまうと何もできない。
「あれ、どうする?」
「――勿論放っておく。今から私が使うユニークスキルを無効化して」
仮名はアプリコットとイネルティアが交戦(?)している横をさっさとすり抜け、当初の目的地――出入りの洞窟に向かって再び歩き始める。そして俺がイネルティアを視界から外しつつその後を追って隣に並ぶと、
「【潜入観】」
ジジ……。
ノイズのような音を立てながら仮名の姿が色彩を失い始めたかと思うと、数秒後には完全に消失していた。
「あー……えっと、【0】」
アンダーヒルの【付隠透】を思わせるスキルに一瞬躊躇いつつもそれを無効化すると、パッと仮名の姿が再び現れた。
「――【0】で二つ目に無効化したユニークスキルは?」
かと思うと俺の方を振り返り、またもいきなり答えに困る問いを投げ掛けてくる。
「時系列的にはミキリと戦った時だから……あぁ、【幻痛覚謝肉祭】か【武装介助】のどちらかだな」
俺が何とか記憶を辿ってアンダーヒルの言動を思い出しながらそう返すと――――キュィィ!
突然右目に違和感を覚え、その途端にまるでスタンガンでも受けたかのように仮名の身体がびくっと震えた。
「――痛い」
仮名の身体がぐらりと傾く。
まさか――――いや、これは間違いなくミキリの使っていた【幻痛覚謝肉祭】の効果だ。
「スキル全解除」
慌てて全てのスキルを解除すると、幻の痛みが無事消えたのか、仮名は短く息を吐いた。
「――と斯くの如く、ユニークスキルを奪うと十個前のユニークスキルが使えるようになる」
使えた、ということはやはり今、仮名が持っていたあの光学迷彩のようなユニークスキルを無効化し、それを奪った。だから二番目に無効化していた【幻痛覚謝肉祭】が使えるようになった、ということだ。
嬉しいは嬉しいけど、かなり使い難そうなのが難点だな。傍目どころか目の前で見なきゃいけないわけだし。
同時に無効化している場合の順番判定がかなり曖昧だが、一番目に【思考抱欺】、二番目には【幻痛覚謝肉祭】、三番目には【武装介助】。
そしてミキリとの遣り取りで四番目が【天涯蠱毒】、五番目が【仮名縛り】。【受呪繋ぎ】は無効にできていないだろうからノーカウントだ。手に入れたとしても死ぬスキルなんか要らない。
六番目は少し朧気だがグスタフの使った【天地開闘】でいいのだろうか。
次に七から十番目が同時無効の【五分誤武】【精霊召喚式】【阻塞する諸悪の尊厳】【地獄目繰り】、十一番目が今無効にした【潜入観】だろう。
あれ? 数が合わない。
二つのスキルが発現しているなら、今の無効化総数は十二。今数えた分が十一だから、忘れているスキルがひとつあるのだ。
主に火狩戦でユニークスキルは連発されたから、ひとつくらい漏れがあってもおかしくはないか。
何れにせよ、仕組みがわかれば使いこなせるようになるのも時間の問題。普通ならユニークスキルなんてあまり使われることはないが、少数精鋭の≪道化の王冠≫や人海戦術の≪強襲する恐怖≫のことを考えればこれからも可能性はある。
【精霊召喚式】については刹那の反応が怖いが、ユニークスキルを無効化し、消して、奪う――――えげつなさは相当のものだ。
十個遅れの制約はあるが、それも――
「……っておい、結局【0】の方が下位なんじゃねーか、それじゃ」
「――そう、だからスピアリアにはもう一つの効果がある。シイナはこれに気付いていない、だから攻略も中々進まない」
俺のせいなのか。
「――所持スキルを適宜確認しないからこうなる」
「スキルが取得出来なくなってから、見るのやめたんだよ。なんか悲しくなるから」
「――別に書いてはいないけど」
「結局書いてないのかよッ」
俺の反応の何処かしらが面白いのか、仮名のフードの下で猫耳のある辺りがぴくんと揺れ、笑いを堪えるように身体も小刻みに震え始める。
「お前ね……。まあ、いいや。それでもうひとつの効果って何なんだよ」
「――簡単。火狩も言っていたはず、“私様の【零】は一方通行”って。対して、スピアリア・0には奪ったユニークスキルを他者に与える効果がある」
「与える……って?」
理解が追い付かなかったわけではない。どちらかと言えば確認のために、俺は思わず聞き返していた。
「――文字通り、譲与すること。これ以上分かりやすくしろと言うのも無理な相談だけど、つまりは【思考抱欺】や【幻痛覚謝肉祭】をお前の伴侶に与えることもできる」
「いや、もうチートどころの話じゃないよな、それ。ゲームバランス何処行った」
強い、と言うより余りにも強過ぎる。強力なスキルであることを喜ぶ以前にゲームバランスをまったく省みない効果に戸惑いを隠せないぐらいの感覚だ。
「――元々はプレイヤーの手に渡るはずのないスキルだから無理もない。本当なら存在自体知り得ないもの」
「じゃあお前は何で知ってるんだよ……」
「――スピアリアは元々私のだから」
「え゛……ちょっと待て、それどういう――」
「――私に訊くな。譲与の符丁は“能力譲渡”。これ以上の説明はない」
早口でそれだけ言い切った仮名は口を噤むと、やや歩く速度を速めて前に出る。
「最後にひとつ訊いてもいいか、仮名」
「――何を」
仮名は振り返ることもなく、短く切るようにそう返してきた。
「いや、何でこのタイミングで教えてくれたのかと思って……」
よく考えてみると、タイミングも話の入り方にも若干の違和感を覚える。
確かに俺と仮名はまだあまり話す方ではないし、アプリコットが忘れていたのを今知ったと言うなら納得できなくはないのだが、直感的に、アプリコットの悪癖“無意味な演出家”の出演者にさせられた時のような感覚を覚えたのだ。
「――気をつけろ」
仮名は、半身振り返ってそう言った。
「は……気を?」
「――気をつけろ。ドラマツルギーに気をつけろ」
思わず心臓が跳ねた。
「……ッお前ドラマツルギーが何か知ってるのか!?」
「――儚を何とかしたいなら、[スペルビア]に気をつけろ。そして物語を、物語性を全てぶち壊せ。いつまで奴らの掌の上で踊るつもりだ」
仮名は語気を強めてそう言った。フードの下では鋭く歪められた目が危うい光を放ち、胸元まで上げられた彼女の手がまるで凶器のように思えてくる。
「……お前、何を知ってるんだ……?」
緊張感で一気に水気の引いた喉から何とかそれだけ絞り出すと、仮名はフードを引き下げて再び歩き出す。
「――私から言うことはもうない」
その台詞を最後に押し黙った仮名は、出入りの洞窟が近くに見えるまで振り返ることも口を聞くこともなかった。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り五十三時間二十八分。




