(35)『今回だけだよ?』
クラエスの森南西部――。
Tからの情報提供を受けて、情報屋“千羽鴉”として実地調査を行っていたシャノンは、夜営をした広場から少し離れた場所に残っていた戦闘直後の跡地を検分していた。
「わかる戦痕跡は二人……三人かな? でも、モンスターっぽい足跡も残ってるし……」
周囲の木や地面に残った武器の痕跡や足跡の種類から戦闘の規模を推測したシャノンは、足元の黒焦げた地面や炭化した下草の残骸を見下ろし、ため息を吐く。
「高火力の火属性攻撃……。これは爆発とかじゃなくて直接火炎かな?」
シャノンは頭の中で、この巡り合せの一悶着順争の参加者――――三十分の遅刻の成果である三十七組七十四名のリストを思い浮かべ、その系統の攻撃方式を多く用いるプレイヤーをピックアップする。
情報家ほど無差別に多彩な情報を集めるわけではなく、シャノンは用途に限らず自分にとって有用な情報を集める情報屋。情報量こそ圧倒的に劣るものの、陰謀や策略等――情報戦という意味では主義として嘘を吐かないアンダーヒルより余程騙し合いに向いていた。
「可能性まで考慮すると、やっぱりテラくんの言ってた通りアプリコットかな……」
脳裏に浮かぶのはアプリコットの愛用する弾性投石弩【不死ノ火喰鳥・火焔篝】に付加された、炎属性の大火力攻撃スキル【喰い滅びて惨禍あり】だ。
どちらかと言えば、知っていると言うよりは恐怖と共に記憶に刻まれていると言う方が正しいのだが、アプリコットもシャノンもその程度のことは気にしていない。
「あの子が一緒にいる時点で決まりみたいなものだけど」
足元に散らばる無数の銀の鏃――中ほどや先端付近で折れた『ヴァーチャー・アーチャーの矢』に視線を落として、呟く。
(カナ……相変わらず勿体ない使い方するなぁ)
シャノンは、仮名がその矢を短剣のように使っていたことを知っている。“使う”ではなく“使っていた”と言わざるを得ないのは、彼女の固定戦闘スタイルと言うには余りにも頻度が少なすぎるからなのだが、何れにせよ特有の戦闘スタイルを持たない仮名からすれば、数多ある使ったことのある戦い方のひとつでしかない。
(もう予想すらしてなかったけど……あの子が参加してるなら、やっぱりこの巡り合せの一悶着順争。甘く見てると取って食われるかも……)
シャノンは目を閉じ、木の幹に背を預けながら黙考する。
仮名が所属しているのは補佐専ギルド≪クレイモア≫。その前に所属していたのは、あのアプリコットが率いるギルド≪シャルフ・フリューゲル≫。
しかし、どちらも参加者ではなく運営側に分類されるギルドで、仮名が三十七組七十四名の参加者の一人であることは考えにくい。それより土壇場で追加されたらしい“腕章持ち”十人の中にいた、と考えるのが最も自然で妥当だった。
勿論、彼女の奇妙な価値観に基づくパターンのない行動や性格を考えれば断言はできない。しかし、仮名本人でないシャノンには、持ちうる情報から推理する他ないのだった。
「カナが来てるならいい情報獲れるかもと思って来てみたけど、これは無駄足だったかな……」
仮名を含めた複数名の足跡は残ってはいたものの、シャノンからすれば巧妙に仕掛けられた罠のように何処かあざとさを感じさせる痕跡だった。どっちから来てどっちへ向かったのか、という肝心な足取りの手掛かりは掴めていない割に偽装されたような怪しげな手掛かりはこれ見よがしに残っている。
わかるのは、少なくとも足跡を残している三人のプレイヤーが全員女である可能性が高いことぐらいだろう。これは足の大きさと重心から推測できる。
シャノンは残っている手掛かりの捜索を諦めて徐に耳の後ろに手を添えると、聴覚に意識を集中する。穏やかな空気の流れが草木の表面の細かな凹凸に吹き込む笛のような音。そよいだ草木同士が擦れあう音。樹上の対空砲花が定期的に向きを変える時に鳴る、小枝を折るような特徴的な音。自身の服の衣擦れの音。心臓の脈動の音。呼吸の音。常人よりも遥かに優れた、聞こえると言うには余りに微かな音すら感じ取る聴覚を持つシャノンは、視覚的に捉えきれない広い範囲の人の存在――気配を鋭敏に察知する。
その性質上、息を潜める程度ではその探知からは逃れられない。
これ自体は本来シャノンの現実に於ける能力の一つなのだが、耳がいいというのは鼓膜や耳の中の構造だけでなく、微かな音も認識できるような情報処理を行える脳に依るところが大きい。つまり、VRアバターの耳の構造が現実とわずかに異なっていたとしても、刺激の電気信号を演算処理する頭脳が同じであるため、それらの才覚は仮想現実に於いても発揮される、ということだ。
シャノンは目を閉じたまま耳を澄ませて周囲の人の気配を探るが、目立った音は拾うことができず、シャノンは周囲には誰もいないと結論付ける。
「さて、どうしようかな……」
シャノンは何となく頭上に視線を泳がせると、ふわりと重力を無視したような軌道で跳び上がり、樹上の葉陰に姿を消した。
クラエスの森南西部――。
「ん……?」
森の中を歩いていた俺は、唐突に誰かの気配を感じて振り返る。しかしそこには誰の姿もなく、一応前を歩く同行者二人の悪戯の線も考えて視線を戻すが、二人とも俺の様子には気付いていないように先を急いでいる。
まったく気付く様子もなく。
「ん? どうかしたんですか、シイナ?」
俺が思わず嘆息しかけた時、前を歩いていた二人の内の一人――――アプリコットが立ち止まって振り返った。それに咄嗟に反応したもう一人の同行者――――仮名も振り返り、無言で俺の方に何か言いたげな視線を向けてくる。
「いや、多分何でもない」
俺がもう一度後ろを確認しつつ二人にそう返すと、アプリコットは「そうですか?」と不思議そうな表情を浮かべ、仮名はつまらなそうな薄い表情のままに首を傾げた。
約二十五分前――。
アプリコットの相変わらずも無茶苦茶な言葉遊びに半ば嵌められる形で≪シャルフ・フリューゲル≫のギルドハウスを出た時、偶然(かどうか俄には信じられないが)通り掛かったらしい仮名もついてきたのだ。アプリコットは露骨に避けようとしていたのだが、あの仮名がそのくらいで躊躇うはずもなく、寧ろ嬉々としていたぐらいだ。
斯くして俺は扱いに困る変人二人に挟まれ、アンダーヒルからアプリコットの監視を引き受けたことを現在進行形で後悔しながら今に至る。
ヘルプ・ミー。
「こういう時の『何でもない』ってぶっちゃけ説得力皆無ですよね」
「――シイナが何でもないって言ってるんだから信じてやればいいのに。これだから天邪鬼は」
またも人の台詞を根本からダメにしてしまうことを言い始めたアプリコットに対し、仮名が、フォローのための毒舌なのか、毒を吐きたいためのフォローなのかよくわからない言葉を返す。
「うわ、天邪鬼とかカナにだけは言われたくねえ単語ですね」
「――逆。同類だから言える。天邪鬼でもない他人に、天邪鬼を語る資格があるとは思わない。況してやそんな部外者に決めつけられるなんて以ての他。天邪鬼は自称するべきと提唱する」
「確かに、一理ありますね……」
神妙な顔で『不覚』とばかりに頷くアプリコットに仮名はこくりと当たり前のように頷き返し、互いに目を見合わせたかと思うと突然同時に舌打ちをして目を逸らした。
コイツらの話には割と本気でついていけない――――と今更ながらに現実を悟った俺は、内心でツッコミ放棄処置を検討し始める。
一理どころか無理しかないぞ。
「まぁ、取り敢えず先を急ぎましょうか。どうせアンダーヒルに怒られるのボクになるでしょうし、それならできるだけ早く戻った方が言い訳も通りやすいでしょうし」
あまり変わらないと思います。
アプリコットと仮名が再び歩きだし、俺もその後ろをついていく。一応アンダーヒルから送られてきたメッセージには現状を書いておいたが、同時に『余計なことは要らないから待機』というGLとしての要請もしておいたから、いざという時は自分で対処しなければならない。
主に他二人の制止役として。
「荷が勝ち過ぎて重い……」
「まあまあ、重圧なんて感じなければいいんですから」
プレッシャーを任意で感じないことができるわけないだろ。
「――重圧なんて大元の原因を潰してしまえば関係ない」
「じゃあ、お前らを潰してもいいか?」
「「やれるもんなら」」
「冗談だよ……」
掛け値なしの第二位であるアプリコットと戦い方から性格までトリックスターな仮名を同時に相手にするなんて、本気で死ぬ。精神的にも肉体的にも廃人と化す。
「何思ってんのかわかんないですけど、今のシイナに本気出されたら、ぶっちゃけボクなんか簡単に負けてしまうと思いますよ?」
「いやいや、んなわけないだろ。俺より魔犬の群隊の方が強いくらいだぞ」
「――それはない。【0】が使えるお前に勝てるプレイヤーはそうそういない」
思いがけず仮名の方から反論が返ってきた。しかし、反論と言うよりは断固たる否定、まるで全てを見通しているかのような言い分だった。
そう言えば、コイツ。何でか知らないけど【0】のこと知ってるんだったな。大方アプリコット辺りが教えたんだろうが。
「あんなの、スキルを無効化するだけだろ。火狩の持ってた【零】の方が汎用性高過ぎるぐらいだぞ」
思わずそう言い返すと、何故か仮名はきょとんとした表情で「あれ?」と首を傾げた。そして、唐突にさっと目を逸らしたアプリコットを一瞥睨みつけた。
「やだな、そんな怖い顔しないで下さいよ。ちょっと言い忘れてただけです、いやホント。ぶっちゃけタイミングを計ってたってのも、謀ってたってのもありますけどね」
「――【0】は、火狩の【零】より優秀」
「ちょっと待て」
歩く速さよりも遥かに飛躍した速度で思っても見ない方向にずれ込んだ二人の話を聞き逃せなくなり、俺は思わずアプリコットと仮名の間に物理的にも会話の上でも割って入る。
「シイナん、両手に花狙いですか?」
「何故そうなる」
「――シイナは大胆だからね」
「お前が俺の何を知ってる!? ってそうじゃない! そんなこと、どうでもいいだろ!」
二人共にはぐらかされて話が進みそうになかったため、俺はとにかく強引に話を元に戻す。
「さっきから何の話をしてるんだよ。俺の【0】が火狩の【零】より優秀ってどういうことだ? 火狩は漢字の方の【零】の方が上位互換だって言ってたぞ」
「――それは違う。火狩の持っている方の【零】は、今シイナが持っている【0】の試作品。格位は算用数字の【0】の方が高い。アプリコット、私からでは意味がないから、説明責任は果たせと何度言った?」
「いやいや何言ってるんですか、カナはまったくもー。一度しか言ってませんよね。いや、割と本気で」
「――そうだったかも……?」
「適当過ぎるのはどっちですか」
「話を戻せよ……」
それに一回言えば普通十分だろ。
暴走気味の変人二人に挟まれてこめかみの辺りに疼いてきた頭痛を、手を当てて堪えながら呟くと、
「ほらほら、カナ。シイナんが説明を要求してますよ?」
無理矢理話を振ってあわよくばサボろうとするアプリコットに、仮名はジトっとした目を向ける。仮名とアプリコットはよく似ていると思っていたが、さすがの仮名でもアプリコットの被害をまったく受けないというわけではないらしい。
被っていたフードをすっと目深に引き下げた仮名は、静かにフッとため息を吐き、
「――仕方ないなぁ。今回だけだよ? シイナくん」
何処かで聞いたような台詞を、口にした。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
«ロードウォーカー»
«黄金羊»
――タイムリミットまで残り五十四時間十八分。




