(33)『エントランスホール』
クラエスの森、南端――――出入りの洞窟。
早朝のまだ日も出ていない頃。
見張りとしてその脇に立っていた騎士甲冑の男――SPA所属の[ガリル]は微かな物音に気付いて振り返った。そして、怪訝そうにしつつも、洞窟の中を覗き込む。
「どうした、ガリル?」
二日目早朝の見張りを任された二人組のもう一人――背中に大きな車剣を担いだ軽装の男[チェスター]が仲間の分の前方警戒をフォローしつつそう訊ねると、ガリルは腰の魔剣の柄に手を添える。
「いや、物音がしたような気が……。お前は何か聞かなかったか?」
「いや、俺は別に。気のせいっしょ? 大体こっちからならともかく、向こうだって夜も見張りが立ってるんだし、何かあったら連絡回ってくるっしょ」
「ふむ……」
チェスターの言葉にやや釈然としない様子のガリルだが、洞窟の中を夜間照明――つまりは懐中電灯で照らしてみても何も見えないのを見て、元の配置に戻る。
「またカーズの姐さんとか」
「呼び方古っ。っていうか、そんなこと言ってるとまた怒られるぞ……拳で」
「物理制裁キタ」
やや上ずった声でそう言いながらも、チェスターが茶化すような含み笑いを漏らした瞬間――――ざっ……。
「「……っ!?」」
背後の洞窟から地面を擦るような音が聞こえてきて、二人は同時に振り返った。
「今の聞こえたか?」
「ああ、何かヤバい気がすんね」
額に冷や汗を滲ませつつ、そんな遣り取りを交わしたガリルとチェスターは、無言でアイコンタクトを取ると各々の武器を抜いて構えた。
「気ぃ付けてな」
車剣【擲刀・鐵鉄】を手に携えたチェスターに見送られ、ガリルはゆっくりと洞窟の中に入っていく。その右手には魔剣【緋色ノ残痕剣】を提げている。
ガリルは左手に持った夜間照明で常に前を照らしながら歩く。
通路幅も約二メートルと狭く、分岐する横道もない真っ直ぐな一本道だ。喩え誰かがいたとしても、フィールドの外に出る以外に逃げる方法はない。
ただ、いる。
かなり曖昧だが、ガリルは意図的に潜められた息遣いのような音を――つまり人の気配を感じ取っていた。
剣を握る右手に自然と力が入る。
「そこにいるのは誰だっ」
ガリルは暗闇に向かって声をかける。
しかし、返事はない。暗がりが恐怖心を増長させ、猜疑心を煽り立てるせいか、ガリルはぎりっと歯を軋らせた。
その時だった。
コトと静かな音がして、ぼんやりと照らされた洞窟の中に人影が映し出された。
ガリルは咄嗟に剣を向け、同時にその人影の顔に向けて夜間照明の光を向けた――――途端、ガリルはハッとして息を呑んだ。
「お前は……」
ガリルの反応をどう思ったか、その人影は口元ににやりと笑みを浮かべた。
早朝――。
目を覚ました俺は、少し残ってしまっているだるさを押して身体を起こす。
ここは≪シャルフ・フリューゲル≫ギルドハウス一階の仮設仮眠室だ。二十畳ほどの広めの部屋の中に幾つものベッドが向きもバラバラに乱設されている辺りは明らかにアプリコットの仕業と分かる内装だが、それ以外は至って普通。室温も適当で、快適な空間になっている。
時間を見ると、予定していた起床時刻よりやや早い。実質的な睡眠時間は五時間程度だから、このだるさはそのせいだろう。
「ふぁ……」
思わず欠伸をひとつして、周りのベッドを確認する。
部屋の中にいるのは、隣のベッドでお行儀よく布団にくるまっているアンダーヒル、真ん中付近にあるベッドに倒れ込むように寝ているアルト、そのひとつ斜め奥のベッドではイネルティアが膝を立てて寝ている。アルトとイネルティアのベッドの間の床にうつ伏せで倒れてるドナ姉さんらしき人の足は気にしないでおこう。
俺は隣で寝ているアンダーヒルを起こさないように静かにベッドから降りると、足音を殺して立ち上がる。
アンダーヒルのことだから時間きっかりには勝手に起き出して来るだろうし、もう少し寝かせておいてやろう――――などと思いつつ、何の気なしにその寝顔に目を遣ると、その表情に何処か気を張っているような印象を覚えた。
寝てる時くらいリラックスしましょうよ、アンダーヒルさん。
事務的な作業に関しては人間離れして器用な反面、他の人が当たり前のようにできることに対しては今のように不器用だったり、なんてことが彼女には多い。
だからこそ他の人より頼りになる反面、心配になることも多いのだが。
取り敢えず少しでも干渉したらすぐに目を覚ましそうなので、そっとベッドの横を通り抜けて、部屋の扉に向かう。
そして、そのレバー式のドアノブに手をかけた時だった。
「シイナ?」
思わず肩が跳ねる。
振り返ると、薄暗がりの向こうで身を起こしたアンダーヒルが、静かにこっちに視線を向けてきていた。
「あ、悪い。起こしたか?」
「……」
一応謝ってみたのだが、返事がない。
「アンダーヒル?」
不審に思った俺は踵を返し、アンダーヒルの寝ているベッドの脇まで引き返す。しかし、アンダーヒルは特別目立った応答をするわけでもなく、首だけをくいっと曲げて、ベッドの傍に立つ俺の顔を静かに見上げてくる。
「大丈夫か……?」
以前≪アルカナクラウン≫で起こった『アナプノイ・クルヴィウスによるギルドハウス内毒ガス蔓延事件』――――通称“汎発竜匣パンデミック”(アプリコット命名)でも、平然としているように見えて中身はポンコツ、なんていう状態になったこともあるが、しかし今回はそんなことはないはずだ。
俺も同じ部屋で寝てたんだからな。
「……まさか寝惚けてるとか」
それならありうるか――――と俺がアンダーヒルの顔を覗き込もうとした時、
「……いいえ、大丈夫です」
いつも通りの口調でそう言ったアンダーヒルは、すっと俺から正面に視線を戻す。
元々表情の変化が薄いせいもあってか、暗くてどんな顔をしているのかよくわからない。かといって他の人が寝ている中、明かりをつけるのも憚られた。
「まだ少し時間早いし寝ててもいいぞ?」
「問題ありません」
アンダーヒルはもぞもぞと布団から這い出すと、ベッドの端に腰掛けた。そして、何故かまた俺の方に顔を向けて、無言でじっと見つめてくる。
「……な、何でしょう……?」
「いえ、大したことではありません」
何かはあるらしい。
「起きれるか?」
俺がそう訊ねると、アンダーヒルはトントンと足の調子を確かめるように爪先で床を叩くと、無言でこくりと頷いた。
俺がその場所から退くと、アンダーヒルは布団をベッドの上に戻しつつ、ゆっくりと立ち上がる。
格好はいつも通りの古びた黒ローブ【物陰の人影】だ。
アンダーヒルは手早く自分のベッドメイキングを済ませると、徐に振り返り、隣の俺が寝ていたベッドまでも整え始めた。
「あ、そっちは俺が――」
「構いませんよ」
その一言で何故か手を出す気が起きなくなった俺は、黙ってアンダーヒルの無駄のない所作を眺め続ける。
うまいもんだな。
これまでベッドメイキングなんてほとんどやったこともないから比べようがないのだが、取り敢えずうちの妹よりはうまい――――などと同い年の椎乃と比べている間に終わってしまった。
「行きましょう」
「あ、ああ」
さっそく主導権を取られた俺がアンダーヒルの後ろについていくように部屋を出ると、偶然(あるいは故意かもしれないが)ちょうどそこにアプリコットが歩いてきた。
朝っぱらから不運だ。
「げッ、アンダーヒル」
「第一声からそれですか、アプリコット」
遭遇から二秒で火花散ってるんだけど、ナニこの子たち。
「アプリコットには私が仮眠を取っている間の全モニター監視を任せておきました」
状況の掴めていない俺への配慮か、アンダーヒルが小声でそう補足してくる。
「モニターの管理の方なら大丈夫ですよ。今は殆どのチームが休んでますから、実質的に監視が必要なのは少ないですし。ぶっちゃけ動いてるのは≪弱巣窟≫≪螺旋風≫≪GhostKnights≫≪レティクル・スカーレット≫≪罠々々民≫だけですからね。ガウェインとミルフィだけでも十分なんですよ」
「それとあなたがその場を離れることとは関係がありませんが」
「シイナん、よくこんな融通利かない娘と付き合えますね……」
「トラブルを持ち込まないからな。俺の目の前にいる誰かさんと違って」
「ピコーン。アプリコットのシイナに対する好感度が上がりました♪」
何で今ので上がるんだよ、好感度。普通下がるだろ、わかりやすくジト目付きで引き合いに出して皮肉ったんだし。
「んでシイナん、アンダーヒルと一緒に出てきたってことは夜這い成功ですか?」
「試みたことがねえよ」
馬鹿なことを言い始めた馬鹿につかつかと歩み寄り、その額にツッコミ程度の手刀を叩き込む。すると何故か「デコピンッ!」と悲鳴を上げたアプリコットは額を押さえたまましゃがみこみ、本気で痛がるような演技を始める。
「いったぁ~……。何するんですか、シイナん! DV? DV!?」
「誰がいつお前と結婚したよ」
再び手刀を叩き込む。
「二回! 二回もやりましたね!? PTSDにでもなったらどうしてくれるんですか!」
「お前がそんな可愛い性格か」
三度手刀を叩き込む。
「あ、今さらっと馬鹿にしましたね。こう見えてボク尽くすタイプなんですよ? アンダーヒルみたいに♪」
ゴッ!
「……【黒朱鷺】はないと思いませんか、アンダーヒル。痛いです」
「それならば、せめて痛がる素振りを見せてください。溜飲が下がります」
徐に上げられた手に対人狙撃銃【正式採用弍型・黒朱鷺】が現れ、肘を軸にして重力に従うまま振り下ろしたアンダーヒルは、やや不機嫌そうに眉を歪めてそう言った。
遭遇から五分と経たずについに武器が抜かれたぞ、ナニこの子たち。いや、今の場合は確かに最初に手を出したの俺だけどさ。
アンダーヒルがローブの中に黒朱鷺を納めると(相変わらずどうやって仕舞っているのかは教えてくれないが)、アプリコットは赤く痣になっている額をさすりながら、こっちもこっちでやや不機嫌そうに唇を尖らせる。
「んで、シイナが夜這いかけたんじゃないってことはわかりましたけど、じゃあアンダーヒルがかけたってことですか?」
「何でお前それに拘んの!? そもそもアンダーヒルには理由がないだろうが、お前じゃあるまいし」
さすがに異性の前で“夜這い”という言葉を、アプリコットほど躊躇いなく使えなかった俺が言葉を濁しつつもそう言うと、アプリコットは「へ?」と間の抜けた声を上げて、きょとんとした表情を浮かべた。
「あれ? シイナん、ボクがたまに夜這い……いや、まあ今んトコ未遂で収まるように当然配慮はしてますけど、突かける理由知ってたんですか?」
何でそこ心底意外そうなんだ。
「さすがにそれわからないほど馬鹿じゃねえよ。俺の反応見て楽しむためだろ」
「シイナん、マジパねぇ。驚嘆よりも先に臥薪嘗胆って感覚の方が出てきます」
「そこに何の関連性が!?」
「いや、それも大まかな理由のひとつなのでいいですよ、ボクはそれで。いや、それにしても肝心なとこわかってねー辺り、シイナん、マジシイナん♪」
白い歯を見せて「くっくっく♪」と愉快そうに笑うアプリコットは、相変わらず感情の起伏の法則性がわからない。感情の起伏の判別がわからない子なら、ちょうど今、俺の隣にいるが。
「あ、そだ。二人とも今から暇ですか?」
「三人とも暇ではありません」
さりげなくアプリコットも含めて即答したアンダーヒルに、アプリコットの笑顔がぴきりと引き攣る。
「ところでシイナん、今から暇ですか?」
直前の質問なかったことにしやがった。
「早起きした時間分は予定がないと言えばないことになるけど、お前の誘いは基本的に断るのが吉だ」
俺がそう言った途端、ガクンッと脱力するようなオーバーリアクションを取ったアプリコットだが、すぐさま体勢を立て直すと両手を頭の後ろで組んで胸を反らし、
「取りつく島もないとはこのことですね。それじゃ一人で行ってきますよ」
くるりと踵を返して、玄関の方に向かって歩き出した。
「待ってください、アプリコット」
――ところをアンダーヒルが制止した。
「何処へ行くのですか?」
アンダーヒルがやや強い口調でそう問い掛けると、アプリコットは「くふふ」と悪戯っぽい猫笑いで振り返ると、
「ちょっとそこまで。人を迎えに行くんですよ。あぁ、安心してください。参加者を誘導なんて面白くないですからね」
「具体的に言ってください。勝手を看過するわけにはいきませんので」
「エントランスホールまで行くだけですよ♪ [殺星]を呼んだんですが、どうも予定が立て込んでたらしくてですね。代役も一日遅れるらしいって聞いてたもので、二日目からの参加を許可しまして。その代役の出迎えですね」
アンダーヒルは少し黙り込んでいたが、チラッと視線を俺の方に泳がせると、
「シイナ、念のため同行をお願いします」
「……了解」
また厄介事を押し付けられただけのような気がするが、アンダーヒルにはいつも世話になっているからその恩を少しでも返すということなら仕方ないだろう。
何となく、アプリコットには俺を当てておくのが一番いい、とか認識されてそうなのが一番怖いが。
「あれ? いいんですか、アンダーヒル。シイナん貰っても」
「今だけです。用が済み次第、二人ともすぐに仕事に戻ってください」
「その時は首根っこ引っ張って戻るから先に面接室に行っててくれ。俺もすぐ行く」
そんな遣り取りを交わして、俺はアプリコットと共にエントランスホールへ向かう。
「すぐ行けるといいですねぇ」
「おい、また何か企んでるんじゃないだろうな。エントランスホール以外には行かないし、行かせもしないからな」
「大丈夫ですよ♪ ちゃんと――」
先に立って歩きながら、アプリコットは薄い笑みを浮かべて振り返る。
「――出入りの洞窟ですから♪」
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
ロードウォーカー
黄金羊
――タイムリミットまで残り五十四時間三十九分。
『エントランスホール』と言えば、基本的には
Entrance Hall(出入り口広間)
の方を指しますが、アプリコットはその発音が非常に似ているのをいいことに、
Entrance Hole(出入り口の穴)
と言っていたわけですね。




