(30)『バカリーダー』
隠し洞窟最奥、≪シャルフ・フリューゲル≫ギルドハウス前――。
「哈ッ」
明らかに五十を超える数の『ぱわふる鉄拳クン・極』の暴走域を突破した俺とイネルティアは、尚も追走しようとしてくる木人形たちを(主に巨鎚使いの神雷の腕力で)大扉ごとギルド内に押し戻す。
ちなみに突破と言っても、イネルティアが【荒廃の残響】を力任せに振るって廊下を抜けた後、階段の柵を足場に扉の手前まで跳び、木人形たちが押し寄せる前に外に出ただけなのだが。
ドンッ、ドカンッ。
どれだけ扉が殴られようが、システム上ギルドハウスの大扉は力ずくでは開けられない仕様になっている。
ギィ、ギシギシ。
衝撃で扉が反り軋もうが、一度閉めてしまえばもう大丈夫なはずだ。
ありえないとわかっていても確信できないのは、左右の扉の上から二番目の蝶番が錆びて外れかけており、一番上の蝶番は既に外れてぶら下がっているせいだろう。
扉の外装なんかはギルドリーダーがパーツごとに組み合わせるような形で決められるのだが、さっきの木人形といいアプリコットさんの趣味は謎過ぎる。
「行きましょう、シイナさん」
「シイナでいいよ?」
「はい、ではそのように」
短い遣り取りを交わした俺とイネルティアは、何故か同じタイミングで一度大扉を振り返ると、暗い洞窟の中歩き始める。
「今、何を思ったの?」
「帰りはどう入ろうかなと思いまして」
やっぱり俺と同じことを思っていたらしい。必然的と言えばそうなのだが。
「普段は裏口や窓等いくらでも方法はあるのですよ。それでも中に誰かがいてこその方法ですけど。ただ今回は……」
岩と岩の間に出来たスペースにすっぽりと嵌まったような形で建てられた臨時のギルドハウスは、アンダーヒルの言う通り裏口や窓という窓は岩壁で塞がれている。
「まぁ、帰りは任せて」
一時的なものでいいのだから、魔犬の群隊を使って制圧してしまえばいいだろう。
殲滅することも可能なのだろうが、正直面倒だ。ルールに抵触しているわけでもなし、参加者には苦労して貰おう。
なんてことを考えながらぼんやりと光を放つウィンドウを操作して『留め具式電灯』を取り出すと、ふと思いつきで『激情の雷犬』モードでレナを呼び出す。
「我ガ主ヨ。コレハイッタイ何デアルカ」
「着けにくいから動かないでね」
「ワウゥ……」
留め具のベルトを首輪のように雷犬レナの首に着け、下に吊り下げられた電灯を点灯する。
あまり強くはない光だが、それでも洞窟内が薄ぼんやりと照らされていい具合の雰囲気を醸し出す。
「レナ、苦しい?」
「ヤヤ緩イクライデアルガ、シカシ我ガ主ヨ」
「犬に首輪なんて付けたことなんてないから、加減が分かりにくいなぁ……」
留め具を一度外して一つ内側の穴で再び締め直すと、ぶらぶらと不安定に揺れていた電灯がレナの首の下にぴたっとくっついて動かなくなる。
「重かったり、熱かったりしない?」
「肉体的ニハ然シタル支障ハナイノデアルが、我ガ主ヨ。コレデハ魔犬ノ長トシテノ威厳ト誇リガ――」
「イネルティア、仮名のいる場所はわかってるのよね?」
「無視デアルカ!?」
急に叫んだかと思うとぶつぶつと何事か文句を言い始めた雷犬レナの頭をポンポンと軽く叩いて静かにさせる。途端にふさふさした毛に覆われた耳をぶるぶると震わせるが、手探りで擦ってやるとぺたんと寝てしまい大人しくなる。
「ミルフィの木の葉隠れの番蝶が案内に来ると思いますが、無くても彼女の位置は先ほど憶えてきましたから。行きましょう」
イネルティアが二本指を立てた手を進行方向に向けて振り、“走れ”とハンドサインで伝えてきた。
そしてまるで水面を進むアメンボのように時折ステップを踏み、さっさっと跳び跳ねて足音を殺しながら駆けていく。
「行くよ、レナ」
と隣をとぼとぼ歩いていた雷犬レナの頭を撫でつつそう言うと、
「乗ルガイイ、我ガ主ヨ」
頭を上げた雷犬レナは俺の方に身体を寄せながら姿勢を低くする。
そして俺がその背に跨がりつつ、前傾姿勢でぴったりくっついて重心を一体化させると、
「振リ落トサレヌヨウ気ヲ付ケヨ」
雷犬レナはガカッと地面を踏み鳴らして、駆け出し始めた。
イネルティアの姿は暗闇の中で既に見えなくなっていたが、前を進む紅雷が目印となって雷犬レナはまっすぐ追い掛ける。髪の毛を常に覆うように走っている赤いスパークの演出は霆天華という種族の特徴だ。
そして十秒足らずでイネルティアに追いつく頃には、雷犬の足音も微かに響く程度のものに減音されていた。
「そう言えば、一つ聞きたいことが」
俺たちの姿を認めたイネルティアが、チラッとこっちに視線を向けて言った。
「何?」
「いえ、その……妹がちゃんとやって、うまくやれているのかが……」
そう言われ、イネルティアの妹――スペルビアの最近の様子を思い描く。
「ね、寝てばっかりだけど……」
俺がそう答えると、イネルティアは頭痛を堪えるように右のこめかみに人差し指を当て、「あの子は……」と呟いてため息を吐いた。
かなり妹想いのようだな。とは言え、妹と一緒にこんな状況に巻き込まれてたら、仕方ない以上に無理もない。
なんてことを考えていたら、イネルティアに妙な親近感が湧いてきた。
椎乃は今、フィールドの入り口で出入り制限をしている刹那の手伝いをしているはずだが――――超会いたい。
落ち着け、俺。
「でも楽しそうには見えるかな。ネアちゃんやリコ……うちのメンバーとも仲良くやってるみたいだし――」
たまに遊んでる(?)ところも見掛けるし――――と思考が寝ていない時のスペルビアに切り替わった時、ふと思い出したことがあって言葉に詰まった。
「ねえ、イネルティア。スペルビアっていつも眠そうな目っていうか、半分しか瞼開けないよね。あれって昔からあんな感じなの?」
「いいえ、ここ二年……半ほどです。貴女はナルコレプシーという病のことは知っていますか?」
「ナルコレプシー?」
初めて聞く単語に、思わず聞き返す。
「何の兆候もなく、発作的に睡眠状態に入ってしまう原因不明の病です」
「スペルビアはその病気ってことなの?」
「いいえ、違います」
予想外過ぎる反応なのですが。
「正確には、違うらしいという程度です。ナルコレプシーは脳波検査と臨床所見で診断するそうなのですが、それらしい症状が出てはいるものの検査結果に異常は見られない、と」
ふむ、よくわからん。
無論、医者でもなければそのタマゴでもないから結局わからないのだが、要するに病気ではないけど近い症状が出ている――――ということになるのだろうか。
その時、ウィンドウに視線を落としたイネルティアがすすっとハンドサインで『左へ』と指し示してきた。
俺はそれを受けて雷犬レナの身体の左側をポンポンと叩き、直後にイネルティアとほぼ同じタイミングで左の分かれ道に入っていく。
「妙なスイッチもその時から?」
また直進が続きそうだったから、聞きたかったことを自然な流れのままにイネルティアに訊ねる。
と言うのもさっき思い出したのは、数日前の夜――――スペルビアに手を噛まれた時のことだったのだ。
「スイッチ?」
が、イネルティアは驚いたような表情でこっちを振り向いた。
「ほら、あの……目を半分開いてる時と全部開いてる時のモードチェンジ」
「……? 朝香が……?」
イネルティアは怪訝そうな顔で、俺を窺うようにしながら聞き返してくる。
「んー……。ごめん、何でもない。とりあえず気にしないでおいてくれると助かるかな」
「……わかりました」
少し気にしておいた方がいいのかもしれない。
元々、スペルビアに関しては謎の方が多かったしな。元≪道化の王冠≫で、巨塔の第三百四十九層『幽墟の機甲兵器演習基地』においてアンダーヒルに対して意図不明の攻撃行動を行っている。アレ自体はアンダーヒルが半ば不問状態にしているため、俺が気にするようなことではないのだろうが。
『Dramaturgy』のこともあるしな。
その後も、イネルティアの方向指示を見ながら、雷犬レナにそれを伝え、複雑になってきた洞窟の中を縫うように駆ける。
「仮名が逃げる可能性は?」
「性格を考えれば可能性はなきにしもあらず、予測不能と言うべきでしょうけど、この先はもう袋小路。動きがあればギルドの方から連絡があるはずなので、逃げ場はありませんし逃がしません」
うん、正直さっきギルドの廊下で木人形をぶっ飛ばしてる時の貴女は怖かったです。
その瞳からも紅雷エフェクトを迸らせるイネルティアからさりげなく離れるよう雷犬レナに指示しつつ、大きな右カーブを描く洞窟内を道なりに進むと、
「アレデアルカ、我ガ主ヨ」
洞窟の突き当たりに、雷犬レナの首に装着した『留め具式電灯』の明かりにぼんやりと照らされた人影が見えた。
俺はその人影の前でイネルティアと共に止まると、雷犬レナから飛び降りた。その人影――仮名は、こっちに気付いた様子を見せながらも特に逃げようとする素振りは見せない。
「――何で来たの? しかもシイナまで」
何の裏も感じさせないような自然体で、仮名が首を傾げた。
近い距離からランプの光に照らされて思いの外よく見えるフードの奥の表情はまるで予期していなかった、というようなごく自然な反応だった。
「こんなところで何をしているの、カナ」
「――何をも何も……別に何もしてないよ。私はただ、ただゲームに参加するのが癪だったからこの辺に【隠匿の四つ葉】を捨てていこうと思っただけ。ただ捨てるのも癪だから、この辺のモンスターにでも呑み込ませて外に出してこようかと。でも生憎なかなか出現しない」
洞窟の出入りで計二回、仮にいるかもしれない目撃者を誘導しつつ、さらにそのモンスターを偶然腹を裂くような形で倒せればさらに一回【隠匿の四つ葉】入手のチャンス。しかもプレイヤーを襲ったわけではないからこちらとしてもその入手を有効と見做さなければならない。
相変わらずコイツ、まともな発想は一つたりともないらしいな。
勿論俺もなのだが、そんなことを何もなく看過できないイネルティアは仮名に下手な考えを捨てさせるべく、
「勝手に捨てられても困るのよ」
「――ルールには何も書いていない。これは捨てようが捨てようが自由」
「結局捨ててるじゃないの!」
「結局捨てるから」
ダメかもしれない……。
なんてことを思った時、突然アンダーヒルからメッセージが届いた。俺はそれを開き――――半ば呆れつつもその内容をそのまま仮名に伝える。
「仮名、ルールにはこうあるけど? “【隠匿の四つ葉】というアクセサリーを制限時間まで保持していたプレイヤー及びギルドは“巡り合せの一悶着順争”の別枠合格者とする”」
「――それもそうだね」
一瞬で俺が言おうとしていることは察したらしい仮名は、手に持っていた【隠匿の四つ葉】をポケットに仕舞い、如何にも大事そうにぽんと叩いた。
疑問顔で振り返るイネルティアに、俺はちょっと可笑しさを堪えながら囁いた。
「これ、“参加者”とは何処にも書かれてないから、限られた権利を取得できるチャンスなの。アプリコットが仮名を牽制するために用意した、らしい」
「あのバカリーダー……」
イネルティアは、心底呆れたようにそう呟いた。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
≪ロードウォーカー≫
≪黄金羊≫
――タイムリミットまで残り六十五時間二十六分。




