(12)『バスカーヴィル・コーリング』
戦場跡地に咆哮が轟き、魔犬の群れが牙を研ぐ。
そして始まるサバイバル――ただ生き残る、それだけでいい。
「シイナ、その武器どうしたの?」
巨塔第二百二十四層『啾々たる鬼哭の戦場――――最初の殲滅戦を終えてから五分。
ボスモンスターの手がかりを探してさ迷い始めた最中に、刹那が何の脈絡もなくそう訊ねてきた。
一瞬何のことかわからなかったものの、すぐに〈*群影刀バスカーヴィル〉と〈*大罪魔銃レヴィアタン〉のことだと気付き、
「アンダーヒルがくれたんだよ」
そう答えた瞬間、湾月刀のように細くなった刹那の目尻が吊り上がったかと思うと、眼光鋭く俺を睨み付けてきた。
そろそろ思考パターンの解析をしたいので、サンプル収集に協力してくれませんか、刹那さん――――などとは口が裂けても口には出せず、背筋が凍りつくような殺気に満ちる危ない視線からわずかに視線を逸らしていると、
「何故怒っているのかは理解できませんが、それは情報提供を条件に使用実績ともに最も有効活用できる実力を持つシイナの戦力強化も兼ねて譲渡したものです」
アンダーヒルが物理的にも話の上でも、俺と刹那の間に割って入ってくれた。
「情報提供?」
今度は訝しげな目だ。
ころころ目付きが変わるのは見ていて興味深いが、矛先が常に俺であることと好意的なものがないことを考えると、火に油を注ぐとわかっていても目を背けたくなる。
「はい。昨晩、その魔刀の付加スキルを確認するため、熟練度1000の装備条件を満たす彼に協力を要請しました。〈*群影刀バスカーヴィル〉と〈*大罪魔銃レヴィアタン〉はその報酬です」
危険なフィールド内であることを考慮したのか、アンダーヒルが最低限の説明を坦々とした口調で済ませると、トドロキさんがポンと手を打った。
「なんや見覚えのある太刀や思とったら、アンダーヒルやったか。ほんで、付加スキルって何やったん?」
「名称は【バスカーヴィル・コーリング】のようですが、詳細は不明です」
アンダーヒルが静かに答える。
「Calling言うからには【精霊召喚式】みたいな召喚系? せやけど、バスカーヴィル……は意味不明やね。アンダーヒル、この単語を使うんは?」
「私が知っているのは、十八世紀の英国の印刷業者ジョン・バスカーヴィル、あるいはアーサー・コナン・ドイルの著作、“The hound of the Baskervilles”の二つです」
辞書か――――と思わず内心でツッコンだ途端、アンダーヒルが「ところで、スリーカーズ。あなたは私を辞書だと思っていませんか……?」とトドロキさんにジト目を向けるのを見て、咄嗟に刹那の方に目を逸らす。すると刹那は、さっきの続きのつもりか何処か不機嫌そうな目でこっちをじっと見ていた。俺が見た途端、さっと視線を逸らしたが。
「あ、あはは、思っとるわけないやろ。それより『バスカーヴィル家の犬』やったっけ? 有名らしいけど読んだことは……たぶんあらへんね。作中ではどんな風に――――人の名前やね」
「被害者の名前がチャールズ・バスカーヴィル卿です」
「どちらにしても由来からは想像できなさそうやな」
「面倒くさいことしてないで、アイツらに使ってみればいいんじゃないの?」
存在感のある苛立ち気味の刹那が指差していたのは数匹の生ける屍だった。
距離があるからかまだこっちには気付いていないようで、互いに鉈のような錆びた刀剣を振り回して互いに斬り結んでいる。生ける屍はプレイヤーとエンカウントするまでは、そうやって互いに戦っているモンスターなのだ。
かといって待っていれば数が減ると言うわけではない。生ける屍同士の戦いでできた傷は瞬く間に癒え、何度も蘇って延々戦い続けるような仕様になっている。しかし、ネアちゃんのこと別枠として今の最優先事項は塔の攻略だ。
その上、装備してもスキルの効果がわからない、なんてことは前代未聞。危険は前提で考えるべきだし、アンダーヒルもそう思っているはずだ。一応彼女に判断を仰ぐのが正解だろうと視線を送ると、
「……」
アンダーヒルは無言で頷いた。『使え』あるいは『一任する』という意味だろう。
俺はアンダーヒルに視線で促され、さっきの戦闘では(偶然にも)使わなかった〈*群影刀バスカーヴィル〉を鞘ごと背中から外すと、胸の前で水平に捧げ持ち、鞘と柄に手をかける。
群影刀を抜くのは、何だかんだ初めてだ。昨日の夜はベッドに持ち込んだまま疲れて寝落ちしてしまったし、朝も抜く暇なんて一度もなかった。
何故か今に至るまで抜く気が起こらなかったと言う方が正しいのかもしれない。そしておそらくその理由は、あの時――――刀を装備した時に聞こえた気がした心臓の鼓動のような音が気にかかるからだ。
新しい刀を初めて抜くというだけでそれなりに緊張するものを、さらにあの謎の――不気味とも言える仕様。その上、皆が見守るこのシチュエーション。
その緊張感は今まで手にしてきた武器の、どれにも勝るほど高まっていた。
俺は深呼吸をして、ゆっくり手に力を込めていく。ぴったりとした鞘は意外にも固く、俺は慎重に手の力を増していき、鞘と鍔が離れる瞬間、腕を左右に引いて一息に抜き放った……!
――ドクン――
「まただ……」
しかも今度は前の時よりはっきりと聞こえた。
力強い鼓動――――そして、声が。
――待チ侘ビタゾ――
そして、鞘から解き放たれた刀身の放つ薄暗闇のような黒い光沢が一瞬明滅した、途端――――ビィイイイイイッ!
警報がその場に鳴り響く。赤い『CAUTION』のシステムメッセージが視界の上方から落ちてきて、目の前で何かにぶつかるような仕様でガツンと止まる。
「エンカウント・アラート!?」
刹那がそう叫んだ直後、視界中央の『CAUTION』の下に現れた小さな文字列に俺は戦慄を隠せなかった。
――Survive “Baskervilles Calling”――
「サバイバルイベントだ!」
『サバイバルイベント』。
各種イベントの中で、特定物を手に入れるまで終わらない『トレジャーイベント』に連なって嫌われるイベントだ。
大抵きっかけは同一種のモンスターの群れと遭遇した際に発生するイベントなのだが、それがただ武器を抜いただけで起こったのだ。
予想外もいい加減にしろ。
その内容は文字通り生き残ること。そのパーティが全滅する前にその群れを討滅することがクリア条件となるのだ。
しかし、妙だ。
「何処にも群れなんか見えへんけど、何なんソレ!?」
そう。今回、俺たちは群れとエンカウントしていない。未だに俺たちに気が付かない生ける屍は複数いるが、そもそも群れというのは百単位がほとんど。たった七体では群れにはならない。
つまり――――今までに前例は聞いたことがないが、これから戦うべき相手が召集されるのだ。
「来ます」
アンダーヒルの呟いた声とほぼ同時に、目の前の地面に直径一メートルほどの黒い円が現れた。そして瞬く間にその数は増え、視界に見える地面を覆い隠していき――――グルルルルルルッ……。
獣の唸り声がそこかしこから聞こえてきて、ドロリとその黒い円が立体的に歪み始め、次の瞬間には大量の黒い大型犬が姿を現した。細身の体躯や特徴的な顔形からドーベルマンを彷彿とさせる。
「〔妖魔犬バスカーヴィル〕という名前のモンスターのようです」
「モンスターの名前なんか普段ならどうでもいいけど、それで群影刀かよ」
「バスカーヴィル家の犬の作中では、魔犬の伝説がありましたね」
このシチュエーションだと、無駄に凝っているネーミングが無性に腹が立つな。
ドーベルマンは昔から軍用犬として有名な――有用な戦闘犬種なのだ。
「コイツら全部倒せってか……」
数えるのが億劫だが、少なくとも二百ぐらいはいそうだ。
それで計算しても、ネアちゃんを戦力外として一人五十匹以上。
さらに視界のずっと右端に映っている、襲われてめちゃくちゃになった生ける屍たちを見る限り、個々も強く、しかも好戦的な可能性大。
そう単純計算で測れるものでもなさそうだが、いずれにせよその厄介さは塔のレベルに匹敵しているかもしれない。今いるのが塔であることを考えると、まったく喜べる要素がない。
加えて厄介なことに『自演の輪廻』。
後はこのバスカーヴィルどもが飛べないことを祈ろう。
「ネアちゃん。このイベントが終わるまで、ずっと飛んでられる……?」
ネアちゃんは天使種。最初から翼を持っている数少ない種族だ。この中では唯一ではないだろうか。マイナーさに拍車がかかる影魔種は知らないが。
少なくとも凱旋の慚愧にさえ気をつけさせれば、ネアちゃんが空に逃げている間にこの連中を片付けてみせる――――と予定を立てていたのだが、
「わ、私、飛び方わからないんです……羽の動かし方とか……その、よくわからなくて……ご、ごめんなさい」
この言葉で全て机上の空論と化した。あるいは砂上の楼閣。
最早俎上の魚の方が生存確率高いんじゃないのか? 今のネアちゃんより。それにしても天使種を選んでおいて、飛ぶ練習をひとつもしていないとは、その臆病さにはある意味感嘆するな。
そして少し諦めが早すぎる感が否めないが、これこそまさに万事休す。
地上でネアちゃんを守りつつ、コイツら全部を掃討する。それがどれだけ難しいか。
「え~、レディース・アーンド・ジェントルマーン……」
俺がヤケクソ気味にそう呟くと、刹那とトドロキさんが続きを引き継ぐように、
「「『踊れ踊れ狂兵の如く』!」」
その大声に触発された妖魔犬たちが、一斉にかつ統制のとれた動きで襲いかかってきた。
Tips:『サバイバルイベント』
各独立フィールドでランダムに発生するローカルイベントの一種で、その名の通り生き残ることが目的となる対群戦闘が基本形の緊急任務。主に同一種から構成される敵性集団と遭遇した場合に発生することが多く、同種の個体がさらに複数召喚されてイベント開始がプレイヤーに宣告される。クリア条件は対象となった敵全ての討伐のみで、プレイヤーがフィールド内にいる限り交戦状態が解除されることはない。唯一プレイヤーのフィールド離脱によって接触状態が解除された場合はイベント失敗扱いで終了となるが、一定時間以内に再び侵入すると初期状態で再発生するため、キャプチャーイベントと並んで厄介なイベントとして認知されている。




