(25)『危険人物の一人』
「閉じられた世界と~閉ざされゆく未来~♪」
フィールドの端、ちょうど入り口付近に位置する巨大な岩壁の傍に二人の男女――もとい、少年少女の姿があった。
「虚構の果てで待つ~道化師の声~♪」
歌うように言の葉を紡いでいるのは、芝生の上に仰向けに寝転がっている少女[シャノン]だ。その目は閉じられ、如何にも楽しげに――気持ち良さげに歌っている。
彼女は最後どころか遅刻してフィールド入りした唯一のギルド≪弱巣窟≫のギルドリーダーだ。
「儚に朽ちる世界を憂うならぁー♪ 無理と~道理を~、捻じ伏せて進め~♪」
「シャノンさん」
まるで今の状況――VRMMO[FreiheitOnline]に閉じ込められた現実をそのまま歌詞にしたようなその歌に没頭するシャノンにジト目を向けていた少年が、岩壁に背中を預けながらため息混じりに呼び掛ける。
「不条理を打ち砕けぇ~♪ 戦いに懸ける意志ぃー、小さな一つの願い~♪」
――が、返事がない。
サビに入ってさらに声量を上げてはいるが、その声で聞こえないわけではない。シャノンは少年の声が聞こえていながら、とある理由からあえて流しているのだ。
「シャノンさーん」
「全てを壊す、Fallen Down♪ 支配するパラドクス~、たーだ歪みゆく箱庭ぁ~、まーだぁー世界はー終わらせーない~♪」
「……シャノン」
歌い続けるシャノンにシビレを切らした少年は、心底面倒くさそうにぼそりと敬称なしで名前を呼んだ――――途端、
「何か呼んだ、ルーク?」
シャノンはパッと身体を起こし、明るい笑顔で振り返った。その笑みに怯んだ少年[ルーク]は言葉に詰まり、少し気まずそうにして視線を逸らして、
「……本当にこんなとこでのんびりしてていいんすか?」
周囲に拡散しない程度の声で呟くようにシャノンにそう訊ねる。
「こんなところなんてヒドいなぁ。長閑でいいところじゃん」
「いや、そういうこと言ってるんじゃないんすけど……。ぐずぐずしてると、他チームに先越されるかもしんないっていうか」
何とかシャノンを動かそうと言葉を以て説得しているルークは、彼女と同じ≪弱巣窟≫所属の補佐役だ。
「ルークはわかってないなー。着順争なんて言葉遊びに騙されちゃダメだぞ、少年。これは徒競走じゃなくて持久走。誰が一番かなんて、まったく関係ないんだよ」
「それとシャノンさんがサボることの何処に関係があるんすか……?」
「二人きりの時は“シャノン”って呼ぶ約束のはずでしょ?」
「いや、シャノンさん、思っきし人いるんすけど」
ルークが人差し指で指し示した方向――――岩壁に空いた洞窟のようなフィールドの入り口を監視・警備している運営スタッフのプレイヤーが立っている。
シャノンは忘れてたとばかりに、数メートル離れた場所に立つ騎士鎧の二人――≪ジークフリート聖騎士同盟≫の[オルドリン]と[エクェス]を振り仰ぐと、
「お疲れさま~」
にこーっと笑顔を向けて手を振った。
洞窟の両端に立っていたその騎士二人がおざなりに手を振り返しつつも、さっと目を逸らしたのは言うまでもない。
「別に私はサボってるように見えるだけで、サボってるわけじゃないんだよ」
「いや、サボってるように見えれば、充分サボってるんだと思うっすよ」
「これも作戦通りだからいいの。私はギルドを代表して、ちゃんとした職務として来てるんだし」
「ちゃんとしたミッション用の装備にはどうしても見えないっすけどね」
ルークがぼそりと呟くようにそう言った途端、誇らしげに胸を張っていたシャノンがさっと視線を逸らす。
「ルークが最近、デレてくれない……」
「今は締め切り付きの職務中っす」
唇を尖らせるシャノンの格好を改めて確認したルークは、仕方なしと言いたげなため息をひとつ吐くと、
「可愛いと思うっすよ――――比較的」
「比較的って何!?」
「普段が色気も何もないだけっす」
シャノンが着けているのは、黒いタンクトップの上から、帯のように長い十五センチ幅の二枚の白布を螺旋状に巻き付けたような構成のバトルドレスだ。
白の長い布同士がX字に交差する胸元・背中・両脇腹・下腹部では、その交点が大きなボタンで留められ、後ろ丈の長いスカートの背部では両脇腹と下腹部の交差で背中側に回された四つの両端がリボンのように大きな結び目を作っていて、その先は緩やかなカーブを描いて足元の地面スレスレにまで伸びていた。
肩に羽織っている薄手の黒いケープが吹き抜けた一陣の風で一瞬ふわりと浮き、同時にシャノンの腰まである、くすんだような薄緑色の髪が風にそよぐ。
「普段と比較するほうが間違ってんだもん……。私の勝負服に文句つけないの!」
「何の勝負っすか……」
ルークが拗ねるシャノンをどう宥めようか考えを巡らせ始めた時、シャノンが急にパッと身体を起こした。そしてその視線が、フィールドの出入り口に当たる洞窟の方へ向けられた。
その直後――――ざっざっと微かな足音が洞窟の奥から響いてくる。
「このタイミングで入ってくるって言ったら、スタッフの誰かっすかね?」
「そだね」
さっきまでの何処か子供っぽい様子がシャノンから消え、次の瞬間、竜の頭骨をそのまま使った巨大な楯と無数の骨で構成された巨大な機械槍が出現した。
【死屍竜槍ルナーズアイ】。
普段のシャノンが使っている骸骨の鎧【死屍竜の骸甲】一式と同じ、巨塔第三百二十八層『死竜帝の霊廟』のボス、死屍竜グール・ルナーズアイのモンスター素材から作られた魔砲槍だ。
「えっ、ちょっ……」
戸惑う様子を見せるルーク。
対して突然武装を展開したシャノンに、オルドリンとエクェスの二人は警戒していることをアピールするようにそれぞれ腰に帯びた聖剣の柄に手をかけた。
その時、二人の騎士の様子が変わった。
「やめとき、オルドリン、エクェス、シャノン」
ガシャンッ。
後ろから突然肩に手を置かれ、シャノンは構えていた死屍竜槍を取り落とした。
が、その瞬間シャノンは、手から逃れるように姿勢を落とした。そして、跳ね返りで地面からわずかに浮いた槍の上部に付いた取っ手を掴んで先端を地面に突き刺しつつ前に飛び、空中で姿勢を調整して垂直に立てた槍の上に片手で逆立ちする。
「あ、トドロキ」
「スリーカーズ」
後ろに立っていたスリーカーズは、ピクピクと口の端とこめかみを引き攣らせながらも何とか笑顔を装い、曲芸師のような姿勢で停止するシャノンを見上げる。
「シイナといい、ジブンといい、人の名前で遊ぶんもいいかげんにせんと、そろそろキレるで、シャノン」
「あはは、次から気をつけるよ」
ため息混じりに本気で蒼橙二色の雌雄剣――妖刀・嬉々壊々を抜こうと柄に手をかけるスリーカーズを気にする風もなく、シャノンは楽しげに笑う。
「ところでどうやって後ろに? さっき入ってきたばかりだよね?」
「ちょっとした裏技やね」
空間移動スキル【神出鬼没】という裏技だ。
「何か隠してる?」
「いや、そら取っときは隠すやろ」
興味深げに笑みを浮かべながらも「ふーん」と納得したようなことを言ったシャノンは、足を振ってバランスをわざと崩すと、くるんと空中で一回転して槍の隣に綺麗なフォームでスタンと飛び降りた――
「あでゃぅっ……!」
――途端、シャノンは謎の奇声を発してがくんと姿勢が崩れて引っくり返る。
その足元には、槍と同時に取り落としていた楯の装飾として突き出した竜の角。着地した時、運悪くその先端付近の細い部分を踏んづけて転んだのだ。
「相変わらず器用なんかドジなんかようわからん奴やな……」
転んだ時にお尻も同じ楯にぶつけたらしく、お尻の下に手を敷くようにへたり込み、涙目になっているシャノンを見下ろし、スリーカーズが呆れ顔で呟く。
「まだこんなトコで遊んどるヤツがいる言うから覗きに来てみれば、こんなトコでナニやってんねん。まさか三時間もずっとここにいたんか?」
「えぇ、うちのGLの方針で何故かそうなったっす」
スリーカーズはそう返してくるルークに同情するような目を向けつつ、シャノンに向かって手を差し出す。その手を取ったシャノンは盾を拾い上げながら起き上がると、
「そうだ、トドロキ~」
「気をつける気ないんか」
スリーカーズの声がやや鋭い怒気を含むが、それすらも軽く流したシャノンは、
「双極星がこのゲームに参加してるってホント?」
「その名前聞くんも久しぶりやな……」
双極星。
九ヶ月前、リコ(当時は電子仕掛けの永久乙女だったが)との戦いの切っ掛けとなった[銀]と[イヴ]の二人のプレイヤーだ。
「ウチは知らんで。ちゃんとした名簿預かってるんは≪シャルフ・フリューゲル≫におる八人と、フィールドの外で出入り制限を指揮しとる刹那だけやし」
「ふーん。ところでトドロキ」
「気をつける気は皆無ってことがようわかったわ」
スリーカーズの語調が半ば棒読みになる。
「キュービストが最近はそっちでお世話になってるんだって?」
「そう言えば、九ヶ月前はそっちにおったんやって? せやけど、それがどないしたん?」
「んーん、何でもない」
自分で振っておいて特に興味なさげにしているシャノンを見て、スリーカーズは再びため息を吐いた。が、すぐに「まぁ、ええわ……」と呟いて踵を返し、洞窟の方に戻り始めた。
「もう戻るの~? ゆっくりしていけば――」
「言い忘れたことがあったわ~」
声をかけたシャノンの台詞を遮るように、スリーカーズが少し不自然に声を張り上げる。
「制限時間をどう使おうと参加者の勝手やから口出すつもりはないけど、≪シャルフ・フリューゲル≫で面接受けた参加者は制限時間終了まで向こうにおるから、ここに来ることはないと思うで~」
「えっ!?」
スリーカーズの台詞にがばっと上体を起こしたシャノンに、ルークが信じられないものを見るような目を向ける。その目は、『まさかそんな適当な作戦だったんすか!?』と言葉を介さずとも語っている。
「そ、それホント!?」
「ウチらが嘘吐いてどうすんねん」
シャノンの顔が青ざめた。
「は、は、は――」
「は?」
スリーカーズがシャノンに向き直ってそう聞き返すと、顔を真っ赤にして混乱したように周囲を見回したシャノンは突然地面に突き刺さったままの死屍竜槍を引き抜くと、
「早く言え、バカぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」
そんな叫び声を残して、物凄い速度で駆け出していった。一人で。
「ちょっ、シャノンさん、一人で何処行くんすかッ!?」
慌てて立ち上がったルークも背中の鳥のような生体翼を広げると、小さくなっていくシャノンを追いかけて一緒に小さくなっていく。
その二人の姿がほとんど見えなくなった頃、ぽかーんと呆けていたスリーカーズは「バカはどっちやねん……」と呟いた。今日何度目かの呆れ顔で。
「あれでギルドリーダーなのか……」
「警戒する必要なかったかもな、さっきも」
オルドリンとエクェスが二人して、何やら笑いを堪えるように話している。
スリーカーズはまたもため息をひとつ吐くと、
「その辺にしとかな知らんで? 多分さっきウチが止めんかったら二人まとめて遊ばれてたやろうし」
二人に向かって、少し斜に構えてそう言った。
突然一時的とは言え上司に割って入られた二人は、慌ててしゃんと背筋を伸ばす。
「す、すみません……!」
「いや、別にそう畏まらんでもええけど、さっきの少年はともかくシャノンに喧嘩売るんは自殺行為やから覚えとき。ジブンらも聞いたことぐらいあるかもしれんけど――」
スリーカーズは出入り口の警備増員を考えつつ、洞窟の中に――フィールドの外に向かって歩き出しながら、わからないというように首を捻る二人に言い残す。
「――アイツの二つ名は“死神シャノン”。純粋な意味では危険人物の一人やからな」
二人の騎士は息を呑んだ。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
≪ロードウォーカー≫
――タイムリミットまで残り六十七時間五十九分。




